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最近読んだマンガ2009年5月

さて、6月を迎えたことですし、今月もマンガの感想かきますよー!
5月中に読んだマンガは、それほど多くないです。
5月に読んだのはライトノベルが多かったので、
その感想はまた違う機会にでも。

ちなみに過去の感想どもは以下にて。
最近読んだマンガ2009年3月 前編
最近読んだマンガ2009年3月 後編
最近読んだマンガ2009年4月 前編
最近読んだマンガ2009年4月 後編

目次
メモリアノイズの流転現象 全3巻 / 上遠野浩平×秋吉風鈴
ハチワンダイバー11 / 柴田ヨクサル
3月のライオン1~2 / 羽海野チカ
冷たい校舎の時は止まる4 / 辻村深月×新川直司
アオイホノオ2 / 島本和彦
転生神機メロウガイン1 / 一文字蛍

メモリアノイズの流転現象 全3巻 / 上遠野浩平×秋吉風鈴
ソウルドロップの幽体研究のコミカライズが非常に良質だったので、
本作も迷わず購入。
小説なら文章で語る部分を、
絵で情報量を損なわず、かつスムーズに読者に読ませる能力というのは、
これは実はとても難しい問題だ。
絵によって読者がどれだけ情報量を読み取れるのか、
そこに気を配らなければならず、
さらには説明的な構成と、視覚的に内包される演出効果が必要となる。
故に、描ける表情のバリエーションを多く持っているにも関わらず、
秋吉風鈴はさらに「手」による演技に拘る。
表情と手の動き、さらに空間に漂う雰囲気を演出する。
これらは上遠野浩平の作品という世界において重要な
情報と記号の内包量にも繋がっており。
上遠野浩平の小説はすでに十分に漫画的な記号性によって成り立っており、
その原作の意図や記号性を理解した上で、
さらに漫画家として新しい表現に踏み出す必要がある。
レイズィ・ノイズという能力の視覚的効果を演出する、
漫画表現への落とし込み方は見事だ。
この作品を読むことで、
未読だった上遠野の他の小説を全て購入する羽目になるw


ハチワンダイバー11 / 柴田ヨクサル
これほどの熱量と異常性を表現できる将棋マンガは
今後あらわれないのではないかと思わされるほどの独自性だ。
将棋の世界とは「静か」で「深い」と思われているが、
その実、恐らくは今回の11巻で描かれたように、
一手打つごとに相手の頭を叩きつけるがごとく、
『どうだ!俺の指す一手は!!!まいったか!!!この野郎!』
と叫びたくなるほどの圧倒的に「動的」な世界なのかもしれない。
作品内では、『それは二人にしか分からない世界』と表現された。
まさしくそれは限界ギリギリの命を賭してまで、
棋譜や歴史を越えた、新たな一手を模索する棋士の心意気そのものだ。
そしてそれはクリエイターの心意気そのものなのだ。
柴田ヨクサルはマンガによって、将棋と人生と漫画を描く。
自分という価値基準の世界で。
そこには熱量がある、爆発がある。
描くとはそういうことではないだろうか。
彼の見る将棋とはまさしく、そういう世界なのだ。


3月のライオン1~2 / 羽海野チカ
ハチクロの羽海野が将棋マンガを描いた。
同じ時期にとんでもないライバル「ハチワンダイバー」が居ても尚。
同じ将棋を題材にマンガを描いてみたいという欲求に創作者は勝てない。
おそらく題材が同じでも作者という価値基準さえあれば
確かに違うものが出来上がるだろう。
しかしハチワンを意識しなかったのだろうか、と思うと、
気にならなかったはずはないよなあと思う。
この作品を読めば読むほどに将棋に人生をかける人というのが、
新しいものを模索することに人生をかける創作者の姿とリンクする。
もともとが異常な世界の中からスタートしているハチワンでは描くことのできない、
日常の中の将棋。
そして日常には常に非日常性という避けがたい事実があるという二律背反。
勝負とは日常とは常に異常な状態と隣りあわせなのだ。
そして、ここにもまた「負けたくない」という意思があり、
戦い続けるものには「敗北」という厳然たる「事実」が突きつけられる。
これが現実というもので、
人はその現実から目を背けてはならないのかもしれない。
苦しんで、苦しんで。
それでも自分には「それしかない」と思わざるを得ない現実がある。
選んでしまった者の苦悩。
当然、そこには喜びも付随するが、
やはり苦しみの方が静かに、時に爆発するように溢れ出す。
けれど人はそれを受け止めながら前へと進んでいくのだ。
それを俺はこの作品から教えられた。
俺だって何かに負けたくないと思っているのだ。
再確認させられた。


冷たい校舎の時は止まる4 / 辻村深月×新川直司
ミステリについてネタバレになるようなことを書くのはナンセンスだ。
だから言おう。
この作品は構成、演出、表現。
様々な面において、あらゆる水準以上のことを行っている。
読む価値のあるマンガだ。
昨今のミステリにおいて重要視されるのは、
犯人やトリックといった即物的なものではない。
「謎」という魅力によって読み進めさせておいて、
その中で登場人物たちの内面というディテールを掘り下げる。
人物の心を読者の中に根付かせる。
つまりそうした心やりとりの齟齬や、
自分が知らない内に抱えていた内面との邂逅。
それらを大きな「謎」の中で、それぞれの登場人物が「見つけていく」
心の謎解きこそが、この作品においては重要な要素なのだ。
絵によって形のないものを表現する為には、
丁寧で論理的な構成力と演出力が必要になる。
さらにそれがミステリものである場合、破綻があってはいけない。
描くものの中に謎を謎ともしなくなるものを描いてはいけないのだ。
それは心においてもそうで、本人が見つけていない心の謎を、
本人に見つけさせる前に、描いてしまうことは許されない。
つまり小説では叙述トリックなどと呼ばれることは漫画では成立しえない。
読んでいないのでわからないが、
当然この作品は原作の出来も良かったのだろうから、
この良作ができたのだろうが、
描くべきものと描かずに表現するものの判断力は、
まさしく漫画家の力が要る作業なのだ。
読書における時間の流れ方やテンポというのを作る作業は、
もはや音楽的な作業や落語にも近い気すらするなあ。


アオイホノオ2 / 島本和彦
アオイホノオは島本和彦の「まんが道」であり、
青春であり、それを今という時代を通じて描くフィクションであり、
だからこその圧倒的なまでのリアルなのだ。
創作ということに苦悩し、
他者の創る作品に衝撃を受け、敬い、時には絶望し、
若いながらも意見し。
自らの信じる作品に対する信頼と不安を感じつつも創り続ける。
それらはノイローゼのように自分についてまわる。
簡単には解決のできないことだから、
人はその壁を乗り越えた者達に感嘆する。
身体を鍛えることで漫画力を鍛え上げるという選択肢を選んだ主人公。
島本和彦が本当に身体を鍛えたのかどうかはわからない。
しかしマンガというのは頭と手先を使うものであり、
身体を鍛えるということは身体感覚が研ぎ澄まされていくということだ。
島本和彦がマンガにおいて熱量を武器とする作家となったのは、
その身体感覚においてマンガを描きあげてしまえるパワーゆえなのだろう。
そしてこのアオイホノオは当時のマンガやアニメに対する、
島本和彦自身の観点での批評や感想になっており、
その時代を、世代を。
生で体験していない我々世代にとっては、この上のない資料性を持つ作品となる。
当時のオタクと呼ばれる人たちが、
どのような作品にどのような印象を持っていたのか?
島本和彦は『イデオンはボクにはわからなくって…』
と正直に自分の作品内で語る力を持っている。
これは自らに素直でないとできないことだ。
それにギャグのように感じてしまうかもしれないが、
マンガやアニメのキャラクターが放った一言が、
本当に自分に語りかけてくるような切迫感というのはあるのだ。
キャプテンハーロックの一言を反芻し、
そのとき自分の感じる人生に置き換えて理解する。
これこそが作品を通じて人が生きていくということだ。
作品の先には当然それを創っている人がいて、
何を考えてその作品を創っているのか。
ということを主人公の焔は常に汲み取ろうとする。
間違っていたっていいのだ。
理解しようとすれば自分の中に答えが出る。
見たものを見たままで終わらせることにこそ問題がある。
「分からない」と認めること。
「分かろう」と努力すること。
何から手をつけて良いかわからずにガムシャラに動くこと。
そして怠惰な自分への言い訳を認めること。
すべて「創作」ということに対する、
暑苦しいまでの島本和彦のメッセージがここに込められている!


転生神機メロウガイン1 / 一文字蛍
とにかく絵はそこそこうまい。
おそらくプロットも良く考えられているし、
次につなげる為の伏線や演出も綺麗に仕上がっている。
しかし何より目に付くのは写植(つまり文字や字体)の使い方がうまいこと。
この作品はコンピュータで描いているだろうから、
フォント遊びは確かに紙に描くよりも楽にできる。
できるからといって上手くやれるかどうかは別だ。
この作品は上手い。面白い使い方をしている。
ただやはり気になるのは、絵自体の詰めが甘いことかなあ。
好みの問題になるのかもしれないけれど、
絵の仕上げをもう少し綺麗にして、
ページ自体の構成を整えるほうに力を注げばもっと読みやすくなるのに。
絵の中に不必要な情報や線が多すぎたり、
必要なはずの情報が結構、雑に描かれてたりする。
まあ作者のこだわりたい部分と、
俺の読みたい部分の差なのかもしれないが。
でも作者がノリノリで描いてますっていう所が好きだなあ。
やっぱり好きなものを描いてる作品は良い。
ただそのノリノリな勢いが細かな部分に
作者の目を行かなくしている原因かもしれないと思ったりもする。
これから、どういう変化をしていくのかが非常に気になる。
作品としては、まだ面白い面白くないと評価が下せる段階でもないけど、
着眼点や遊び心は面白いと思うんだよなぁ。
ここからどれだけ展開させて風呂敷を畳むかって所か。

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