吸っては吐いて。
ACE:RのためにPS3を買った僕でしたが、いまだACE:Rを買えておらず。
というかイースvs空の軌跡すら全然やれてないんですけどね。えへへ。
もう来月には零の軌跡が出るっていうのに。
そういえば魔法使いの夜も零の軌跡と同じ日らしいですね。
どうしたものか。
まあ、自分がやりたくて仕方なくなる頃には
時間もなんとかなっているんでしょう。
気にしても仕方なし。
それにしてもパワーストーンのおかげなのか、
作詞作曲がこれまでにない方向性でやれてるので。
今はこの機を逃すなとばかりに、
時間があれば全部そっちに費やしてます。
スランプになると、どうやっても出来なくなってしまいますし。
そうなると死体同然の日々を繰り返すだけ。
しかし無駄とも思える日々の繰り返しの中からしか
生まれないような曲もあったりと、本当によくわかりやせん。
こいつぁ曲者です。曲がりくねってます。
だが、これも人様に聴いていただく為の準備。
もう自分だけの為の音楽ではないっていうことは、
与えられたものから音楽を作っているから知っている。
感謝の反射を放射状にするために。
過去の自分の楽曲群と向かい合ってみると、
今自分が取り組んでいる曲のテーマとリンクしたりする。
自分が作ったものなんで似てるのは当然なんでしょうけど、
音楽や言葉は僕が認識している時間の流れとは
少し違ったところにあるのかもしれません。
自分という世界において
時間を配列しているのは紛れもなく自分自身で。
今というのはその集約地点。
一瞬一瞬は固定された地点だ。
今に生きるというのは時間の止まった中にあるのと同義。
周囲が常に流動的だから、それを認識すれば、
自分の時間も推移しているように感じる。
そうして過去と未来は出来て、線と立体の世界へ至る。
相対化し同調することで体感する時間速度は変化する。
身の回りにある状況や生活速度などを
感じれば感じるほどに相対的に時間の体感速度は上がる。
子供の頃の時間が長く感じるのは、
自分の時間が外(他世界)の時間と同調されていないからだろう。
固定化されている物質世界の実質的な速度自体は変化しないので、
寿命が延びたりすることはないだろうけれど。
認識レベルではそういったことは起こりうるはずだ。
仮に今自分が認識している埒外のものがあるとすれば、
目には見えないが確かに存在すると感じられるもの。
つまり振動が固定化されて物質になっていない状態存在。
言葉、というより言葉の少し手前。
想念的な意識はその領域の存在で、
それらは時間によって固定されていないので、
今に留まる必要性がない。
自分というフィルターを通した瞬間に、
結果としては今に固着されてしまうけれど。
しかし。
それゆえに捉え方次第では、
自分の時間配列の流れの先の情報を取り出せてしまうってことも、
ありえない話ではないような気がする。
反射的反応で言葉と音を繋いでいくと、
シャーマン的になってしまうような事っていうのはある気がする。
だから今やってることもまた未来につながってて。
過去とも確かにつながってるんだろう。
自分が把握しきれないものを吐き出す。
無駄なことなどないと思えるようになる呼吸。
吸い込んだ毒を光合成のように吐き出していく。
吸収して抱え込んで作っては吐き出して。
そんな繰り返しを少しずつ前に進めていきたいもんです。
音楽の話がしたかったのか、
哲学の話がしたかったのか、
自分の話がしたかったのか、
SFの話がしたかったのか、
一体何だったのかよくわからない記事でしたとさ。
というかイースvs空の軌跡すら全然やれてないんですけどね。えへへ。
もう来月には零の軌跡が出るっていうのに。
そういえば魔法使いの夜も零の軌跡と同じ日らしいですね。
どうしたものか。
まあ、自分がやりたくて仕方なくなる頃には
時間もなんとかなっているんでしょう。
気にしても仕方なし。
それにしてもパワーストーンのおかげなのか、
作詞作曲がこれまでにない方向性でやれてるので。
今はこの機を逃すなとばかりに、
時間があれば全部そっちに費やしてます。
スランプになると、どうやっても出来なくなってしまいますし。
そうなると死体同然の日々を繰り返すだけ。
しかし無駄とも思える日々の繰り返しの中からしか
生まれないような曲もあったりと、本当によくわかりやせん。
こいつぁ曲者です。曲がりくねってます。
だが、これも人様に聴いていただく為の準備。
もう自分だけの為の音楽ではないっていうことは、
与えられたものから音楽を作っているから知っている。
感謝の反射を放射状にするために。
過去の自分の楽曲群と向かい合ってみると、
今自分が取り組んでいる曲のテーマとリンクしたりする。
自分が作ったものなんで似てるのは当然なんでしょうけど、
音楽や言葉は僕が認識している時間の流れとは
少し違ったところにあるのかもしれません。
自分という世界において
時間を配列しているのは紛れもなく自分自身で。
今というのはその集約地点。
一瞬一瞬は固定された地点だ。
今に生きるというのは時間の止まった中にあるのと同義。
周囲が常に流動的だから、それを認識すれば、
自分の時間も推移しているように感じる。
そうして過去と未来は出来て、線と立体の世界へ至る。
相対化し同調することで体感する時間速度は変化する。
身の回りにある状況や生活速度などを
感じれば感じるほどに相対的に時間の体感速度は上がる。
子供の頃の時間が長く感じるのは、
自分の時間が外(他世界)の時間と同調されていないからだろう。
固定化されている物質世界の実質的な速度自体は変化しないので、
寿命が延びたりすることはないだろうけれど。
認識レベルではそういったことは起こりうるはずだ。
仮に今自分が認識している埒外のものがあるとすれば、
目には見えないが確かに存在すると感じられるもの。
つまり振動が固定化されて物質になっていない状態存在。
言葉、というより言葉の少し手前。
想念的な意識はその領域の存在で、
それらは時間によって固定されていないので、
今に留まる必要性がない。
自分というフィルターを通した瞬間に、
結果としては今に固着されてしまうけれど。
しかし。
それゆえに捉え方次第では、
自分の時間配列の流れの先の情報を取り出せてしまうってことも、
ありえない話ではないような気がする。
反射的反応で言葉と音を繋いでいくと、
シャーマン的になってしまうような事っていうのはある気がする。
だから今やってることもまた未来につながってて。
過去とも確かにつながってるんだろう。
自分が把握しきれないものを吐き出す。
無駄なことなどないと思えるようになる呼吸。
吸い込んだ毒を光合成のように吐き出していく。
吸収して抱え込んで作っては吐き出して。
そんな繰り返しを少しずつ前に進めていきたいもんです。
音楽の話がしたかったのか、
哲学の話がしたかったのか、
自分の話がしたかったのか、
SFの話がしたかったのか、
一体何だったのかよくわからない記事でしたとさ。