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空を悟る猿

諸星大二郎の西遊妖猿伝を読んでいて、ふと思ったのだが。

悟空という名前は、
「空を悟る」という意味であろうか?
そして西遊記でその名を象徴する存在は猿である。

猿とは東アジア的な価値観において
重要な価値観の「無垢」を有する類人である。
無垢とは即ち「空」の状態に近しい存在である訳で、
「悟り」の聖地である天竺へと赴くというのには、
物語性以上に語感的かつ直感的な理解への糸口があるのではないだろうか。

近年の研究によって宇宙空間の真空ではなく、
チリや不純物のない本当の意味での何もない空間
「絶対真空」では量子的な確立で常に電子と陽電子が
対生成と対消滅が繰り返しているということが分かりつつある。
そしてそれが宇宙の加速膨張の原因であるというのだ。

さて、色即是空とは何ぞや?
空即是色とは何ぞや?

真に空な状態において、
電子と陽電子は対生成と対消滅を繰り返しているが、
ではその対生成を陽とし、対消滅を陰とした場合、
真に空な状態の中においての、
さらに真に空な状態とは何か。

生じることと滅することの間に存在する概念。
それこそが「空」ではなかろうか。

「空を悟る」とは
ないがままにあり、あるがままにない
ということではなかろうか。

物質も精神も、本来は「有る」ものである。
しかしそれらが「無い」ものだという懐疑が生まれた時、
懐疑が生じ、「無い」ことが「有る」という対生成が行われる。
互いが価値観を消滅させることにより、
再び相互的に価値観が生じてしまい対消滅は成立しえなくなる。

この世界の根本構造の矛盾こそが、
陰陽思想の根源ではなかろうかと考える。

「悟り」を開いた瞬間に、
無いことは有ることであると知り、
知ることで有ることは、また無いことでもあると知る。
知るという状態が有るということはまた、
無いという状態を知ることに繋がり、
その矛盾に思い悩み人は苦悩する。

しかし苦悩しない存在は、
ただ、あるがままにない、ないがままにある。

彩りは影、影は彩り。
色即是空、空即是色なり。

トポロジカルな宇宙構造は穴であるとされているが、
これは連鎖的な宇宙構造における、
穴の一部ではないかと推測する。
二重らせん構造は連続的な時間の連鎖による構造で、
無数の「空」を生み出しながら、
宇宙と反宇宙が互いに万象を生み出し続けている構造があるはずである。

二重らせん構造の相補性というのは、
世界の根本構造と幾何学的な繋がりを持っていると推測できないか。

二重らせん構造における空が、
永劫的な宇宙存続の相補性を担う一因となっている。

空とは無であり、
無とは無極であり、無極とは万象を生み出す太極でもある。
これは宇宙構造の根源的な構造を言い当てている真理性の一端だ。

死したもの達が、
幽世[かくりよ]、つまり隠世または隔離世という場所に帰依するのは、

谷神(こくしん)は死せず、是を玄牝と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
緜緜として存するがごとく、これを用いて尽きず。
(老子6章)

とあるように。
谷の神とは大地の裂け目の神であり、
地は木火水金土の土にあたり、
陰陽五行に置いて季節の巡りを支える母体である。
その母体である谷の裂け目というのは、
即ち女の股であり、存在が生じ帰する場所の象徴である。
これは「有」の「無」への帰還を意味し、
谷神は死せずというのは、
無の本質である「空」は消えうることの無い場所であると告げている。

宇宙空間における「絶対真空」、
現在では真空のエネルギーやダークマターなどと言われている存在は、
全宇宙空間が常に加速膨張しつづけているにも関わらず、
その絶対比率を一切変化させることのない空間であるとされており、
しかもその空間が宇宙空間の加速膨張を支えている力だとされている。

まさしく「谷神は死せず、是を是を玄牝と謂う。」である。
命の源を生み出す無が、消えずに
死した命が無に帰すことを玄牝と言うというのはまさしく真理であろう。

我々が空と呼ぶ、
天と地の間に満ちる青い海のことは、
皆さん知っておられると思います。

そこには何があるのだろう。
何もない。
けれど何かある。

命を繋がせるだけの、
とんでもない爆発的なエネルギーがある。
これが空と無の満ち溢れた有の無限であると感じるのだ。

呼吸とは、空を消滅させ、何かを生じさせる。
その何かこそが空であり無限であろう。

いつか空を悟り天竺へと赴きたいものですが、
恐らくはその天竺もまた、この世界と同じく、
ユートピアにもディストピアにもなりうる、
ただの世界であるということが分かるだけな気がします。

そして分かるということは、
結局のところ分からないことが分かるというだけな気がして、
それを分かってしまった時点で俺は何も分かっていないのだと気づく。

堂々巡りなんだけれど、
その堂々巡りの刹那。
時折あらわれる真の「空」から何かを救い上げるために、
我々は常に観察しつづけているのだ。

「仰いでは以って天文を観、伏しては以って地理を察す」 繋辞伝

ともあるように我々は天地の間に満ちる「空」の只中にある。
空を悟り、天文と地理を観察していたい。

ないものをあるがままに、あるものをないがままに見て。

自分の中の空っぽから溢れる何かを信じる。

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