まだアベニールをさがしてを読書中なのにも関わらず、
ガーゼィの翼、破嵐万丈シリーズをすべて購入。
これで3月のリーンの翼 完全版がくれば、
小説版のイデオン、逆襲のシャア(ハイ・ストリーマー)以外は、
ほぼある程度、網羅したことになるんだろうか。
あとはシーマ・シーマとガイア・ギアを手にいれないとなぁ。
こ、ここが難関だ。主に金銭的な意味で。
一番の難関である空間的な限界には目をつぶっているんですが。
まあ今ある小説とガーゼィの翼、
破嵐万丈シリーズを読み終われば買っているでしょう。
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今月は2度満月が見れる月でして1月1日と明日1月30日の2回。
1月1日の満月はちゃんと見たので明日の満月も見るつもりです。
一応1月15日前後の新月も探したんですが、
見えにくい薄い丸を探しておしまいでした。
でも地球照で見える月も美しかった。
新月は全然見えない新月よりも
少し日をずらして見ると幸せな気持ちになれるかも。
大地震が来るかもしれないとか、
月の満ち欠けが地震のトリガーになるかもしれないとか
ネガティブな噂や学説もありますが、
我々にできることは限られています。
毎日を自分にできる範囲で生きる。
これに尽きます。
その上で笑えていれば、それがいいなと思います。
今日は2月7日のライブに向けて
久しぶりにスタジオに入って練習。
前回のライブとはまた違う感じになるかと思います。
編成的な意味で。
あ、今回のライブも録画するつもりです。
スタジオ入るまで新曲作ろうっと。
空に夢のしずくを溶かしては
朝、夕、晩とかきまぜる
色が世界を包み込み
知らないうちに想いが満ちる
たぶんそういう世界の宴
現在「アベニールをさがして」の序盤を読書中。
というか最近は全然読めていなかったので、
数日ぶりに読んでいるが、これはすごい。
無から、ものが生じることなどはない。
とのことから著者である富野によって仮定された、
ヒッグス粒子よりも微小な素粒子インティパ。
15年前に既に富野はヒッグス粒子の向こうを見据えていたのか。
しかもそれをガンダムの前史的な舞台を下地にして
物語に組み込めてしまう。
これは凄い。
俺も最近、
「場」とは極小粒子の集積のようなものではないかと考えていて、
一次元的な素粒子の点描によって、二次元的な面世界や膜世界が成立し、
さらにそれらを縦と横と奥行という三次元的な概念の組み合わせにより
空間というものは成立できるのではないかと考えている。
これが富野の考え方と似ているかどうかは別として、
そういう考え方を持っているので、
インティパという概念は
感覚として凄く腑に落ちる空想科学的な概念だった。
現在26歳の俺でちょうどいいくらいの予備知識量な気がする。
もちろん俺より若くてもっと頭のいい人は沢山いるだろうけど。
まあ読み易いので予備知識の有無はそれほど重要ではないだろうが、
それでもある程度の敷居の高さはありそうな気がしないでもない。
しかし、これは言えると思う。
富野は小説家の面でも十分に非凡な才能の持ち主だ。
ライトノベルという小説世界の中に、
富野由悠季の新しい小説的世界を映し出している。
テキストで劇を語りすぎてしまうことへの、
強い抵抗感を持っていたであろう富野。
初期の小説などからは、
確かにそういった素養が見受けられる。
だが「アベニールをさがして」では、
非常に上手くライトノベルを読む層を意識し。
テンポが流麗かつ、場面や状況で劇を語り、
極力テキストで読者に劇を語らないように配慮された、
SFエンターテイメント作品になっている。
これは小説家としての力が向上していると言っていいと思う。
ちゃんと文章世界でも富野的な演出は確立できている。
短い言葉でも組み合わせや、
配列によって演出が可能であることを実践している。
もともとの説明的な性質を逆に上手く使っていて、
結果としてはそれが小説の色になっている。
小説家、富野由悠季もいい。
出会うタイミングとしては
出会うべき時に出会えた本って感じがする。
こういう出会いは本当に嬉しい。
最後まで読み終わったら、また感想書くかもしれませんが。
2月7日に前回と同じお店で
ライブをやらせて頂けることになりました。
今回は前回と違って、
ドキドキよりワクワクが勝っている感じです。
もちろん怖いのは怖いんですけどネ。
コピーとかもありみたいですが、
たぶんオリジナルをやるんじゃないでしょうか。
とりあえず3曲くらいと言われたので、
3曲くらいを予定しています。
新曲やれるといいなぁと思ってます。
最近全然歌ってないから練習しないと…
静寂におぼれる
ゆらぐ影
音の波
無音の雨
ひろがる波紋
静寂におぼれる
たかい空から ぶら下がる
ながい鎖を 抱き締める
ひんやりとした冷たさが
じんわりと温もりを奪う
そして空へと釣り上がる
ながい鎖のエレベーター
ポッカリとあいた何かは
夜空にあいた穴より
遥かに大きくなっていく
踏みしめていたはずの大地が
どんどん大きな穴へと変わる
鎖は僕をどこへ運ぶのだろう
身体がだんだん冷えていく
腐り始めている
自分の意思で動けなくなることを
我々は死と呼んでいた
そうか これは死だ
とっさに鎖から手を離す
中途半端な高さで
どちらにせよ死ぬのなら
せめて意思のある死を
もしこの鎖の向かう先に楽園があったとしても
そこに僕の幸せはないと知っている
つまらないものでも守らなくちゃならない
昨日はなぜかこの時期に重なってしまった新年会ダブルだった。
高校の同級生+赤ちゃんでお送りする前半戦。
集合は午前11時だったが、寝坊して午後1時くらいに到着。
結局、男の集まりが悪く女3名と赤ちゃんと俺だけ。
という変な編成の集まりでしたね。
赤ちゃんカワユス。
もう既に一歳と八ヶ月になっていた。
子供の成長は早いなあ。
終わったのが午後5時前くらい。
そして親父と祖母に晩飯を食わせてから後半戦へ。
小・中学校時代の友人+その兄弟たち+
その嫁や彼女勢(俺の彼女枠は絶賛空席中)+赤ちゃん。
といったラインナップでお送りされた後半戦。
結局10人くらいは集まっていた気がする。
家に帰ったのが午前4時ごろ。
今日は溜まっている諸々の作業をせねば。
今週は色々とやりたいこともあるし早めに処理しておこう。
親戚の子にあげたナイキのランドセルは喜んでもらえた。
それにしてももう小学生か。
早いものです。
今年の五月で母が亡くなって丸3年。
当たり前ですが、
その頃の親戚の子はまだ2・3歳くらいで、
言葉も今ほど話しませんでした。
なんだかんだでやっぱ3年って凄い。
慣れるようなもんじゃないけど、
少しずつ。
俺も色々と考えられるようになってきた。
自分の未来や、もっと具体的な将来みたいなものも、
少しずつだが考えられるようになってきた。
ようやくちょっとだけ人間に近づいた気がする。
別に未来のことを考えるのが母に悪いような気がしていたとか、
そういう訳じゃない。
もちろんそういった部分がない訳でもないけど。
でも一番大きな要因は俺の精神的な弱さだ。
俺の誕生日は、
母が俺を生むために頑張ってくれた日のことだ。
もう26年目を迎えることになってしまった。
この3年の間、
自分の誕生日をないがしろにしていたかもしれないなぁ。
と。
母に感謝せねばならん日だった。
もちろん手は合わせたし、感謝の念も忘れたことはない。
しかしもっと表に出して感情を表現せねば伝わらんかもしれん。
来年の俺の誕生日は、
母に感謝して迎えられるようになりたいもんだ。
すくなくとも来年の俺がそれを実践できれば、
今年の俺よりはマシかもしれないしね。
こうして少しずつ未来を先取りしていこう。
母に申し訳ないと思いながら生きるよりも、
母や愛犬たちも一緒に過ごしているくらいに思っておく。
2010年の抱負もそろそろ決めなければいかんなぁ。
できれば過去を踏まえ未来に繋げられる進歩の一年にしたい。
色々と未来に繋いでいかないとね。
俺の人生のランドセルはまだおろしてはいけないのだ。
イムリとペットリマスターエディションが
いつ発売だったか忘れたので本屋に行ったら
知らない間に6冊買ってた。
GIANT KILLING 13 / ツジトモ×綱本将也
くおんの森 2 / 釣巻和
アスカ@未来系 2 / 島本和彦
ハモニカ文庫 / 山川直人
善良なる異端の街 / 松本次郎
回遊の森 / 灰原薬
イムリとペットはまだ出てなかった。
近いうちにまた行かなくては…
今は富野由悠季の小説を読んでいて、
マンガにはあまり割く時間がない。
「ファウ・ファウ物語」を読み終えて、
今は「アベニールをさがして」を読書中。
並行して「だから僕は…」も読書中。
富野の小説に関しては近いうちに感想でも書きたいと思ってます。
マンガはほとんど合間をぬって読んでいる状態。
溜まっている本がかなりある。。。
この癖なおさないといけないな。
今年の4月から親戚の子供が小学校に上がるので、
ランドセルを買ってやろう、と宣言したら、
ナイキのランドセルを求められてしまった。
5万オーバー。
いえーい。
とんでけ諭吉どもっ!
「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」
されども人は金で序列をつくりけり…
ここ2・3日あまり調子がよろしくない。
名づけるとすれば「空っぽデイズ」でありました。
間一髪でしょこたんを回避しました。
体調が良くないので一応寝ているんですが、
本当にまったく頭が回転しない。
いつもなら体調不良で寝込んだとしても、
ただ寝ているだけという状態はほとんどない。
常に思考に脳を占領されている感じなので、
こういう状態はかなりめずらしいかもしれない。
ぬぼーっとしているだけ。
抜け殻のような状態だ。
これまでだって経験がない訳じゃないけど、
より空洞化が激しいような気もする。
太陽フレアが異常だから俺も反応しているのだろうか…
ふはぁ~~。
寝ても寝ても楽にならないっすー。
数日前からmixiアプリで脳力大学-漢字テストというのをやっているが、
チケットも購入せず、アフィリエイトもやらずに、
ただ連続正解チャレンジだけをやっている。
そこそこは漢字を知っているつもりだったが全然ダメ。
今のところ連続正解27問(二級)が最高。
ジャンル別だと動物の初級30問クリアで一個勲章ゲット。
でも、もうかなり飽きてきた感はあるが。。。
個人的に読めそうで読めなかった悔しい単語をいくつか。
01. 濤声
02. 落款
03. 阿る
04. 茅舎
05. 角逐
06. 鹿茸
07. 樵
08. 心神耗弱
09. 詩歌管弦
10. 可塑性
11. 頁岩
3、7、9あたりは答えが分かったときにかなり悔しかった。
冷静になれば読めた三つだった。。。
以下より解答
01. とうせい
02. らっかん
03. おもねる
04. ぼうしゃ
05. かくちく
06. ろくじょう
07. きこり
08. しんしんこうじゃく
09. しいかかんげん
10. かそせい
11. けつがん
アセンションアセンションと煩い。
もし世界を救済してくれるような何かがあったとして。
後片付けもさせずに、
責任を放棄させるような過保護なもんには、
不要と言える人でありたいもんです。
物質社会が行き詰まると、
精神世界へ逃げ込みますか。
バカにするなよ。
もし次の世界なんてもんがあったとして、
この世界を汚したまんまで次になんて行けるか。
欲の皮の突っ張ったまま、
世界中みんなでハイ救済。
新しい楽園へようこそ。
いらねーわ。
無責任な奴ら。
そういう奴らが嫌いだと何度も思った。
自分だってその一部だと知りながら。
そういう無責任さを愚かだと思う。
だが愚かさを認めなければ前には進めん。
本当は認めた所でどうなるものでもないし、
贖罪の為に永劫を過ごすべきだなどとも思わない。
ただ
散らかしたものは片付ける。
汚したものはキレイにする。
それくらいのことは当然の役目として引き受けちゃどうだい?と。
でもそれは人間の力だけじゃ無理だってことは、
人間なら分かっているはずで、
分かっているのにその問題を片付けなかった。
そこをないがしろにして
救済も何もあったもんじゃない訳だよ。
俺にしてみりゃ。
俺も自己欲の肯定の為に、既にあるシステムの中に存在している。
その居心地の良さに浸っている。
本当は偽りの居心地の良さであることも知っていても。
それは最低のことだ。
「やるべきことをやっていない」世界。
もしこの世界が自分の精神性の鏡なのだとしたら、
俺にできることは山のようにある。
だが一人でできることにも限りがある。
ありぇ?
自分の世界の話なのに、自分じゃ限りがある?
変な話だ。
多分世界っていうのは自分だけじゃ足りない場所のことだ、
人は世界の一部、自分というピースになる。
そんな「自分の源」のことを「自源」と書いても言いかもしれない。
「自源」の事を分かろうとしたから、
「自分」が産まれたはず。
人間にとってそれはやっかいだ。
自らを分かろうとしても、
自ずと分からないということが分かるようになるくらいのもんで。
そんな自分のことも分からない世界の欠片が、
示現に惑わされ時幻に迷う。
別れた川が元の場所に戻れないように、
自分は自源へと戻ることはできない。
そして次の元へも泳ぎ着けるはずがない。
まだやれることがあるのに、
次のステージには行けないだろうし。
友人がエネマグラを使ってみたいというので、
俺がネットで注文して授与した所、
さきほど「ヒャッホイ」という電話がかかってきた。
どうやらEX2を選んであげて正解だったようだ。
あ、ちなみに
「エネマグラって何?」「分からないよー!」
そんな、よいこのみんな!
検索はしてもいいけど、
親には聞くなよー!聞くんじゃないぞー!
言えば言うほど不利(フリ)になるなこれは。
まあ差し詰め「前門の虎、肛門のエネマグラ」といった所か。
「差し詰め」……
ま、天才的な文才による凡才ユニークはこのぐらいにしておいて。
やっぱり改めてEX2のポテンシャルについては考えさせられる。
初心者入門に最適とされるEX2だが、
実はEX2は初心者じゃなくとも長く楽しむことができる深い品だ。
連続して使い続けると
EX2の太さじゃ物足りなくなってくるというのは分かる。
だから電動タイプや太いタイプのもの、
あれやこれやと試したくなってくる。
俺もこれまでに国内エネマグラシリーズでは
EX、EX2、ドルフィン、バンブーの4種を試した。
あと電動のソフトタイプもひとつ。
そして米国製エネマグラでは、
アネロス ユーホーを試した。
さらに今回どうせなら友人のついでに俺も購入しちゃえ。
ということでプロガスム購入をケツ意。
あ!
ああっ!
どうしても出ちゃうっ!
どうしてもイっちゃう!
尻にかけてイっちゃうーー!
・・・
さて、いろいろとかけてしまって申し訳ない。
コトバ尻を掘らないでくれ。
もとい、とらないでくれ。
しかしこんなクソみたい(ヒップジョーク)な俺でも、
現在は太いタイプのエネマグラ、
ドルフィンを破損させて長く使っていなかった。
現在も壊れずに使えていたのはEX2とバンブーと
アネロス ユーホーの3種のみだった為。
いきなり驚異的な太さを誇る
プロガスム氏のチェックインを受け入れることは不可能だった。
部屋が空いているにもかかわらず、
プロガスム氏はその巨大さゆえにチェックインを断られた。
いったいどんな気持ちだっただろうか。
今日こそは。
そう心に決めて肛門を引き締めてお出迎えしたいと思います。
(※シリツッコミ「ゆるめろって!」)
GIGAZINEで見たのだが、
この動画のカメラの焦点の当て方、
見せ方のリズムや音楽との親和性。
そして見るものに、
ミニチュアの街を見せる意味性を考えさせる。
見事な作品になっているように思う。
街という場所をある程度の俯瞰点から観測する。
しかし見せて行く順番やカメラの焦点の合うポイントには演出的な意図があって、
俯瞰的実感の積み重ねによって「感動」を構成しているはずだ。
人々の住まう街という場所は上から見ると
こんなにもバラバラで混沌としているのに、
秩序的に動いているようにも見える。
僕たちはその街のあちらこちらにある、
人々の意識というものを想像し、そこに投影するのだろう。
そして作品内での経過時間による投影の蓄積と
映像構成と音楽による畳み掛けによって、
我々の見てきた経験という蓄積の上に、
それらの意味性が雪崩のように落ちてくる。
肯定でも否定でもない。
そういう場所に僕たちは生きている。
これはもうまさに劇だ。
個人的にはそう言いたくなるようなクオリティを感じた。
YouTubeがもし、このレベルの映像作品を、
頻繁に排出するような発信媒体となったら、
既存の映像業界のシステムは瓦解してしまうかもしれない。
なんてことを思ったりしてしまった。
感覚的にシンパシーを覚える部分があるからかなぁ。
追記:
少し舌足らずになっていた部分というか、
言い足りなかった部分を補足させて頂くと。
この映像がミニチュアの街である意味性について。
それはこの街の風景の動きすべてが、
人の作業によって作られた流れ、
フィクションの世界であるということじゃないだろうか。
定点観測の映像を並び替えただけでは、
この立体感のある感動は創りだすことができないだろう。
もちろん定点観測の並び替えだけでも素晴らしいものはできる、
しかしこの映像から受ける感動の印象とは
違った物になるんだろうと思う。
さらに追記:
どうやら調べていたらミニチュア風の効果を出す撮影方法の
定点観測らしい。
実際にミニチュアの街を撮影して、
そこにデジタル処理をして人や車を描いているんじゃないようだ。
的はずれな意見だったw
でもmockmoon氏の他の作品も見たが、定点観測って凄いわ。
当然それを作品にするのも凄いんだけど。
えー本日はMSG(マディソンスクエアガーデンではありませんね。)の
来日ライブatなんばHATCHということで。
楽しみに行きたいと思います。
マイケルもどうやら調子いいみたいですし。
俺にとってギターヒーローというものがいるとすれば、
それはやっぱりマイケル・シェンカーですからねー。
ではでは。
手短に。
昨日は色々とありました。
少し疲れたので内容については書きませんね。
今日も若干忙しかった訳ですが。
ま、そんなことよりも楽しいことを書きましょう。
先日、掲載抜け分がある「ファウ・ファウ物語」を購入してしまい、
ちょっと凹んだことは前に書きましたが、
ようやっと抜け分が追加された
青帯版の「ファウ・ファウ物語」を手に入れました。
「密会 アムロとララァ」もスニーカー文庫版と
mini文庫版(初めて見た!)の上下巻も購入して、
「アベニールをさがして」、
そして「王の心」も入手いたしました!
特にその存在さえ知らなかった
「ファウ・ファウ物語」
「アベニールをさがして」
「王の心」
の3作はマジで読むのが楽しみ。
「王の心」はラストに読むべし!という指南を頂いたので、
手に入れたものの中では最後に読もうと思っています。
「王の心」は手に入れてみたら
絵を天野喜孝氏が担当していてびっくりしました。
天野喜孝と富野由悠季のコラボ。
こりゃすげーな。と。
思えば初トミノベルはスニーカー文庫の機動戦士ガンダムが最初だった訳で、
ガキの頃でしたし、
アニメのイメージとは違うガンダム世界には正直引きました。
だってアニメ版ですら十分に革新的で、
子供が理解するには難しい内容だったんですから。
それが小説になったら、
こんなに読みにくくて抉られるような気持ちになるものなのか。
と富野由悠季という人物そのものへの畏怖を感じたのを覚えています。
今になってみて考えると、
いくら背伸びをしたい少年が理解しようとしても、
経験というものが足りないから理解は無理だろうなと。
頭で理解できても実感が追いつかない。
でも富野監督という人は、
それでも伝えたいのだろうなという想いだけはヒシヒシと感じた。
だから今の俺がある。
作品を通して誰かを理解しようとする。
そうするとモノの観方というのを覚える。
成長過程においてそれはとても大切なことのように思える。
子供にそう思わせる作品を作れるというのは、
やっぱり壮絶だという他にない気がします。
中米ハイチでのM7規模の地震。
これはHAARPの揺らぎの結果とみていいのだろうか。
逆にHAARPを陰謀兵器としてでなく、
地震予知観測目的で使っているのか?
考え出すとキリがないし答えがでない。
日本には地震は来ないと見ていいのか。
警戒するにこしたこたぁないんだろうけど、
その都度ビクビク怯えてんのもムカツク訳で。
もうとりあえずは地震に関する記事は
今後、情報を仕入れても一旦お休みということで。
気になる方はご自分で警戒されてみてください。
一応一月中くらいは気にしておくに越したことはないかと。
少なくともHAARPの波形に揺らぎがあった後に、
世界のどこかで地震が起こったということは事実ですし、ね。
追記:
今回のハイチ地震ではかなりの数の人の命が失われてしまったようです。
多くの動植物を殺してしか生きれない生物が、こう言うのもなんですが、
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈り申し上げます。
昨日の
HAARPの波がおかしい。
サンバルカンな夜さんでも危険な状態だと指摘されている。
あと数時間で起こると書いてるが、そこまで分かるものなんだろうか…
確かにここ数日は、
身体にピリピリと静電気のようなものを感じることがあったが。
気のせいだと思いたいですね。
地震にはくれぐれも気をつけてください。
もちろん命大優先ですが、
火の始末など、
二次災害を出さない注意だけはしておいた方がいいかもしれません。
関東の方のみならず、注意を怠らないで下さい。
小瀬川・チャン・ザブカリッヒ・ルドルフシーは、
神智時間M=478カーティシュDにおいて、
顕現した混沌の児であった。
多くの意思の宿る民族の混血。
その血の遺伝子は神にとって、
魅力的な広がりを持った嗜好品だった。
小瀬川(略)の遺伝子のみを採取する為に、
めんどくさかったので大洪水を起こして、
地上の邪魔な奴らを沈めてやった。
一部のコレクターが今後の為に
世界プログラムの中の全ての種のデータをプロテクトして保存しておいた。
復元された世界は量子欠損を起こしていたので、
以前の世界の記憶は曖昧にしか残らなかった。
それでも知恵と種の遺伝子だけは継続して伝達されていた。
コッちん(小瀬川)のいた世界はどうやら神々の実験場にされていたようだ。
その後もコセ(コッちん)の遺伝子情報から抽出した、
中身のないスクリプトだけのデータパックを世界に適当にばら蒔いた。
しかし中身がないという事を理解できていなかった神々は、
ちょっと目を話した隙に信じられないスピードで
訳の分からないエネルギーを増大させて行く世界のことを理解していなかった。
アカシックレコードに最も近い状態は一次元の状態であり、
中身がないというのは一次元に最も近い状態であるということだ。
高次元の遊び人たちは
自分たちですら知覚できなかった、
より高次の世界に、
自分たちより低次元の存在がアクセスしていることを理解できない。
にわかには信じられない速度でエネルギーが増殖する宇宙は、
その世界を創った神々にとっても初めての反応世界であった。
しかし混沌(カオス)とした遺伝子渦巻く世界の中心には、
新しい世界の種、
秩序(コスモス)を勝ち取ろうとする意思があった。
自分たちが低次元の世界で遊んだことが原因で、
宇宙が無限増殖し、
意識と遺伝子をもった何も知らぬ空洞の入れ物たちが、
その無限増殖の源であることと突き止めるまで
愚かな神々たちは解析にかなり手間取った。
信じられないほどの世界エネルギー増大の原因が、
空っぽのデータパックだとは信じられなかったことだろう。
ようやく解析を終え原因が自分たちのミスであったことを突き止めたが、
あろうことか神々はデータバグとしてそれを処理しようとした。
しかし既に無限に近く増殖してしまった宇宙から
すべてのバグを集めてをまとめて処理することは、
この一つの宇宙をつくったものごときでは不可能であった。
自らの手に余るもので遊ぶから首が回らなくなる。
増えすぎた空っぽの無限は、
次元の坩堝、
集合情報アカシックレコードへと至る道となった。
たった一杯の聖杯を求め、
世界でイタズラに遊んだものたちは、
自分たちの過ちに気づいた。
そして宇宙遊びをして世界を弄んだ愚かな神々は、
弄ばれた世界の中にいる中身がないゆえに名か、実。
姓名や星名を欲しがる生命という謎めいたデータパックの意思から、
アカシックレコードを介して、
ごっつ怖い神々に泣くほどゲンコツのおしおきをされたのでした。
コ(コセ)の混沌とした遺伝子を引き継いだ、
無限連鎖宇宙の創造主、新たな神である空人形は、
愚かな奴らはそれくらいで許してやってください。
とアカシックレコードに懇願したそうな。
じゃないと僕たちも愚かな為に滅んでしまうでしょうから。
と、いかにも混沌と秩序が混ざった混血の答えだったそうな。
アカシックレコードはその世界全てが
自分の鏡であることをしっているから。
何も言わずに、そうしました。
言に忍ぶは認めの言祝ぎ。
全て知っていても何も言う事はできない。
それは鏡の向こうだから。
さかさまの自分だとは言えないままに。
位相が違う二つの世界。
次元と位相は違うから。
どれだけ次元が増えたとしても、
異なる位相は支え合う。
二重螺旋の相補性。
相転移する無限性。
いつまで経っても一つになれない。
鏡の向こうはさかさまだから。
それでも一つになろうとする意思が。
遍く次元を支えてる。
澱粉に沈殿する神殿
でんでん虫からの漏電を帯電
なんでんかんでんかたつむり。
右目で見てりゃ右目の世界。
左目で見てりゃ左目の世界。
見なけりゃボクの世界。
深海は心開により新開し、
神界となり心懐と真会する。
心願される真贋は心眼によって。
中心は右と左が混ざる渦。
空間を撫でる
時間が流れる
現象となり可視化される
錯覚だとしても受け止める
錯覚が現実だ
現実は錯覚だ
見えないものはなんだろう?
それを見ようとするんだ。
空っぽってそういうもの。
ささげられるのは命ではなく、
過去と未来のオモイデ。
今というのは一次元の世界だ。
それこそ「空」の世界のはずだ。
自己完結しちゃってる僕のようなブログというのは、
双方向性のない一方通行な内容の記事ばかりになる。
まあ僕自身、大衆に向けて書いているという意識がなかったですしね。
もちろん意識的にそうしていたという側面もあります。
だから同調してくれるような人には読んで頂ける。
ただ、そこから先へ広がる力はないんですよね。
『ってか、ないですよね?』
(※これこそ双方向性!)
[いや、それは自己確認だろう。]
(※何!君は誰だっ!?)
[ワタシか?ワタシは貴様と同じ筆者の文体人格の一人だ。]
(※僕の補足文体に反応するんじゃない!)
[貴様の主人格が双方向性を意識したいというから出てきてやったのではないか]
(※筆者は記事を見ている人との双方向性を意識したいと言ったんだよ!)
[ふん、様式的な※ルールに囚われた文体人格がよく言う。]
(※著者の遊びに付き合わされて何が悪い!!)
『いや、あの…このままじゃ
双方向性というか、俺の記事がとっ散らかるだけなので…
そろそろ…』
<やあ!オイラも混ぜておくれよ!オイラも皆と同じアンタなんだ!>
邪魔じゃーーーー!!!
全員邪魔じゃーーー!!
一体何方向から記事を自己完結させようとしとんじゃーーー!
今回の教訓:
手法や技法を使っても双方向性を保てるような文章を書ける人と、
そうでない人には大きな差があるんだね。 みつを
先日注文したファウ・ファウ物語/富野由悠季の下巻が、
実は連載第11~13回が未収録となっているバージョンであることが発覚!
こちらからリンクさせて頂いてる、
「
TOMINOSUKI / 富野愛好病」さんで、
■『ファウ・ファウ物語(リストリー)』の謎という記事を注文した後に見つける。
くっそーう!
ということで連載第11~13回分が追加されているらしい、
ファウ・ファウ物語下巻の5版以降を今日注文した。
スニーカー版とただの角川版では多少装丁も異なるようなので、
内容は同じらしいが、ついでに上巻も注文w
もしエピソードが追加されてない下巻だったら両方売ろう。
削られた方の小説だと話が唐突に変わって、
「え?」と、なってしまうようなので。。。
色々注文したし、
これを機に富野小説を集めてみるか。
「密会 アムロとララァ」も上下巻に分かれた角川mini文庫と
スニーカー文庫では少し内容が異なるようなので、
それもついでに両方注文。
ああ、さすがに読んでいない本が溜まってきた。
まあまた現実逃避的に知らず知らず、
すぐに消化してしまうのだろうけれども。
ゆきがふる
おともなく
だが、きこえていないだけ
ただ、みえているというだけ
それは、なんという浪漫だ。
テレビという箱の中のお笑いで、
ある特定のお笑い芸人のというのは
「世界」を築きあげる。
我々はその世界に参加し
独特の笑いの世界観を共有する。
その面白さという概念に浸る。
芸人の特色。
それだけでは決してない。
テレビというメディアの中に
空気という世界を固着させる。
ドリフが作り出した世界。
ダウンタウンが作り出した世界。
とんねるず、ウンナン、ナイナイらの世界がある。
みな、その雰囲気や空気に参加する。
参加したいと思わせる空気。
それはある特定の芸人だけが醸し出すものだ。
俺はそれを「世界力」と呼ぶことにする。
テレビのお笑いはある時期を境に淡白で、
同じ場所をグルグルと回っていくようになった。
それは新たな世界力を構築する為の布石が打たれていなかったからだ。
手法の踏襲というのも重要なことかもしれない。
インスタントなお笑いも当然素晴らしい。
しかしお笑いを先へ進める力。
あたらしい世界を持った芸人は、
テレビ界における至宝だと思っている。
その価値観の世界を好きになる。
のみ込まれるのだ。
話芸という技術を駆使し、
テレビというシステムを駆使し、
我々をそこへずるずると引き込んで行く。
そういうタイプの芸人は世界力を持っている。
そして言いたい。
「さまぁ~ず」の持つ世界力は凄いのだと。
多くの人は知らず知らず
その芸人特有の「面白さの世界」に入り込むのだ。
その世界をより強固に構築するためには看板が必要だ。
だから冠番組というものが芸人にとっては重要なのだ。
テレビという箱の中に世界を作る為に。
先日「さまぁ~ず×さま~ず」を初めて見た。
これを待っていた!と思った。
かなり長い間テレビから遠ざかっていたから、
見落としていた。
ようやく新しい土台が一つ。
まだまだその素養があるのに、
席を用意して貰えない芸人は沢山いるが。
だがようやくテレビを、
もう一度楽しめるかもしれない希望。
その布石が打たれた。
縮小再生産のような番組ばかりの中
ようやくドシっと気合の入った世界が現れた。
さまぁ~ずの世界は深い。
役割が均等なのに色合いが違う。
互いにボケ、互いにツッコム。
そして互いが笑いの世界を持っていて、
それが融合した世界になる。
これが世界力の色合いと深さになる。
これぞコンビの真髄と思わせてくれる理由だ。
参加したくなるのはそういう世界だ。
もう終わりかけていたと思っていた
テレビのお笑いの世界に、
さまぁ~ずがようやく新しい光を注ぎこんでくれた気がする。
またひとつ、新しい楽しみが増えた。
あっはっは。
何かから解き放たれるように記事を書いている昨今。
ここ数カ月はマンガを読みふけり、
情報系のサイトを巡回し、
小説も読み、青空文庫も読みと情報まみれだった。
今日もマンガをそこそこ読んだ。
まだまだ感想を書きたいマンガが沢山だ。
12月の記事数がこれまでの最大記事数を更新したのだが、
今月は恐らくそれを上回ることでしょう。
9日の時点で41です。目指せ100。いやさ1京。
暇人か!
ええ。
自宅警備員ですから。
もうほとんど。
本日1/9はこの記事で9つ目でっす。
さすがに時間帯的にももうこの記事で限界でしょう。
誰も読み返さないであろう記事を綴る虚しさよ。
でも大丈夫。
僕は読み返すから(哀)