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ブログとはきっとそういうものなのだ。

ほんとうにどうでもいいことだ。

どうでもいいことなのだが。
歳を経るごとに、どうでもいいこと、ということに全力投球できなくなりがちになる。
例えばブログとかね。

昔は何の意味もなくとも、そこに意味を見出してやるというような勢いでもって
それはもうやたらめったらと記事を書きまくって。
自分自身でも、
書いた記事から自分勝手に自分自身の真意なんてもんを汲み上げていたりした。
そういうことが知らず知らずできなくなっていくのは、
日々の生活というものを保つのが本当に大変で、面倒で、
やたらと意味や価値のあることにしか目がいかなくなってしまうからだ。

そういうことでつまらない人間になっていくのだということは、
無意味なことにでも意味を見出してなんとかやってやろうとしていた頃には、
なんとなくどころかはっきり感じていたはずで、口に出してすら言っていたはずなのに。
そうした状況は反射のように自分に返ってきてしまって、
手一杯になると目一杯になってもはやそんな頃の自分の思考など思い返す余裕すらもなく。
ただ日々を送ることに精一杯生きてしまっている自分。

それが情けない事だとは、もう思えなくなってしまった。
みんなそうやって、なんとか日々を生きているのだとわかってくると、
それを子供っぽくも見つめていた頃の自分の浅薄さにも気づいてしまって、
今の自分を大人のように仕立てあげてしまって眺める浅薄さを忘れて、
考えてしまっている。

余裕を勝ち取ることというのは何とも難しいのだなと子供っぽくも思う。
必死になって生活の余裕を得ようとしていたり、
余裕のふりして必死に余裕を保とうとする心だったり。
大人になるっていうのは、そういう部分をなんとかごまかしながら、
それでもまっとうに日々を送ろうとする意志によって保たれる経過なのだろう。

骨格にあるのはいつだって、子供の頃のままとあまり変わらぬ自分があるだけ。
状況がそれをさせないというだけで、それを少しずつ変えていくというだけで、
変わることを強いるというだけで、我々は子供という中身を大人という殻で覆う。

不必要だと思えるようなことにも、意味を見出そうとしなければ、
それは無意味に過ぎていくだけのものに過ぎず。
己に必要な体験をしていても、
それを活かすことができなければ必要は不必要と同義となるし。
活かそうとすれば、どんな体験であっても必要なことであったと言うことができる。

我々は――。
というよりも私は。
必要を無意味なものにせぬよう、意義ある勝ち取り方を日々勝ち得ていく必要がある。

弱音、弱気、マイナス思考、自己否定、保身。
そうした方向性を見つめるよりも。

自分の可能性や、
自分を一番応援するのは自分自身であるという当たり前を、
日々によって当然のように実感していかなくてはならないのだと。

自分自身の言葉によって実感していくべきなのだろう。

だから、あえていうならば。
これは、
ほんとうにどうでもいいことではないのだ。

まったくといっていいほど、
どうでもいいことではないのだ。

ブログとはきっとそういうものなのだ。
それがまた私以外の誰かにとってもそういうものでもあってくれればいい。

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