今日人
人の趣味を知りたいのは何故だろう?
自分の趣味を人に教えたいのは何故だろう?
たぶん、そこに人がいるからだ。
そして趣味には人があらわれる。
素直な音楽を好み、素直な言葉を好み、素直な心を持った人。
少しひねて、少し素直で、少し変わった心を持った人。
俺のように分からないことが嬉しくて、
あれやこれやと無軌道に手を出して。
それで自分が広がっているのだと感じ、
とりあえずの享楽や実感にふけりながら、
それでもそこから何かを見つけていきたいと望むのもまた。
何かの象徴であり意味性であり、
俺という記号をあらわす存在の証明になりうる。
そこには人がいる。
何かを通して人が見える。
表層的なものかもしれない。
しかし表層にあらわれるということは、
隠そうとしていたとしても、
それはその人の一部なのだ。
作品を通して人間関係というのは立体感を持ちうる。
誤解があってもいい。
齟齬があってもいい。
あってもいいから世界はここにある。
だって多分、嘘だとしても明日は来るのだろうから。
この世界が作られた世界だったとしても、
明日という概念は存在しつづける。
突き通される嘘がある。
それは奇跡だ。
誤解や齟齬がある。
苦しいことかもしれない。
けれど奇跡のようなことかもしれない。
何を言っているのかわからない?
わからなくてもいいんだ。
汲み取ろうとしてくれなくたっていい。
言葉が生まれた。
俺が生まれたように。
言葉が生まれた。
気配がする。
奇跡の気配がする。
ここにあるんだな、お前。
俺、ここにいるんだな。
明日よ。
俺はそっちには行けないよ。
昨日よ。
俺、そっちにも行けないんだ。
お前たちに可能性や意味を見出そうとしてやることはできる。
けれど今があるから。
俺、ここからいつも始まってるよ。
人を知って、世界を知って、自分を知って。
何も分からないことを知って。
知るという馬鹿馬鹿しさを知って。
自己嫌悪や変なプライドを持って。
多分、あたりまえに来るとみんなが思っている
今日っていう、昨日の俺にとっての明日を掴みにいく。
ぞっとするほど当たり前だ。
明日にぶつかる前から当たり前だ。
決まっているのは今という定義があるからだ。
あはは、何を言ってるか分からない。
強靭な狂人を気取って凶刃で今を切り裂いていく!
自分の趣味を人に教えたいのは何故だろう?
たぶん、そこに人がいるからだ。
そして趣味には人があらわれる。
素直な音楽を好み、素直な言葉を好み、素直な心を持った人。
少しひねて、少し素直で、少し変わった心を持った人。
俺のように分からないことが嬉しくて、
あれやこれやと無軌道に手を出して。
それで自分が広がっているのだと感じ、
とりあえずの享楽や実感にふけりながら、
それでもそこから何かを見つけていきたいと望むのもまた。
何かの象徴であり意味性であり、
俺という記号をあらわす存在の証明になりうる。
そこには人がいる。
何かを通して人が見える。
表層的なものかもしれない。
しかし表層にあらわれるということは、
隠そうとしていたとしても、
それはその人の一部なのだ。
作品を通して人間関係というのは立体感を持ちうる。
誤解があってもいい。
齟齬があってもいい。
あってもいいから世界はここにある。
だって多分、嘘だとしても明日は来るのだろうから。
この世界が作られた世界だったとしても、
明日という概念は存在しつづける。
突き通される嘘がある。
それは奇跡だ。
誤解や齟齬がある。
苦しいことかもしれない。
けれど奇跡のようなことかもしれない。
何を言っているのかわからない?
わからなくてもいいんだ。
汲み取ろうとしてくれなくたっていい。
言葉が生まれた。
俺が生まれたように。
言葉が生まれた。
気配がする。
奇跡の気配がする。
ここにあるんだな、お前。
俺、ここにいるんだな。
明日よ。
俺はそっちには行けないよ。
昨日よ。
俺、そっちにも行けないんだ。
お前たちに可能性や意味を見出そうとしてやることはできる。
けれど今があるから。
俺、ここからいつも始まってるよ。
人を知って、世界を知って、自分を知って。
何も分からないことを知って。
知るという馬鹿馬鹿しさを知って。
自己嫌悪や変なプライドを持って。
多分、あたりまえに来るとみんなが思っている
今日っていう、昨日の俺にとっての明日を掴みにいく。
ぞっとするほど当たり前だ。
明日にぶつかる前から当たり前だ。
決まっているのは今という定義があるからだ。
あはは、何を言ってるか分からない。
強靭な狂人を気取って凶刃で今を切り裂いていく!