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Dance on the "Edge"

単調な毎日を過ごしていると、
その中にある非日常性のようなものを忘れがちだ。

ふと気にすれば、
何かが突然「異質」なものに変貌してしまう瞬間というのに、
人は必ず出会ったことがあるはずなのに。

当たり前という概念の中に隠された、
かすかな違和感、異物感。
それを心地よいと感じることもあるだろうし、
不快だと感じることもあるだろう。

しかし、それは間違いなく日常の中に潜んでいて、
それを見つけようとしたり、それから目を背けようとしたりする。
人によってあらわれる形は様々だ。

そうしたことに無関心な人もいる。
無関心だからといって、そんな感覚と無関係でいられるかといえば、
これは全くそうではなくて、
その無関心こそが日常においての異質なものであると、
ふと自分で気付く瞬間もあるだろう。

自分という存在に対する嫌悪感や、
自分自身という異物を認識した瞬間の恐怖。

その違和感を他人に転嫁すれば、
世界は汚くて違和感だらけの場所になったりする。
これらは同じことだ。

世界の見え方を決めているのは自分自身なのだから、
世界全部が居心地の悪い場所に見えるのなら、
それは自分にとって自分が居心地の悪い存在だということだ。

気付くか気付かないかだけの差だ。
けれど気付いた所でどうということのないことだ。

だが気付かない違和感がついてまわる。
このままでいいのか。
この世界のままでいいのか、
今の自分のままでいいのか。
そんな違和感がねっとりと張り付いて離れない。

だから日常に異物を探す。
同類を探すように。

心のレイアウトが変わると、
その異物は一瞬にして宝物のように見えたりする。

気付けなかったことに気付くというのは、
幸せや恐怖と隣り合わせの行為だ。
ともすればオカルトやホラーになるし、
ともすればファンタジーやメルヘンになる。

人はいつも現実という刃の上でダンスを踊っている。
楽しいか怖いか、辛いか幸せか。
それを決めるための鍵はいつだって心の中に忍ばせてある。

忍ぶとは心の刃と書く。
心の刃とは、現実という刃と切り結ぶための武器なのだ。

「人」という言葉にはできない曖昧模糊とした存在と。
そこにある、というだけで実は漠然としている、
しかし厳然として存在する共通認識の温床たる「現実」とが対峙する為の。

いつだって、人は現実という刃の上でダンスを踊っている。
それ自体が十分に非日常的で違和感のあることだとは気付かずに。

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