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性空説

世の中には大きく分けて人の本性を説く説が二つあるよね。
性善説性悪説

一部で誤認されているこの二つの説は、
人の本性は善だとするのが性善説で、
反対に悪だとするのが性悪説と言われてる。
ただし、誤解を受けやすいけど、
性善説と性悪説はそういった意味での二元論じゃない。

・性善説
「性善説は、人は生まれた時には善だけど、
歳をとるにつれて本性を隠したり堕落したりすることで、
後天的に悪行を覚えていくという説。」

・性悪説
「逆に性悪説は、生まれた時には悪だけど、
歳をとるにつれて理性を学び、
後天的に善行を重ねる為の修練をしていくという説。」

性善説は孟子って人が解いた説で、
性悪説はそれに対する荀子の反論の説として生まれたとされてる。
だから、この二つは相反する説のように思われがちなんだけど、
実はまったく同じことを言っているように思う。

性善説は人の本性は善だが悪行を覚えていく。
性悪説は人の本性は悪だが善行を覚えていく。
一見相反する説のように見えるかもしれない。
けれど、実はこれらはまったく矛盾などしていないんじゃないかな。
つまり人の本性とは「空」であると俺は認識してる。

・性空説
「人は生まれた時には空っぽだけど、
歳をとるにつれて多くの物事を知り、考え、学ぶことで
後天的に善行や悪行を覚えていく。」

善悪というのは定義のできないものであり、
それは時代や土地によって異なる価値観へと変わる。
自らの中に蓄積されたそれらを、
善や悪の価値観で分断しようとすると、
絶対に矛盾という命題にぶつかる。

善悪を定義しようとするのはナンセンスだ。
多くの宗教や法律がそれらに挑戦してきたが、
それらは個人や群集の意思をコントロールする為に、
都合の良いように使われてきただけだ。
宗教における教義や戒律には、
ここでは語りつくせないほどに複雑な意味や意図が組み込まれている。
なのでその辺のことは、ここでは割愛するけど。

人は群集になると途端に個人の価値観を見失う。

本来は人は孤独になることで自らの「空」を見つめる。
一人で居すぎると人はどんどんと孤独との対話を初めてしまう。
空とは無に似ている。
自分の中の空っぽ。
全ての人の中に常に満ち溢れているものとは、
絶対的な喪失感である。

多くの人がそれらの喪失感を埋めるために、
様々な行動をとる。
たとえば物欲、たとえば情欲、たとえば食欲。
欠損・欠如・欠落により人は求める。
求めることは悪か否か?

それは誰にも分からない。

人の創造力の根源は喪失感にある。
「無い」から「欲しい」し
「欲しい」から「創る」。

それが時に、ある価値観において善であったり悪であったりするだけだ。

大切なのは誰かの権利を侵害して、
それらを成そうとしないことだ。

空っぽの世界に空っぽの生命があふれている。
そこには必ず何かが満ちている。
その「何か」こそが「空」の本質であるはずなのだ。

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