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リテラシーの向上と情報統制について

最近、秋葉原の無差別殺傷事件を受けてか、
色んな模倣犯やら犯行予告した奴らが逮捕されまくってます。
まあこれは良い傾向だとは思うんですが、
過剰になりすぎて言葉狩りみたいになるのは勘弁して欲しいなぁと思います。

2ちゃんねるなどの不特定大多数が閲覧する場所で、
「殺す」「死ね」などの不穏な発言をして、
脅迫として逮捕されるのは仕方のないことだとは思うが。

例えば今後、誰かが誰かを批判する時などに、
上記のような過激な言葉を使って失言的に批判してしまうこともあるだろう。

いくら本人のアホさや注意力のなさが原因とはいえ、
それで前科がついてしまうというのは少々可愛そうである。

実際、関西圏では今でも「殺したろか」などという言葉は、
日常会話で普通に登場する割合ポピュラーな言葉だったりする。
当然それは特定の意思疎通のできるコミュニティ内のみで成立しているものであって、
いきなり知らないおっさんに「殺したろか」と言うことはあまりないが。
それでも完全にないとは言い切れない。

流石にそんな程度で立件されるなどという問題には発展することはないだろうが、
その文化をインターネットという不特定大多数が閲覧できる場所に、
同じように持ち込んでしまうアホというのは実際いる訳だ。

まあ個人的な意見としては、そんなアホがどうなろうが別に構わないが、
ネットなどの規制強化に繋がるような現状に対して危惧しているという訳だ。

確かにインターネットに弊害がないかと言えば答えはノーだ。
情報の氾濫によって不必要なまでに民衆のリテラシーが向上し、
その知識の使い方を誤っている人々は年々増加している。

この原因は何かという根本的な部分のひとつに焦点を絞るのならば、
知識は武器であるという学力史上主義や情報化社会が生み出した悪癖である。
知識は使い方によって、良い方向にも悪い方向にも作用させる事ができる。

例えば「統計」によって得られるデータというのは、
あくまでも状況を多面的に捉える為の一つの手段でしかなかったはずだ。
しかし今や統計で得られたデータは、それのみを提示し、
自らの論法に説得力を与える為の「武器」として使用されるばかりである。
特にテレビの報道で使用される、
本当に実施されたのかすら怪しい信憑性の薄いアンケートの結果など。

だからといって情報制限やインターネット規制が本当に今後良い結果を生むのか、
といえば甚だ疑問である。
俺は知識とはあくまでも知識でしかなく、
情報は情報以上の力を持つことはないと思っている。

大切なのは情報面でのリテラシーが向上した分、
人間性や自分以外の立場の人間を慮る、
人間的なリテラシーの向上に目を向けることであろう。

俺は上記で、日本は学力至上主義であると書いたが、
にも関わらず、この国の総合的な学力は低下傾向にあり、
学力格差は大変なものである。
かくいう俺も学力は低いものである。

まあそれも昔の方がもっと酷かったのだ、という言い方もできるのだが、
現代では少し状況が違うというのが重要なポイントだ。

問題なのは、どんな人間でも同じように、
簡単に情報を手に入れることができるという事であり。
その情報化社会になった現在に必要な、
充分な教育が施されていないという現状にも問題がある。

リテラシーの向上は、簡単に情報を手に入れる事ができる状況が生んだ弊害だが、
その知識を間違った使い方をしたり、ひけらかしたり。
情報は武器だと言わんばかりに情報だけを集めている馬鹿者の中には、
情報自身が持つ主観的客観性を度外視している者も多くいる。
また情報を集めた者の主観的配列によって、
情報が持っていた客観性を失わせる事があることが分からない者もいる。

清濁併せ持ってこそ世の中。
臭いものにはフタをしろ。
個々人の裁量でもって。

臭いものを無くそうとするから無理や破綻が生じる。
情報化社会に必要な教育というのは、
大人が子供にする教育だけではない。

情報化社会に適応し、且つ人間的なリテラシーの高い、
つまり各々のモラルのような物をしっかりと持っている人間が、
それらを持たない人間に対して理路整然と説明していく事が大切なのではないだろうか。

そこを怠ったが為にインターネットは不穏で
怖いものであるという認識をされるようになった。

何を臭いと思うのかは、個々人によって違う。
大切なのは自分が臭いと思ったものは「悪」だと決め付けてしまわないこと。
その心が歪みを生む。

自分が臭いと思ったものは、せめて自分に匂いが届かないようにだけすればいい。
そこを判断しどう対処すれば良いのか考える力を、
平均的に高めていく努力こそが重要なのではないだろうか。

それが変革した時代に対して行われる教育だと思う。
時代が変われば、当然考え方やモラルも変わる。
民衆のリテラシーの向上が抑えられないものなのであれば、
その向上したリテラシーに対してどのようにアプローチするのかを考えればいい。
規制というのは、考えることを放棄し楽な方へ逃げることに他ならない。

もちろん規制や抑圧から生まれる物がなかった訳ではない。
今後、日本において情報規制や言論統制が徐々に行われていくかもしれない。
それでも文化が絶えることはないだろう。
この国は文化によって支えられてきた国なのだから。
どんな状況下にあって文化、文明だけは絶えることなく続いていく。

しかし、そんなどうしようもない状況にせずとも、
現状の問題点を改善する為の努力というのは、まだまだ可能なレベルだと思う。

書き始めた時はこんなに長文にするつもりもなかったのだが、
やはり規制という言葉には敏感に反応してしまう。
こんな意見もやはりあくまでも自分の欲に素直だから出るのだという事は、
自分自身で忘れてはいけないよなぁと思う次第である。
お粗末様。

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