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遺書

もっと簡単に、自らを書き留めておく場所が必要だと感じた。
より抽象的に、より読みづらく、より自己開放度を強くできる場所を作る必要があった。
いつか…、それは明日にでも訪れる可能性のあるものだ。
だから俺は、少しでも自らの欠片をこの世界にばら撒いておきたいと願った。
途方のないエゴイズムを携えて、文字を紡がなければならないと。
終わりの来る世界だから、できることの一部だけでもやっておかなければならない。

後悔は無くならない。
死の間際、思い残すことのない人間など、恐らく一人たりとも存在しない。
だから自らの為ではなく、
俺がこれから残していく言葉を受け止めてくれるであろう不特定多数の人達に。
俺は遺書を書く。これは紛れもない遺書である。

だがそれは、とてつもなく支離滅裂で、混沌と呼ぶに相応しい言葉たちであろう。
それでもこの世界に、「言葉」を残そうとする意味を、汲み取って欲しい。

夜は、とても長い。

目を閉じて耳を澄ますと言葉があちこちから降ってくる。
我々は決して、その爆撃を避けることはできない。
言葉は脳に穴を穿って、次々に思考に潜り込んでくる。
人はそれを「意思」と呼ぶのだろう。

我々の意思とは、どこから来て、なんの為に再び言葉となり生まれでなければならないのだろうか。

「伝える」ということは永遠のテーマである。
それが何故、永遠のテーマになりうるかは少し考えればすぐ分かる。

絶対に、すべては伝わらないからだ。
けれど人は「伝えたい」のだ。
だから言葉の爆撃が自らの思考と溶けて意思となり、再び言葉となるとき
そこには「伝える」という意味が生じている。

俺の言葉が、ここにこうして生まれているというのは
少なからず、いや、俺の意思云々以上に、言葉は「伝わって欲しい」と何よりも強く願っている。
ヒトから生まれてしまった言葉は伝わらなければならない宿命を背負うのだ。

では、その言葉以前とでも呼ぶべき、意思の源はどこにあるのだろう。
ヒトはすぐにそれを脳だなんだと呼ぶが、それは違う。
雨さながらの爆撃のような、言葉以前が我々に降りそそいでいるのだ。
そして我々の中に染み込み、溶けて、我々の呼ぶところの言葉となる。

言葉以前は、空中を漂っているのだろうか…?
否、それではすべての人が、同じ意思を持つ可能性がある。
恐らく、俺が考えるに言葉以前は、時間とでも言うのか
いわゆる空間の外にあるものではないかと考える。

俺の大学の教授は、その言葉以前のことを「言葉の海」と表現し哲学してみせた。

言葉以前は空間の外に存在する、まさしく混沌である。
言葉とはヒトという殻のなかにもぐりこんだ言葉以前が、ヒトと溶けあって生まれた、
「伝える」という意味を持った、決してすべて伝わりきらない「伝わる」ものである。
伝わるために生まれた言葉は、伝わりきらないという業を背負って生まれてきている。

畢竟、ヒトもそうである。
ヒトと言葉はイコールで結ばれるほどになった。
人と書くのだ。
それがヒトと言葉の出会いの象徴的表現だと言えるかもしれない。

人は「伝える」為に生まれてくる生物なのだ。
この時代、ヒトに立ち戻って過ごせる者などあるはずもないのだ。

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