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君は、生き延びることができるか

最近は3時間から5時間くらい寝ると目が覚めることが多い。
二度寝するかどうしようか。

オカモーロー通信によると、
俺が13日にライブすることがニューヨークタイムズで紹介されたそうだ。
このブログはいつニューヨークタイムズになったのだろうかw
彼がニューヨークのハーレムで暮らし。自炊し。
その年齢に見合わぬほどに逞しく心を鍛え、
さらにアフリカンズミュージシャンの方々との様々な経験を重ねている。

そんな中で俺のことを気遣ってくれている心を受け取る。
それは普通なかなかできることじゃないんだ。

多くの人は自分の苦労を知って欲しいと願う。
慰めて欲しい、労って欲しいと願う。褒めて欲しいと願う。
弱音を吐くのがダメだとか、そういうことを言っているのではない。
弱音は吐いてもいいが、見返りを求めないほうがいい。
最終的にはどんなことも自分で乗り越えるしかないのだから。

だからこそ、どんな環境にあっても。
誰かのことを気遣える人間は強く優しい。

もし俺が何も動くことが出来ていなかったら、
俺はたぶん何かから取り残されただろうなと思う。
何かっていうのはたぶん世界や人生とかそういうものだ。

「これでいいや」と思ってしまったら、
たぶん本当にそこまでになってしまう。
そこから先はない。

誰でも失敗したくない。
しかし失敗しても、それを肥やしに人は進めるはずだ。
生きてさえいれば。

だから自分の目標に対しては強欲なくらいが丁度いいのだ。
そしてその欲望に応える為に人は努力や苦悩や失敗を重ねるのだろう。
負け続けてなんぼだ。

それはたぶん苦労じゃない。
たぶん階段をのぼるような事だ。
「しんどい」と思うこともあるかもしれないが、
一段のぼれば確実に身体は前に進み上へと向かう。
振り返ればちゃんと自分が登ってきた結果が見えるし、
確実な経験が高さという蓄積になる。

人生にエレベーターを求めてはいけない。

エレベーターは誰かが用意してくれる。
確かに高いところまで連れて行ってくれるかもしれない。

けれど、その高いところへ到るまでの多くを見ていなければ、
存在としては低いところにいた時と何ら変わらないのではないかと思う。

だが社会というのは多くの場合、その両者を同じように扱う。

例えば到達点の一つを、手にした金銭や立場だとしよう。
他者の評価を第一に考えるならエレベーターを使うのも良いだろう。
社会という仮想世界はそれを許容する場所だから。

だが俺は自分の人生なのだから、自分の蓄積を第一に考えたい。
その結果に他者の評価があれば、それが一番嬉しい。
それならば俺は素直に受け止めることができるだろう。
傲慢で申し訳ない。

けれど人生にエレベーターを求めると、
階段をのぼっていく時に見つけられる多くのことを見落とす。

それでもし階段をのぼった人と同じ高さまで到達しても、
果たしてそれは同じ高さだと言えるのだろうか。

そこまで階段をのぼれた人間ならば、
そこから先にエレベーターなどなくても、
さらにまた高みを目指すことができるだろう。

しかし階段を放棄し人生にエレベーターを求めた人間は、
階段の登り方を知らない。
その高さに怯え、次の一歩を踏み出せなくなるだろう。
だって知らないことだらけなのだから。

だが階段を一歩一歩のぼってきた人間ならばわかるはずだ。

それは低い場所から、
たった一段だけ階段をのぼる恐怖と同じだということを。
だから、また怯えながらでも階段をのぼっていける。

エレベーターがなくなってからが本当の一段目だ。

知らなくて当然。
知らない場所へ行こうとしているのだから。
その過程を知っているように振舞って、
高さだけを共有したいと望むのは愚かだ。
俺はそんな人間にだけはなりたくない。

誰かに尊重されるような人間になるためには、
自分以外の誰かを尊重できる人間でないといけないだろう。

経験をないがしろにして、
一足飛びにどこかへ行こうとすれば何かが歪む。
世界はその歪みに対して素直に反応する。

真摯に努力した人間の周囲は、
それに見合った環境が整っていく。
俺もそうありたいと願っている。
その為にはやはり
無いことを嘆くよりも、有ることを踏まえることが大切だ。

もし自分が置かれている環境が、
誰かより不幸だとか、大変なものであったとしても。
そこを本当の意味で不幸な場所にしてしまわないように、
人は努力できる。

辛いときこそガハハと笑って、
一歩ずつ確かに。
より良い人生を求めて行こうじゃないか。

俺は一体、誰に対してこの言葉を書いているのだろうか。

もちろん自分に対してでもあるのだけれど。
人生は自分の意思で変えていける。

かつて。
GhostNotesという空想上のバンドがあった。
それはどうやら3人だったらしい。
4人だったこともあった。
5人になりかけたこともあったw

俺にとっても、オカモーローにとっても、
それは今思うに全力で愚かな青春だったようだ。
だからこそ彼が決別の言葉をつづった心を受け止めたい。

新たな時を開くのは生き残る哀戦士たちだ。
愛とは時に哀しく残酷だ。
それでも新たな日々を望む心が人を先に進めていく。

哀戦士
作詞:井萩麟 作曲:井上大輔

哀 ふるえる哀
それは別れ唄
ひろう骨も 燃えつきて
ぬれる 肌も 土にかえる
荒野をはしる 死神の列
黒くゆがんで 真赤に燃える

哀 生命の哀
血の色は 大地にすてて
新たな 時をひらくか
生き残る 哀 戦士たち
荒野をはしる 死神の列
黒くゆがんで 真赤に燃える

死にゆく男たちは 守るべき女たちに
死にゆく女たちは 愛する男たちへ

何を賭けるのか 何を残すのか
I pray, pray to bring near the New Day

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