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殺すぞ

正直、ここ2週間ほどで、
自殺が頭をよぎった回数は数え切れない。
看病ノイローゼで頭がおかしくなりそうだった。

親父が奇跡的に一命をとりとめて、
病院から退院したまでは良かったのだが、
呼吸停止まで行ったせいか、
脳にダメージがあったようで、
退院後の数日は昼夜問わずに怒鳴り散らし
訳のわからない行為を繰り返していた。

最近では少しずつ回復もしてきて、
俺も眠れるようになったが。
本当に親父の退院後の1週間はキツかった。

病院に入院させてくれと頼んでも、
会話も歩行もできる人間を入院させる訳にはいかない、
という理由で精神科への入院を勧められる。
しかし、親父は人工透析を二日に一度必要とする身体な為、
人工透析の設備を持たない病院への入院は難しい。
そうなると奈良では選べる病院というのは限られてくる。

いくつかの病院を回ったが、
どの病院からも入院は拒否された。
正直、一番キツい時を越えた今では、
親父を入院させる必要性はそれほど感じない。

一番危なかった状態の時、
親父はボヤを出したり、
自殺未遂をしたり、
深夜に徘徊して俺の車のガレージで裸で倒れたりしていた。

こんな状態が一体どれだけ続くのだろう?

俺は途方に暮れた。
プライベートな時間など当然ない。
家から外には出られない。
眠ろうにも昼夜問わず叫び続ける父親の声に、
頭の中を掻き毟られ、何度も気が触れる寸前まで行った。

いっそ親父を殺した方が楽だろうか。
それとも俺が死んだ方が楽だろうか。

ノイローゼは限界まで来ていた。

それでも親父を励ましながら、
なんとかかんとか毎日をやり過ごした。
終わらない台風が過ぎるのを待つ気分だ。

口は「大丈夫だ」と告げる。
それでも心は「限界だ」と警鐘を鳴らし続けていた。

親父が退院してから数日し、
相変わらず深夜徘徊を繰り返す親父を夜中に捉まえて家に連れ戻した時、
俺は一気に溜めていたものを吐き出すように、
「いい加減にしろ!!」と親父を玄関に突き飛ばしていた。
そんな言葉を。
どういう状況で言われているかも分からないような状態の親父に、
平気でぶつけてしまえるほどに俺の精神は磨耗していた。

右手を振り上げて、
親父に向けて思いっきり振り下ろしてやろうかと思った。
けれど、それは出来ずに、
家の壁にそのまま打ち付けたら壁に大きな穴が開いた。
自分をそのまま見せ付けられたようだった。

壁の穴からは冷たい風がビュゥっと入ってきて、
『殺すぞ』とはっきり親父に告げてしまった。

ぼんやりとしていた親父の目に火が入り、
『やってみんかい』と言い返された。
…なんだ、まだ大丈夫だ。

言い争いができるなら回復だってできるはずだ。
会話が成立するなら、少しずつでも回復を待てるはずだ。
殺そうと思えた人間のことなんて放っておいて、
少しだけ自分の為だけに眠れるはずだ。
俺は親父に「すまん、寝よか」と一言だけ言って、
親父をそのまま部屋へと連れて上がり。
「すまんな」と謝る親父の声をドアごしに聴いて部屋に戻って寝た。

久しぶりに深い睡眠をとった。

翌朝、家は親父によって
引っ掻き回されて無茶苦茶な状態になってはいたが、
俺の心は回復していた。
散らかったものは、また片付ければいい。
渡して危ないものなら隠せばいい。
外に出すのが危なければバリケードを作ればいい。

そうして毎日を少しずつ進めていった。
限界を感じたら無理をせずに、親父を放置して睡眠をとった。
親父は何度もバリケードを破って家の外に出た。
それに我慢ができずに腹を立てたりもしたし、
その後も何度も何度も言い争いはあったが、
親父は毎日少しずつ回復しはじめた。

それが見て取れると、
自分の負担が減るという嬉しさと同時に、
親父の回復を素直に喜べている自分にも気がつく。

これまでも何度か親父に対して
『殺すぞ』という言葉を使ったことがあったが、
今回ほど痛切なものはなかったように思う。

その言葉は自分にも向けられたものだった。
この状況に負けて親父に『殺すぞ』と言ってしまったのは俺だ。
いつもなら100%親父が理不尽な状況で、
その言葉が飛び出すのだ。
しかし、今回は自分の辛さに耐え切れずに出た言葉だった。

だから俺の反省もいつもよりも遥かに深かった。

それが親父に伝わったのかどうかは知らない。

けれど、少しずつまともになっていく親父の姿と、
少しずつまともな生活を取り戻していく自分の時間。
何故か、その出来事の前と後では圧倒的に何か違う気がする。

親父に対して、
これほど素直に優しい言葉をかけてあげられるようになったのか。
と自分でもびっくりするほどに。

お互いに「すまない」と思い合える心の出発点には、
支えあう限界点があった。
その限界点を越えてしまえば、
諦めのボーダーも分かる。
そうなれば多少の苦労など苦労にも感じない。

出来ることは出来るし、
出来ないことは出来ない。

ならば出来ることは精一杯してやろう。
ただそれだけでいいのだ。
簡単なことだ。

その簡単なことに至るまでが、どれだけ長く感じられたことか。
屋内にできた壁の穴は鏡で隠した。
特に大きな意味があってやった訳じゃないけど、
自分の心の中にできた穴の上に、
表面上の俺を見るための鏡を乗っけた。

病院の人も、親類も。
俺のことを優しい人だという。
どこまで本気で言っているのか怪しいもんだが、
その優しさってのは、
親殺しの可能性を持った人間の表層的な一面に過ぎない。

鏡の向こうに冷たい風を送る穴がボッコリと開いている。

よく俺に似ているなと思う。
それが少し、自分を戒める力になる。
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今日は雨だった。壊れてしまった日

なんか楽しかったことより
苦しかったことや辛かったことの方が多かった気がするな

明日、晴れるといいな

俺はたぶん近いうちにノイローゼで倒れるだろう

もう、いっそ気が触れてしまえれば楽なのに

家族ってのはやりきれないもんだなぁ

打ちひしがれ師 非モテ男

最近、食いすぎてまた太りだしていたので、
私生活の気を引き締める意味でもジョギングでもしようと、
30分くらい走って帰ってきてから、見つけた記事の見出し。

「草食系男子」にかわるモテ男に「デブ男子」も人気上昇中

最近は草食系男子に続いて、
デブ男子なるものが人気なのだそうだ。

俺は最近は少し弛んでまた太り戻してはいるものの、
開始当初から考えれば30キロ近くのダイエットに成功した男だ。

このことごとく時代の潮流とは逆に走る自分の才能に感動している。

もともとモテる為にダイエットを始めた訳でもないが、
痩せたら「今はデブが人気だよ」と言われた元デブの切ないこと。

デブだった頃、
俺にはとても大きないくつかのコンプレックスがあった。

デブなのに寒がりなこと。
デブなのにさほど大食いでないこと。
デブなのに感想肌なこと。

特にデブなのに感想肌だというのは、
かなりナーバスな問題だった。
乳液を持っているのを友人にバレたくないから、
隠れて使っていた時期があるw

でもデブであるということ自体を
コンプレックスに思ったことはあまりなかったと思う。

あってもせいぜい中学生くらいまでだろう。
中学くらいのころは女子からの不人気が圧倒的だったし。
女子の目を必要以上に気にするのもこの年齢くらいまでだ。

高校くらいになると太っている程度で、
穿った評価を受けるということ自体がなくなる。
いや、あったのかもしれないが、
そういうことが気にならなくなってくる。

表層的な要素なんてものはレッテルに過ぎず、
それは最初の印象を決めることにこそなれ、
長く付き合っていく人間関係の中では、
何の意味もなさないのだという事が分かり始める。

世の中の人間関係のほとんどが、
その表層的な要素だけで回っているとしてもだ。

自分が思う人間関係の優先度を下げて、
他人と付き合うようになってしまうと、
恐らくはそうした関係がどんどんと広がってしまう気がする。

それは恋愛であろうが何であろうが同じことだ。

他人は他人。
俺もまた太ることもあるかもしれないが、
とにかくジョギングはもう暫く続けてみようと思う。

非モテ男の思考回路はひねくれちゃってるのかもしれないなぁ。

死んだら、あかん! / 北野誠

北野誠の近著『死んだら、あかん!』を購入した。
書かれている内容は、
大まかには知っている内容ではあったが、
細かな心情のディテールで淡々と語られる事実は、
何よりも感情のリアルを浮き彫りにする。

多くを感じ、受け止め、
それでも「笑い」という世界を愛し続けた男が書いたこの本は、
現在の俺自身の状況に対してもエールを送ってくれている。

むしろ、生きとし生けるものは全て苦しみもがくものだとすれば、
この北野誠の『死んだら、あかん!』という言葉は、
人間全てに向けられた、本当に当たり前の。
当たり前だからこそリアルな相補的な言葉なのだ。

その言葉を送る北野誠自身にも向けられた、
『死んだら、あかん!』という言葉の中に内包された、
またいつか笑えるっていう一筋の光がある。

ムリせんと、生きていこう。
自分に重荷をかせば、その分どこか破綻する。
重荷を重荷と思わないようにすれば、
笑っていける。
人は、それぞれが国民であり、
それぞれが、この国を作る力なのだ。

だからこそ献身的な精神というのは、
他人に課せられる物ではない。
なぜそうしたいのか。
ウソのない他人を労わる気持ちに素直に生きれば、
世界は自然と繋がっていく。

圧力に屈することのない立場。
それは圧倒的な個人の力だ。
その圧倒的な個人の力を生み出す為のサポートは、
不特定多数の多くの人の力を集めることなんだよ。

不自然に集められた力じゃなく。

人間全てにエールを送った北野誠に、
何かお返しができるなら。
エールを貰った分、何かをしてみようと思う。

この国がおかしくなっている。
みんな感じ始めている。
とうの昔におかしかったんだと。
みんな気づき始めている。

そのおかしさと対峙するべき時が来た。
これからの日本を想う。
こんな社会不適合者が国を憂う。
どっちがおかしい?

誰にとって、何にとって、
どういったことが不適合なことであるのか。
適合するとはどういうことなのか。

足りないオツムで考えて。
必死に考えて。

自分に出来ることをやろう。
楽しんで。
楽しませて。

おかしいことをおかしいと思える心を、
その心をありのままにさらけ出せる言葉を。

今回の北野誠の騒動。
創価学会が本当に絡んでいるのかどうか、
というのは難しい所なのかもしれない。
邪推すれば、謹慎処分はこの本の販売促進が目的なのでは?
なんてことも考えることはできる。

しかし、それでも。
この本の中でも、
そこそこ突っ込んだ内容のところにまでメスを入れている。

個人的に色々と考えさせられることが多かった。

北野誠という人が芸人という活動の枠を広げたのは間違いない。
知識や経験に裏打ちされたトーク力、
幅広いトーク内容に自由自在に適応して話を聞かせる。

特別なファンという訳ではなかったが、
サイキック青年団という番組の重要性は認識しているつもりだ。
フリートークを聴くのが楽しい芸人さんだ。

俺は北野誠の復帰と、
事態の真相を望むものである。

テレビというメディアがつかえないのなら、
インターネットという、
まだ支配の及ばない世界での発表もありえる。

特定の組織や団体が圧倒的な力を持って、
何かを牛耳るというのは大昔から変わっていない。
しかしその構造を変革させ、
組織ではなく、
個人の力の発信力や影響力を高めることができるのがネットだ。

タレントという存在の在り方も変わってくるかもしれない。

一つ、言い足しておきたいことがある。
もし報道どおり誰かが中傷され、それによって北野誠が謹慎となっているなら、
やはりその中傷された人物、内容というのは発表されて然るべきだろう。
事務所がその原因を言うこと自体、被害者の方にご迷惑をかけることになる。
と北野誠のみが悪者にされたままになっている。
その特定の中傷を受けた人物というのが一体誰なのかすらわからないまま、
北野誠は芸能界から消された訳だ。
それどころか、本当に根も葉もない中傷であったかどうかすらわからない。
俺にはもはやこの時点でフェアではないと感じる。
色んな憶測が飛び交っているが、
事務所やラジオ局側がこれほどまでになって、
原因を隠そうとしていること自体が不自然だ。
それにサイキック青年団って番組は、
ゲスいおっさんの喫茶店のウダ喋りを電波で聴けるから面白い。
ということでずっと続いてきた番組だ。
聴く方もそうやって楽しんできていたのだろう。
一人の人間の人生がこんなことで狂わされていい訳がない。

ちゃんとしようぜ。
頼むから。

よし

夢かなったじゃん!!

新居昭乃たんが7月に大阪に来る!
チケットは何が何でも手に入れてやる。

小笠原まさや

占い師芸人の小笠原さんが逮捕されたそうだ。

何故18歳以下の女とみだらな行為をしたらいけないのか分からない。
極楽の山本さんの時もそうだったが、
なんだか善悪の判断がおかしい気がする。
相手の年齢がいくつであろうが、
同意の上でのセックスを誰が否定できるのだろうか。

俺は熟女好きなもんで、
年下にはほとんど興味はないが、
女子高生とセックスしてはいけません。
と言われると逆に無性にしてやりたくなる。

そんなルールはクソ喰らえだ。

子供を守っているつもりになる為の法律なんて全部なくしちまえ。
法律なんてもんに縛られていると、
本当に大切なものを見失うぞ。






ただ。






小笠原よ。







他人の寿命すら分かってしまうほどの腕前の占い師が、
自分が逮捕されることは分からなかったのか。
という所は否めないわけで。

今回の件とは別に、
占い詐称疑惑では逮捕されて欲しいところです。

流転、合掌、循環

結果的にタイには行けなかった訳だが、
どうも今のタイの状況を見るに。
行かなくてよかったかもしれないと思った。
この状況下では観光なんてもっての他だろうし。
ヘタすると予定どおりに帰ってこれなかったかもしれない。

なんというか運命的なものや、
守護霊的なものに守ってもらっている気がする。

感謝を忘れずに行きたいもんだ。
色んなことにね。

LAZYがMSG

LAZYがMSGカバーしてる動画みつけたw
やっぱ当時の日本のロック小僧にとって
マイケルシェンカーはヒーローだったんだなぁ。

日本のロックサウンドにこれほど影響を与えた
シェンカーという存在の貴重さを改めて実感した。



ちなみにこれが後のLAZY
曲目は「感じてナイト」



真マジンガーとLAZY

そういえば今川版マジンガーを見たのだ。
主題歌は再始動したあのLAZYだ。
かつてはアイドルポップロックバンドとして名を馳せ、
後の影山ヒロノブやLOUDNESSの母体となった伝説のバンド。
それこそがLAZYである。

と、紹介したのはいいものの。
俺もLAZYの曲といえば知っているのは、
今回のマジンガーでリメイクされた『感じてナイト』や、
懐かしの歌番組系で何度か見た『赤頭巾ちゃんご用心』くらい。
赤頭巾ちゃんご用心はいい曲だけど、やっぱりアイドル歌謡曲。
しかし感じてナイトはカッコイイ!

感じてナイトと赤頭巾ちゃんご用心までの間に、
LAZYに一体何が起こったのか!?
マジンガーもいいが、そちらも気になる!

Wikipediaにはアイドル路線からの脱却の意味を込めて
「ヘヴィー・メタル宣言」なるものを1980年におこなって以降は
自分達の原点であるハードロック路線の楽曲を打ち出し始めた、とある。
その第一弾のシングルが『感じてナイト』。
しかも以前のLAZY再結成の時に高崎が出した条件が、
一番嫌いだからLIVEで『赤頭巾ちゃんご用心』をやらない。
ということらしく、俄然LAZYに興味が出てきた俺。

といった所で、
マジンガーの話も少ししておかないとね。
真マジンガーの話から始まっておいて、
LAZYの話しかしてなかったね。

真マジンガーはまだ2話までしか放送されてないけど。
今川が一体何をしようとしているのかってのが、まだ分からない。
Gロボの横山大集合と同じく、
永井豪ワールド大集結っぽいけどなぁ。

作劇の順番も
おそらくは続編を作るのを大前提とした第1話だもんなぁ。
というかタイトルが
『真マジンガー 衝撃Z編!』だしねw

一話が劇の上での最終話あたりから始まっていて、
既に剣鉄也をプンプン匂わせるキャラも登場。
グレートマジンガーらしきシルエットを背に
『彼の名はブレイド!!』と一瞬で説明してここは終わり。
スッと流せよ、ということだろうか。

大団円と名づけられたこの第1話、
最後まで見終わった時にどれだけの破壊力を持つことになるか。
もしくは大コケしてしまうという可能性も充分にある。

2話目でようやくマジンガーの第1話といった感じになる。
テレビ版の第1話とは少し違うのだが。

今川だしダイナミックだし。
これから先、永井豪ワールド爆発なんてこともありえるぞぉ。
『ガクエン退屈男』の錦織つばさが結構重要な役っぽいしw
『ハレンチ学園』はピンクチラシでもう登場したし。
『バイオレンスジャック』からもいくらか出てる。

マジンガーZvsデビルマンなんてビデオが昔あったが、
今回もガチで不動明が登場する可能性もあるなぁ。
Zマジンガーのゼウスが出てきたし、デビルマンと繋げりゃ、
その壮大さは恐ろしいことになるぜ!
バイオレンスジャックとか出てきたらどうしようw
というかくろがね屋とあしゅら軍団の白兵戦の描き方なんかは、
今川色を残しつつも豪ちゃんの世界なんだよなぁ。

しかし現時点では真マジンガーはまだ先が見えない状態だ。
『感じてKnight』以上の衝撃はまだ受けていない。

しかし、豪ちゃんのあのエネルギッシュな混沌世界を
今のアニメ界につれてくる為の布石を打っているのだとしたら!
真マジンガーは恐ろしい作品になることでしょう。

なぜなら豪ちゃんの作品の多さと広さは、
なんといっても業界随一。
持ってくる要素は沢山あるからねぇ。
スターシステムはやりがいありそうだなぁ。

それを今川が何とかしてくれるかもしれない!!
ジャイアントロボ the Animationの続編をまったく作らない今川なら!!

そんな身勝手な俺の勝手な真マジンガー展開予想!

『真マジンガー 衝撃Z編!』
『真マジンガー 壮絶グレート編!』
『真マジンガー 魔王ダンテ編!』
『真マジンガー 未確認UFOロボグレンダイザー編!』
『真マジンガー 余談キューティーハニーvsけっこう仮面編!』

最後のはOVAで。

親父の息子

親父の意識が戻った。
会話も少しだけできた。
入院する前と同じという具合にはいかないが、
それでも、なんとか会話は成立する。
何らかの障害が残る可能性もあるが、
とりあえず一命は取り留めたということだろうか。

タイに行く予定だったのは中止になってしまった。
まあ仕方ない。

どんどんやせ細る親父の腕。
手を握る。
かすれた声でかつての母と同じように一人息子の俺を気遣う。
心配をかけてすまないと、
苦しそうに言うのだ。

ふと思う。
ああ、この人は俺の親父なのだなぁ。
母も父も、こんな俺一人を大人にする為に、
身を粉にして働いて、働いて、働いて。

俺は一体なんなんだ。
俺みたいなのの為に、
この人たちは一体どれほどの苦労をしたのだろう。

何もしてやることができない。

両親から貰った。
いつか母と父の間にぶら下がって繋いだ俺のこの両手が。
少しでも、親父の苦しみを和らげるのなら。
俺はいくらでも父の手を握る。
母にしたように、同じように。

失うことでしか大切さに気づけない訳じゃない。

ただ、素直な言葉を言うまでに、
親父と息子って関係は時間がかかるもんだ。

良かった。
まだ伝えるべき言葉が俺にはあったし、
それを聞き取れる命がまだ親父にもあった。

恐らくは、これが最後のチャンスだろう。
もし退院できたとしても、
長くは持たないはずだ。

弱くなってしまった父の姿を見て。
初めて泣いた。

北野誠

北野誠が創価学会に潰されてしまった。
これは流石に只事ではすまない事態になりそうだ。

噂レベルですんでいたウッチャンなどとは次元が違う。

今回は恐らくほぼ間違いなく、
原因と首謀者がほとんど明らか。
学会側も隠す気がないんじゃないかってくらいに力技。

サイキック青年団を終わらせるだけで
すませておけばよかったのに。

この事件はちょっとやそっとじゃ終わらんぞ。

麻薬とは何か、秩序とは何か。

このニュース

「薬物の乱用を公然とそそのかし、麻薬特例法に抵触する可能性がある」

薬物の乱用を公然とそそのかしたというのは一体どこだ?

法律で禁止されているから「悪」だ。

何からが麻薬で、何からが麻薬でないのか、
という線引きは実は非常に難しい。
精神に何らかの作用を引き起こすもの。
であるのならばカフェインは圧倒的な麻薬だ。

薬局で購入できるカフェインの錠剤を
毎日定量より少し多めに飲むだけで、
気分は高揚し楽しい日々を送ることができるだろう。
しかし、カフェインは劇薬なので、
過剰摂取は命を危険にさらす。
当然だが中毒症状も出る。
(※本当に危険なので絶対に真似しないように!)
カフェインは本当に死者が出るレベルの劇薬なので、
摂取には細心の注意と用法用量を正しく守って下さい。

このように。
違法な薬物などよりも遥かに危険なものだって、
合法的に手に入れることができる。
それが世の中というものだ。

薬物の乱用を防ぎたいのであれば、
その薬物自体を「悪」とするのではなく、
使う人間の心の方に目を向けなくてはならない。

テレビでコカの葉を食べた人間がいたからといって、
コカインの乱用に繋がるかもしれないと考えた人間がいたとしたら、
是非みてみたいもんです。

そんな程度のことも分かっていないようだから、
いつまでたっても薬物に振り回されることになる。

麻薬だからダメだ。
というのでは説得力がない。
その上、コカの葉は麻薬ではないし、
コカの葉一枚でコカインを精製することは当然できない。
噛んだところで得られる効果はまるで違うしね。

他人が決めた「麻薬」という勝手なカテゴリ。
その「麻薬」によって誰かが迷惑を被った、被害を受けた。
というのなら罰せられるべきだろう。

他人が決めた秩序の中で生きていれば安心かもしれないが、
そのルールってのは一体誰が何のために決めたものなんだ。
与えられたウソの安心の中で、
誰かを責め立てる愚かさは見ていて辟易するものがある。

多くの人には自分の中の秩序を見失わないで欲しいと切に願う。

笑い続けて、笑わせ続けて

外国人などに比べて日本人は感情表現が下手だ。

という定説のようなものがあるが、
果たしてそれは一体、どういった理由に基づいているのだろうか?
いくつか考えてみた。

外国人と接する時の日本人は、
コミュニケーション力が足りない。
というよりは、基本的に内弁慶気質な人間が多いのだろう。
これは敗戦国であることや、
偏った戦後教育が生み出した気質かもしれない。

自分を例にとって考えると、日本人同士で会話する時、
日本人の感情表現はそんなに下手だという風には思わない。
むしろ諸外国の人間の表現の方がオーバーアクションすぎて、
日本人からしてみると下手なしゃべりを誤魔化しているようにも見える。

ただ自分を例にとって考えると、
その時に自分が思っている感情を素直に表現している瞬間って、
楽しい時や激怒している時くらいかもしれないなぁと思う。

例えば少しムカっとしたりしたくらいで、
その感情を表現してたらキリがない訳で。
空気でわかれよ。
っていう部分は多大にある。

それは日本人であろうが、外国人であろうが平等だ。
空気は分かるはず。
外国人であろうが日本人であろうが、
変な空気は変な空気のはずだ。
それを読めないのだとしたら、
そいつが空気が読めない奴というだけの話だ。

恐らく言葉が通じたとて、同じ壁にぶつかることでしょう。

日本人の表現を表現不足だと感じる人たちは
もしかすると過剰な感情表現に慣れてしまっていて、
日本人を表現不足だと思っているだけで。
実は本当は自分達が過剰表現だったんじゃないのか、
っていうことも考えなくてはならないんじゃないのかな。

だって俺は自分が感情表現が下手だと思ったことはないし。
日本人は言葉だけでは表現できない感情を、
数多くの分野で表現し続けた民だと思っている。

特にお笑いというジャンルの先進性においては、
この地表の上でまず間違いなくダントツ一番ぶっちぎりを走り続けている。
他のジャンルではどうか知らないが、
この先、数百年はまず追いつかれることはないだろう。
とんでもない歴史なのだ。
お笑いと一口に言っても、
そのカテゴリは落語、漫才、狂言、テレビ、コントと縦横無尽だ。
古典と先鋭が同じ時代の中で生き続けている。
しかもまだまだ深いのだ。
このジャンルにおけるスターや天才が、
ここ100年近くの間に何人生まれてきたと思っている。
まさに圧倒的すぎる。

感情表現が下手な民族が、
「笑う」という最も複雑怪奇な感情を生み出す為に、
これほど長い年月をかけて技術を研鑽し続けてこれる訳がない。
むしろ、日本は感情表現も、
そして他者の感情を汲み取る能力も、
世界中でズバ抜けて高いはずだ。

日本の笑いが世界に理解されるようになったなら、
世界平和を信じてみてもいいかもしれない。

弱くてバカで愚かな家族が誇りです

先週、祖母が腰を痛めて入院した。
母は二年前に癌で亡くなっているので、
今は家には俺と親父の二人しかいない。

もともと俺は親父に対して、
何ともいえない複雑な感情を持っていた。

育ててもらったことも感謝しているし、
愛情をそそいでもらったことを嬉しくも思う。
しかし、その感謝やありがたさだけでは受け止めきれない、
憎しみとまではいかないが、
嫌悪のような感情も抱いている。

しかし、それと同時に。
それ故に、と言ってもいいかもしれないが、
親父の良い部分のようなものを、
認めてやることができるのも、
俺や母しかいなかっただろうと思う。

嫌悪は嫌悪のまま残るが、
それとは別に、
男として、息子として、人間として、
親父という人の良い所を見つけられていた。
これは多分、俺にとって財産だろうと思う。

昨日、友人たちとの食事を終え、
夜の10時ごろに家に帰り着き。
お腹が痛かったのでトイレに入っていると、
二言、三言、いつものように
トイレのドアごしに軽いノリの会話をした。

そして、俺はそのままトイレを終え、
自分の部屋へ戻り眠りについた。

深夜の二時ごろ。
階下から振り絞った親父の叫ぶ声が聞こえて起きた。

以前にも肺に水が溜まって、
夜中に苦しみだしたことがあったので、
俺は眠い目を擦りながら階段を急いで下りた。
こう言ってはなんだが、そうした状況は
病気を抱える親を抱える俺にしてみれば、
毎度のこととも言えるし、
もし万が一のことがあったとしても、
それは仕方のない、当たり前のことだと了解していた。

親父の部屋に着いた時。
俺には親父の状態が、
いつもよりも遥かに悪いものであることがわかった。
その為、すぐに救急車を呼び、
親父は現在は人工呼吸器をつけてICUの中にいる。

危篤だと言うこともできるだろうし、
まだ、いつもの状態より少し悪いくらいという可能性もある。

もし今回、命が助かったとしても、
次に親父と会うときは、
もう昨日までの状態の親父じゃないかもしれない。
と、ふと思った瞬間に。
一気に親父や母との思い出が頭の中を回りだしてしまった。

最後の会話がトイレの壁越しの、
なんということのない。
いつもの会話になってしまうかもしれない。

それは凄く寂しいことのように思えた。

俺は親父は好きに生きた人だと思う。
その為に沢山の苦労もしたし、
沢山の人に迷惑や苦労をかけたことだろう。
俺とて、その迷惑や苦労を被った一人だと思う。
当然、母も。

だから、それでも親父は好きに生きたのだから、
俺は悔いなく送ってやれると思っていた。
覚悟もしていたつもりだった。

しかしいざ本当に、そうした状況が訪れると、
やっぱり人ってうろたえるんだ。

母への思いと、父への思いは違う。
母がいなければ、あんな親父のもとで、
俺は今のような人間にはなれなかっただろう。

しかしだからといって。
「あんな親父」と息子に言われてしまうような親父だからといって、
憎しみや嫌悪のような感情しか抱けないような人間だったら、
俺や母だってとっくに家を出ていた。

憎みきれない部分や、
弱い部分が透けて見えるバカな親父だったからこそ、
俺達は家族だったんだ。
母だって弱かった。
その血を引く俺も当然弱くてバカで愚かもんだ。
文句を言い合いながらでも家族という形で手を取り合って、
なんとか必死にやっていたんだ。

愛犬は二匹いた。
最初の愛犬はオスで16年生きた。
俺が6歳の頃からずぅーっと一緒に家族をやってくれた。
その最初の愛犬が寿命で逝った後にやってきた、
最初の愛犬とまったく同じ犬種のメス。
でも母が死んでから二年経つ前に逝ってしまった。
弱くてバカばっかりのウチの家族を、
ずっと一緒に支えてくれていた。

こいつらの助けがなければ、
たぶんすぐに壊れてしまうような弱い家族だった。
だから家族というのはそうして落ち着く。

幸せな時間は短い。
でもだから、辛いぶん笑う。
笑った分は幸せを満喫するための貯金で。
戻らないものを嘆くより、
残ったものを愛しむ。

命が泡のようにプカプカと空に浮かんでは消えていく。
次々と。

親父の命の風船を、
キレイだと言って送ってやれる人間なんて、そうそういない。
それもこれも、
全部、これまでに出会った命、
消えた命のすべてが教えてくれたことなんだ。

眠って起きたら。
それが現実。
受け止めていこう。

ありがとう。

笑ってあるこう。
いつか、家族を誇れるように。

弱さもバカさも愚かさも全部わかって笑えるような。
そんな新しい家族が作れるように。

笑える命を俺がまだ持っているうちは。
そうして生きていくと決めた。

ブログ小噺「お釈迦」

遅々として物事が進まない。
原因は俺。
俺だけど、俺じゃないこともある。
でも結局、誰かから見て云々じゃなくて、
俺自身が思う原因は俺。

もっとできるはず。
まだまだできるはず。

今一番欲しいものは、
『努力しつづける力』だ。

分かったな神!
示し申したからな!!
明日朝起きて手に入ってなかったら
お釈迦先輩にお前の所へ行ってもらうからな!

お前ビビってんちゃうぞ、コラぁ!
お釈迦先輩、キレたら何するか知らんぞ!!
昔でけへんダメ後輩がお釈迦先輩から聞いた話を間違えて、
自分の話のようにお釈迦先輩本人にしてもうた時も、
最初は「まあ、かまへんがな」て言うてニコニコ笑てはったわ。
お釈迦先輩は人間ができてはるからなぁ。
それくらいからかなぁ。
お釈迦先輩が「仏の釈迦」っていうあだ名で呼ばれだしたんわ。

そんなお釈迦先輩でも、
流石にそのダメ後輩が、
お釈迦先輩の話を自分の話かのごとく、
ちょっとしたり顔で話しはじめた時やがな。

あのお釈迦先輩が、
『おどれ人の話を何べん話してくれとんじゃぁ!!!』言うて
実際三回目くらいやったかなぁ、
三回も同じミスしてる奴はあかんわ、そら。
ボッコボコにドツキ回しはったんや。
もう手が6本に見えるぐらいの速度やで。

お釈迦先輩が卒業しはった後でも、
やっぱりその話をまたダメ後輩が自分の話みたいにして後輩に伝えて、
それが繰り返しで残っていって
「釈迦に説法」
「仏の顔も三度まで」
「三面六臂」
っちゅう言葉として残ってるっちゅう話や!
どや、すごいやろ!?

今度そんなお釈迦先輩の自叙伝が映画化もされはるらしいわ。
『仏が阿修羅で阿修羅が仏で -仏の顔は三面六臂♪-』

内容は両刀使いやったお釈迦先輩が色んな人を愛しすぎて、
修羅場をくぐりぬけまくっていく愛と自由のサスペンスドラマじゃ!
女性的な快楽に傾倒しすぎて、女性への理解が深くなりすぎたり、
射精の喜びを探求しすぎて、男性への理解が深くなりすぎたり。
でも最終的には、その両方の絶頂を知ったお釈迦先輩が、
ついに三つ目の顔を手に入れるっていうお話らしいわ。

―――――

えーー、最初と最後で雰囲気が違うのは、
途中から明らかに俺の興味が自戒よりも、
お釈迦遊びに向いた為(←おもちゃ遊びみたいに言うてる)
途中から完全に小噺っぽい話運びになってしまったからです。

悪いのはすべて俺。
すべて俺の不徳の致すところです。
申し訳ございません。

もっとできるはず。
まだまだできるはず。

と、普通ならこっから天丼に行きたいのですが、
まだ次のネタが揚がっていないようですので、
今回は先に噺の方を下げさせていただきます。

お後がよろしいようで。

普通の日記からの転調

定額給付金を家族で出し合ってビデオカメラを買うことにしたよ!
んでタイ旅行も間近ってことで、もう先に注文してしまうことに。
さあ、いつまで生きられるかわかりませんがね。
少しだけでも、思い出の記録を。

あとはもう、それはもう、おもちゃ感覚ですよ。
せっかくの定額給付金なんですから、
自分だけじゃなく、自分以外が見ても楽しめるような、
映像を色々と録画していきたいなーなんて思っている今日この頃。

何日か前に友人と遊んだ時に、
やたらと躁だったので、数日中にはとんでもない鬱がやってくるぞ。
なんて言ってたら、予想通りいらっしゃいました。

こういう時はムリヤリテンション高めるしかないでしょう…
むっひょーーーーーーー!!
ムチムチおねえちゃんのプリプリおしりーー
の横にフンコロガシーーーー!!!

優勝はなんとフンコロガシーーーーーー!
まさかの大逆転!!
今年もフンコロガシがやってくれましたーーー!!

※以下は優勝したフンコロガシさんの会見での言葉

『僕はフンを“転がした”なんてことは思ったことはないよ。
無心にさえなれれば、
いつだって僕の未来の方へフンが転がっていってくれるんだ。
僕はそれに素直に必死についていくだけさ。
そうしていれば、いつだって結果は向こうから訪れてくれる。
本当に必要なのは<フンを信じる気持ち>さ。

あとは、うーん、そうだな…
強烈な匂いをこらえるために鼻炎になることかな!(笑US)』

と、会見では痛快でユニークなフン冗談をかます余裕まで。
しかし記者団の方は本当に強烈な匂いにやられてしまっており、
記者会見の映像中に続々と倒れていく人が続出した模様です。
現在フンコロガシ選手は業務上過失糞害致死により、
当局の捜査を受けているそうです。
関係者筋からの情報によりますと、
フンコロガシ容疑者は
『俺はただ転がしただけだ、フンはしていないだろう』などとコメント。
所詮フンとフンコロガシはただの糞命共同体だったということでしょうか。

記者会見時の『僕はフンを"転がした”なんてことは思ったことはない』や
『本当に必要なのは<フンを信じる気持ち>さ。』

などのコメントを自ら翻し、
信じると宣言したばかりのフンを裏切るかのようなフンコロガシ容疑者。
事態は裏目へ裏目へと転がっています。
おっと別にフンコロガシだけに転がるなどと、
上手く言おうとした訳ではありませんが(笑いグソ)

記者会見の時には一人称が「僕」だったのが、
「俺」になっているのもフンコロガシ容疑者の二面性を感じさせますねぇ。
フンをただの道具くらいにしか思っていなかった
ツケを払わされた形でしょうかねぇ。

ちなみに僕はこういう時にコメントをもとめられたら、
『クソッタレ!!!』
と言うのが正解だと思いまーす。

さ、今日のブログは途中から完全に頭がおかしくなったねー。
ビデオカメラ買ったら、こういうノリの映像作品とかも作ってみたいけどね。
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