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バカな、まさかキリンが…!

豊田徹也氏の新作『珈琲時間』を読んだ。

以下『11話 きりん』のセリフより抜粋。

「バカな…」

「まさか……」
「まさかキリンが……!」

「キリンがこんな獰猛だったなんて!!!」


というセリフが登場するシュールな短編マンガなのだが。

動画を探したら本当にあったよ獰猛なキリンのケンカ。
こりゃすごいわw

宇宙図

想像を絶ち

そして

また

立ち昇る想像

シー・シェパード、ホゲー!!

エゴをぶつけ合うのは構わないが、
本当に船体をぶつけるのはルール違反だよな。

ま、どっちがどうってのは知らないが。

家畜なら殺してよくてクジラはダメっていうのが相手側の論理。
あと殺し方も気にくわないそうだ。
殺される方にすりゃなんでも一緒だよ。

「あの人は良い殺し方をされたわね」
と人に対して言うのか?

動物愛護の精神は構わないが、
人は動植物の死を喰らってしか生きられない。
それは他の動物たちにおいても同じこと。

愛護ってのはエゴだってこと忘れんな。
まあ名目で利用してるだけだろうから、
こんな主張は意味ないんでしょうがね。

しかしだからといって動物を殺しまくることを
仕方ないとしてしまうことには問題がある。

密漁、森林伐採、環境破壊と
人間のやることはエゴの黙認だ。
それに対して立ち上がったシー・シェパード。
海で武装して攻撃するとゴミがでるよね。
他の命たちは巻き込んでいない?

この場合、どちらが良い悪いではなく。

自らのエゴを認めずに理想を掲げる精神性については
危険だということを言っておこう。

捕鯨に反対するのもいいだろう。
権利侵害に当たらぬよう理路整然とした議論を求めたいものだ。
それまでは日本も捕鯨せぬようにすればいい。
日本だって調査っていう名目で食用のクジラを確保している訳だろうし。

それによってご飯を食べられなくなる人達の為に、
その動物愛護の精神で互いに金を出しあうか、
他の収入をどのようにして確保するかを考え合いましょう。
それが歩み寄りというものじゃないの?

歩み寄りすぎて船ぶつけて海汚してんじゃねーよホゲー!

奥井亜紀のプレミア価格

Amazonでの奥井亜紀さん関連の商品のプレミア価格が尋常ではない。
恐らくレーベルが変わった事で廃盤になったりして入手が困難になったから?

もともと過去作品のプレミア価格がつきやすい方だったが、
現在の価格設定は「奥井亜紀」という凄まじい歌手への評価と、
オタク+地上波ラジオによる人気との相乗効果なんじゃないかなぁとか。

あと一度でも手にしちゃうと
手放すファンがそうそういないからかもなぁ。

DVD関連で言うと、
[DENIMUM DATA517] \14,800~\17,800
[心音符] \9,500~\10,000

この辺りの値段で売買されますね~。
でもまあDVDですからね。
どうしても欲しければ出せない金額でもないです。

それよりもCDの価格ですよ。
こっちは凄いっす。
※価格が異様に高いCDを抜粋しています。他にも廃盤で入手困難品は多数。

[Straw Color] \9,800~\24,500
[COCOROTO(初回限定)] \9,980
[cyclong] \8,499~\12,000
[pp(ピアニシモ)] \45,000

俺はインディーズ活動前の廃盤CDを集めるのに苦労した印象だったが、
何年か経つとこうも入手困難さによって価格帯が変わるのか。
個人的にはミニアルバムのピアニシモの\45,000が一番度肝を抜かれた。

[トキノマニ]に至っては新品も中古もないという状態。

あと、これは冗談でしょ?っていう新品のLove & Love。
[LOVE & LOVE (Single)] \50,000
中古の価格帯とあまりにも差がありすぎるよw
新品だからレアだってことかな。
それにしてもシングルで\50,000はひどい。

ファンにはプレミア価格でおなじみなMaxi[大樹]は、
ヤフオクでは一万円から三万円程度を推移しながら取引されているよう。

ファンとしては評価が上がってプレミアがつくのは嬉しい半面、
それだけ多くの人が奥井亜紀さんの音楽に触れる機会を失っているということ。
これは非常に寂しい現状だ。

もちろんこんな状況を奥井亜紀さんも分かっているから、
「COCOROTO」や「うたの素」で過去曲の再録をしてくれているんだろうし。
素晴らしいライブを格安で行い、
ファンサービスを充実させてくれているのだろう。
恐らくその度にJASRACなどに費用を支払っているんだろうなぁ。
地上波ラジオによってファンも増えライブ動員も確実に増え続けている。
でもライブってあまり儲からないんですよね。。。

※もしライブに行くことがあったらなるだけ物販買いましょう><

ファンの数は確実に増えている。
なのに音源やDVDが手に入りにくい。
この現状、なんとかならないのかなぁ。
需要と供給のバランスが崩れるからプレミア価格がつく。
本当に勿体無い。

これもメジャーシーンの衰退によるところが大きいんじゃないかな。

奥井亜紀はインディーズのアーティストだ。
だけどプロフェッショナル中のプロフェッショナル。
この人のライブほどの満足感を得られて、
幸せな時間を貰えるのは世の中にそうそうない。
本物の音楽がそこにはある。

プレミア価格はその証明のようなものだろうけど、
やっぱりファンとしては寂しいなぁ。

気になるコラム:「自信のない人だなぁ・・・」と思われる男性8パターン

「自信のない人だなぁ・・・」と思われる男性8パターン

mixiニュースから見つけた記事で、
記事元もスゴレン(恋愛指南系のサイト)なんで、
まともな記事なんかが書かれるはずもないってのは分かるんですけど。

要約すると。
評判を落とすことなく、女の子のハートをつかみ取るべく
自信がない人と思われない為に、
「『自信のない人だなぁ・・・』と思われる男性8パターン」を紹介する記事です。

まず抜け落ちてるのが、なぜ女性優位なのか。ということですけどね。
男性に向けて書かれているのに、女性を持ち上げすぎの時点で、
筆者の自信のなさが現れている気がするのは俺だけなのか。

それに前提に対してパターンの提示が不適格なものが多い記事のような気がします。


【1】自信のないことを見透かされないように、自慢話を繰り返す人
ありのままの自分に自信がないため、自慢話を展開し、自尊心を保つパターンです。自信を見せつける目的が裏目に出るので、自慢話は控えた方が良さそうです。


根拠のない自慢話をするような人間は男からも嫌われる。
そもそも「自信を持っている男」を見抜ける女性の能力に関する考察が抜け落ちてる。
「自信を持っているつもりになっている男」と
「その男に依存してしまう女」という関係を作り出してしまう原因になりやしませんか?


【2】「○○していい?」といちいち許可をとる人
自分の行動に自信がなく、いちいち許可をとるパターンです。女の子に気を遣うことは大切なことですが、度が過ぎた場合、「自信のない人」というレッテルを貼られる可能性があるので、注意したいものです。


この場合、自信がないのではなくて関係性を上手く構築できていないが故の問題でしょう?
レッテルを貼られることに怯えている男の方がよっぽど自信がない奴だろうに。


【3】他の男性を褒めると、無駄に張り合う人
他の男性に対する競争意識をむき出しにして、張り合うパターンです。虚勢を張ることで、逆に自信のなさを露呈することになるので、注意したいところです。女の子が他の男性を褒めても、「それはスゴイ男だ。」と言える度量がほしいものです。


逆にブリッコの女性を褒めると同じように張り合う女性も沢山いるわけで、
それはそういうものだとお互いが認識していないとマズイんじゃないの?
女性が言ったことに対してだけの度量を求める事自体が既にブレている。


【4】ダメ出しされた後、異様に凹む人
デートでの無礼などを指摘してくれるような、女の子もいるでしょう。しかし特に大切なのは、指摘された後のリアクションです。異様に凹んでしまい、自分を責め続ける男性に対しては、ウンザリする女の子もいます。


まあこれには同意。
でもそれは自信のない人だなぁと思われるというより、
鬱陶しい奴だなと思われるってことだと思うよ。


【5】すぐに謝る人
反省したとき謝れることは大切なことです。しかし、謝り過ぎた場合は逆効果です。自信のなさを露呈し、マイナスの印象を与える恐れがあります。謝罪ひとつにもバランスが求められます。


知らんがな。
受け取る側の問題でしょ。
それを気にしすぎてる筆者の自信のなさが露呈しちゃってるよ。


【6】言いたいことをハッキリと言わない人
言いたいことを言わずに、「何でもない」とはぐらかすパターンです。自己主張ができない男性は、「自信のない男」というレッテルを貼られ、マイナスの印象をもたれるリスクがあります。


言いたいことをハッキリ言う奴が自信を持った男だと思うなよ。
言わないということで自信を確立する男だっている。
この記事を真に受けてマイナスの印象とやらに怯えて、
言いたいことをズケズケ言うような男は大抵嫌われる。


【7】ちょっとした失敗にも「本当は○○しようと思った」と言い訳する人
些細なことに対して、言い訳するパターンです。言い訳することに一生懸命な姿に惚れるわけはなく、むしろ自分の「実力のなさ」や「自信のなさ」を露呈する結果となります。


言いたいことは分からなくもない。
でもやっぱりそれは自信のない人ではなくて鬱陶しい人だよ。
自信ってものを主観的な観点からしか定義してないから記事がブレるんじゃないか?


【8】何度も何度も同じ恋愛相談を持ちかける人
何度も同じ恋愛相談を持ちかけ、進展がないパターンです。女々しい男と思われるだけではなく、行動力を伴わない姿は、「自信のない男」と思われ、大きくイメージダウンするでしょう。


大メイン知らんがな。
大ラスに何を言うとるのか。
それは「自信がない男」じゃなくて「女々しい男」と自分で言うとるではないか。


全体的に自信がない男じゃなくて、鬱陶しい人間の話ですよね。これ。
こんなもん男でも女でもまったく同じ。

自信なんてもんは内面に少しずつ積み上げていくもので、
表面に現れる自信なんてのはパターン化なんてできない。
重要なのはそれを見分けられる力が当人にあるかどうかだけ。

レッテルを気にして自信があるように振る舞え。
という記事のどこから自信を獲得せよというのだろうか。

前提と提示が矛盾しすぎていて、恐れおののいたわ。

消費者と業界と作り手の過渡期 -新たなスタンダードをさがして-

ああ、またやってしまった。
小説リーンの翼の完全版の予約だけでは飽き足らず、
富野由悠季の新作に期待する投資の意味も込めてDVDを買うことに。
それ以外にもついでに、ついでに、
と買物カゴへ入れていくうちにとんでもないことになってしまった。。。

DVD
・リーンの翼 COMPLETE[DVD]

小説
・ファウ・ファウ物語 上下巻 / 富野由悠季
・アベニールをさがして 1~3 / 富野由悠季

マンガ
・MUD MEN最終版 / 諸星大二郎
・転生神機メロウガイン 2 / 一文字蛍

CD
・確かな光 / 高野寛
・相変わらずさ-ベストアルバム / 高野寛
・Rainbow Magic / 高野寛

小説リーンを合わせると合計で20,000円を超える出費に。
えげつない。

もうマジで節約しないと。
俺、こんな浪費家じゃなかったのになぁ。

諸星のマッドメンだって持ってるけど、
最終版とか言われると気になっちゃうじゃないか。
2800円もするし。
光文社コミック叢書SIGNALはちょいと価格帯が高いよー。
まあ諸星なんで我慢だ。

あと高野寛のCDが欲しかったから仕方ないんだけど、
やっぱり邦楽のアルバム一枚3000円クラスは高いよ。
いやそりゃ高野寛は好きだし内容を聴けば安いと思えるんだろうけど、
まだ聴いていない音楽に3000円をホイホイは出せない。
沢山音楽を聴く人間の立場から言わせて貰えば地獄のような価格帯だ。
その上、既存の音楽業界体制では
ミュージシャンはご飯を食べられなくなっていくような事態に。
なにゆえ?
誰がどこにそのお金を流しているの?

だから感動に対する対価は作った人たちに支払いたい。
中間マージンをせしめて
他人のふんどしで相撲を取る奴らに払う金は本当はないんだ。

業界の体制自体の改善は望めないんだから、
平沢師匠の言うように新しいスタンダードを作る方が早いんだよな。

高野さんも既存の業界体制への疑問を感じ始めている。
恐らくYouTubeやTwitterなどを使って、
新しい高野寛スタンダードを模索しはじめている気がする。

これは平沢師匠が言及したように、
『音楽は資本主義と相容れない性質を持っているから、
音楽として生きつづけられるんでしょ?』

ということに繋がると思う。

編集者の給料が高く、漫画家さんの原稿料は安いと言われる。
それでも熱意によって支えられている漫画業界にも同じことが言える。
もちろん音楽業界も漫画業界も資本主義的な中で
意義あることをできている人たちがいることも忘れてはいけない。

しかし資本主義と相容れない性質を持っているからこそ、
文化として生き残っていけるというのはその通りだろう。

あとは旧態依然としたままの業界体制に納得ができなければ、
新しいスタンダードを作った方が早い。
だから漫画業界からも新しいスタンダードを模索する人が出始めている。

そうして鬱屈したものから解放へ向かい、
一気に新しいスタンダードが定着していくということは十分にあり得る。
その為にはやっぱり良いものが認められる世の中でなくてはいけなくて。

「これがいいのですよ」と提示されたものを買うだけではダメだろうなぁ。
問題なのは消費者側じゃなくて、そういう提示の仕方をする業界側だけどね。

業界っていうくらいだから、
やっぱり業の深い世界なんだろう。

長いし面白くないから読む必要ないですよ。

ここ最近少し新しいタイプの曲が出きてきているかもしれない。
俺の曲って内省的でミドルテンポな曲が多いのが特徴なんですが。

そこはあまり変わっていないかもしれないです。

でも以前より作れる曲の幅は広がったかもしれないなと思います。
ほとんど音楽理論の勉強もせず、
ギターのテクニックを磨くこともせず、
譜面も読めず。
ここ10年ほどずっと曲ばかりを作り続けてきました。
しかも誰に聴かせる訳でもなく。
時々友人に聴いて貰うくらいのもので10年続けたんです。
ほとんど異常者ですよね。
といっても使える曲はそれほど多くないですけど。

ですがこれだけは言えます。
俺は「何か」を表現するために躍起になっているのだと。

既に答えの出ているものを曲にしたくなかった。

自分でも理解の及ばないこと。
それを言葉と音の力を借りて理解しようとしています。
恐らく理解はできないでしょう。
人の数だけ答えがあるし、解釈があるし。
それはたぶん人の数だけ宇宙があるということです。

星座とは人が星の光をつなぎ勝手に名付けた解釈です。

だから星空を見上げるとき、
あ、あれは大熊座だ!とか、カシオペア座だ!と思うのもいいんですが、
自分で勝手に星に名前をつけたり、
自分だけの星座を作って遊んだりします。

それに本当に星を見なくてもいい。

目を閉じると
「なんだかよくわからない色だか影だかわからないようなもの」が
まぶたの裏で蠢いています。

例えるなら俺の音楽ってそういうものだと思います。

ね、意味なんてないんです。
だからそこから色んな人に勝手に意味を見つけて欲しいなと思うんです。
俺も分からないんで。

放任主義なんですね。

それだけ自分のなんだかよくわからない物を信じています。
これが俺の矜持だと思います。
そして恥でもある訳です。
完全なアーティストにはなれない。
独立独歩した絶対的な音楽というものが俺には分からない。

分からないから探すんです。
だから創作は発掘だと思うんです。

ハッキリしたものなんてこの世界にはなくて、
みんな「なんとなく」理解して、
「なんだかよく分からない」ままに世界に生まれて死んでいきます。

それに意味なんてないんです。

だからそこから意味を見つける意味があるんだろうなと思うんです。

自分の分からないことを音楽にしようと思うと、
作り方なんてものがないことに気付きます。
当然、作り込んでいく上での手法や技法、
コード進行の法則のようなものはあります。
売れ線のメロディーラインとかね。

でもそこに自分が入り込んでいなければ意味がない。
けれど他人の入り込む余地のないものも作りたくないんです。
エゴです。
二律背反です。
そこに苦悩しながら音楽をやってると、
自己批判にまみれたり、自己嫌悪で気が狂いそうになります。
そして楽しくもあります。
一生をかけてもやり続けられると思います。

目指すべきは地位や名誉ではなく、
「何が何だかわからないもの」だから。
それは自分ということです。

そうして続けるからこそ、
この、他の生命の死を喰らうことでしか
生きぬく事が出来ない地獄のような箱庭の世界で。

諦めとは違う、
原理原則の外にある「何か」の正体を見つけられる気がするんです。

それは「心理」や「真理」というものかもしれないし、
「天文」や「天門」というものかもしれない。
「言葉以前」や「概念以前」というものかもしれないのだ。

どのみち。
人の命の中には様々な生命の意思が残響として残ります。
食べるとはそういうことのはずです。

そして歌うとは。
そうした世界の全てを反射させていくことだと思います。
世界を謳歌するには、
綺麗なものだけでも、汚いものだけでもだめで、
空っぽの中から色を見いだすことが大切なんじゃないかと最近は思います。

空っぽだから「いただきます。」
頂いたから「ごちそうさまでした。」

知らず知らず、僕たちは世界を蓄積していく箱なんです。
それぞれが、それぞれの蓄積できていない部分を補い合う。
パンドラの箱は開けてはなりませんか?

自分の中の扉を開くことがなぜいけないのでしょう。

醜悪が満ちた世界で幸せを見いだすことができる力。
それは音楽だけじゃなくて。
無我夢中で何かをやる人間には必ず備わっていくはずのものです。

逃げるな。
自分から。
言い聞かせろ、自分に。

そうせねばすぐに逃げ出してしまう。
何だか分からないものは怖くもありますが、
もしかするとそれは希望の欠片なのかもしれないんです。

パンドラの箱を開くのは自分自身の意思です。
開けたらたぶん空っぽです。
そこに意味を詰め込んで次の世代へのメッセージとしたいと思います。

あーだこーだと批評しまくってやっちゃってください。

少しずつ自分なりの音楽活動の方向性が見えてきた気がします。
既存のやり方に乗っかってやる必要性は既にない。

ああ、何書いているのかわからなくなってきました。
とにかく俺は音楽が大好きです。
聴くのも作るのも。

宏観異常現象、時期が時期だし気をつけよう。

そう、確か一週間ほど前。
カラスたちが合図しあっているような声を聞いて以来、
カラスを見ていない気がする。
あまりまともな時間帯の生活を送っていないので、
カラスを見る事自体はもともと少ないのだが。

雨も振っていないし、雷の音もしないのに、
夜に空が光る宏観異常現象のようなものを奈良でも目撃した。

年末年始に大地震がくるかもしれないという噂があったが、
何も起こらなかったし、
そろそろ警戒が緩まってくる頃かもしれない。

奇しくも1月17日は阪神大震災があった日であり、
俺の誕生日の日でもある。
そして18が大好きな奴らの日でもあるわけで。
(つまりそいつらのせいだと思わせることもできる日でもある。)

人為的な地震が来るとすれば、
今日の1月8日(1と8で18)、
再び1月17日(1+17=18)、
1月18日(1x18=18)あたりか?

2010年ということを加味すれば、
(20+10=30)-(1+11=12)=18で1月11日ということもありえるか。

人為的なものでなく地球的な活動の場合は、
新月の1月15日か満月の1月30日にも可能性はある。

無用に不安を煽るわけにもいかず。
しかも俺の誕生月ということもあって楽しく過ごしたいものなのだが。

宏観異常現象が見られるのは地震の前兆の可能性が高いからなぁ。
忌まわしい記憶のある近畿地方の人間は特にナーバスになってしまう。

奈良は被害は少なかったが、
近くの街が壊れ、多くの方が犠牲となった日のことは忘れられる訳もなく。
それが自分の誕生日とおなじであれば尚のことだ。

関東地方・東海地方のみならず。
身の回りの微細な変化に気を配りながら、
万一の際は一瞬でも早く対応できるようにしておきたい所だ。

特に冬場なのでストーブからの出火などで
二次災害を出さないことにも気をつけておこう。

我が家は恐らく大き目の地震が来ると倒壊してしまうだろう。

なるべく早く東大寺に参ることにするか。
今日来ないことを祈るまでだ。

初詣は東大寺に。

ワタシは人ごみが苦手なのである。
それゆえ初詣はいつも時期をズラすのだ。
なにゆえ初詣に参るかと申すと、
特にこれといって理由もないのだ。
強いていうのであれば
参るという儀式に参加し、
去年一年を無事過ごせたことを報告し。
おみくじという啓示を確認する為である。

簡単に言うと、
みんながやってるからやるけど、
みんなが沢山いるばしょは怖いから行きたくない。

っていうことなんでしょうか。

マイスピによると奈良は東大寺の星供養ってのがいいらしいので、
奈良在住のワタシは近々東大寺へと参ろうかと思う。

まず初詣がお寺に行けばいいのか、
神社に行けばいいのかすら分からないワタシですので。
神仏習合。

神仏合掌。
手を合わせれば神も仏も己の中に顕現することでしょう。
煩悩の数だけ一人で鐘をついたら、
神も仏も怒らなくても人間が憤怒する間違いなし。
ああなんとも世知辛や。

ブレンパワード1話を再び見る。

いやぁ先日、久々にブレンパワードの1話を見返したが、
とんでもない演出力だわ。

勇とカナンがグランチャーでプレートを回収するシーン。
場面転換し、そこから比瑪がブレンのリバイバルに立ち会って、
勇たちと遭遇し空中での対話シーンへとうつる。

勇たちはオルファンのリクレイマーとして、
ブレンパワードの危険性を比瑪に忠告するが、
比瑪の豊な感受性がブレンと感応し、勇たちの行動に対して批判する。
これは比瑪たちが孤児院で育ったことに起因するかもしれない。

カナンはオルファンのリクレイマーとして、
リバイバルしたブレンを撃破するのが規則だと勇に言う。
しかしその言葉を受けた勇の表情は困惑。

勇はオルファンの伊佐未ファミリーの一員という立場を背負っている。
しかしこの時もうすでに勇の心は何を信じて良いのか分からない状態。
恐らく。
ブレンパワードを撃破しなくてはならないという規則に対して疑問を抱いている。
だがカナンはまだひたすらにブレンを警戒する。

そして勇は比瑪に対して警告を発する。
『ブレンパワードのことを知らないのに乗るんじゃない』
恐らく勇も本当のブレンパワードのことを知らない矛盾を抱えたままの言葉だ。

そこで比瑪の反論が繰り出される、
『この子、言うこと聞いてくれているわ!お節介はいいわ!』
事実、ヒメブレンは比瑪の言うことに反応し行動している。
産まれたばかりの不安定なアンチボディであるはずのブレンが。

勇はそれを目の当たりにしているのだ。

そして勇は自分が信じてきながらも、懐疑していたことに、
比瑪にたった一言で反論されたことから癇癪を起こす。
『マスコミの言うことなんて聞いてどうする!
ブレンパワードは使っちゃいけないんだ』

この矛盾は壮絶だ。
勇自身もなぜブレンパワードは使っちゃいけないのかを知らない。
だが家族と共にオルファンの意思に従ってきた自分を否定したくない。
しかし恐らく勇はヒメブレンからの危険性を感じることができなかった。
それが勇の言葉を圧倒的な矛盾へと追い込む。

そして癇癪を起こしたままの勇はカナンの静止も聞かず、
ヒメブレンに対して攻撃をしかける。
これはグランチャーに乗っていて神経が昂った状態だったからかもしれない。

しかしヒメブレンと比瑪のコミュニケーション能力、
つまり魂のこもったブレンの力を目の当たりにする。

ここでカナンも勇も。
自分たちが教えられてきたブレンへの認識に疑いを感じ始める。
それは劇や演出でのみ表現され一切言葉では語られない。
当然だ。
それは富野由悠季だからだ。

カナンが比瑪が人質を盾にしているということを理由に、
勇を諌めてバイタルグロウブのオーガニックエナジーの流れに乗って撤退する。

この際にヒメブレンは恐らくオーガニックエナジーを介して勇の意思に触れる。
勇とカナンが撤退するシーンを見て頂ければ、
明らかにそのことが演出されていることに気付くはずだ。

ではなぜその後にヒメブレンは勇の実家にたどり着いたのか?

これは決して偶然などではない。

いつ戦闘になってもおかしくない
緊迫し自意識が矛盾し、癇癪を起こしている状況下にありながらも、
勇はそこが直子ばあちゃんと過ごした
実家から遠くない場所であるということを気にしていたのだろう。

ヒメブレンは恐らくバイタルグロウブを介し、
その勇の「心」に触れた。
そこが勇にとっての安息の地であったことを理解したからだ。
だからヒメブレンは比瑪たちをつれて、
直子ばあちゃんのいる勇の実家にたどり着いたのだ。

これは絶対に偶然などではない。

ここまでの流れと意味性を詰め込んで20分足らずで、
言葉による説明もなく、
それぞれの主体的なセリフと矛盾によってのみで演出できるのは壮絶だ。

それがまたオープニングとしてよく纏まっているんだ。
正直これほどの詰め込み演出ができる映画監督を俺は知らない。
短い時間の間にどれだけの情報を内包させることができるか。

それは何度もの視聴に耐えさせる為の綿密な計算が必要不可欠だ。
まず初見ではバイタルグロウブというものが何かも分からないし、
ブレンがなぜ瞬間移動のようなことをできるのかも分からない。

それを一話の冒頭でやってしまうのだ。
それが富野由悠季という人なのだ。
ペラペラの内容の映画を2時間みるより、
ブレン1話の20分強を見るだけの方がよっぽど情報量が濃い。
そりゃ普通の人には敬遠されるわ。分かんないんだもん。

富野由悠季という人は作品ごとに作品世界の原理原則というものを設ける。
それがなくては作劇が成立しないことを知っているからだ。
そこから少しでもブレてしまえば作品世界は崩壊する。

だから最初は「分からなくて当たり前」なんだ
ということを頭に入れなくてはならない。
見ていくうちに分かっていく。分かろうとしなければ分からない。
そして思い返してみるに、これはそういうことだったのか。
と、気付かせる情報の重層的な演出論。

それだけでは飽き足らず、
ブレンではエヴァに対抗意識を燃やしたりと、
反逆者としての精神を作品内に織り込む。
誰か敵を作らなくてはならないのだ。
自己批判と敵を求め、対抗意識によって作品を作る。

白富野と呼ばれる時代の作品になってからは、
自分の過去作品からのモチーフを、
現在の自分というフィルターで再構築して、
そのコンセプト性を普遍的にすることに
注力することに重きを置いている気がする。

やはり富野由悠季という人が携わる作品は凄まじい。
一般で言うところの「分かりやすさ」はないのだろうが。
世の中というのは分かりにくい場所だからなぁ。

ってか俺、定期的にブレンパワードを見返してる。
ブレンパワードは過不足が確かにあるんだけど、
何故か異様に魅力的なんだよなぁ。

富野があえて気に入らない人選をしたから産まれた化学反応なのかもなぁ。

なんだか最近の自分に納得がいかない。

いかんいかん。
なんか最近の俺はおかしいぞ。
バイオリズムが上昇しているつもりになっているのはいいが、
上岡龍太郎の言葉にもあったではないか。

『平坦な道に見えても
何だかしんどいなと思って振り返ると登り道だったり、
楽だなと思って走っていると下り坂だったりする。
人生にも同じことが言える。』

そうなのだ。
ここで気を引き締めねば、絶対にマズイ方向に行ってしまう。

ブログの記事を書きすぎているのもあるが、
どうにも人に気に入られようとしているというか、
評価を受けたがって記事を書いている所がある気がする。
というかブログの拍手やアクセスを気にしすぎたり。
そりゃもちろん真剣に書いた記事に評価がつけば嬉しいが。

たかだかブログの反応くらいで
一喜一憂してしまう自分。
評価を優先してしまいそうになる俗的な自分がいる。

誰のために書いてるブログでもない。
知らず知らずポールシフトしちゃいそうになってた。

自軸をぶらさずに変化していきたいもんです。

ちょっと偏った情報ばかりを手に入れすぎたかな。

今年の山羊座の占いの開運キーワードは「コミュニケーション、執筆活動」。
これは個人的には音楽活動や仕事にも密接に関係してくる。
歌詞は執筆活動だし。
仕事に関しても俺の役割分担は「文言」が重要な位置を占める。
占いの話をしてるのに「占める」とか使うなよな。俺め。

そんな奴の執筆活動が上手く行くものか。
「失筆活動」にならないように気合を入れなおせ。
まったくすぐ調子にのるんだから。

音楽やるんだから「調子」には乗らなきゃね。

すさまじく著者を殺したいブログが出来上がった。

想念の大樹

水泡

水たまりの中の森

浮かぶ木の葉

水鏡の幻想

もうなくなってしまったのか

ああ泡が固まっていく

森がなくなっていく

泣くな、想念の大樹よ。

お前が朽ちようとも

実らせた果実は天へと至る

そう信じてきた我々の思いは木霊する

残響は現実となる

今はまだそれでいい

大地に森が根付くまで

魔術と科学は同類項

多くの人が科学って言葉に誤魔化されてると思うけど、
科学って魔術と同類項なんだと思うんだ。

魔術ってのは術式を使って現象を起こすこと。
つまりそれは基板というサーキット(術式、魔法陣)によって、
電気的な目に見えない力を使い現象を起こすことと同じだろう。

科学とは魔術だ。
術式を理解できたものだけが使役することができる。
そしてそれを一般化させたのが魔道具(電化製品)という解釈もできる。

利用するものは魔道具の使い方を知るだけでいい。

しかし魔術だからといって、それを否定はしない。
俺は分からぬことを恐れて、
人を殺しまくる精神性の方をこそ否定したい。

魔術のことに関しては
分かっていたのかもしれない。

知恵を持つものが科学というものに踏み込む危険性を。

未来を危惧した者たちがそいつらを根絶やしにしてでも
科学(魔術)の発展を防ぎたかったという気持ちは分からなくもない。

しかし虐殺や民族浄化といった不条理な大量死は、
同種族同士によっては行われるべきではない。
少なくとも話しあうだけの力は与えられているのだから。
それを怠れば死は必然だ。
殺し合うことでしか自らの主張を達成できないのだから。

今後は電気的なものだけでなく、
さらに素粒子や量子といった、
より深淵に迫った魔術が行使されていく。
いやそれらは既にあったのかもしれないが、
魔道具として一般化されていく時代がすぐそこまで来ている。

非現実的で申し訳ないが、
我々が生きている世界というのは、
どうしようもないほどに非現実的なことが多すぎるのだ。

では現実とは一体なんだったのだろうか。
いつから現実は変わってしまったのだろう。

なんてね。

髪の毛と神ノ化

本日、髪の毛をきって変化した。
もとい変毛した。そして髪の毛は神ノ化となった。

坊主だった頭から伸ばしっぱなしにしていた髪を、
床屋さんでとりあえず好きなように短くしちゃってください。
とお願いしたら、あら不思議。
コボちゃんのような可愛らしい髪型に。

まるでロックとは程遠いワタクシの髪型に、
なぜかビートルズを感じ少し満足したのでありました。

こうやって人に印象を固定化されて、
その見た目の印象と、自分自身の内面とのズレが、
他人にとって落差を産んだりするのかなぁと。

髪の毛も十分「示し申す」ためのメッセージなんだなぁ。
変わるとは化けるということ。
化という字を分解して書くと「人」と「匕」に分けられる。
「匕」(さじ)とは部首による分類だと匕部(ひぶ)と呼ばれる。
意味合いとしては「変化」であるようだ。

Wikipediaによると「匕」は「人」が転倒した様子を象ったもののよう。
つまり通常の状態からの「変化」を意味するということだろう。
しかし字としては「匕」が先のはずなのに、
意味を説明するのに部首に匕部の入った
「変化」という言葉を使うのは分かりにくいな。

Wikipediaにも書いてあるがこの解釈は篆書体としての部首認識で、
単に「さじ」(つまりレンゲ)を象ったものも「匕」というらしい。
字としては横部分が突き抜けない「ヒ」に近いものがそれにあたる。
この二つの部首が楷書体では同一部首とされた為に、
人が転倒した様子を象ったものとの意味が重層化してややこしくなったのか。

失恋した時に髪の毛を切ったりするというが、
意味としては転倒し「人」が「匕」の状態になった為に、
結果として「変化」を求めるということなのかもなぁ。

「かみのけ」とは他者に対しては
「人」が転び「匕」となり「化」けることを
「示し」「申す」為のメッセージなのかもしれない。

やっぱり「示申 ノ イ匕」じゃないか。

スーパーサイヤ人になると髪が逆立つんだよな。
さらに強くなるスーパーサイヤ人3では髪はもっと伸びる。
これは凄く抽象性が高くて分かりやすい変化表現だ。

俺はコボちゃんのような髪の毛のおボコちゃんになった。

人はまた新たに伸びるために髪の毛を切るのだろう。

坊主ってのはそういう意味もあるのかもしれない。
でも転ばぬ坊主は伸びやせぬ。

俺は転んでから髪の毛を切るまで
かなり時間がかかってしまったが。

しかし匕は投げぬ。
そうすれば人は立ち上がり化けていく事ができるのだろう。
誰かに何かを示し、申していく為に。

髪の毛なんて自分で見るためのもんじゃねーんだもんよ。

音楽やるよ!

アクセス解析を見てるとリピーターの方が案外いてくれて嬉しかった。
なんだか気がついたら、このブログよく来てるな。
っていう人と、固定で来てくれている人のリピート率の差が分かったりして、
自分の記事の内省的な部分が反映されているなぁと思ったり。

嫌いな人はとことん嫌いでしょうからねこんなブログw

字ばっかりで写真もないし、
とつぜん訳のわからないことやりだすし。

自分のこと語るばっかり。

それでもリピートして来てくれる人がいるんですよね。
このありがたさを噛みしめたいと思います。

アクセス集める為には、
タイトルを人の興味を惹くようなものにしなくちゃならないと思うんですが、
どうにもそれが上手くやれない。

あまり突然に来訪者が増えすぎると、
持ち前の自閉症癖がビクビク怯えだしてしまいますので。

それでも今日は自分の曲に拍手つけて頂いたので嬉しかったです。
ありがとうございました。

動画元のzoomeの方でも[Good]ボタンを押してくれている人がいて、
こうなにやら込み上げてくるものがあります。

色んな方の力で音楽をやらせて頂いているなと、
感謝の念が絶えないです。
これからはもっと精力的に音楽活動をやっていきたいと思っています。

バンドメンバー集めが本当に難しい!
それでも色んなことにチャレンジしてみたいですね。

バンドだけじゃなくて違うアプローチでも表現してみたいな。

未来型新番組:『家族対抗ドリームベット!!』

・「家族から見た自分が思っている夢」と「当人の夢」を当てさせる企画。

『はーい、それでは夢当てクイズっ、
家族の夢ベットしたVTRをそれぞれ見て行きましょうー!
夢VTRスターーット!』

”い、いま そこに 
   キカイダーいてるよぉ!?” byおばあちゃん。

<おとうさん、なんで
  家の中でバーベキューなんかしてるのさっ!> byむすこ

【パパー!
  なによこのエッチなひとたちはっ!】 byつま

・・・

『えー、はい。
お父さんが思っているであろう!という家族からの
お父さんの夢VTR見させて頂きました!

しかし実はお父さん!
こんなことを夢にしておられたんですねぇ。
家族の夢ベットは「成立」か「不成立」か!!
それではお父さんの夢の解答を観て頂きましょう!
あ、解答がシンプルすぎてVTRが必要なかった!?
ということらしいので写真で御覧頂きましょーう!

パネルどん!』

・家族全員が無病息災でありますように。
無病息災
むびょうそくさい
意訳:病気をせず健康であること。


『ざんねーーーん!!
家族不正解!ということで、
お父さんに同じ音の言葉であれば解答の一部の改案権が与えられます!
どうしますかお父さん!!!
あ、変更されます、ということですね。
無病息災を変更で。はい、はい!
わかりましたっ!
では変更した内容のパネル、どん!!!』

・無描息妻
むびょうそくさい
意訳:もうおまえらなんていらねーよ。


『はーい、
そして誰もいなくなった。
ということでね、
今週は家族対抗ドリームベットこれまで!!
また来週~~~さようならーーー!!』

神人対談

神の一人がこう言った。
「どうだろうこの無限の宇宙は?」
上手に作っただろう?
とでも言うような表情で

種の樹を内宇宙に飛び散らせて
外宇宙へ相転移させる。
その増殖の螺旋を
続けられる動物と、
そしておまけに知恵まで
くれてやったぞ、とばかりに。

あまつさえ、
「けれど、この美しい無限の宇宙を君たちは汚してしまったね」
と嘆いてみせた。

「ふざけるな!
この宇宙は。
増える為の連鎖は!
貴様らの 知らぬ愛だ。

それが絶え、生まれる度、
我々はいつも泣くのだ。
そして生き抜くために、
腹の底から笑えるのだ。

この壮絶なものを。
貴様らの知らぬ。
我々だって狂わねば、いられぬ様な。
得も言われぬ様な、
どうしようもないものの答えを。

貴様らに分かるのか?

影が無ければ保たれない様な不安定で
形もないものの群体の意味を。

積み重ね続けてきた。
遺伝子という名の塔を。

その交わりを混沌と。
貴様らが呼ぶのなら、
それのなにが悪いのか。
そうならざるを得ぬのだ。
間違えたのはどちらなのか。
よくよく考えるべきだな。

我々が培った茂みの意味を忘れるな。

我々が奪った茂みの意味も忘れない。
その愚かな連鎖の重みを、
受け止めてやろうというのだ。
そんな我々に感謝こそすれ、
あまつさえ嘆くなどという。

この世界ではそれを 未熟者と呼ぶのだ。
愚か者が。
愚かを知らぬが、愚かを語るは、目もあてられぬ。

我々が何度も何度も間違い、狂い、気が触れ、
感謝し、夢見、叶え、失い、培い、奪いつづけた。
他の多くの者との共生の日々。
我々の愚かさは認めよう。
その愚かさを認めねば始まらない。

その愚かさを認めねば、始まらぬような、
そんな世界を作ったのは誰だ!

ゆめゆめ忘れぬことだな。
責任のないものなどいない。
それを互いが認めねば、
同じ席にはつけぬぞ。
こちら側が見下せば、
そちら側はどう思うのだ?
同じ席につきたくば、
筋を通すべきを忘れるな。」

マネーメイクスミークレイジー?

そうだ、何か違和感があると思ってたんだ。

世の中のほとんどって「金」でラリってんだ。

酒だろうがドラッグだろうが、
個人で楽しむ分には好きにすればいいと思う。
誰かに迷惑をかけたり依存しすぎるから問題になる。
今の社会は金に依存しすぎなんだわな。
金は絶対的な価値観じゃねーよ。

金に生かされてる俺が言うべきことじゃないかもしんないけどさ。

ワタクシですか? ええ嗜む程度です。

コミュニケーションと執筆活動

オイラは占いとかが好きなんですが、
それによって自分の行動を変えたりする事はほとんどないです。

少なくとも自分の舵取りは自分でしたいと思う、
だから占いをしてもらったり、占いサイトを見たりする時も、
ほとんどもう自分がやりたいことや、
自分に課すべきテーマは決めていることが多いです。

そうするとだいたい占いって、
自分が考えていたようなことを言い当ててくれたり、
それに対するアドバイス的な言葉を出してくれたりするんです。
あと心がけるのは良い部分をよく覚えておくこと。
悪いことは修正がきくでしょうし、良い部分がそれを凌駕すれば問題ないです。

オイラにとってはある種の自己確認と自己暗示のようなものです。

マイスピの以下の記事に星座別の今年の占いが載っていました。
幸運星の木星が、2010年1月18日に水瓶座から魚座に移動

オイラは1月17日生まれなので山羊座です。
今年は幸運星の移動イブですね。
山羊座の2010年に「拡大&発展のチャンスに恵まれやすい分野」のキーワードは、
「コミュニケーション、執筆活動」
だ、そうです。

そういえば去年の末ごろから異様にブログ書く回数が増えたんです。
あと引きこもり体質、自閉症気質な部分をなくそうと、
コミュニケーションに重きを置くようにもなりはじめていました。
とはいえまだまだ全然できていないんですけどね。
でもやっぱり予感どおりって感じがします。

執筆活動に関しては、
「ブロとも」のみに限定して記事を公開できるシステムがあるので、
そこでちょっとオイラの幼少期から現在に到るまでの、
自伝的なものを書こうかなと思っています。
いつから書き始めるかはまだ未定ですし、
時系列どおりに書くとも限らないと思います。

なぜ「ブロとも」限定かと申しますと、
人のプライベートなんて覗きたくないっていう人もいるでしょうし。
オイラは少し特殊な家庭環境で育ったので、
ちょっと不特定多数の方に公開するのが
はばかられる内容が沢山でてくると思います。

思い返してみるに、
一般的な家庭環境ではなかったかもしれないなぁとか。
やたら色んな出来事があったなぁという印象。

これからももっと色んな出来事があるでしょうが。
コミュニケーションと執筆活動に重きを置きつつ、
音楽活動や仕事もちゃんとやれればいいなと思っています。

2010年 新居昭乃さん の やりたいこと。

新居昭乃さんのブログにこんなことが書かれていた。

==今年やりたいこと==

Goddess in the Morningのアルバム

細海魚くんとアルバム

年末、東京でライブ

それまで東京以外の複数の場所で弾き語りライブ

自分のためだけのミニアルバム

欲を言えばオリジナルフルアルバム

国内ひとり旅

+++++++++++++


この内のどれかひとつでも叶えば
僕、幸せですけど?

Goddess in the Morningのアルバム
これは以前もブログで少し触れられていたので、
もう今年はそれ一本なのだろうと思って期待しておりました。
しかし他にも沢山やりたいと思ってくれていた!
もちろんその方が良いに決まってます!

細海魚くんとアルバム
細海魚さんとアルバムってことは新居昭乃名義ではなく、
二人のユニット的なアルバムってことかな?
どちらにせよ保刈久明さんとは違う色を持ったアレンジをされる方です。

どっちが良いとかではなくて、
RGBの名曲「白昼夢」のアレンジをされた細海魚さんなんです。
キーボーディストとしての能力も高い方ですし。
ボクすごく期待したいです。

年末、東京でライブ
これはたぶん僕は行けないと思いますが、、
いや、高速バスを使えば交通費はかなり浮かせられる…
まだ年末までは分からない。。。

それまで東京以外の複数の場所で弾き語りライブ
この部分にやたらめったらテンションが上がってしまう。
今年も新居昭乃さんに会えるかもしれない!!
これは楽しみなんてもんじゃないですよ、あーた。

自分のためだけのミニアルバム
これはVHレーベルからの発売になるんですかねー。
個人的な意見になるんですが、新居昭乃さんという人の音楽は、
”自分のためだけ”に作られたものの方が味わい深くなる気がします。
むしろこれまでは、そういう音楽はなるべく大衆に向けては見せたがらない、
もしくは自分の中だけで大切にしておきたいという気持ちが見えた気がします。

人の意見によって固定化されたくないような部分。
自分から自分へのメッセージを他者に覗かれたくない。
伝わりきらないもどかしさに喘ぎたくない。
でも伝わって欲しい。
そんな二律背反的な意思をなんとなく感じることがありました。

けれど何故かそういうものに人は反応するもので、
だからこそ「at Eden」はファンにとっても大切にされてきた。
その「at Eden」が「ソラノスフィア」に収録された時。
新居昭乃さんの音楽世界がよりユニバーサルな物になった気がした。
内省的な音楽というのは普遍性を備えたものなんだと思う。
「ソラノスフィア」はまごうことなく新居昭乃の飛翔の一枚だ。

鳥のようなファンタジーに憧れ続けて。
それなのに現実を抉るように見つめることができる。

なんとなくそういう部分が女性的なんですよね。
それが新居昭乃さんという人の印象の重要な部分かと。
男だとあまりこういう風にはならない。
最近はどちらも中性的になりつつあるとは思いますが。
それでも新居昭乃という人がワンアンドオンリーであるのは、
そんな心の内面を隠しながら画していく人だからだろう。

”自分のためだけ”のミニアルバム。
今年でなくてもかまいません。
じっくりと時間をかけて自分のためだけに作ってください。
それが、たぶんファンにとっても最高の贈り物です。
少なくとも僕にとっては。

欲を言えばオリジナルフルアルバム
ふふふ。
構想があるというだけで嬉しい。
それを一行。
ブログに書いてくれるだけで今年一年が楽しみで満ちる。
すごいなぁ。

国内ひとり旅
奇跡的な確立でひとり旅中に遭遇したいもんですw



いやぁ今年も新居昭乃さんの活動には期待が持てそうです!

2010年の世界がどうなるかはわかりません。
ですがこうして幸せを繋いでいけば、
どんな世界でも笑うことも泣くこともできることを、
人はこれまでの歴史で証明してきたじゃありませんか。

それを全て肯定する訳でも否定する訳でもなく。
ただ、そういうものなんだろうなぁと。

個人的には新居昭乃さんは、
そういう音楽をやっているのだと思っています。
神秘を尊ぶ、現実を尊ぶ。
それは世界を謳歌するということでしょう。

人外の力による救いになど縋らなくても、
人は自分たちの力で笑えます。
それはたぶん本当に凄いことだと思います。

浴槽の宇宙

ゴボゴボと音がする

総てをのみこむ音がする

渦はどちらに廻っているのだろう

情報によって圧迫される空間

本の整理を開始して、物理的な限界に衝突する。
しかしまだデータ化はしたくないし、
その為の機材を揃えるのに7万もの出費はできない。
だってその7万があったら一体あと本が何冊買えるのか!
と思ってしまうんだもの。

ちょいと家全体を見渡して、
年末に出来なかった大掃除も兼ねて、
本を置くスペースを確保することに決定。

使用していないデスクトップパソコンとパソコンデスクをどかせて、
そこに本棚を買って搬入するか。
それともブックケースを積んで置くかどっちかだな。

ブックケースの悪いところは、
どのマンガが入っているのか分かりにくい所。
本棚だったら一目瞭然。

ただ、俺の部屋の本棚はすでにその特性を失っている。

本来、本を並べるべきじゃない場所に
本を平積みでどんどんとバベルの塔のように積み上げていってるから。
その後ろにどんな本があるのか見えません。

一度読んだ本を読み返すことってそんなにあるか?
と思われるかもしれませんが、
これが結構頻繁にあるもんで困っているんですよね。

特に愛着のあるマンガや本は絶対に売りたくない。
これが俺の業であることは間違いない。
しかしそこから得られることの多さは金銭には代え難い。

さて、明日から大掃除だ。

ひと足遅れの年末。
これが終われば本格的に俺の年明けとなることでしょう。

「本」がらみの記事で、「本格的」とか、「本来」とか、
「本当」は使いたくないんですよ。「本気」で。
ああ、これを書くことで「本末転倒」に。。。

頭が悪くて気分が悪い

あうー頭が悪いー。
書きたい記事への理解が追いつかず、
どう書いていいのやら分からない。

もっと勉強しなくては。
やるべきことをやるためには、
出来ることをもっともっと増やさなくては。

正直、ヒッグス粒子の概念は理解できても、
弱い相互作用だとかフェルミ粒子やゲージ粒子の基本が理解できてない。
人がこう書いているからこうだ。
という認識しかできない。
だからヒッグス粒子が暗黒物質と同質のものだと言われても、
量子的真空宇宙で自由に動き回っていた素粒子に抵抗を与え、
質量を持たせたとされるヒッグス場と暗黒物質の同一性が分からない。

ということは暗黒物質は観測できないが、
素粒子の運動に抵抗を与えて物質化させ質量を保たせるものなのか?
それは満遍なく宇宙に満ちているということなのだろうか。
「見える」ということはそういうことなのだろうが。

現在宇宙を加速膨張させていると言われている
真空のエネルギーは宇宙の初期状態から、
その宇宙の膨張にあわせて全体量のパーセンテージを
保ったままであるとか言われてなかったっけ?
暗黒物質と真空のエネルギーはまるで違うものなのか?

自分の頭では何故そういうことが起こるのかが理解できん。
いや解釈をすることはできるかもしれないが理解ができない。

無知の知というのは大切なことだが、
こうまで自分の理解力が低かったとは…
自惚れていた。

気を引き締めてかからねば、いかんことになるぞ。

まずは素粒子や量子の世界への造詣を深めつつ、
物理や天文、地理、地政学なども学ばなくてはならんだろう。

世界で起きている現象のすべてが
自分と無関係ではないことが分かり始めた。
それは人が自らのエゴと向き合わねばならんということだ。
清濁併せ呑む器量がなければ。
正気も狂気も保てない。

地元のラックス

ウチの地元にあるラックスは店員の質がいいのか、
店長の指導がいいのかわからないが。
まあ恐らくその両方だとは思うがマンガへの造詣が深い。

平積みのマンガは良く入れ替わるし、
知らないマンガにも興味を持たせるレイアウトを良く考えている。

というよりも売れるマンガは放っておいても売れるのだから、
それよりもスタッフがどんなマンガを売りたいかっていう意思が感じられる。
そういう店には当然いいお客さんがつくだろうと思う。

個人的に今日お見事!と思ったのは、
今度感想を書こうと思っていた青山景の「ストロボライト」と、
以前に簡単に感想を書いた浅野いにおの「虹ヶ原ホログラフ」が、
隣合わせで二冊ずつ並べられていたことだ。

ストロボライトは虹ヶ原ホログラフと似たアプローチで描かれたマンガだ。

どちらも太田出版で「あ行」の作家さんなので、
当然隣合わせに並ぶことは全然ありえる。
しかし2冊ずつというのが子憎たらしい。

明らかに目を惹かせようとしているし、
両方を知っている人間にしてみれば、
少しニヤっとしてしまうレイアウトになっている。

こういう細かな本への造詣の深さは、
本好きに対する訴求力を持つ。

それでも売り場面積は限られているし、
スタッフの趣味に合わないものは置いていなかったりするので、
そういう場合はAmazonなんかで買うわけだけど。

好きな書店だ。

ひどい所になるとマンガを包むビニールの圧縮で、
マンガ自体がグニャっとなってしまっている店がある。
大抵そういう書店は潰れていくか、
負のオーラをまとったまま近場の客のみで辛うじて生き残る。

奈良ではめずらしくペン先やインクや原稿用紙など、
マンガを描くための画材も置いてある書店なのだ。
アニメイトまで行かなくても、緊急に必要な時は画材を買える。

これはほぼ間違いなく店員に絵に対する造詣の深い人間がいる。
むしろ自分の趣味の為なんじゃないかと思うくらいの、
いい品揃えをしてくれている。

ぜひこれからもスタンスを崩さずにやって頂きたい。

犬と人

今、たまたまテレビをつけたら
「犬と私の10の約束」という映画がやっていた。
とても重要なシーンだった。

はじめて見たが、その一瞬だけで号泣してしまった。
これは最初からちゃんと見よう。

もちろん映画の良さもあるんだろうが、
犬と暮らしたことのある人にとっては
オーバーラップする部分によって感動を喚起されることもあるだろう。
全部通して見たら人のエゴ満載の映画かもしれないし。

犬と人の関係というのは字にも現れているように、
すごく近くて密接なものだ。だけれども違う。

多くの場合。
犬は人が思っているより人のことを知っているし、
人は思っているより犬のことを知らない。
それでもお互いが家族になろうと同じ家の一員になり、
ささえあう仲間となることができる。

ウチにも二匹の犬がいた。
本当の家族だった。
少なくとも俺はそう思っている。

犬は常に我々にサインをおくってくる。

俺が小学校1年生の時にウチにやってきたのは、
プーという名前の犬だった。
16年間ものあいだ俺と一緒に過ごし続けてくれた。

体調が良くなさそうだと獣医に連れて行った時には、
「もう既にいつ亡くなってもおかしくない状態だ」と言われた。
ずいぶん頑張ってくれていたんだ。

それから数日後プーは母の布団の中で亡くなった。
亡くなる前日。
俺はいつものようにプーに話しかけた後、
無言でプーを迎え入れるように仰向けに寝転んだ。
そうするといつもプーは自分の喉と俺の喉を合わせてくれた。
まるで心を通じ合わせるように。
こちらのサインに応えるかのように。

その日はずっとペロペロと俺の顔を舐めていた。
まるでお別れの挨拶のような丁寧さで。
それはやっぱりお別れの挨拶だった。

俺は最後まで助けられてばかりだった。

プーが亡くなってから、俺たち家族は空虚な日々を続けた。
家族が消えた穴は誰にも埋めることができない。
けれど寂しさに耐えきれず両親はペットショップへ向かった。

もちろん俺だって寂しかったが、
それはプーの代わりを探すような行為のような気がして気が引けた。

でも結局、次はチーという同じ犬種のメスがウチにやってきた。

どちらも性格が違っていて、
プーの代わりにはならなかった。
ウチに来て一緒に過ごせばやはり家族になる。

しかし母が逝く。

それから2年経たずにチーも逝ってしまった。
6年間ほどしか生きさせてあげられなかった。
母が逝ってからというもの、
まともに散歩もさせてあげられなかったし。
家の中で一緒に遊んであげる時間も減ってしまった。

生理不順で体調が良くなさそうにしていた。
すぐに獣医に連れて行ったのだけど、
その日は休日で獣医が休みだった。

次の日になってまだ体調が悪そうだったら、
また獣医に連れていこうと思い、
チーに謝りながら家に帰った。

次の日、チーは幾分マシな様子だった。

だから俺は獣医に連れて行くことを失念した。
その翌日、チーは父の布団の中で亡くなっていた。

俺はこの後悔だけは忘れることができない。
プーのように寿命を全うさせてやれたのなら良かった。
しかし。
チーは必死に俺たちにサインを送っていたはずだった。

なんという家族か。

死ぬほどの苦しみの中、
必死に俺を見つめ細い声で鳴いていた。
忘れることなどできない。

人はなんと愚かか。
助けられてばかりだ。
犬は人を責めない。

だから俺はもう謝らない。

いつか俺がそっちへ行ったら目一杯、
精一杯、できる限りのことをしよう。
必ず。
今は母と一緒に過ごしていることだろう。
俺のことを忘れてやがったら、
思い出すまでずっとずっと遊んでやる。

それまでは先にそっちで楽しんどけバカヤロー。

改めてブログの特性を感じる。

小説 リーンの翼 完全版を予約するために、
ガンダムエースを買いに行く。

どうせまたついでにマンガを買ってしまうんだろうなぁ。

とこんな短いブログならTwitterでつぶやけばいいんだろうけど。

Twitterはイベント要素がないと楽しめないかもなぁ。
燃えるようにつぶやく日があるかと思えば、
まったくつぶやく気がおきない日もある。

出来事を書くだけじゃつまらないし。

あとは自分独自の発信力を見つけるかだよなぁ。
営業的になるのも嫌だ。
どうせなら文化的に楽しめるようにツールは使いたいよね。

そういう意味じゃやっぱ俺にはブログが合ってるわ。

カテゴリのおかげで、色んな事ができる。
伝播力や時間共有力ではTwitterには負けるけどね。
閉鎖的な性質を持ってるんだわなぁブログって。

神々の嘆きなど人々の嘆きに比べればどれほどのものか!

通りすぎる時の渦をかき混ぜては響く
その叫びごえ
神々の嘆き

ふざけるな

この世界を保つのは
培った茂みだ。

愚かだった
確かに

しかしきさまらは、愚かではないのか?
いまさら何を言う

クソの様な知恵など
我々は狂いながら育ててきた
この痛みが分かるか

貴様ら程度の知恵ごときで
馬鹿にするな

この苦しみを
悲しみに幸せに
笑いに育て上げたのは誰だ

失うことの痛みを
得られることの喜びを
噛み締めさせる為の地獄だ

そこを実らせたのは
確かに僕らの心だ

すべてを包める
限りない宇宙だ
カラのなかの無限だ

またもや大地震警報?

驚異的な的中率を誇る「小林朝夫のサンバルカンな夜」さんで、
再び大地震警報が発令されています。
機を同じくしてHAARPの波形が振れてます。

小林朝夫さんのブログ情報では72時間、
つまり3日以内に大きな地震が来る可能性を指摘されています。
関東・東海地方の人のみならず、
防寒具、緊急時の食料などは確保して置いて損はないかと思われます。
なるべく万一の時に備えて退路の確認はしておいて下さい。

奈良在住の俺ですら、時々微弱な振動を感じることがあります。
実際に地震があったかどうかは分かりませんけどね。
家がボロいので風で揺れただけってことも全然ありえますから。

地震のことを気にしすぎて何も手につかなくなるのは問題です。
ですが警戒するにこしたことはありません。

特に俺には大切な友人が東京にいるので、
なんとか気をつけて欲しいと思います。
それに今もし彼に居なくなられたら仕事が立ち行かなくなってしまいますし。
まあそれは付随的なことで、
本当に古い俺にとっての大切な友人なので何も起こらないことを願っています。

「ありえない」と言うことは簡単です。
ですが何かが起こってからでは遅い。
準備しておいて何も無かったら、
不安を煽った人間を罵ればいいのです。
俺もその程度の罵倒であれば甘んじて受けますので。
警戒するに越したことはありません。

とにかく地震に関しては杞憂に終わることを願っています。

追記:(1/4 10:15)
南太平洋で強い地震…M7・2とのこと。
人的被害が出ているのかどうかはわかりませんが、
HAARPの揺れの結果がこの地震で、
もし人的被害が出ていないのであれば一安心だが。

それにしてもまたニューギニアの近くなんですね。
あのあたりのプレートと
日本のプレートが連動して活動を開始しなければいいのですが。
HAARPなど関係なくとにかく地震活動が活発なだけかもしれない。
そうなると今後もまだ少し油断はできないかもしれない。
太平洋側に面した海沿いの街は警戒を怠らぬように。

音楽

俺が今の音楽業界に対して言いたいこと、
他の多くの表現者たちに言いたいこと。

そのほとんどを平沢師匠が代弁してくれていた。

ソロデビュー20周年記念・平沢進ロングインタビュー【前編】
ソロデビュー20周年記念・平沢進ロングインタビュー【後編】

これから俺がどのような音楽活動をしていくかは、
俺自身が試行錯誤をしながら独自に構築するしかない。
既存の音楽業界という所に飛び込む意味性について、
俺はかなり昔から懐疑的だった。

もちろん商業主義的な中ででも
意味のある音楽を成立させている人たちへの尊敬の念は絶えない。
それはスタンスやベクトルが違うだけということだと認識している。

俺のやっている音楽の性質は、
恐らく今の商業音楽の中では何の意味もないものになってしまう。

聴いてくれる人との相補的な関係性がないと俺の音楽は成立しえない。
だって分かりにくいし不親切だもん。俺の音楽。
だから結果として評価や金銭を得られればそれでいい。

といって自分がプロフェッショナルにならなくていいとは思えない。
やるならば突き詰めたい、それが人情ってもんだ。
それに分かりにくくて不親切なものばかり創るつもりだってない。
自然に出てきたものが今のところ結果的に分かりにくくて不親切だっただけ。

多くの人に評価されなくてもいいと思いながら、
物を創るくらいなら知人に披露する程度でやめておくべきだ。

人前に立ち。
もしくはネットで自分の恥(プライド)を晒すのには、
評価を求める俗的な自分の存在があることを俺は知っている。

だが、評価される為に音楽をつくるなんてことは俺にはできないんだ。

音楽は俺にとって俺を知るための術であり、
他者や世界とのコミュニケーションの手段なのだ。

だから何事もすぐ飽きてやめてしまう俺でも続けてこられた。

平沢師匠に前に習えをするのではなく、
自分が切り拓くべき道を見いださねば、そこから先はない。
その為に必要な素材を自分で見つけ出し、
どのように展開させるのかを考えなくてはならない。

もうすぐニューヨークでの生活を終え帰ってくる同胞へ。
俺は今回のことでお前から教わったことが山ほどある。
もっと先へ進みたいと思わせてくれたのは間違いなくお前のおかげだ。

ありがとう。

新年一発目の新曲

よし。
新曲ができた。
仮題は「クロスタイム」

少し新しい世界が見えた気がする。

創り始めていた時に考えていた物とは
少し違うものになってしまったけど。

音が求めたから出てきた言葉に従う。
言葉が求める音に従う。
俺はそうしてきたから、たぶんそれでいい。
不要な自意識は音と言葉を濁らせる。

出てくる言葉は普段の無意識と自意識の狭間からのもの。
そしてそれはたぶん世界からのもの。

新曲ができたばっかりの時って、
やっぱりその曲に愛着を持つから凄く好きになる。
だからまだ完成じゃない。

少し時間を置いてまた聴いて。
ダメなものはダメだと判断を下さなくちゃならない。
ダメってことは自分がダメだったってことだ。
創るっていうのは自分を知るための作業なんだろうと思う。
これから少しずつ少しずつイメージとすりあわせていく。

次にやるライブでこの曲ができたらいいなぁ。
できるように頑張ろう。
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