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上遠野浩平の世界

Amazonから届いたのは、およそ一ヶ月ほど前だ。
厳密に言えば恐らくまだ一ヶ月は経っていないはず。。。
その間に、

・ソウルドロップの幽体研究
・メモリアノイズの流転現象
・メイズプリズンの迷宮回帰
・トポロシャドゥの喪失証明

・殺竜事件
・紫骸城事件
・海賊島事件
・禁涙境事件
・残酷号事件

・しずるさんと偏屈な死者たち
・しずるさんと底無し密室たち
・しずるさんと無言の姫君たち

この以上の12冊。
もう読み終わってしまった。

これはいかん、面白すぎる。
上遠野浩平はまずい。
ライトノベルですぐに読めるとはいえ、
内包している情報量はとんでもない。
小説を読んでいない間に楽しめる情報量の凄さ。
反芻し、自分の中で構造を組み立てていく楽しさ。

さらに言えば普段から自分が考えているようなことを、
作品を通して言ってくれているという嬉しさや、
それを裏付けるような「あとがき」に感銘を受ける。
嬉しくて仕方がなくなる。

そう。
例えて言うなら「仲間」を見つけたような嬉しさ。
自分が世間や他人に対して言いたいことを、
作品という創作性の高いものを通じて、
ちゃんと言ってくれている人がいるという喜び。

勢いよく膝をたたいて、
「…っそうなんだよなあぁ!」
と感じ入ってしまうような、あの瞬間。

俺はもうさながら、
『この人はワタシの心を歌ってくれているわ』とかなんとか言って、
自分に都合の良い様に世界を理解する中2の妄想少女のようだ。

それよりはもっと確固たる意思を持っているつもりだが、
骨格としてはほとんど同じだ。
そして上遠野浩平の作品の恐ろしいのは、
それを許容してなお、与えるものを持っているということなのだ。
種を残す力を持っている。

もちろん「ソウルドロップシリーズ」だけでも楽しめる。
「ブギーポップシリーズ」だけでも、「しずるさんシリーズ」だけでも、
「事件シリーズ」「ナイトウォッチシリーズ」だけでも、
シリーズもの以外の短編ものとしてだって十分楽しめる。

しかし全ての作品を読み通すことで、
一つの作品を通して得られる深さがさらに増す。
作品が繋がることによって得られる立体感は、
恐らく、古今類を見ないほどのレベルに達している。
それは上遠野浩平ですら分からない深さの領域だからだろう。

自分が分からないことを
分からないと認めることができる作家は強い。
途中のまま終わっていくことに躊躇いがない作家は凄い。
物語として一応のカタルシスは得られるように、
それぞれを展開させてはいるだろうが、
もはやそんなことは瑣末な問題でしかない。

全てが繋がるが、
繋がったから終わるのか?
終わらないよ。
だって人が生きている限りは終わらないんだ。
文字にして書きたくはないが、
上遠野浩平は「人生の途上」を表現し続ける人なのだ。

人たるもの。
生きていれば、常に周囲から、
自分から発せられる何かを感じながら、
それを考え自分にとってそれはどうなのだろうか?とか。
他人にとっては無意味きわまりないようなことを、
ともすれば時間を忘れるほどに考えこんでしまったりする。

それを「作品」という形にしたてあげてしまえるのは、
もはやプロという以外に無く。

黒田硫黄の「茄子」という作品の中で
『プロってのは仕事以上のことをやっちまう奴なんだ』
という名言が登場するが、
まさしく上遠野のやっているお仕事はプロの仕事なのだ。

作品という枠に収めこんでしまっている部分から、
明らかに上遠野浩平という人間の凄さがはみだして、
恐るべき力をもって読む人間の心をかき乱す。

ジャンルとしての面白さも凄く。
哲学書としても、バイブルとしても、
構造概念を学ぶ意味でも。
とにかく、どんな角度からでも捉えることのできる深み。

表面だけをとって作品を読んでしまうような人には、
あまり面白くないのかもしれない。

俺はこれまでに何度か、
その作品を理解するために、
メモ帳などを開いて人物相関図や構造図などを作ったりした。
そこには当然、自分の推論なども含まれる。
俺は頭があまりよろしくないし、
作品にすべてが記されている訳ではないからだ。

上遠野浩平作品では事件シリーズでそれをやった。
それは作品内で長い時間経過によって、
人物の相関関係が複雑になっていくことで生まれる、
深みのある立体感を頭のなかで整理する為だ。

そして書かれないことによって、余白が生まれ、
残りの余白を自分の推論や想像で埋めることができる。
逆に言えば、そこに喜びを見出せない人には、
上遠野浩平の作品というのは、
説教くさくて観念的で、
小難しい文体を気取った作品にしかならないだろうなと思う。

しかし、はっきり言うが、
これはマンガやアニメでは絶対に表現できなかった、
個人による総合表現なのだ。

そしてアニメやマンガを否定するものではなく、
逆に言えばそれらによって培われた、
記号性や構造的意味性、暗喩的演出技法など、
多くのものを吸収している。
理解することと表現することはまったく違う領域の話しで。

作品を通して、それらを理解できたつもりになっても、
いざ自分の内面にあるものから、
それらの技法を用いて、さて作品を創ろうか。
ということになると、普通はまったく実践できないのだ。

それは頭だけでこねくり回すからで。
感情のベクトルがないままに、
頭でっかちな作品を創っても、
結局そんなものは自己満足にしかならない。
作品というのは伝えるものであり、
技法とはそれらを補助し増幅するものである。
感情なくして作品は出来上がらない。

しかし感情に赴くままに書くだけでは、
いつかは破綻するので、
バランス感覚としての理知的な理解力が必要になり、
それを作品に変換する能力が必要になる。

上遠野浩平がやろうとしているのは、
それらの能力が平均以上に求められる表現行為なのだ。

彼がライトノベル作家で良かったと思う。

マンガやアニメでこれをやろうと思ったら、
一人の一生では恐らく時間が全然足りない。
その分、短い言葉で立体的な情報量を構築する為の言葉選びや、
感覚言語を見つける労力を必要とするが、
創作者として上遠野浩平が選んだ道なのだ。

ファンとしては期待し続けるしかあるまい。

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