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最期の炎

別になんということは無い。
僕の心はもう壊れる寸前だった。

たぶん最後の炎が燃えている。

だからこんなにも暖かい。
さようならの準備をしよう。

気がつかないフリをして。
足元を見た。
細く鋭い刃など、存在しなかった。

その上を歩く足などなかった。

僕の芯だったはずの心は、
簡単に世界の色を変えてしまう。

誰かに縋れる強さが欲しい。

予感なんて正体のないものに縋らなくちゃならないほど、
僕はひどいところに来ていたんだ。

ああ、僕には何もないんだ。
最後の炎が燃える。

多分、僕が残せる貰ったエネルギーの全てだ。

あんなに沢山もらったはずの幸せは、
僕の虚無が食らい尽くしてしまった。

明日になれば、今すら忘れて笑う僕よ。
死んでしまえ。
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それぞれの観点

あらゆる物事を観るにつけ、
つくづく世の中というのは『観点』に支配されていることが分かる。

体罰による問題が表層化されると、
一部で体罰はいけない!
という風潮が強くなってくる。
当然、今度はそれに対する反作用として
時には体罰も必要だろう!
という流れも生まれる。

俺は体罰なんてあろうがなかろうがどっちでもいい。
そんな事を気にしすぎている時点で、
あんまり本気で子供のことを考えてやれてない気がするけど。

例えば、殴られても全然嫌じゃない先生もいれば。
逆に、こんな奴に殴られてたまるかと思う先生だって当然いる。
特に熱血の押し売りみたいに殴られるのは最悪。
そういうのは青春がバクハツしているような奴らでやってくれ。
ってな感じで、たぶん子供の頃は思っていた。

悪いことをしたら殴られるのは仕方ないとは思うが、
口で言ってわかるくらいの事で手を出されると腹は立つ。

『おい始業ベルがなったら教室へ入れと言っただろう!』
この程度のことでペシーン!と挨拶代わりに廊下で殴られたら、
俺なら100%挨拶代わりに殴り返す。

俺が子供の頃は、生徒はストレス解消の道具
くらいに思っている教師もいたように思う。
というか今でも同じような奴はいるはずだ。
そのストレス解消方法が体罰でなく
嫌らしいネチっこい方法に変わっているんだろう。

結局、体罰のみを取り上げて、
問題の根幹が放っておかれるから何も解決しないのだ。
むしろ『体罰は絶対的に悪いこと』という風潮のせいで、
逆に問題があっても表層化しにくくなっている可能性がある分、
今の方が性質が悪いかもしれない。

とにかく体罰の話っていつもピントがボケていくから、
それがなんか嫌なんだ。

体罰のみを語る際に。
体罰の原因となった問題の核は既に放棄されている。

体罰だけを取り上げて語る時点で、
学校における諸問題を見直す観点からは既にピントがズレている。

それでもあくまでも体罰だけを取り上げるというのならば。
まず教師と生徒という図式や、
大人と子供という風に分けて考える所から出よう。

『口で言って分からぬ奴には時には体罰も必要だ』

そういう考え方をする教師がいてもいい。
だがもし、そのスタンスを通す教師自身が間違えた場合は、
ちゃんと生徒からも殴られてやらねばなるまい。

その程度の覚悟もなく生徒に手を上げる教師ならば、
やはり最初から手は上げない方が賢明だろう。

子供に善悪の判断がつくはずがないとか。
少なくとも現時点で俺が最低限必要だと思うモラルは、
小学4年生の頃には十分に備わっていたと思う。

というよりも、
それを備わらせるのが学校や親や周囲の大人の役目だ。

『教師は大人だから、子供のお前らより正しいに決まっている』

こんな風に考えて体罰をふるう奴は論外。
けれど、ここまであからさまじゃないにせよ、
案外これって誰にでも身に覚えがある感覚じゃないだろうか。
根拠の無い偏った正しさ。
たぶん誰でも、そういう危ういものを抱えて生きている。
それを抱えたまま、他人との関係を作らざるを得ない。

無根拠に自分の正しさを信じ、それを他人に強要する。
知らず知らずのうちに自分もそうなってはいないか?
俺は常に自分に問いかけ続けていないと不安で仕方ない。

自分の正しさを貫くために他人に干渉するならば、
自分自身もそれと同等の干渉を受ける覚悟がなければいけない。
その覚悟がなければ、どれだけ愛や熱意なんて物があったとしても、
体罰はただの暴力にしか過ぎないだろう。

なぜ教師が生徒との関係性において、
教師という立場でいられるのか?

それは教師が生徒よりも多くの物事を知っており、
知っていることを生徒に伝えることができるからだ。
役割で言えばそれだけだ。

それ以外の部分は教師と生徒を大きく隔てるものはない。
大人と子供の関係もそうだ。
子供だから許されるということも偏っている。

大人が子供に「悪いことをしたら殴られる」
ということを分からせるのに一番良いのは。
悪いことをした子を殴って見せることよりも、
悪いことをした大人が殴られている所を見せることじゃないかな。

少なくとも俺は自分が子供の頃、
大人が殴られているのをよく見た。
それは筋が通っている場合もあったし、
ひどく理不尽な場合もあった。
しかし、これほど分かりやすい社会の縮図もないだろう。

そこには嘘がなかった。
大人も嘘をつくし、子供と同じで弱いのだ。
という真実が実感としてあった。

俺はそうした状況が良かったとは思わないが、
少なくとも、そんな社会を知りもしないで、
甘ったれた嘘の社会を語る大人の言葉よりは、
ずっと生々しい社会の実態の一端を実感できたと思っている。
知らないよりはずっと良い。

少年時代。
学校からは、
教科書の暗記と中途半端な協調性しか教わらなかった。

ルールや社会通念なんてものは平気で通用しなくなる。
自分がそんな理不尽な世界に生きていて、
いつか自分も突然そっち側に行くことだって
十分ありえるということを。
俺は大人から言葉じゃなく事実として教えてもらった。

それが俺の『観点』の原点なのだろう。

だからこそ嘘のキレイ事を並べる大人が大嫌いだ。
お前らが社会とやらを語る時に、
自分の知らない社会のことを頭に入れてもいない時点で、
お前らの語る社会とやらは既に社会じゃないじゃないか。
って、ずっと思っていた。

そんな理不尽な現実を知ってもなお、
キレイ事を言う覚悟を持った大人は本当に格好いい。
それが本当の意味での社会人ってもんだろう。

自分の知らない世界のことなど
はなから切り捨てて考えている奴らが語る社会なんて、
この世界にいる一体何%の人間の社会なんだろうな。

そしてその社会は、その社会だけでは
絶対に成立なんてしやしない。

つくづく世の中というのは『観点』に支配されているんだなぁ。

今年の抱負

やっぱり年が明けてから、
一ヶ月くらいは意思をまとめる時間が必要だね。

なんとなく去年の暮れくらいから感じていたことや、
それ以前から考えていたこと。
今年のこの抱負に込めておこう。

「全てを楽しもう!」

今年は自分を磨く年にしたいと思っていて、
その為には努力を沢山しなくちゃならない。
さらに色んな人の笑顔が見たいだとか、
「自分の為」が「誰かの為」にもなるようになんて考えてた。

なら俺が楽しんだ分のエネルギーが、
少しでも俺を通して誰かに伝わればいい。
じゃあ俺が全てを楽しんでいれば、
ちょっとでもその分の幸せは還元されていくだろう。

去年の暮れの記事で、
『なんとなくだが、色んな人の笑顔が見たい』
なんて書いた時には、
書きながら自分自身で、
流石に自分の目標と違いすぎるかもしれんと思ったが。

直感に素直に生きることをモットーとしているので、
年が明けてから頭の片隅に置いていたものが、
じわじわと輪郭を帯び始めてきたので何か掴める気がした。

いざ言語化してしまえば筋の通った抱負に思える。
自分に科す目標や、自分の望む状態すべてを包括できる言葉だ。

たぶん、こうして人は空っぽから何かを救い上げていくんだ。

遠い予感

なんだかよくわからない力に、
引っ張りあげられていく感覚。
よっしゃ、何か知らんがやったろうじゃないか。

こっからがスタートってことですかい。
長いプロローグでしたこと。

焦らず、じっくりと。
遥か彼方を意識に置いて。
足元を見ながら、集中力を研ぎ澄ませ。
細く鋭い刃の上を行く為に。
歩くための力を溜めろ。

着火マン

今日は久々に音楽について熱く語り合ったり、
おぼろげながらも見てみたい未来を話したりした。
のろけ話を聴かされた俺はムカつきながらも
幸せのおすそ分けを貰ったようで少し嬉しい。
他にも嬉しいこといっぱい言われた。

うん。
いいね。
この感じだ、この感じ。

意味なく力が溢れてくる。

世の中は不況だなんだと悪い方向へ傾きかけているが、
俺は今はじっと、この力を溜め込んでおこう。

小さな喜びを拾っていこう。
待ってろよ、いつか皆にバラまいてやる。
幸せなんてあの世には持っていけないんだ。
全部やる。
俺の貰った幸せは全部、世界にお返ししてやる。

誰かと自分を比べずに。
自分が見る世界を、そのままに受け止めていこう。

滞留する激情をエナジーの奔流へと変える為に。

WAOを聴いたよ!

ユニコーンの新曲WAO!を聴いた。
まさか復帰一発目のシングルで、
メインボーカルを阿部Bで来るとはw

民生はサイドギターに徹するのか?
PVだとカウベルみたいなのを叩いてたけど。

要素の詰め込み方とか、
ごった煮感がまさしくユニコーンだなぁw

とりあえずは来週のMステに出るみたいなんで、
もし見れそうだったら見よう。
過去曲とかも含めたメドレーでやると聞いたんで、
民生が歌わずに終わることは無さそうか。

逆に民生が歌わずに終わるほうが面白いけどなw

まあ何はともあれ、
このWAO!の出来栄え的にシャンブルにもかなり期待できそうだ♪
ツアーチケットも取れたし。

せめて、ちゃんとしようや

ある元芸能人の方が覚せい剤で逮捕されたが、
その交際相手の逮捕が原因で元芸能人の方は逮捕されたそうだ。

では何故その交際相手の一般人は実名報道されないのか。
不愉快だし、違和感がある。

俺は今回逮捕された元芸能人の方のことは、
申し訳ないが名前と顔くらいしか知らなくて
特に思い入れもない。

だがネット上の記事などでは
元芸能人の方の名前はバンバン飛び出しているのに、
逮捕された交際相手の男の実名を、
2009年1月24日現在 俺はまだ一度も見ていない。

交際相手が一般人だからなのか?
いやいやー、普通は覚せい剤所持は一般人でも実名報道ですよね。

現時点ですぐに実名報道すると、
何かに影響を及ぼすような人物だからなのか。

例えば関係者の株の売り抜きを待つ間、
実名報道が伏せられているであるとか。

そこら辺の実際のことは分からないが、
とにかく報道が不自然で見ていて気分が悪い。

少なくとも現時点で分かっているのは、
今回法律違反を犯した人物は二人で、
その内の一人しか大々的に実名報道されていないという点。

もし捜査の都合などで警察から支持を受け、
報道規制されているというのであれば、
逮捕された元芸能人の方も、
その交際相手の男性が実名報道されるまでは、
実名報道をしないようにしなければならないだろう。

それが最低限、
報道に携わる人間が持たねばならないモラルだと俺は思う。

これでは下世話な感情を煽っているだけだ。
胸糞が悪い。

京橋花月に行ってきたよ

書くの忘れてたけど、
今週の頭に京橋花月に行ってきた。
劇場のキャパは500席らしい。
NGKで慣れていたので、
少し小さめの会場に引きこもりらしく落ち着く。

メインの目的は月亭方正(山ちゃん)を見るためだったんだけど、
他の出演メンバーも豪華だったので非常に楽しかった。

トップバッターは青空だった。
少し遅れてしまいネタ中に入ることになって申し訳なかった。
テレビも全然見なくなったので、
岡さんが妊娠していることを初めて知った。
青空の漫才もちょっとずつ変化している感じを受けた。
以前よりも柔軟な形でネタを作れてる印象。
ただ、もう少し声が出ていればなぁと思ったけど。

ネタ順は青空、笑い飯、フットボールアワーと来て、
お客さんが暖まったあたりで我らが月亭方正。

演目は「猫の茶碗」という比較的有名な古典。
「猫の皿」とも言う。
話自体は短くて、筋の覚えやすい良いネタです。

枕は年末のガキのモリマン対決や蝶野さんのビンタの壮絶さの話。
ゴボウはただの木やというフレーズを生で聴きましたよw
そこから八方師匠から屋号を貰った話へ移行し、
多少バタつきながらも徐々に本ネタへ。

当然だけどカミシモもしっかりしているし、
演技力もあるので演じ分けが上手い。
もちろん間の取り方とか、言葉尻が乱れたりとか、
まだまだ荒い部分は沢山見えるんだけど、
しっかり古典の中に山崎邦正という人間が入っている。
これがとにかく凄い。
むしろここが一番難しい部分なのだ。

持ちネタの数が増えたり、創作を始めたりしたら、
山ちゃんの評価がガラっと変わる可能性もあるなぁ。

もしかしたら10年後には『方正師匠』
なんて呼ばれる山ちゃんが見れるかもしれないw

さて、そんな『のちの方正師匠』の後は、
確か$10、ケツカッチン、月亭八方、大木こだま・ひびき
っていう順番だったかな。
で、その後に新喜劇があって公演終了。

12時開演で確か4時くらいまでやってたので、
値段の割りにはかなり楽しめたと思う。

この日はケツカッチンのウケかたが尋常じゃなかったなぁ。
ネタ自体も面白かったけど、
何より劇場の空気の掴み方が凄かった。

個人的には新喜劇の島木譲二が気が狂うほど面白かったw
あれだけ自分のギャグの段取りを忘れられるものなんだろうかw
怖さ半分、面白さ半分だったw

新喜劇も生で見るのは恐らく高校以来ぐらいなので、
久々に楽しませて貰った。
アナウンスでは確か台本は徳田さんという人だと言っていたが、
突然ライオンキングばりに入る「ひょっとこの唄」が壮絶だった。
これがその徳田さんの台本か、
芸人さん側からのネタ出しかは分からないですが面白かったです。

ちなみに「のちの方正師匠」の師匠である
八方師匠がやったのは「住吉駕籠」という古典落語。
この「住吉駕籠」は江戸前では「蜘蛛駕籠」といわれる。
店をかまえず街道で蜘蛛のように網を張って客を待つ駕籠屋の話で、
その駕籠屋が変な客にばかり当たってしまうというドタバタものだ。

駕籠屋が騙されて二人の客を一つの駕籠に乗せて、
そのせいで駕籠の底が抜けてしまう。
最終的に駕籠屋二人の足と、駕籠の中から客二人の足が出て。
駕籠から八本の足が出ているという状態になる。
そこで『見てみぃ、あれがほんまの蜘蛛駕籠や』というのが本来のサゲ。

しかし最近はその前の酔っ払いの客とのくだりで終わるパターンも多く、
この日に八方師匠がやったのも酔っ払いの所まで。
流石は八方師匠、とんでもない上手さで落語を楽しませてくれました。

この演目は登場人物や必要とされる独特の動きも多く、
間の取り方やテンポ調整に加えて、
「寿限無」や「田楽喰い」のように、
長ゼリフを暗記してバッチリ決めないといけないので、
個人的にはやるのは難しい部類の演目だと思っている。
師匠クラスの方に難しい演目やってるから凄いなんて言うつもりは毛頭ないが、
それでも上手さを感じずにはいれなかったなぁ。

やっぱり生で笑いを見るのはいいもんですね。
とにかく見ている間の集中力が違う。
これからもたまには劇場に足を運ぶようにしよう。

ちなみにテレビでは先日のリンカーンで見た
RGの「歌舞伎あるある」に腹がよじれました。
テレビの場合は劇場と違って、
あのRGをお笑い好き以外が見ている可能性まで込みで面白いんだよなぁ。

テレビは劇場よりも大衆的な場所だ。
どの世代の人でも無料で簡単に見ることができる。
だからこそRGが面白くなり得る。

やっぱりテレビは華やかな場所のままであって欲しい。
そこにRGのような芸人が出ているのが面白いのだから。

『メリハリ』のメリって何?

俺は気になったことを、すぐに調べる癖がある。
これは良いことでもある反面、
知らなかった頃の自分には二度とは戻れなくなるという、
ある種の絶対的な喪失を伴う。
知らないということは、とても貴重な状態である。

しかし、気になることは調べたい。

じゃあ、まずは気になったことをあえて調べずに
勝手に妄想して書いてしまったらいいのではないか。
ということで始めました、妄想調書のコーナーです。

・『メリハリ』の「メリって何?」

よく「メリハリをつけて行動しなさい」なんて事を言われるが、
恐らくメリとハリは別々の語句だと思うんだよ。
ハリは多分「張り」って字を書くはずで。
イメージ的には糸がピンと張っている感じで、
しっかりしている方のポジティブな意味だ。

メリハリをつけるとは力の入れ所と抜き所をハッキリさせる。
というような意味だろうから、
残るメリの方はネガティブな意味の単語なのだろう。
「メリ込む」なんて言葉もあるから―
―多分へこむ系の単語だ、そういうことにして置こう。

よし、では「へこむ」くらいの意味で考えていこう。

とすれば動詞的な活用方法としては、
『メリってる』なんて言い方もできるだろう。
恋人と別れた友人なんかを表現する時に使おう。

『メリーさんの羊』を俺流に意訳すれば、
「へこんだ人の羊」となり。
へこんだ人を暖める羊の温かみこそが主役に思えてくる。

『メリークリスマス』だと
「へこむクリスのチンポ」ということになり、
もはやクリスのチンポは真逆に勃起していることになってしまう。

うーむ、メリは難しい。

ただ実は。
途中くらいに、パソコンから恐らくではあるが、
半強制的にメリの正体を教えられてしまったんだよね。

メリハリだけだと変換を押しても漢字がでなかったし。
「めり」だけをカタカナに変換するのは無変換キーで変換するので、

「メリ」が漢字で「減り」と書くということに気づいたのは、
「めり込む」の変換候補を見た時だったよ。

「減り込む」という字が一瞬見えて。
ぼかぁ、急激に冷めたね。
推理小説の途中で急に犯人言われた気分だったよ。
例えが普通すぎるって?
すんません
俺、今かなり『メリってる』んで。

もう一度、その辺りを読んでもらえば、
一度記事を書くのをやめかけたけど、
無理矢理に自分を奮い立たせて、
予定通りに自分が思っていた事を書こうとして
頑張った感が出ていると思いますw

この辺が大人になった所だね。

脳エロス

体外離脱にハマっている話は随分前に書いたので、
それ以降の話をしてみよう。
ちなみに後半からとんでもない下ネタになるので注意。

体外離脱にハマるきっかけとなったのが、
おべぱるす」というツール。
これはパルス音を聴くことによって脳波をコントロールし、
明晰夢を見ることができるようになるというもの。
明晰夢ってのは簡単に言えば自分の意思で見れる夢だ。
つまり体外離脱とは幽体離脱のようなものではなくて、
身体から意識を引き剥がしてコントロールできる状態のこと。
っていう認識が一番近いかな。

つまり「おべぱるす」とは、
いわゆる脳波コントロール用音響ツールだ。

それに似たものでは「ヘミシンク」というものがある。
これは特定の周波数の音を両耳から聴かせて、
脳波をコントロールするものだ。
バイノーラル・ビートなどとも呼ばれる。

ヘミシンクはヒーリングCDなどにも技術が流用されていたりして、
色んなところで活躍の場が広がっているようだ。
その分、フリーで手に入る素材は少ないのが寂しいところかな。
フリー音源を置いてるサイトのリンクを張ろうかなとも思ったんですが、
気になる人や欲しい人は自分で検索して
知識的な段階を踏んでからたどり着く方がいいと思うので、
ここではリンクは張りません。
見つけようと思えばすぐに見つかるし。

ちなみに。
俺が「おべぱるす」や「ヘミシンク」を使って、
体外離脱の練習だけをしているだけなのかといえば違う。

上でも述べたように、
これらは脳波をコントロールする為のツールであり、
一度感覚を掴んでしまえば その使い方には流用が利く。

例えばオナニー。
むしろ体外離脱は何度か経験した程度では、
安定して離脱できるレベルには至れないので、
体外離脱の訓練の方をオマケ程度に考えておいてもいいくらい。

「おべぱるす」や「ヘミシンク」を聴きながら、
官能小説やエロ本を読んだり、エロい妄想したり。
音を消したり小さくしたAV見たりするのでもOK。
それだけで没入感が段違いになる。

さて!

そんな「おべぱるす」や「ヘミシンク」オナニーにハマってきた俺ですが。
お次は正真正銘 エロのみに焦点を絞った次世代エロス。
催眠オナニー」です!

これ凄いんすよ。
今ハマってるのは断然これ。
もっと盛り上がって色々な作品が増えて欲しいんだけど、
盛り上がりすぎると過剰規制の昨今。
せっかく現時点で世界最先端エロスの一翼を担うであろう
「催眠オナニー」が規制されたりすると嫌だなぁと。

「催眠オナニー」というくらいなのだから、
当然「催眠」効果はある訳だ。
悪用しようと思えば方法も色々と考えられる。

しかし、そこはさすが和を重んじる日本人。
現在は自主的な倫理感で絶妙なバランスを保持している。

これは簡単に言ってしまうと、
『現実と虚構の区別がつかない』
ような奴には向かない。んだけど。

作品自体では
『現実と虚構の区別がつかない』
状態に脳を持っていくように作られている。

その為、逆説的な矛盾が生じてしまう。
むしろ『現実と虚構の区別がつかない』のはダメだという前提の下、
『現実と虚構の区別がつかない』状態に持っていかれることによって、
脳の錯乱状態を生み出すことが目的のようなもので、
矛盾自体が目的なのだという複雑な構造になっているとも言える。

当然最後には催眠や暗示の全ては解除されるので、
現時点で俺が触れた催眠物は倫理的には問題ない。
逆に言えば、今はそれを楽しむことのできる
特定の人間同士が盛り上がっているだけだから成立している。
とも言えるかもしれない。

「おべぱるす」や「ヘミシンク」との根本的な違いは、
「催眠オナニー」は脳波を自分以外にコントロールされる感覚になるということ。
当然、何も知らない人間に急に催眠をかける訳ではないし。
自分が催眠や暗示にかかりたいという欲求を持って、
催眠や暗示に許容的な姿勢で望まなければ、
恐らくほとんど効果は得られないだろう。
それは「おべぱるす」や「ヘミシンク」にも言えることだ。

つまり、自分の意思を見失って、
他人の思い通りにされてしまう。
なんて危険性は現時点では皆無と言って良い。
かかり易い人っていうのはいるみたいだけど。

強制力を持つ暗示や催眠をかけるというのは、
日常生活の中で反復させたり、
暗示をかける際に薬物などを使用したりしない限りは、
基本的には出来ない。

催眠系のものを楽しむ為の指針としては、
暗示や催眠に自らの意思でかかって楽しもうとする姿勢と、
そんな自分を俯瞰から見て、
心の重要な部分にバリアを張る姿勢の両方を持っておくといいだろう。
そうすれば万が一、悪意ある作品と出会った場合でも
催眠なんかにかからずに済むはずだ。

「催眠オナニー」がもっと盛り上がって欲しいのは
作品的にどうにも熟女ものが少なくて寂しいからだ。
というか、自分で催眠のスクリプト考えて、
ネット上で活動してる声優さんに依頼すれば、
自分の求める作品を作ることもできるんだよなぁ…
などと良からぬことも考えたりw
絵を描かなくても良いってのは結構でかいポイントなんだよね。

その為には催眠について、もっと造詣を深めないとダメだが。

それにしても。
こうしたジャンルが出来上がるのも、さすがは日本だ。
エロいことを低俗な物だと切り捨てていては、
このような物は作れない訳だ。

少なくとも催眠や暗示をかける為には知識が必要で、
さらに音響編集などにもこだわって時間をかける必要があり、
ドラマ的な内容にする為にはシナリオ構成や脚本も必要となる。
さらにそれを受け止められるレベルのリテラシーを持った層が、
ちゃんと一定数以上、存在しているというのも凄い。

ここから『日本のエロ文化は凄い!』
という方向に話を運びたいんだが、
今回の内容とはあまりにも関係ないので、
それはまた別の機会に。

例えば成年コミックとか。
あまり真剣に語る人が少ないジャンルだけど、
中には途轍もなく凄い人とかもいるので、
一度ちゃんと語りたいと思っております。

ここ最近はあんまりこんな記事を書いてなかったけど、
基本的に俺のブログってこうだからねw

にけつのチケット…

にけつin京橋、チケット取れず…

昨日の第二回先行発売で5分くらいで完売して、
電話が繋がったころには時既に遅し。
今日の一般発売も目覚ましかけて
チケット取りに躍起になったにも関わらず、
アクセス集中して、
ようやくアクセスできるようになった頃には予定枚数終了><

なんぼほど人気あんねん…
久しぶりにチケットってこんなに取るのが難しいのだと感じたよ。
コバやジュニアは大阪時代から人気は半端じゃなかったが、
全国区で売れての凱旋なんで更に競争率はアップしたようだ…

ヤフオクやダフ屋から買うのもシャクなんで、
今回は諦めることにして、
月亭方正(山ちゃん)が出る日のチケットを取ろうと心に決める。
持ちネタは「阿弥陀池」と「猫の茶碗」と「貧乏神」の3本らしい。

一番近いのは1月19日(月)か2月2日(月)のどっちかやね。
これからも京橋花月には月一くらいで出てくれるみたいなので、
行ける時には行こうかな。

世界が壊れても歯車は回らざるを得ない

資本主義的な社会構造が破綻を見せ始めている昨今。
これからの世界が一体どういう方向へ向かうのかはわからない。
しかし、それゆえに色々と考えさせられることも多い。

仕事とはどういうことか。
働くとはどういうことか。
というのを俺はしっかりと考えなければいけない気がする。
何故、働くのか。
そして何故、毎日を生きていかなければならないのか。
人はどうしてこれまで生きてきたのか。
システムの中に取り込まれると、それを忘れがちになる。

「仕事」と「働く」は同義的な意味合いを持つ。

goo辞書で引いてみると
仕事は「するべき事」とあり。
働くは「肉体・知能などを使って仕事をする」とある。

「仕える事」とかいて仕事。
「人が動く」とかいて働く。
なるほどよく意味が通っている―

―しかし、俺にはそれらの言葉が
また違った意味合いに思えてくることがある。

「しごと」と「はたらく」という言葉には
二重の意味があるような気がするのだ。
仮に字を当てはめるとすれば
「私事」と「傍楽」という書き方が近い。

「私のためにする事」が
結果として「傍の人たちを楽にする」

当然それは理想論に過ぎず、社会はそう簡単ではない。
しかしそういった側面もあることは事実だと言っていいだろう。

我田引水という言葉がある。
これは自分の田に水を引くという意味で。
転じて「物事を、自分の利益となるように
ひきつけて言ったり、したりすること」(広辞苑)

という意味で使われる。
あまり良い意味で使われる言葉ではない。

しかし、自分の利益を考えて田に水を引けば田は潤い、
結果的にその田から得られた作物は
自分以外の誰かの為の物にもなり得る。

自分の為を思うことと、
献身的な精神は同居できるはずなのだ。

しかし好き勝手にやる為の言い訳として、
献身性を笠に着るのは論外だ。
結果的に誰かの為になっていれば、
何をしても良いという訳ではない。

何が良くて、何が悪いのか。
その共通認識の軸となるモラルを積み上げるのが、
世界的な教養であるはずだ。

誰の為にもならない「私事」は「傍楽」ことにはならない。
それはただの趣味だ。
しかしもし「私事」が誰かの為になったならば、
その「私事」は十分に「仕事」と同義的なものになり得るだろう。

「私のためにする事」が見つけられない人は
「仕える事」に意義を見出せばいいと思う。

ただ、どちらにも言える事だが、
自らの成すことに意義を見出し、
やり遂げようとする精神というのが
世の中を動かす原動力なのだということは
忘れてはならないよなぁと思う。

宇宙をかける少女

SF好きというものは、
常に新しいSFアニメに飢えておる訳で。
今期から始まった「宇宙をかける少女」という、
見るからに怪しいタイトルにまで手を出さなければならない訳だ。

なにせケロロの枠での放送なので、
どういった層をターゲットにしていて、
どのくらいの水準のSFを提供してくれるのかが気になる所だ。

ということで先日放送された第1話を見てみた。

タイトルから予想していたのは、
いわゆるSFベースの萌え系アニメなのかなという点。

始まってみると
SFの部分はあまりおざなりになっていないことがわかる。
それはSFレベル設定とでもいうもので。
作品の世界の中にあるSF的な小物などの、
水準値をどこに置いているかというので見極められる。

例えば現在のパソコンに順ずるようなものは、
どのようなデザインでどのような機能を持つのかとか。

また、これまでのSF作品では見られなかったような、
新しい発想のSF的な設定の素材をどう持ち込むかとか。

この宇宙をかける少女で最初に驚くのは、
メイドのような「しゃべるアンドロイド型のロボット」の中から、
「しゃべる小さな小型ロボット」がパカっと出てくる場面。
小型ロボットが外にでるとアンドロイド型のロボットは動かなくなってしまう。
この描写で小さな浮遊するロボットがアンドロイド型などのコアとなって、
それを操縦していたのだということがわかる。

つまり意思を持つロボットと、持たないロボットは
明確に分かれているということで、
その小さな浮遊ロボットが操縦を必要とする乗り物などに、
身体を接続して「アイハブコントロール」というと、
乗り物の操縦権を浮遊ロボットが得ることができる。
というレベルまではSF設定の考証に時間をかけている事がわかる。

さて、この辺でSF的なことは、とりあえず置いておくとして。

このアニメは一体どこがターゲットなんだ!?
という所がやたらと出てくる。

キャラクターと設定だけを見ていくと、
SFロボット学園ラブコメ物を狙っているのか?と思う。
カワイイ浮遊型ロボットが常について回っていたりしていて、
低年齢層向けのSFものかなぁという印象も受ける。

しかし中盤に差し掛かる頃、
宇宙が裂けて巨大なコロニーが飛び出してくる瞬間の作画。
この迫力はイデオン発動編のバッフクランや、
愛・おぼえていますかのゼントラーディのようなスケール感の描き込み方だ。
これだけお金をかけて、ただ単に低年齢層と萌え層を獲得する為だけに、
人気獲得の難しいSFに手を出すだろうか?
という疑問が俺の中に湧き上がってくる。

そして描写に関しては手書きのメカニックと、
モデリングCGのメカニックとの二種類を使っていることが判る。
ロボットや宇宙船などのメカニックは手書きで表現するのと、
モデリングしたCGを使うのでは作業量に雲泥の差がある。

あえてメカニックを手書きでやろうとすると決めたということは、
今後その部分に力を入れる必要がある、
という可能性の提示のようなものであると考えられる訳だ。

しかし、さらに続きを見ていくと、
その大迫力で登場した巨大コロニーは、
内部にある八面体の意思をもってしゃべるロボットによって
操縦されているコロニーであるということがわかる。
しかもそのコロニーを操縦しているであろう、
八面体のひし形に瞳のような球体がついた浮遊するロボットが、
いわゆるギャグキャラのような存在で、
汗をかいたり、瞳をウルウルさせたりしやがる。
やっぱり子供向けのSFアニメか、とやや油断する。

かと思ったら、周りを取り囲むISPという警察みたいな奴らが邪魔だと
一気にコロニーの下方部から、
コロニーレーザーのようなエネルギーを発射しようとして、
その引き金らしきものを主人公の女の子の前に突き出す。

少女「何よコレ?」
目玉「僕の黄金銃さ。
ちょっと握ってみてくれ…
ちょっと持つだけでいいから…」


少女の目前にグイと差し出される黄金銃の引き金。

少女「何よぅ、もう…」
目玉「…握れぇー!!」


><
ギュッ!

目玉「レオパルドキャノン、発射!!」

プシュゥウウウ(キャノン不発に終わる)
…打ちひしがれるひし形の目玉。

目玉「嗚呼、僕は終わりだ…
こんな大勢の見ている前で赤っ恥だ
男として役立たずだぁ…」

浮遊ロボ「そんな気にしなくても!」
少女「今日は疲れてたのよきっと!」


・・・おい、このアニメは一体なにをやっとるのだ?
インポのスペースコロニーって

そしてその絶望感に打ちひしがれたひし形目玉は、
自殺を図るべく自らを地球へ向けて降下させる。
ここから怒涛の展開で、
なんだかんだでコロニーがやっぱり死にたくない、ってことで、
女の子二人が乗るキューティアームズという小型の人型ロボットで、
コロニー落としを阻止することに成功しまして。
ここまで随所に色んな作品のパロディやオマージュがあったが、
よもや第一話でコロニー落としを防ぐとは。

というかガキの思考レベルのコロニー規模の建造物が、
自由自在に動き回って宇宙を裂いたりして時空間を操れるなんてのは、
前代未聞といって良いだろう。

ただ。
前代未聞だからって、なんでもぶち込めばいいってもんでもない気が…

一話を見て何か感想を。
と言われたら良い意味にも悪い意味にも取れるように
『これからどうなんねん!?』ということでしょうなw

良くも悪くも今後次第って所かぁ。
ただ見ている間はほとんど半笑いでしたね。
バカバカしいやら本気なのやらという不思議な印象。

しかしインポのスペースコロニーってのは、
もうSFが十分に俗悪に染まったって証拠だなw
一体どの層をターゲットにして、どういう成功を収めたいんだこのアニメはw

世縒りゆび / 騎崎サブゼロ


騎崎サブゼロ作品集 世縒りゆび


先日、本屋でジャケ買いした、
この『世縒りゆび』というマンガ。

いざ読んでみたら、またとんでもない画力。
しかも、どうやら新人さんらしい。

いやはや、同人誌の世界は今どうなっとるんだ…

視線の誘導と演出をこれほど上手く両立させて、
様式美的に洗練された形で見たのは初めてだ。

表紙を開いた最初のカラーページの色使いは、
天野こずえに通じるものがあるし、
表紙をめくった中表紙の表にある絵は高橋洋介を感じる。
裏側にある自作パロディの四コマは同人誌的なノリも残しており、
同じ錬金術がテーマのマンガを描いている荒川弘っぽくもある。

結構色んな所から要素を持ってきて、
それが上手く作品世界を作っているのだ。

エピソードの配置による構成も上手く、
何度も読み返せるように丁寧に考えられている。
各話のタイトルの字体などにもこだわっていたりして、
パッケージ力の高さも好印象。

構図の取り方も上手いし、
描けない表現はないんじゃないかと思わせる上手さだ。
特に水関係の描画は圧巻だ。

肝心の内容だが、
読む人を選ぶだろうなというのは想像がつく。
それに結構ゴリ押しな部分も目にはつくのだが、
演出と構成で読まされてしまう。

最初のエピソードは、
絵本作家志望の不思議ちゃんな女の子が黒板に描いた『花の芽』を
『床に首をつっこんだダチョウ』だと誤解してしまう男の子。
その二人の出会いから始まる、いわゆるボーイミーツガール物。

女の子は、その男の子の非日常的な感性に嫉妬し、
男の子は、非日常を共有したい相手として女の子を求める。
すれ違いの構造としてはベタな恋愛ドラマだ。
題材とすれ違う理由は全然ベタじゃないがw

その後、男の子がなぜ女の子の描いた絵を
『床に首をつっこんだダチョウ』だと誤解したのかは明らかになるのだが。

この二人の間にあった溝を、
錬金術が具象化した現実によって繋いでしまうという、
なんともご都合主義的なお話の展開。

この作品内で貫かれる錬金術の哲学とは、
「金になりたい石のみが金へと変わる」というもの。
錬金術師とは変化しようとする意思を感じ取る存在だ。

ダチョウは花になりたかった。
だから陽のあたる間は花になり光を蓄える。
そしてそれ以外の時間は床に首をつっこんだダチョウになり、
口の部分が下の部屋の電気となり蓄えた光を放つ。
この辺りは少し設定に引っ張られていて無理矢理感が強い。
とはいえ何度も読ませる構造としては見事なものだ。

女の子もまた成りたいものがあった。
その意思を感じ取るのが錬金術師であるが故、
樹という錬金術師の少女にそれを看破されてしまう。

そして、それぞれの未来へ。

という構造へと落ち着く。
これを最初のエピソードに持ってくることで、
一冊全て読み終えた後に腑に落ちる構造になっている。
なかなかにお見事。
続編が出てもおかしくない世界観だが、
これだけで終わっても大丈夫。
という辺りに作者の女性的なしたたかさを感じるのは俺だけか?w

やりがいをありがとう。

ここ最近、特にアクセス数が増えたという訳でもないのに、
記事に拍手をつけてくれる人が増えた。
なんとも嬉しい限りだ。

拍手を貰うためにブログをやっている訳じゃないけど、
やっぱり真剣に書いた記事に拍手が貰えると嬉しいもんだ。
伝えようとする意思に対して、
汲み取ろうとしてくれる意思があることの嬉しさ。

その意思が俺の思っている通りに理解されて欲しい、
などと思い上がったりはしない。

俺の書いた記事から、
何かを汲み取ろうとしてくれた人がいて、
そのうちの何人かが、
わざわざ拍手というボタンを押してくれた。

凄いことだよ。

行く道は遥か、来た道は僅か。

俺には小学校の頃からの友人が二人いる。
そういえば、どちらも小学校一年の頃に同じクラスだった。
なんとなく俺の人生ってこの辺からちゃんと始まってる気がする。

今日はそんな二人と全く別々の用事で会っていた。
そのうちの一人は今は東京で大企業の一員として頑張っている。
年末年始は奈良に帰ってきているということで久しぶりに会って話した。
夕方から用事があったので途中で抜けさせてもらったが。

彼には継続して努力しつづけることの凄さを教えてもらった。
俺は怠け者だからすぐに楽をしたがってしまう。
悪い癖だ。

もう一人とはその後の新年会で会った。
今日はその新年会でめでたい報告を貰った。

長い間つきあっていた彼女とついに結婚するそうだ。
おめでた婚という奴です。

小学校から知っている仲の良いツレがついにお父さんだ。
何やら感慨深いものがある。
その彼女も、いつも俺達と一緒になって遊んでくれる良い子で、
知っている人同士の結婚というのは初めての経験だ。

俺の友人の中では一番お父さんにして不安のない人間だ。
それは安定した収入があるからとか、そういう問題じゃない。
家族の為に命を張れる男だと思う。

問題は一杯ある奴だけど、
それを補って余りある人間力を持っていて。
俺はそういう所をすごく尊敬している。
彼らしさ、というのは彼からしかにじみ出ない。
同世代に「お父さん」が似合うと思わせる風格というのは、
なかなか持てるものじゃない。

よくよく考えると、
俺は本当に友人に恵まれている。

別にそうして仲良くなるかどうかというのを決めている訳じゃないのに、
尊敬できる部分を持っている人間とはやはり付き合いが続く。
途中、疎遠になったりした時期もあったけど、
ちゃんと再び呼び合ってまた出会う。
よく出来た世界になっているなぁと思う。

だから俺は安心して、自分の道を見ていられる。
やるべきことをやっていれば、
再び出会うべき人とは、またその途上で交われる。

だからこそ。
やるべきことをやらねば置いていかれてしまうのだ。

ユニコーン再結成!!

新年のごあいさつより、もっとホットな!
とっておきのお知らせが届いたぜぇええ!!

なんと。
なんとっ!
なんとぉっ!!






なぁあんとぉおおおおおっ!

ユニコーン再結成

すっげーー!!
やったぁ!

確実にライブ行くでしょう、これは!!
夏フェスとかも出るつもりなのか!?

筋少、ジュンスカ、Xに続き大物バンドの再結成。

以前の記事に書いたユニコーン再結成の妄想は当たっていたのだ。
というか本当に大槻の言う順番があったのか!?w
業界内でそれとなく、そういう雰囲気はあったのは間違いないだろうけど。
でも何より多分それぞれが意識しあいながら見てたんだろうな。

それはそうとコメントのビデオで
久しぶりにテッシーとEBIちゃん見たけど二人とも太ってるw
あのコケティッシュなEBIちゃんはどこへw
阿部Bと西川くんはちょっと前に民生と3人で、
ユニコーン時代の曲やってたし違和感も全然ないけど。

今春には新曲も出すようで、
アルバムも作ると思っていいんだろうか。

今後も各自の活動は平行して続けるんだろうけど、
民生はFantastic OT9がとんでもなく名盤だったし、
もし当分出なくても十分おつりが来る!
今はユニコーンの再結成に浸れるってもんだ。

去年の暮れに「良いお年を」と言った方々。
俺にじゃなくてもいい、誰かに言った方々おまえら。
お礼を言わねばならんようだ。

2009年は
良いお年だ!

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年の抱負とかはまた別の機会に考えます。

そいじゃ。
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