殺すぞ
正直、ここ2週間ほどで、
自殺が頭をよぎった回数は数え切れない。
看病ノイローゼで頭がおかしくなりそうだった。
親父が奇跡的に一命をとりとめて、
病院から退院したまでは良かったのだが、
呼吸停止まで行ったせいか、
脳にダメージがあったようで、
退院後の数日は昼夜問わずに怒鳴り散らし
訳のわからない行為を繰り返していた。
最近では少しずつ回復もしてきて、
俺も眠れるようになったが。
本当に親父の退院後の1週間はキツかった。
病院に入院させてくれと頼んでも、
会話も歩行もできる人間を入院させる訳にはいかない、
という理由で精神科への入院を勧められる。
しかし、親父は人工透析を二日に一度必要とする身体な為、
人工透析の設備を持たない病院への入院は難しい。
そうなると奈良では選べる病院というのは限られてくる。
いくつかの病院を回ったが、
どの病院からも入院は拒否された。
正直、一番キツい時を越えた今では、
親父を入院させる必要性はそれほど感じない。
一番危なかった状態の時、
親父はボヤを出したり、
自殺未遂をしたり、
深夜に徘徊して俺の車のガレージで裸で倒れたりしていた。
こんな状態が一体どれだけ続くのだろう?
俺は途方に暮れた。
プライベートな時間など当然ない。
家から外には出られない。
眠ろうにも昼夜問わず叫び続ける父親の声に、
頭の中を掻き毟られ、何度も気が触れる寸前まで行った。
いっそ親父を殺した方が楽だろうか。
それとも俺が死んだ方が楽だろうか。
ノイローゼは限界まで来ていた。
それでも親父を励ましながら、
なんとかかんとか毎日をやり過ごした。
終わらない台風が過ぎるのを待つ気分だ。
口は「大丈夫だ」と告げる。
それでも心は「限界だ」と警鐘を鳴らし続けていた。
親父が退院してから数日し、
相変わらず深夜徘徊を繰り返す親父を夜中に捉まえて家に連れ戻した時、
俺は一気に溜めていたものを吐き出すように、
「いい加減にしろ!!」と親父を玄関に突き飛ばしていた。
そんな言葉を。
どういう状況で言われているかも分からないような状態の親父に、
平気でぶつけてしまえるほどに俺の精神は磨耗していた。
右手を振り上げて、
親父に向けて思いっきり振り下ろしてやろうかと思った。
けれど、それは出来ずに、
家の壁にそのまま打ち付けたら壁に大きな穴が開いた。
自分をそのまま見せ付けられたようだった。
壁の穴からは冷たい風がビュゥっと入ってきて、
『殺すぞ』とはっきり親父に告げてしまった。
ぼんやりとしていた親父の目に火が入り、
『やってみんかい』と言い返された。
…なんだ、まだ大丈夫だ。
言い争いができるなら回復だってできるはずだ。
会話が成立するなら、少しずつでも回復を待てるはずだ。
殺そうと思えた人間のことなんて放っておいて、
少しだけ自分の為だけに眠れるはずだ。
俺は親父に「すまん、寝よか」と一言だけ言って、
親父をそのまま部屋へと連れて上がり。
「すまんな」と謝る親父の声をドアごしに聴いて部屋に戻って寝た。
久しぶりに深い睡眠をとった。
翌朝、家は親父によって
引っ掻き回されて無茶苦茶な状態になってはいたが、
俺の心は回復していた。
散らかったものは、また片付ければいい。
渡して危ないものなら隠せばいい。
外に出すのが危なければバリケードを作ればいい。
そうして毎日を少しずつ進めていった。
限界を感じたら無理をせずに、親父を放置して睡眠をとった。
親父は何度もバリケードを破って家の外に出た。
それに我慢ができずに腹を立てたりもしたし、
その後も何度も何度も言い争いはあったが、
親父は毎日少しずつ回復しはじめた。
それが見て取れると、
自分の負担が減るという嬉しさと同時に、
親父の回復を素直に喜べている自分にも気がつく。
これまでも何度か親父に対して
『殺すぞ』という言葉を使ったことがあったが、
今回ほど痛切なものはなかったように思う。
その言葉は自分にも向けられたものだった。
この状況に負けて親父に『殺すぞ』と言ってしまったのは俺だ。
いつもなら100%親父が理不尽な状況で、
その言葉が飛び出すのだ。
しかし、今回は自分の辛さに耐え切れずに出た言葉だった。
だから俺の反省もいつもよりも遥かに深かった。
それが親父に伝わったのかどうかは知らない。
けれど、少しずつまともになっていく親父の姿と、
少しずつまともな生活を取り戻していく自分の時間。
何故か、その出来事の前と後では圧倒的に何か違う気がする。
親父に対して、
これほど素直に優しい言葉をかけてあげられるようになったのか。
と自分でもびっくりするほどに。
お互いに「すまない」と思い合える心の出発点には、
支えあう限界点があった。
その限界点を越えてしまえば、
諦めのボーダーも分かる。
そうなれば多少の苦労など苦労にも感じない。
出来ることは出来るし、
出来ないことは出来ない。
ならば出来ることは精一杯してやろう。
ただそれだけでいいのだ。
簡単なことだ。
その簡単なことに至るまでが、どれだけ長く感じられたことか。
屋内にできた壁の穴は鏡で隠した。
特に大きな意味があってやった訳じゃないけど、
自分の心の中にできた穴の上に、
表面上の俺を見るための鏡を乗っけた。
病院の人も、親類も。
俺のことを優しい人だという。
どこまで本気で言っているのか怪しいもんだが、
その優しさってのは、
親殺しの可能性を持った人間の表層的な一面に過ぎない。
鏡の向こうに冷たい風を送る穴がボッコリと開いている。
よく俺に似ているなと思う。
それが少し、自分を戒める力になる。
自殺が頭をよぎった回数は数え切れない。
看病ノイローゼで頭がおかしくなりそうだった。
親父が奇跡的に一命をとりとめて、
病院から退院したまでは良かったのだが、
呼吸停止まで行ったせいか、
脳にダメージがあったようで、
退院後の数日は昼夜問わずに怒鳴り散らし
訳のわからない行為を繰り返していた。
最近では少しずつ回復もしてきて、
俺も眠れるようになったが。
本当に親父の退院後の1週間はキツかった。
病院に入院させてくれと頼んでも、
会話も歩行もできる人間を入院させる訳にはいかない、
という理由で精神科への入院を勧められる。
しかし、親父は人工透析を二日に一度必要とする身体な為、
人工透析の設備を持たない病院への入院は難しい。
そうなると奈良では選べる病院というのは限られてくる。
いくつかの病院を回ったが、
どの病院からも入院は拒否された。
正直、一番キツい時を越えた今では、
親父を入院させる必要性はそれほど感じない。
一番危なかった状態の時、
親父はボヤを出したり、
自殺未遂をしたり、
深夜に徘徊して俺の車のガレージで裸で倒れたりしていた。
こんな状態が一体どれだけ続くのだろう?
俺は途方に暮れた。
プライベートな時間など当然ない。
家から外には出られない。
眠ろうにも昼夜問わず叫び続ける父親の声に、
頭の中を掻き毟られ、何度も気が触れる寸前まで行った。
いっそ親父を殺した方が楽だろうか。
それとも俺が死んだ方が楽だろうか。
ノイローゼは限界まで来ていた。
それでも親父を励ましながら、
なんとかかんとか毎日をやり過ごした。
終わらない台風が過ぎるのを待つ気分だ。
口は「大丈夫だ」と告げる。
それでも心は「限界だ」と警鐘を鳴らし続けていた。
親父が退院してから数日し、
相変わらず深夜徘徊を繰り返す親父を夜中に捉まえて家に連れ戻した時、
俺は一気に溜めていたものを吐き出すように、
「いい加減にしろ!!」と親父を玄関に突き飛ばしていた。
そんな言葉を。
どういう状況で言われているかも分からないような状態の親父に、
平気でぶつけてしまえるほどに俺の精神は磨耗していた。
右手を振り上げて、
親父に向けて思いっきり振り下ろしてやろうかと思った。
けれど、それは出来ずに、
家の壁にそのまま打ち付けたら壁に大きな穴が開いた。
自分をそのまま見せ付けられたようだった。
壁の穴からは冷たい風がビュゥっと入ってきて、
『殺すぞ』とはっきり親父に告げてしまった。
ぼんやりとしていた親父の目に火が入り、
『やってみんかい』と言い返された。
…なんだ、まだ大丈夫だ。
言い争いができるなら回復だってできるはずだ。
会話が成立するなら、少しずつでも回復を待てるはずだ。
殺そうと思えた人間のことなんて放っておいて、
少しだけ自分の為だけに眠れるはずだ。
俺は親父に「すまん、寝よか」と一言だけ言って、
親父をそのまま部屋へと連れて上がり。
「すまんな」と謝る親父の声をドアごしに聴いて部屋に戻って寝た。
久しぶりに深い睡眠をとった。
翌朝、家は親父によって
引っ掻き回されて無茶苦茶な状態になってはいたが、
俺の心は回復していた。
散らかったものは、また片付ければいい。
渡して危ないものなら隠せばいい。
外に出すのが危なければバリケードを作ればいい。
そうして毎日を少しずつ進めていった。
限界を感じたら無理をせずに、親父を放置して睡眠をとった。
親父は何度もバリケードを破って家の外に出た。
それに我慢ができずに腹を立てたりもしたし、
その後も何度も何度も言い争いはあったが、
親父は毎日少しずつ回復しはじめた。
それが見て取れると、
自分の負担が減るという嬉しさと同時に、
親父の回復を素直に喜べている自分にも気がつく。
これまでも何度か親父に対して
『殺すぞ』という言葉を使ったことがあったが、
今回ほど痛切なものはなかったように思う。
その言葉は自分にも向けられたものだった。
この状況に負けて親父に『殺すぞ』と言ってしまったのは俺だ。
いつもなら100%親父が理不尽な状況で、
その言葉が飛び出すのだ。
しかし、今回は自分の辛さに耐え切れずに出た言葉だった。
だから俺の反省もいつもよりも遥かに深かった。
それが親父に伝わったのかどうかは知らない。
けれど、少しずつまともになっていく親父の姿と、
少しずつまともな生活を取り戻していく自分の時間。
何故か、その出来事の前と後では圧倒的に何か違う気がする。
親父に対して、
これほど素直に優しい言葉をかけてあげられるようになったのか。
と自分でもびっくりするほどに。
お互いに「すまない」と思い合える心の出発点には、
支えあう限界点があった。
その限界点を越えてしまえば、
諦めのボーダーも分かる。
そうなれば多少の苦労など苦労にも感じない。
出来ることは出来るし、
出来ないことは出来ない。
ならば出来ることは精一杯してやろう。
ただそれだけでいいのだ。
簡単なことだ。
その簡単なことに至るまでが、どれだけ長く感じられたことか。
屋内にできた壁の穴は鏡で隠した。
特に大きな意味があってやった訳じゃないけど、
自分の心の中にできた穴の上に、
表面上の俺を見るための鏡を乗っけた。
病院の人も、親類も。
俺のことを優しい人だという。
どこまで本気で言っているのか怪しいもんだが、
その優しさってのは、
親殺しの可能性を持った人間の表層的な一面に過ぎない。
鏡の向こうに冷たい風を送る穴がボッコリと開いている。
よく俺に似ているなと思う。
それが少し、自分を戒める力になる。
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