fc2ブログ

よいお年を。

もう奥井さんの年越しイベントがはじまるので手短に。

みなさま、よいお年を。
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記事数快挙

今月はよく記事を書いたなーと思って、
月ごとの記事数を見てたらこれまでの最高が2006年6月の74でした。

そして。
今月はひとつ前の記事でなんと74に到達していた為、
ブログ始まって以来の量の記事を書いた月となりました!
ワーパチパチイエーイパチパチ。

その甲斐があったのか、
FC2の管理画面から行けるランキングっていう所を見てみたら
231位 (昨日:226位) / 192484人中
というランクに認定して頂いてました。
いや、どういう計算なのかはわからないんですがw

ブログのジャンルは「その他」っていう所に登録してるんですが、
ジャンル別では、
41位 (昨日:44位) / 16007人中
という位置づけに我がブログがいるようです。
ありがたいです。

初めてランキングってのを確認したんですが
この意見が何か見当違いだったら恥ずかしい。

アクセス数とかなんだろうか。
アクセス数自体はそんなに多くないと思うんだけど。
でも最近は拍手をくれる人が増えた。
何気にこれが一番嬉しい。
gooブログの頃とはやり甲斐がまるで違います。

2008年の2月14日にFC2ブログに引越してきたので、
引越しからは約二年弱です。

やっぱり継続は力なんだろうなと思えるようになりました。
ランキングを目標にしてブログをやっている訳ではないので、
これからも好き勝手に書きまくらせて頂きますが。

来年以降も何卒よろしくお願いいたします。

まだ今日もう一回くらい更新するかも分かりませんが。
大晦日に誰からもお誘いがかからない。
それが俺・ブランドー。
そこにシビれろ、あこれろォ!
無理無理無理無理無理無理無理無理ィ!!!

奥井亜紀の手紙 年越し増刊号!

今日はガキの使いは録画して、
年越しイベントは奥井亜紀さんの方に参加するぞーー!

開催先は「奥井亜紀の手紙 年越し増刊号」です!

22時30分ごろ~01時00分ごろまでの予定のようです。

奥井亜紀さんが好きな方で時間のある方はぜひどうぞ!
ネット環境が整ってれば動画配信とかも見れるようですよ♪

おたよりも募集されてます!

2009 ワタクシ的ニュース
俺個人では今年の印象的な出来事は
人生初ライブが一番大きな出来事だったな。
そんな感じのおたよりおくっておきました。

来年はもっと積極的にライブとかできたらいいなと思います。
バンド形式でもライブできるように継続して動いてます!

2010「今年こそは」宣言
これに関しては基本的には
「やるべきことをやれる人間になる」ということなんですが、
抱負とはまたちょいと違うんですよね。
2010の抱負に関しては1月中にじっくり考えたいなと思います。
こっちはまだおたよりおくれておらず。

大晦日だよトラえもん!-未来世紀目指してさぁ出かけるんだ-

さて丑年も今日で最後であります。
いわゆる大晦日って奴ですね。

今日は信じられない寒さと突風によるすきま風で、
屋内で電気毛布を被っていても寒すぎて目が覚める。

クライメートゲート事件なんてもんもありましたが。
地球温暖化という言葉が最初から、
ただのビジネスの為の言葉だろうというのは分かっていました。
CO2犯人説の説得力を証明する為のデータが少なすぎましたし、
なにより排出権取引なんてものを当たり前のような顔をして主張する奴ら。

それじゃ主体はCO2じゃなくて
「お金を好きなように動かす事」ってのがバレバレでしたね。

いくらなんでもそれじゃ流石に民衆は騙せないだろうと思ってたら、
騙せなくても彼らにとっての民衆ってのはいないのと同じでしたw

まあ地球寒冷化や氷河期のようなものが到来するという情報に関しても、
今後の太陽活動次第としか言いようがない気がしますが。
逆に本当の温暖化が訪れることだってあります。
それはCO2が犯人ではないような気がするというだけで。

来年の干支は「寅だ 寅になるんだ」の寅年。タイガーマスク。
ということで新しいビジネスは空中殺法ビジネスなんて如何でしょうか。
「トラ・トラ・トラ」にかけて
アメリカあたりと空中殺法ビジネスを展開させる筋書きとかあるんじゃねーの。
鳩山「りめんばーぱーるはーばー!!」
オバマ「オマエ ガ イウ ノ カヨ!」

人を愛して人は心ひらき
傷ついて すきま風 知るだろう
いいさそれでも生きてさえいれば
いつか やさしさに めぐりあえる

(杉良太郎:すきま風)

すきま風よりも杉様の言葉が染み入る年の暮れで御座いますね。

某ネコ型ロボットのような存在は、
ついぞ未来から訪れることはなかった訳ですが。
未来から過去に来れるような技術力を持った奴らは、
普通に考えれば僕らに見えないように活動できるでしょうけどね。

あと未来になれば宇宙開発も進んでるだろうし、
どんな宇宙空間にでも住めたりとかするんでしょうかね。
最近は宇宙関連の情報が色々と出てきますね。

水星にUFOらしきものが見つかったり。
火星に人工建築物らしきものや水があるとか。
裏側を見せてくれない月にも水が見つかる。
エウロパにも氷と海。
40光年先のスーパーアースにも水と大気。

なんだか宇宙に生命がいても
全然おかしくないですよってなムードを盛り上げてくれますね。

俺の考えとしては、
時空往来技術を手にした瞬間からが到来未来だと思うんですよね。

それが高次へ至ることだとは思いませんが。
少なくとも俺個人としては低層四次元という概念は、
時間の流れが運動という制約によって一方向的であることを指していて、
四次元というのは時間の制約を受けない概念状態だろうと思っています。

ですので低層四次元のレプティリアンに憑依される云々というのや、
シュメール文明と密接な関係がある神アヌンナキが太陽系10番惑星、
通称「惑星ニビル」にいて五次元から
地球の低層四次元をコントロールしているというのは、
まず何を持って次元とするかによって認識が変わります。
まだ見てないですがキャメロンのアバターの「パンドラ」って星は、
「惑星ニビル」のことを匂わせているのかなぁ。

ただもし爬虫類人のようなものが存在して、
それが高次の世界(未来など)から来ているのだとすると、
俺は将来的に太陽活動が活発化して地球が熱くなりすぎた世界を想像する。
そうすっと人のエゴは遺伝子をいじくってでも、
自分たちを環境適応させるんじゃないかなとかね。
「いいさそれでも生きてさえいれば」ってことでしょうか。

未来には住めないから過去へ逃げ込む。
そんな世界がありえないとも言えない。

人が想像しうることは全て実現しうる。
それが世界の概念骨子だと思うのです。
想像や空想ってのは
すでに十分に五次元的な世界だと思いますね。

個人的には「情報」は運動の制約も時間の制約も受けないと考えるので、
次元とは別の概念として捉えています。
世界の次元認識の中には12次元+1高次元なんて考えかたもあるようですが、
情報は1高次元の方に属しますかね。
影響は互いに与え合うでしょうから隔絶されてはいません。

まあ次元の定義自体がまだ明確に一般化されていないので、
ここで次元の話をしても仕方ないんでしょうけどね。

さ、トンデモ系のカテゴリも作ったし。
これまでに書いた記事も整理してみるか。

追記:
そうそう、宇宙関連で言えば。
JAXAのH2Bロケットの信じられないほどスムーズな打ち上げとか、
少なすぎる開発費であれを作れる日本をもっと誇って良いよ。
日本の宇宙開発費はNASAの十分の一だっせ?
そりゃNASA関係者も絶賛しますよ。

ブロとも!

さて、色々な情報を集めているので、
トンデモ系や陰謀論的なサイトやブログにもよくお邪魔する。

その中でよく行くブログ「黄金の金玉を知らないか?」さんが、
キチガイ度が高い記事はブロとも限定で公開するという方法を取った。
興味があるので俺もブロとも申請をさせてもらったのだが、
逆に俺もブロとも限定の記事を書くこともできるのだということを知った訳だ。
それは案外おもしろいかもしれない。

どういう記事を書くかとかはまだ決めていないが、
俺もトンデモ系の記事や推論は「ブロとも」限定の記事にしようかな。
別にそっち系の記事だけじゃなく、
記事を限定公開できるシステムってのは案外おもしろい。

別に普段から表現に気を使っている訳じゃないけど、
色々と遊べるかもしれないし。

ってことで、別にまだ何をするって訳じゃないんですが、
FC2でブログやってる方で、
別にしてやってもいいよという方は「ブロとも」申請してみてくださいな。
左側の下にあるブロとも申請フォームから申請できます。
大抵は承認できると思いますので。
アダルト系や出会い系のブログはお断りさせてもらうかもしれませんが。

どうせやるなら何か面白い記事が書けたらいいなと思ってます。
それができたら普段からやってるでしょうけどね。

断絶と世界とボク、そしてここから

苦しみの中で笑う狂う
感性の法則に歪む慣性の法則
すすむべき道をもうすぐ満ちる月が照らす
俺のすすむべき道を決めるのか
したがうべきかあらがうべきか

夜空は辛辣に決断を見つめる

森羅万象プログラム
猛き勇気と怯える獣

鈴の音

目に焼き付けるように音を見る。

時ノ渦

梢のかんざし

それと夢

朗読の未来

重ね合う身体

静けさの中

命の言い訳に浸る

雲散霧消

「お客に『ミッキーマウスの存在』を信じさせるには?」

岡田斗司夫氏のブログのこの記事
「お客に『ミッキーマウスの存在』を信じさせるには?」

 前提条件は以下の三つ。
①トンチや「お笑い」は無し。
「ミッキーを信じないと殺す」と脅すとか、実現不可能な回答はなし。
②相談相手の利益優先。
この場合、ディズニー社に実現可能で、利益のある方法を考えること。
③制限時間は3時間。回答は2000文字以内。

 みなさんの答えはブログのコメント欄でも、自分のブログでもどちらでもご自由に。

追記:
みんなミッキー問題にチャレンジしてるなぁ。
僕と同じ制約でやりたい人はいるかな?
僕に与えられた制約は以下の二つだよ。

①2000文字以内、つまり1950文字~2000文字で書く。多くても少なくてもダメ。
この範囲内で「え?」「ふむふむ」「それで?」「なるほど!」
という起承転結を展開する。
②プレジデントという雑誌の購買層、つまり30代後半~50代の男性をターゲットに書く。
彼らが「この方法なら、ミッキーを信じる人が増えるだろう」と判断できる根拠と、
面白く読み進められる誘導ラインを作る。


というお題があったので俺も考えてみることにした。
以下はお題に対する俺なりの回答。
案外マジメに書いちゃったから的はずれなこと書いてたら恥ずかしいw
ま恥は書き捨てと言いますからね。(字が違う?しらねーよ。)
2000文字に抑えるのは難しかった。
気がついたら2500文字くらいになってて推敲に手間取った。
制限時間はこの前の記事を書いたのが2:06で、
それからネットサーフィンをして記事を見たのが2:30頃だったと思うので、
ギリギリ守れているとは思う。

いやー、やっぱり答えのない問題を考えるのは楽しいね。
まあ僕ディズニーランド行ったことないんですけどねw
Googleなんかで調べながら書いたんだが、
既にあるサービスを書いたりしてたら恥ずかしいぞ。
まあその辺はご愛嬌ということで。

-----回答は以下より-----

まず最初にミッキーマウスという存在は「実在」しません。
ですがミッキーマウスというキャラは現実に居ますよね?

夢を与えるということはそのキャラが現実世界に存在すると思わせること。
そうすれば実際にミッキーは存在することになります。
実在しなくとも存在させることは可能です。
それがキャラという物の強みです。

お客にミッキーの存在を信じさせる為には、
いくつかの方法があると思います。

一つ目はミッキーというキャラが動いているのを実際に見せること。
これは既にディズニーランドなどのテーマパークでも実践されていますよね。
ディズニーのテーマパークの鉄則として、
一人の人間が複数のミッキーを同時に目撃できることはありません。
これはミッキーという存在が「一人(一匹)」であることを象徴します。
そうした鉄則によって保たれるのはミッキーというキャラの半現実性です。
実在はしないが存在としてのルールが遵守される。

これによってテーマパークに訪れたお客は
ミッキーというキャラの存在を認めるでしょう。
認めるという行為に参加することで、
より一層テーマパークの楽しさを満喫できるからです。
ミッキーという存在は、
テーマパークと共存しているからこそ成立していると言えるでしょう。
ミッキーは信じた方が楽しめると思わせるのです。

しかし、テーマパークに訪れる機会を持てない人や、
訪れてもその楽しみ方に参加できない人々に対し、
ミッキーの存在を信じさせるには、
少し違ったアプローチがあっても良いでしょう。

ですがミッキーマウスの鉄則であるキャラの意義を失わせてはいけません。
それはミッキーマウスは象徴的な存在であるということです。
さらに「出会える」という希少性を損なわせることも厳禁。

例えばポンキッキのガチャピンのようなアプローチはどうでしょうか?
ガチャピンはメディアの向こうに存在するアクターです。
優れたキャラクターではありますが象徴的なキャラには成りえません。
ですからガチャピンのようにテレビで色んなスポーツにチャレンジさせたり、
ブログを開設させるといったことはさせるべきではありません。

ではどうすれば違う形でミッキーマウスの存在を信じさせられるでしょうか。
その二つ目。
まずはテーマパークに訪れる機会を持てない人へのアプローチ。

例えばミッキーを興味深く知ることができるイベントを開催する。
そんなイベントを行えば多くの人はミッキーマウスという存在を意識します。
当然イベント自体はお祭り感覚で商業的な出し物を多く用意します。
そこでミッキーという存在を認め積極的に参加すれば、
よりそのイベントを楽しむことが出来る事を促します。

しかしミッキーを本当にテーマパークの外に出してしまってはいけない。
そしてテーマパーク内で「出会う」という希少性も損なわせてはいけない。
イベントを通じて『ミッキーに会いたいからテーマパークに行きたい』
そう思わせることが重要です。

イベントではミッキーに関する魅力的な情報を教えるなど工夫を凝らす。
例えばミッキーと出会ったらミッキーがどんなことをしてくれるのかなど。
また、イベントに行った人しか貰えないような
ミッキーからのグリーティングカードを配布するなど。

そこで貰ったグリーティングカードをテーマパーク内でミッキーに見せれば
ミッキーが特別な形で反応を返してくれるようにする。
そうすればテーマパーク内でミッキーを探すという楽しさも倍増する。
ゆえに夢の国での滞在時間も長くさせることができるだろう。
当然、滞在時間が延びれば生まれる経済効果も変わる。

そうすることでミッキーマウスという存在の信憑性は増すのです。
「実在」していなくともテーマパークへ行けばミッキーには出会うことができるし、
自らが能動的に行ったことに対しての反応があることで、
ミッキーが生きている存在だという錯覚を与えることができる。

そして三つ目の方法。
テーマパークに訪れても上手く楽しみ方に参加できない人へのアプローチ。

これは非常に難しい。
なぜなら訪れた人がミッキーという存在を通して
夢の国を楽しめているか楽しめていないかを判断する方法はないので。
ですから逆転の発想で
ミッキーと一緒に楽しめる特別なアトラクションを用意します。

既に「ミッキーの家とミート・ミッキー」というアトラクションはあるが、
これはミッキーに会えるというアトラクションだ。

それを拡張してミッキーと一緒にミニーの家に遊びに行く日を作る。
普段は外出していて家に居ないミニーがその日に限っては、
ミッキーと一緒に遊びに来たお客をもてなしてくれる。
というイベントを月に一度程度開催するだけで、
ずいぶんと楽しみ方が変わってくるはずだ。

そうしてミッキーをアトラクションや
他のキャラとの相関関係で立体化させリアリティを持たせれば、
テーマパーク自体との親和性も保たれるし
ミッキーを信じる楽しみを実感させられるだろう。

日記(改)

ついったー風に、帰宅なう。

今日は忙しかったが充実した一日であった。
昼間に大学時代の友人が昨日購入した初期不良のHDDを交換に行く。
すぐに交換してくれたので助かった。

その後スタッフと一緒に年末会議。
短時間ではあったが内容の濃い発展的な会議ができた。

それから高校時代の同級生と忘年会。
みなさん恋愛のお話が大好きですこと。
全然恋愛してないから話にほとんどついていけず。
最近のタレントの誰それがカワイイやカッコイイという話題にも、
ほとんど名前がわからずに置いてけぼりw
まあそれでも久々に同級生の顔を見れて話ができるってのは嬉しいものだ。

さて明日は会社のスタッフと忘年会だ。
忘年会で年を忘れたことはないが、
そういう風に言うのでそういう風に言っている。

これから友人のHDDにOSをインストールしてみるか。
これで認識しなかったらもはや笑うしかない。

いやしかし、このクソ面白くもない記事をどうしてくれようか。
出来事にまみれると思考が浅くなっちゃっていけないやね。

あったことを伝えるだけだと本当に味気ない。
ちょっと味付けをして演出してみよう。

☆ ☆ ☆

ついったー風に、足の骨を折りながらも辛くも帰還なう。

今日の戦場は死体だらけだったが充実した殺戮であった。
昼間に慰安婦が吸い残していった消化不良の性欲を強姦で処理。
すぐに強姦させてくれたので気持ちよかった。

その後スナッフフィルムを一緒に電撃撮影。
短時間ではあったが内容の濃い吐き気のするような殺人ができた。

それから高僧時代の同門と忘年会。
みなさん修行のお話が大好きですこと。
全然修行してないから話にはほとんどついていけず。
最近のお寺の誰それがカワイイやカッコイイという話題に、
生々しすぎて引いていると訳もわからぬ内に掘られまくりw
まあそれでも肛門に同門のイチモツを入れられて処理できるってのは嬉しいものだ。

・・・
・・・・
・・・・・

もはやこれは日記ではなくなってしまったのだった。

殴ってなぜ悪いか!

別にメッセンジャーの黒田氏の事だけではなく、
「暴力は無条件にいけない」という世論の流れが好きではない。
だからといって暴力を肯定する訳ではないが。

いざとなったら拳を振るわねばならない時もあると思う。
問題なのは「どうして暴力へ至ったのか」ではないだろうか。
暴力=悪という図式を警察組織が利用している可能性だってある。
ろくな調査もせずに逮捕して多くの冤罪の被害者を生むこともある。
さらに身内の犯罪に対しては非常に甘い体質を持っている。

特に近畿圏の一部の警察機構の腐敗は目に余るものがある。

通行人が黒田氏の暴行の場面を目撃したという情報にしても、
本当に無関係の通行人だったのか?と思ってしまう。

なぜなら俺は警察を信用することができないからだ。

ここからは知人の個人的なことになるので、
どこまで書いて良いのかはわからないし。
俺に伝わっている情報が
どれだけ正確なのかもわからないという前提で読んで欲しい。

先日、俺の古い知人が「駐車場内」で「ひき逃げ」されたそうだ。
幸い大事には至らなかったらしいが。

俺個人は人づてに聴いただけで
詳しくは知らないからなんとも言えないのだけど。

怪我は全治2週間から3週間程度だったよう。
仕事は一ヶ月の間休んだようだ。
もちろん病院の診断書はしっかりと残っているだろう。

その後、知人は自分の知り合いを通じてひき逃げ犯を見つけ出したらしい。

どうやらその犯人というのが、
その被害者である俺の知人の元彼女の友人だったらしく
(恐らくそこから見つけ出したのだろう。)
知人はその元彼女を通じて犯人に対して
「もし自首するのであれば事を荒立てるつもりはない」
といった内容を伝えたらしい。

しかしそれを受けて犯人側が知人の元彼女に、
「お前から相手に許してもらえるように言って貰えないか?」
ということを言ったそうだ。
それが、どこまで本当かはわからないが、
もし本当にそんなことを言ったのだとしたら最低の人間だ。

そして、俺は知らなかったのだが、
公道ではなく駐車場内でのひき逃げは刑事事件にできないそうで、
知人は不本意ながらも
相手側との話し合いの末に示談で済ませることにしたそうだ。
しかしそこで相手側は「20万円で示談にして欲しい」と要求したらしい。

ちょっと待ってくれ。

この問題は「ひき逃げ」なのだ。
「人身事故」ではない。犯人は被害者を置いて逃げているのだ。
幸い大事に至らなかったから良かったものの、
もしかすれば死に至る場合だって考えられる。
相手側のその提示額からは無関係の俺ですら誠意を感じることはできない。

知人は当然その相手側の誠意のない姿勢に納得できず、
「ならば裁判にしましょう」ということで相手を告訴することを決意。

そして警察にその事件について説明し、
告訴する為の書類を提出したらしい。

しかし、それからしばらく経っても音沙汰がなく不審に思い、
警察を訪ねてみたところ
警察からは「そんな報告は上がっていない」と言われたそうだ。

さらに裁判は事件から一ヶ月半以上経過すると
立件できないという風なことを言われたらしい。

だが俺が調べてみた所、
告訴状の受付期間は事件発生から2年という情報を見た。
告訴された件に関しては警察には捜査義務がある。

もしそれが警察から言われたことなのだとすれば、
被害者に対して虚偽の情報を伝えたことになる。

さらにここからが大問題で。
そのひき逃げ犯というのが、
どうやら警察関係者の息子だったらしいのだ。

どこまでが本当の情報なのかはわからない。

俺の知人があえて事件を大きくしようとしている可能性も捨てきれない。
だが。
警察が捜査義務を放棄し、
被害者に対して虚偽の情報を伝えたのだとし、
あまつさえ加害者が警察関係者の息子であるのだとするのなら。

俺はこれを許すつもりはない。

ふざけるな。
何が法治国家だ。

大体、公道でない場所でのひき逃げが
刑事事件にできない法というのは一体どういう意図だ?

民間人をバカにするなよ。
おまえらがやっているのは人殺しを擁護しているのと一緒のことだ!
それが犯罪者を取り締まる組織?

笑わせるな。
絶対に許すものか。

もし俺の知人がウソをついていたのだとしたら、
俺はその知人をボコボコに殴ることだろう。
全治二週間や三週間では済ませるつもりはない。
もう宣言しておく。
それで俺が逮捕されようが構うものか。
俺は人間だ。
俺の人間としての筋を通すことができるなら、
暴力も時には必要だ。

そして犯人のやったことが事実なら、
今後まともな社会生活など絶対におくらせるものか。

その親が自分の権力を使い事件を封殺しようとしているのだとすれば、
俺は日本の警察組織を絶対に許さない。

人の命をなんだと思っている。
同じ目にあわせてやる。
罪を犯したものを取り締まるのが警察だ。

その矜持すら失った警察組織など消えてしまって構わない。
もし人の命を奪う可能性があった人間を
かばうような体質を持った組織が警察なのだとしたら。

俺は俺の人間を保つために、あらゆる手段で戦う。

あくまでも人から聞いた話なので、
どこまでが真実であるかというのはわからない。
しかしどちらにせよ不自然な事が起こっているのは間違いないのだ。

どちらかが。
もしくは俺に情報を伝えた人間がウソをついている。
筋を通していない。
人としての。立場としての。
そんな奴らを殴ってやることの何がいけないのだ。

二度とそんなことをさせないように殴ってやれ。
修正してやるさ。
救いようのないクズめ。
死ねボケが。

どちらにせよ警察の対応はあからさまに不自然だ。
そういう組織が警察であるということを頭に入れて置いて欲しい。

だから俺は警察を信じるなんてことはできない。

マルドゥクのような国

そういえば昨日のことだ。
MSNメッセンジャーに知らない人から承認申請があったので承認してみた。

するとどうやら恐らく中国の方だったらしく、
つたないながらも日本語で文字を打ち
日本に勉強しに来ていると言っていた。
恐らくWindows Liveの方に登録していたので
このブログからではなくそちらから見つけたのだろう。

結婚しているかとか。
どんな顔か知りたいとかを聞いていたので、
恐らく恋愛願望があるのだろうなぁ。

そういう積極さって日本人にはない所だと思うので関心。
俺は自分から能動的に他者とコミュニケーションするのが苦手だ。
それはなるべく解消していきたいとは思っているんですがね。

島国の民ですし外国のことを「海外」と呼ぶくらいですから、
ローカルで閉じた精神性ってのは国民性なのかなと思ってしまいます。

だからブログやプロフサイトやSNSのような、
個人のスペースが拡大するような媒体が好まれるんでしょうね。
他者とコミュニケートする前に、
まず自分のことを知って欲しいという気持ちが強い。
隔絶されていたくはないが、
一定の距離感を置きたいというのはあるだろう。

恐らく日本以外の国の人というのは、
まずコミュニケートとは自らを主張するものだと認識しているはず。
だから問い自体が自分の主張にもなっている。

しかし日本人の多くは少し内向的な主張体質を持っていると思う。

まあこの辺りの考察は俺を基準に物事を考えているので、
まったく的外れだってこともありえますがね。

インターネット社会のグローバル化が何を生むか?
それは人間関係のローカル化だと俺は認識している。
現実世界のローカル感がネットという仮想空間にも転移される。
「2ちゃんねる」などのような特殊なローカル感も生まれたりする。

当然、流通や経済にも大きな変化を生むだろうが、
人と人との関係というのは、
それぞれのローカルな価値観を尊重しあうことでしか成り立たない。
そこから新たなローカルな価値観が生じていくのだ。

フランスのコミックはバンドデシネというアート系が主流だったが、
現在では日本のマンガスタイルのものを描く人も増えているようだ。
これはフランスのみならず他の多くの国でも見られる現象だろう。

なぜグローバル化によって日本の文化(サブカルチャー)が
こうも世界的に受け入れられるようになったのか。

それは日本が多くの世界の文化を取り入れながら、
無国籍的な発展を遂げてきたからだろう。
日本のことを閉じた国だと言う人もいるが実はそうではないはずだ。
閉じた国ならば世界の文化を学ぶことはしない。
しかし多くの日本人は過度な干渉を嫌うのだ。

そこが日本という国のイメージをややこしくしている原因かもしれないな。

セイメイ

言枯れの森

散り染まる紅き言の枯れ葉を歩く

根を張る大樹に寄り添って

夜空の星に名をつける

言祝ぎの大地

名を呼ぶために

空の重さを知るために

言の葉舞い散る星座の大地

朦朧の繭

どうも風邪をひいたようだ。

熱で朦朧とすると世界との位相がズレる。

見えるものが変化する。

ここから何かを見つける。

そうやって生きていくんだわ。

最近読んだマンガ2009年12月

毎月ごとに読んだ漫画の感想を書いていこうとしていたが、
8月くらいから感想を全然書けていない。
理由は読書量が異様に増えたので。
なので、これからは5作ごとで感想を書いていくことにする。
読んだ順番は気にせず、感想を書きたいものから書いていきます。

でも結局5作ごとにしてもムチャクチャ長文になってしまった…
もっと短く的確に感想を書けるようにならねばなぁ。

目次
・COPPELION 1~5 / 井上智徳
・エマ 全10巻 & シャーリー / 森薫
・ジョーダンじゃないよ! 全11巻 / 斉藤むねお
・砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上下巻 / 桜庭一樹×杉基イクラ
・ベルセルク 34 / 三浦建太郎

・COPPERLION 1~5 / 井上智徳
技巧派系な絵が特徴的。
大友克洋や鳥山明の影響だろうか。
技巧派系の漫画家さんから多くを学んでいる感じ。

そのくせ主要キャラの顔の造作は何故かロクニシコージを感じる。
ヤンマガつながりで作者の趣味なのかもしれない。

スタイルとしてはコマの枠線を紙面のギリギリまで取っていて、
しかし絵自体がコマの枠からハミ出すことはほとんどない。
ページ数が打てないほどに枠線をギリギリまで取るのに、
枠線から絵をハミ出させないという手法には意図があるだろう。
基本的には変則的なコマ割りをまったく使わずに、
先祖がえりのようなシンプルなコマ構成で読み易い。
しかしそれでも通常よりも広くコマを作っているためか、
案外独特な感覚で読むことができる。

読んでいて感じるのはマンガよりもアニメ的な印象が強いこと。
これは大友系の絵の人には全て言えるかもしれないが、
止まっている絵なのに動いている柔らかさがある。
この辺りが巧いなあと思わせる所。
作品としても引き込み方や引っ張り方が的確な感じ。
逆にいうと教則本のようで魅力に欠けるとも言える。
ストーリーは今のところ特別に面白いとは感じないが、
今後の展開次第といった所だろうか。


・エマ 全10巻 & シャーリー / 森薫
想像していた以上の作品だった。
とにかくキャラクターを立てるのが上手い。
英国が舞台でメイドと貴族の身分違いの恋を描いた作品。
という説明だけだと日本の古典作品のような印象になるかもしれないが、
古典的な構造というのは概念的骨子を持っているという事でもある。

メインのストーリーと平行しつつ、
色んなキャラクターを登場させて物語を賑やかにさせている。

絵に出来る部分の話でいうと、
絵にしなければならないものは絢爛豪華で緻密な描写が求められる。
しかも森薫さんはほとんどアシさんに頼らないよう心がけているそう。
壮絶だ。
さらに絵に出来ない要素でいうと、
時代的な気分や土地柄的な雰囲気を紙面に定着させる為に、
ありとあらゆる要素でアプローチしてくる。

一応本編のストーリーは8巻で終わっていて、残りは外伝。
外伝で2冊描けるのも相当凄いが、
それを許す編集もかなりアグレッシブな気がする。
またこの外伝が良い出来でビックリするし、何より満足するんだなぁ。
シャーリーもエマと同じ感覚で楽しめる良作。
「乙嫁語り」についてはまた別の機会にでも。


・ジョーダンじゃないよ! 全11巻 / 斉藤むねお
スラムダンクを筆頭に当時のバスケ漫画は枚挙にいとまがないが、
この「ジョーダンじゃないよ!」という作品は案外に知られていない気がする。
当然他のバスケット漫画からの影響は随所に見受けられる。

少年スポーツ漫画の王道のようなストーリーで、
ストーリー展開の無理矢理さまで含めて面白い漫画だよなと。

チビがバスケをやる。
それは「高さ」が重要な要素となるバスケという競技に対する、
日本人の気概の象徴のようなものだろう。
そこで「無垢」で「実直」で「諦めない」主人公の成長過程を描くというのは、
今日まで続く日本の少年漫画の課題のようなものではないだろうか。
同じようなテーマのバスケ漫画は他にもあるんだけどね。

だが無垢なだけの主人公では人間的な成長を描くのは難しい。
その為、主人公以外にも多くのキャラクターを登場させ、
それらのキャラクターにドラマを設定して
キャラクター同士の交わりあいによって相関的に人間関係が発展していく。
互いが足りない要素を補い合いながら成長していく。

その過程が実はものすごく丁寧に描かれていて、
バスケット漫画というジャンルと少年漫画の成長課題を、
どれだけ上手く融合させストーリーを展開させるか。
そこにいかに注力しているのかが今になって読み返すと分かる。
絵も丁寧で上手いもんなのだ。
この丁寧さがサンデー漫画の凄さだろうな。


・砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上下巻 / 桜庭一樹×杉基イクラ
表紙の絵とタイトルに惹かれて買ったのだが期待以上の出来。
最後は泣いてしまった。
原作も素晴らしいのだろうが、
この作品はマンガとしても十分に優れている。
コマ構成や枠線の太さを変えたり、
多くの手法や技法を使ってドラマを演出していく。
視覚的な情報とテキストが与える情報。
それらをバランス良く積み上げていく。
最後まで読めば、タイトル自体がとてもよく出来た
象徴的なテキストになっていることが分かる。

この作品を言葉で語るのはあまり良くない。
だが人を選ぶかもしれないな、とも思う訳だ。
だから推薦する前にこの作品がどういうものかを簡単に。

少なくともハッピーエンドではないだろうと思う。
そう解釈する人もいるかもしれないが、
一般的にこのマンガのラストをハッピーだとは言わないと思う。
取り上げている題材も、
人にとっては生々しすぎて見れない場合もあるかもしれない。

しかし、それくらい生々しいからこそドラマに切迫感が出る。
嫌なことが起こっている時は
嫌な雰囲気が自分の周囲に漂うものだが。
その雰囲気を紙面に定着させるってのはとても演出力のいることだ。
だからこそ日常の中に落ちている小さな喜びの尊さも描くことが出来て、
その距離感こそが落差による感動の肝に成り得るんだと分かった。
良いマンガと出会いました。


・ベルセルク 34 / 三浦建太郎
まず言わなければならない。
これが550円程度で買える日本は本当に凄い国だ。

とにかく絵の面だけでも十分に絵画的な価値があるし、
ここまでの遠大な構成の結実と繊細な演出力もすべての水準が凄まじい。
こんなものを550円程度で流通させられるのは、
日本の漫画のレベルと読者のリテラシーが高いからだ。
これは誇ってもいい。

以下はちょいとネタバレになってしまいます。
今のベルセルクに対して「こんなものを求めていない」
という意見もAmazonのレビューなんかでは見られる。
(まあAmazonのレビューは的外れなことも多い訳だがw)
しかし少なくとも三浦建太郎は、
この今のベルセルクを書くために34巻を費やしたのだ。
ということは間違いなく言えると思う。

34巻にしてようやくもう一人の主人公グリフィスの物語に至る。
グリフィスが何を望み何を失い、これから何を手にして行くのか。
これまでグリフィスの内面描写はなるべく徹底してされてこなかった。

そのグリフィスが、逆光というエピソードで、
ゴッドハンドのフェムトの姿に戻り、
ガニシュカに世界の真理を語る場面がある。
ここはかなり貴重なシーンだ。
人によっては語らせすぎだと思う人もいるかもしれない。

そこに髑髏の騎士が呼び水の剣で奇襲をしかけに来る。
「待っていた」とグリフィスが言う。久々の感情の吐露だ。
この時に驚いているのが髑髏の騎士だけではなく、
ゾッドもであるということに注目して欲しい。
あまり語ると無粋になるのでやめておくが、
ここはいかにもグリフィスらしいなと思わせる場面だった。

それがこれからガッツの物語と切り離せないほどにドロドロに融け合う。
作品世界の現実の半身とされた
人のイメージの世界が、その半身である現実と完全に混ざり合って
どうしようもなくなってしまったのと同じように

その為にはガニシュカのような特殊な存在が必要不可欠であったし、
さらにガニシュカのキャラを立てる為にクシャーンという大国が必要であった。
伏線はバーキラカのシラットが登場した時から既にあったのだ。
それはつまりグリフィス救出作戦前から、
大筋としては現在までのエピソードが見えていたということだ。
本当に気が遠くなるほどの遠大な構成力だ。

スピードが命の少年漫画ならば、
もっと一足飛びにしかも分かりやすくそれを描いてしまうだろう。
というよりもそう描かなくてはならない。
しかし、ベルセルクにはこれだけの長さが必要なのだ。

34巻の最後の幻造世界というエピソードに到るまでの過程は、
本当に34巻必要だったのだ。
言葉によってではなく緻密な構成と演出によって語る。

デビルマンの不動明と飛鳥了の関係と、
ガッツとグリフィスの関係の類似については今さら語る必要もないだろう。
だから34巻での開闢というエピソードの月面までの引きの絵を見た時、
俺はデビルマンのラストを彷彿とさせられた訳だよ。
意味合いは違うしガッツはまだ生きているけど。

髑髏の騎士の呼び水の剣によって世界に亀裂が入り、
それをグリフィスに利用され開闢がもたらされ、
幻造世界が顕現することになった。

ガッツたちが船で移動している時に、
グリフィスのエピソードを前に進める。
それがこれからガッツの辿るエピソードと深刻な交錯をすることになるはずだ。

ベルセルクは本当に面白い。

呼ぶ

今日は古い友人たちと集まってクリスマス会だった。

やっぱそれぞれ歳をとっても昔の性格の延長線上にいるよなぁと感慨に浸る。
みんな自分に嘘をつかず自然な生き方をしている。
嬉しい。
そりゃそれぞれに苦しいことや面倒なことはあるだろうけど、
みんなが集まって楽しく話を出来る関係が今でも続いてることを喜びたい。

居心地の良さを与えてもらえる場所だ。

不覚にも泣きそうになる。
優しさや暖かさってのは伝播するから。
凄くありがたい。

ずっと一緒にいるから仲が良いとか、そういうことではなくて。
それぞれが、それぞれの個性を認め合える関係というのは素晴らしい。
俺もその中に居られるんだと思うとむず痒いものがある。

昔の自分の愚かさを知っているだけに、
その頃からの付き合いを続けてくれていることが本当にありがたい。
こういう風に書くと今の自分は愚かじゃないみたいだけど、
昔は本当にもっと愚かだったもんですから。
今だってもちろん人並みに愚かです。

約束された人間関係などというものはない。
人は簡単に自分と無関係な人の事を忘れてしまえるし。
忘れてしまったら、もう思い出そうとすることすらないだろう。
長く続いているからといって、
その人間関係が当然のものだなどとは思えないし思いたくもない。

家族という当たり前のようなものですら、
その関係が良好に保たれていくのは難しい。

子供の頃は理由もなく当然だと信じられてしまっていた。
その関係に甘えてしまったし、
その関係を疎ましいと思ったことすらあった。
人間関係ってそういうもんなんだ。

だから名前を呼んでもらえるだけで嬉しいし、
相手の名前を呼ぶことだけでも嬉しい。

そこから与えて貰った暖かさを、
ほんの少しだけでも返せる人間でありたい。
傲慢かなぁ。

いよいよ明日

今日はようやく着手していたネットアプリケーションのβ版のテストを行いました。
なかなかに面白い手応えが得られたかと思います。

あとは明日以降に宣伝をかましていきたいと思います。

今後もどんどん拡張していきたいと思っています。
まずは新たなインターネット世界の到来を期待して頂ければと思います。

とうぜん利用にはお金は必要ありませんのでご心配なく。

このブログでは限定的に紹介させて頂くことにします。

好き放題書いてるブログなので、
俺の記事で他のスタッフに迷惑をかけたりすることにはなりたくないので。

かといって迂闊な記事や、
自分の本音を書けなくなるようなブログは続ける意義もないですし。

上手くバランスをとってやっていければと思っております。

ではでは。

外国人住民基本法

俺は人種差別はしないし、
不必要に嫌韓したり中国を敵視したりはしない。
戦争を正しいどうこうで語る奴らのことは大嫌いだが。

そして無駄に自分たちを蔑む日本人も大嫌いだ。
悪い部分を認めるのは大切なことだが、
自分の国を愛せない人間は他の国のことも愛することはできないだろう。
好きだと言うことは、無条件に全てを認めるということではない。
好きだからこそ良くしたいと思う。
ムカツクことも多い。
それがエゴだとしても
国家のエゴと国民のエゴをぶつけあわねば国ではない。

外国人住民基本法という法案。
これは厄介そうだ。
詳しく知りたい人は検索したりして自分で情報を獲得して欲しい。

自分の国のことであり、
自分の未来のことだから。

世界の中心

なんだろう。
うつ状態から開放されてきたのを
日々の暮らしの中で少しずつ実感していく。

ほんとうに少しずつだけど人間に近づいているような気がする。
ふとした瞬間に泣きそうになる。

誰に否定された訳でもないのに
自分と世界をつなぐ扉を閉ざして。

誰に肯定された訳でもないのに
自分と世界はつながっているのだと気付いたりして。

結局は自分次第。
いつまた意味もなく心の有様で世界が歪んでしまうとも知れない。
けれど、以前よりは少しだけ前に進めたような気がする。

心ってやつは本当に厄介だ。

じっくりと、中心を見据える。

漫画の電子化

ううううううう。
漫画が増えすぎて困る。
しかし捨てるなんて愚かなことはできない。
売るといっても愛着のある漫画が安い値段で買い叩かれてしまうのも嫌だし、
売ってから、もう一度見たくなって再び購入する、
などというアホ極まりないこともしたくはない。

ということで所有している漫画の電子化について、
そろそろ真剣に考えなくてはならなくなってきた。
今後はスマートフォンやネットブックなど、
携帯に便利でしかも高解像度の端末が台頭してくるだろうし。
電子書籍リーダーも消費者が求めるレベルのものが登場する可能性もある。

だがしかし。
漫画を電子化するためには、
漫画を断裁しスキャンしなくてはならない。
これにはかなり勇気がいる。

しかも俺の持っているスキャナはプリンタとの複合機で、
漫画を断裁したとしても連続でスキャンしていってはくれない。

必要なものは断裁機PK-513
連続スキャンしてくれるScanSnap

どう考えても7万弱はかかる。。。

しかし空間を確保できるという意味では、
7万という出費はそれほど高い買い物ではない。
いや高いんだけど…
高い上に大切な本が
二度と本としては読めなくなるという喪失感も伴なうんだけど。

でも売ったり捨てるよりは、
自分にとっては意義深いことではある。

だけど漫画なら他人に貸してもOKだけど、
データ化してそれを他人にあげちゃうと違法になるからねぇ。
この本おもしろいよ、と他人と面白さを共有する楽しみまで含めて本だろう。

それに漫画はやっぱり手元で読みたいんだよなぁ。
パソコンのモニターでネット漫画とか読んでても、
どうにも本と同じだけの没入感は得られない。

紙とインクだけの陰影の世界へ吸い込まれて行く。
本を開いた瞬間に湧き上がる紙の芳香。
ページをめくる音。
本ごとに異なる装丁の手触り。
読書は五感のほとんどに訴えかけてくる。
本物とはよく言ったものだ。
本はやはり本物の方がいい。
その読書によるトリップ感は他の追随を許さない。

やはり電子化は最終手段だ。
まだ今はその時ではない。
しかし念頭には置いておくとしよう。

ちなみに漫画の電子化にあたって参考にさせて頂いたのは、
ブルータス、おまえモカ」さんの[漫画電子化計画]という記事です。
非常に丁寧にわかりやすく解説してくれています。


新居昭乃 ソラノスフィア ライブDVD感想

ソラノスフィアは大阪のライブの時にも行かせて貰ったんですが、
なんど見ても神がかっている音像世界とアンサンブル、そして舞台演出。

カメラが入っていることもあって、
大阪公演の時より新居昭乃さんが緊張しているのが見て取れた。
2曲目くらいまでは、バンドそれぞれの呼吸が若干乱れるものの、
3曲目のターミナルからはもう新居昭乃の世界に連れて行かれる。

そりゃASA-CHANGのドラムはちょっと主張が強すぎる所もあるが、
中盤からはしっかりバンド全体のアンサンブルに合わせた
演奏になっていくのは流石プロといった所。

ベースの渡辺等さんがライブ全体を支配していると言っても過言ではないだろう。

個人的なベストアクトは「ノルブリンカ」「Lhasa」「降るプラチナ」です。
CDで聴くよりもライブということで音への集中力が研ぎ澄まされ、
さらに舞台演出が本当に見事すぎるくらいに決まっている。
「印象」もかなりヤバかったなぁ。
渡辺さんと新居さんの二人だけの「Adesso e Fortuna」もエグかった。
大阪の時は割れるような拍手喝采だったw

YAYOI嬢参加の「Haleakala」も大阪では見られなかったので貴重だった。
声量に差がありすぎてYAYOI嬢がだんだんとボリューム調節していくあたりが面白かったw

ライブ自体を作品として成立させるのだという意思が感じられる。

ソラノスフィアを彷彿とさせる円形のスクリーンと、
舞台前面の薄い膜に映像を映し出し、現実世界にレイヤー構造を顕現させる。
光と影、そして音と無音の相関関係が舞台音楽としての壮絶な親和性を演出する。

個々のプレイヤーの能力が高いだけでなく、
それぞれが新居昭乃の音楽世界への認識が深くないと成立しないライブだった。

これが一般流通せずにVHmartの通販でしか買えないというのが、
新居昭乃さんのシャイさゆえなんだろうなぁとw

映像と音楽、舞台演出など様々な手法をつかうことで、
新居昭乃の音楽は本来のその壮大な世界を表現させていける。
それは骨子として、
彼女の音楽内観のスケール感が他の多くの音楽とは一線を画しているということだろう。
このライブDVDがあれば、次に新居昭乃さんが関西まで来てくれるのを待てる。

奥井亜紀さんとまでは言わないけど、
ちょくちょく大阪に来て欲しいってのが本音ですけどねw

M-1 2009 王者と門出

正直に言う。
心情としては笑い飯に優勝してほしかった。

しかし2本のネタ両方の完成度ではやはりパンクブーブーに軍配があがる。
パンクブーブーはもともと好きだし、今回のネタもちゃんと面白かった。
おめでとうございます!

ナイツはもう1本ネタが見たかったなぁ。
ハライチも面白かった。
NON STYLEはスタンダードな漫才のレベルが上がっているが、
去年ほどの手数と爆発力はなかった。
しかし去年と同じタイプのネタで勝負しなかったことは評価したい。

それにしても1本目の笑い飯のネタは凄まじかった。
2本目も決して悪くはなかったが、
既に大勢の前でやったことのあるネタだったのと、
出来の良かった1本目と比べてしまうだけに少し厳しかった。

だが8年連続決勝出場という実績は尋常ではない。
それにお笑いはM-1だけが全てではない。

ようやく笑い飯はM-1という呪縛から解き放たれたのかもしれない。
これからの笑い飯の活躍に期待したい。

優勝したパンクブーブーより笑い飯主体の記事になってしまって申し訳ない。

パンクブーブーも本当に素晴らしかったと思います!
ありがとうございました。

M-1

さて。
今日はM-1だ。

個人的には今年こそは笑い飯の優勝を見てみたい。
ネタ順も笑い飯はかなりいい位置にいる。

だが他にどのコンビが来てもおかしくない。
ようやくM-1決勝に顔を見せたパンクブーブー。
再参戦に維持を見せた東京ダイナマイト、南海キャンディーズ、ハリセンボン。
M-1、キングオブコントの両方の決勝を経験しているモンスターエンジン。
ナイツはネタ順が難しい所だが、
キングオブコントのネタ順1番で優勝した東京03という例もある。
ハライチがどういうネタを見せるのかも気になる。
敗者復活には誰が上がってくるのか。

とはいえ去年頃から俺の中でM-1への熱が下がってきてしまっているのは事実。

それでもお笑いは大好きなのだ。
笑いという舞台で戦うことを決意した、
すべての芸人さんにエールを送りたい。

全力で楽しませて頂きます。

アセンション

どうもアセンション系の話題を取り上げているブログや
サイトなんかを見ていると虫酸が走ってくる。

それじゃ最後の審判や選民思想と変わらない。
信じるものは救われる、救われないものは仕方がないってか。
自分たちはより高次の世界へ行けますから。

俺はどちらかといえば選民思想の持ち主だと思う。
アホに殺されるような世の中はゴメンだし。
しかし自分自身も救いようのないアホだと知っている。

アセンションとやらが訪れて、
もしそれが人間の意識とは無縁のところで、
選民されるようなシステムなのだとしたら、
俺はこちらからそんなものは必要ないと宣言させてもらう。

ふざけるな。

それでアセンションにふさわしい民として選ばれたとして、
その後に人間としての何が残るというのか。
人間をやめてまで、
他の選ばれなかったものたちへの優越感を獲得して、
それに一体どれだけの価値があるというのか。

人として罪の多くを重ねてきた種族が、
アセンションによる救いにすがろうとする根性が気にくわない。

変化は確実に訪れるだろう。
感覚を研ぎ澄ましていれば、そんなことは当然に感じる。
だからその変化に対応する為の準備は必要だろう。
何事も懐疑し曲解し、
自らの中心と世界の相関関係を見つめておくのは重要なことだ。

しかし、それをしていたからといって、
アセンションによって救済がもたらされるというのは短絡的すぎる。

少なくとも自分ならば大丈夫だろうなどと、
タカをくくっているような奴らとの新世界ならば俺は要らない。

俺はそんな世界で生きるために両親から命を頂いた訳ではない。

神のような存在がいたとして、
それが人類を創造したのだとしても。
人の世を人が人らしく暮らせるようにしてきたのは、
人が人間として努力しつづけてきたからだろう。
それは神の力ではない。

当然その中には愚かな行為も山ほどあった。

そうした愚かさを全て忘れて、
自らをアセンションなどという言葉で世界の外へ逃そうとする。

まだ出来るコトがあるはずだ。
それをしていない人間に本当の意味での変化など訪れるはずもない。

自分以外の力に無意識的に救いを求めようとするのは愚か極まる。
それは自分の力だけで何かが出来ると思ってしまうのと同じくらいに愚かだ。

人は人間なのだ。
少なくともそうであろうとしてきたはずだ。
それを簡単にやめてしまえるのなら、
人は最初から人として産まれる必要などなかったではないか。
人間であることにプライドを持てたことはないが、
人間に産まれたことを悲観するつもりもない。

俺は神ではなく両親によって産み落とされた。
感情の多くを自分以外の様々によって教えて貰った。
人間とはそういう存在であるはずだ。

そして神とはただそこにあり、
希望や絶望を与えるような存在ではないはずなのだ。

エッグゲート



とくとくと脈打つ

生まれそうな命がノックする音



すこしずつ

その殻をやぶって光に満ちた場所を知る



いつまでも卵

ふさわしい場所などないけれど



産まれる前の胎動

こちらとそちらをつなぐ扉

闇に溶ける瞳

籠絡の都

浅はかな現実

乾く夢

うずまく二重螺旋

用意された未来

落とし穴

闇を注視せよ

ちらばってはじける

意識の拡散

抽象と捨象の狭間に揺れる花を見る

存在

深呼吸

新呼吸

深く潜る

新たに浮かぶ

泡沫の花びらが舞い散る

地震、十分な警戒が必要です。

地震がおこってしまった。
どうも地震自体にも不審な点が多いようだ。
震源が通常よりもかなり浅いそうですし。

COP15で首相が日本から離れているタイミングに合わせるかのようです。
日本はこういうタイミングで地震が来ること多いですね。
偶然なのか人災なのかはまだ測りかねます。

地震はこれで終わりなのか、それともさらに強烈になるのか。

とにかく関東、東海地方にお住まいの方々は、
万が一の時に備えて防寒対策と
避難時の食料の確保ぐらいはしておいても損はないかと。

久々にOf Montrealでもいかが?

今日は久々にOf Montrealを聴く。
サイケで心地よいぜぃ。
自分が好きになって聴き込んだアーティストは
人に勧められて聴くよりも深く好きになることが多いなぁ。
この辺は仕方ないことなのかもしれない。

でも2008年のアルバムは出来がイマイチだったと聴いて、
怖くてまだ聴けてない。

実際ちゃんとOf Montrealはカッコイイとは思うんだが、
そういえば周りにはほとんど勧めてないなぁと気付く。

おすすめの3曲くらいYoutubeの動画を貼っておくか。
気になったら買ってあげてくだしい。

なるべくOf Montrealの芸の幅を魅せられるような三曲にしますた。







待合室での暇つぶし

心療内科の順番待ちの間ヒマなので、
暇つぶしに以前ヴィレッジ・ヴァンガードで見つけた、
オノ・ナツメの別名義bassoのボーイズラブものを持って行きそうになる。

あっぶねぇ。
勘違いされて男に横に座られる所だった。

bassoは面白いし絵も上手いから普通に読んでても大丈夫な感じになってた。
マンガ好きには通じるかもしれないが、
一般層にはまったく通用しないだろうw

しかも心療内科って場所がヤバイ。
そっち系の人も多そうだもんなぁ。
まあ俺も良く考えればそっち系の人と間違われてもおかしくない体系だしね。

三宅乱丈のPETにしようかと思ったが、
良く考えるとPETもそっち系と言えなくもない。

そんなこと言ってたら何も読む本がなくなってしまう。

ブギーポップの新刊も一瞬で読み終わってしまったし。
くそう。

あ、そうだブランコの5巻をまだ読んでいなかった。
ブランコでも読んでおくとするか。

サートゥルナーリアとクリスマス

現在のクリスマスに受け継がれたという祝祭サートゥルナーリア
それの本来の開催日は毎年12月17日からの7日間であったそう。

気になることにHAARPの監視サイトの二つが、
HAARP Fluxgate Magnetometer
Induction Magnetometer
12月17日あたりからまったく反応を示さなくなってしまっている。
過去にも充電時のHAARPはこんな状態になったこともあった気がしますが。
少しパターンが違うのでしょうか。
(追記:…どうやら復旧したのかな?)

さらに地震に関しても少し気になる証言が出てきていたり。
小林朝夫のサンバルカンな夜」さんの記事より引用。
これは、いよいよだという雰囲気が漂う中、不思議なメールが私のところに届いたのです。
そのメールの要点だけ記すと
「私は地震の研究を続けてきましたが、とうとうどうにもならないほど大きな地震が起きることになるでしょう。誰もが驚くような規模です。関東と東海地域に、それは起こります。私の研究が確かならば、それは12月末までに起きるでしょう」
というものです。


また、このタイミングで
宇宙の「暗黒物質」検出? 本当ならノーベル賞級の発見」 [2009年12月11日14時29分]
という恐ろしい領域のお話が登場。
これは考えている以上にとんでもないこと。

CERNのLHCを使った実験では
ヒッグス粒子超対称性粒子の発見などが目標とされている。
これはそれらの発見に匹敵するような出来事だろう。
未来科学や神智学レベルの領域の話です。
暗黒物質」っていうのは観測できないものだったと思っていたが。
気になるのが施設の名前が「X(エックス)MASS(マス)」だということ。
クリスマスをインスパイアさせる施設名だ。

記事中には
17日ごろに「検出」を報告する論文を発表するという報道もあるが、研究チームはコメントを出していない。
とある。

本来サートゥルナーリアが開催される17日という日に合わせたりしようとしているとすれば、
どうにもそういうことを気にしそうな奴らの影がチラチラ見え隠れする気がする。
重要な物質を発見し、発表する施設に[XMASS]という名前をつけたりするのにも、
何か理由があるのでしょうか。
というか本当に暗黒物質なんてものを発見できるものなんでしょうか。

用意されるのは冷たい暗黒物質シナリオか熱い暗黒物質シナリオか。

最近ではレプティリアンの存在までも、
ネット上では実しやかに囁かれるようになってきた。
もうこんな調べ物ばかりしていたらこちらまで頭がおかしくなってくる!
という風になるかというと、実は俺のナチュラルはもっと頭がおかしいので、
残念ながら、これくらいのことで正気じゃなくなることはない。

一部ではノルウェーの怪現象は次元の扉を開いた云々だっていう話も出ているそうで。
そういえばオバマがノーベル平和賞を受賞していたのも
たしか同日のノルウェーじゃありませんでしたっけ?
ちなみに2007年にノーベル賞を受賞したアル・ゴアは
33階級という位階の名誉階級を与えられたフリーメイソン会員らしい。
ノーベル賞はフリーメイソンに対する貢献度が高い人間に送られるとも言われるが、
まあそれも果たして本当なのかどうなのか。

なんにせよノルウェーのような怪現象が人為的なものだったとすれば、
それを起こした奴らは
「もう何も隠す必要がない。」と思っているのだろうか。
隠す必要すらない段階へ来ているのか?
それとも隠すことなど気にしていられないほどに何かを急ぐ必要性があるのか。

宇宙人やらレプティリアンやら、次元の扉やらHAARPやら。
どうにも日本以外では案外に盛り上がっているように見受けられる。

最近だとやりすぎコージーにアポロ計画に参加したミッチェル博士が登場していました。
この人は以前にGIGAZINEの記事などで紹介されていたこともあり、
そっち系の人には案外有名だったりする。
やりすぎ内でも触れられていたがミッチェル博士はフリーメイソンのメンバーらしい。

ちなみに現首相のおじいさん鳩山一郎氏は
グランドマスターに認定されたフリーメイソンのメンバーだ。

ここ最近は友愛系の方々の動きが活発で隠す気がないのかと思うほどですが、
その影にかくれてこそこそ動いてる奴らもいそうな気配がするんですよね。

イラクのバビロンに関することを調べているうちに、
メソポタミア文明に興味をもつことになった。
シュメール人がメソポタミア文明の基礎を作ったとされているが、
そのシュメール人がどの系統の民族であるのかは定かではない。
一部ではシュメール人はレプティリアンではないかとも言われているそうだ。

確証バイアス状態に陥らないように、
ひとつひとつ疑いながら情報を集めていくことにしよう。

自分が調べて集めたつもりになっている情報ですら、
「検索」というものを疑ってかかれば、
情報を求める人間に対して、
わざと集めさせられた情報の集積であるとも考えられる。
疑うべきは事実や出来事だけではなく、
自分自身の行動やその結果もであるということも頭に入れておかなくては。

ブルービーム計画についても、もう一度調べなくては。

まずは今月中に大きな地震など起こらないことを祈りつつ。

願わくばそんなことを気にしなくても、
生きられる世の中になりますように。

気になるメモ。
・ノルウェー上空で怪現象。
モレクという神様がサートゥルヌス(サチュルヌ)と同一視されていた。
・モレクは人身御供の神様。
・レプティリアンには人の生き血が必要な種類がいるらしい。
・年内中に日本で大型地震の可能性。
・聖書では人類に知恵の実を食べるようにそそのかしたのは蛇である。
(つまり逆説的に考えれば人に知恵を与えたのは蛇であるとも解釈できる。)
ノルウェーのレプティリアン像(石像)
・ルシファーは堕天使であり宇宙人との符号が多いとされる。
・キャメロンのアバターはレプティリアンと宇宙人の両方をつなぐ可能性が高い。
(しかも3Dで劇場公開されるあたりがリアリティを演出しそうだ。)
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