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終点を越えていく途上にて。

ごちゃごちゃ理屈をこねるよりも、
人間としての魂の揺らぎをこそ言葉にしたい。

自分が日本語という言葉を使うことを許された民だということに、
今更ながらに感謝の念を抱かずにはいられない。

二元論的な厳密な世界を求めるのは、
種族的な問題や環境的な問題、
宗教的な観念の違いなどがあるのだろう。

俺は日本語というのは
現象などに対する言語化は厳密に定義するが、
内的感情に対する言語表現に関しては
多義的で曖昧な言葉を望む傾向がある。
という風に考えている。

簡単な例をあげれば、
「面白い」という言葉には「おかしい」や「たのしい」という意味合いが含まれる。
しかし面白いという言葉は目の前がパッと白くなってしまうような、
新しいものに出会った時に人が出会う感覚の言語化なのだ。
だからこそあらゆる事象に対して多義的な用途が可能である。

外国人から見たときに日本は曖昧で厳密ではない。
というような感想を聴くことがあるが、それは少し的外れだ。
何かに大して厳密であるということは、
それ以外のことに対して排他的であるということでもある。
「ファニー」であろうが「インタレスティング」であろうが
「アミュージング」であろうが「エンターテイニング」であろうが。
すべて「面白い」という言葉で包括できる。

価値観に対して厳密さが必要となる理由もわかる、
それは多くの異なる文化を持ったものたちが共生しなくてはならず、
コモンセンスの枠を共有する為の必然的な価値観だったのかもしれない。

しかし日本とて、たった一つの民族から成り立った国ではない。
もちろん諸説はあるがインドネシア系の民族を祖とする
集団だったのではないかと言われる隼人族や。
日本の先住民族だったのではないかと言われる大和民族など。
他にもいくつもの文化形態や言語体系を持った民族が、
この日本という土地に集まり、
長い日々のなか戦をしたり和解しあったりし、
複合的な言語と文化の融合を果たした一つの形が、
当時の「邪馬台国」または「ヤマト国」ということになるのだろう。

その時に様々な言語体系を共有することになった民族たちが、
似たような音韻の言葉に複数の意味を持たせ多層化させたり、
逆に包括的な言葉を作り出して意味を統一させたりして、
共通言語としての日本語が誕生していったのではないか。
ということを俺は常々考えていて。

ヘブライ語と日本語の音韻の共通点の例や、
他の国の言葉と日本語の共通点などの例を見ていると、、
日本人というのが多民族的な
文化集合体であった可能性を示唆しているように思える。

だからこそ文字という文化が日本に渡来した際に、
日本人はまず音と文字の意味を結びつけたり、
当て字という言葉の意味性と音韻を重視した文化を形成した。
つまり全て新しい言葉を作って文化を統一するよりも、
本来ある音の言葉に文字を照らし合わせるということに意味を作った。
これは日本民族が開発した非常に高度な言語統括技術であると、
俺は言ってもいいだろうと思います。

これは並大抵の文化精神では達成できないことです。

新しく言葉や文字を自分たちの使いやすいように作る。
というのは人と人とのコミュニケーションを簡単にはするかもしれない。
伝わりやすい直接的な力を持つ言葉足りえるかもしれない。

しかし、言葉にすら魂が宿っていると信じていた民には、
いくら他民族の言葉であろうと、ないがしろにすることはできない。と。
そう考えていたからこそ「和」という共同体が出来上がったのではないか。

それでも争いは多く起こったし、
どこの国とも変わらないエゴによる不毛な出来事は、
この国も例に漏れず起こっている。

それでも「文化」だけは残り続けた。
それは文化というものだけが、
異民族たちでも共通して共有できる価値観になったからだろう。

異物を認めたくないという気持ちが人には根源的に備わっている、
しかし自意識というものを突き詰めたとき、
自分以外の全ては異物であるという結論にたどり着くし、
内面に降りていけば自己という存在の中にすら異物は存在している。
そうなると異物とは共存していくしかないのだということが、
動物の本能として分かったのではないだろうか。

だかこそ互いが同じように共有できる文化というものが生まれ、
言葉を共通言語とすることで、その中に多言語的な音韻を共有する。

そうすれば知らず知らずのうちに人々は和睦していく。
時代を重ねれば重ねるほどに、それは密接にドロドロに溶け合っていく。
それを混沌と呼ぶことができるだろうと思う。

そして混沌からは、新たな秩序が生まれる。
混沌と秩序は相補性を持った概念なのだ。
混沌なくして秩序は成立せず、
秩序という概念の中からしか混沌という概念は生まれない。
文化とは常にその混沌と秩序の出口であったのだろうと思うのだ。

そして日本語は、それ自体が文化であり、
意思疎通のための手段であったりする。

だからこそ日本人の「魂」を表現できるのは、日本語なのだろう。
そしてそう考えるならば日本語というのは常に完成しない言語なのだ。
異なる民族や文化、そして言葉と出会えばそれらを吸収し、
取り入れて自分たちの中で処理していく構造を持っている。
カルチャーミックスされていく。

厳密でない言葉だからこそ、
自分以外の「何か」に対して
精神的にはもっと厳密な感情を表現できるのではないだろうか。
文化や表現とは提示にすぎない。
それを受け止める相手がいて始めて成立する概念だ。

ならば言葉の壁などという言葉はナンセンスだ。
伝えようとする音韻さえ手に入れることができれば、
魂は振動し空気の海を伝道していく。

音と言葉とはまったく同質の概念だ。
こうして理屈をこねても、

たった一説のフレーズが全てを伝えてしまうことがあるのだと、
俺はさまざまなことから教えてもらったから。

ここで語る言葉とは俺の自己確認の為に過ぎないのだ。

先を見に行こう。
自分自身の孤独が世界と手を結ぶ時を。
そうありたいと願う人間でいたい。

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