こないだ音楽の話を色々としてたんだけど、
「
キンモクセイ」っていうバンドの話になった。
このキンモクセイは現在は活動休止中のようなんだけど、
セカンドシングルの『二人のアカボシ』っていう曲がヒットして、
一時的に世間の認知度が上がった。
とはいってもWikipediaの情報ではオリコン最高位が10位らしいので、
俺が思っていたほどは世間は意識していなかったのかな?
しかも、それ以降のシングルは、
オリコンランキングの10位圏内には入っていないようである。
今から約7年前くらいの話になるが、
『二人のアカボシ』は2001年の1月にリリースされている。
その当時の俺は18歳くらいの学生だったと思う。
その時期特有のヒネ根性もあってか、
昭和歌謡曲をモチーフにして、
ノスタルジーに浸りたい世代をターゲットにしたようなバンドが現れた。
くらいに思っていた。
『二人のアカボシ』という曲自体は好きでも嫌いでもなかった。
ただ、俺は昭和歌謡曲が大好きだったので、
目の付け所に少しシンパシーを感じていた部分はある。
だけど、その分だけ彼らに対する評価には、
なんとなく違和感を感じていた。
というのは臆面もなく言ってしまえば、
『二人のアカボシ』という曲は、
昭和歌謡曲のそのままの焼き直しだったからだ。
もちろん、それが逆に新鮮で判りやすかった為に、
この曲がヒットした理由の一つだろうとは思うが。
当時『二人のアカボシ』を購入した人たちというのは、
一体どういう感覚でキンモクセイを捉えていたのか興味がある。
個人的には『二人のアカボシ』という曲の時点では、
キンモクセイは特に気になる音楽をやっていなかった。
引っかかりの無い昭和歌謡曲の手法的模倣の域を出ていなかった。
昭和歌謡曲の中にある名曲の本当の力は、
模倣では再現のできないものだ。
当時の歌謡曲に曲を提供する作曲家の人たちというのは、
本当の化け物ぞろいで、
手法もセンスも量産力も全ての水準が高かった。
それだけに安易に昭和歌謡曲のニュアンスを模倣する
キンモクセイの存在を俺はあまり素直に受け止めることができなかった。
ところが俺の中の彼らの印象をガラっと変える曲が、
2002年の11月に発表される。
それが『
車線変更25時』という曲だった。
最初にこれのPVを見たときに、
「キンモクセイは化けた!」と心の中で拍手喝采だった。
昭和歌謡曲の雰囲気はそのままに、
楽曲の中にはちゃんと個性を感じさせる独特の味が浮かんでいる。
さらにPVの映像も凝っていて、
古い世代の音楽をモチーフに音楽をやっている自分達を、
ある種コメディリリーフ的なダサさで表現することにより、
心地よいユーモアのセンスを感じることができた。
滑稽だけどカッコイイ。
この感覚は、昔の映像なんかと一緒に流れる
昭和歌謡曲を聴くときに感じる変な違和感の面白さに似ている。
ノスタルジーだけではないエネルギーがあるんだよ。
しかも実際、曲の出来がいいんだコレが。
だけど、オリコン最高位は22位という残念ぶりのよう。
いくらなんでもこれは評価低すぎだよ。
曲自体の出来だけでも本来ならもっと売れていいはずなのに。
まあそのCDを買っていない俺が言うべきことじゃないけどw
でも明らかにキンモクセイは『車線変更25時』という曲で、
総合的な表現者として覚醒している。
この曲をきっかけにキンモクセイはもっと売れるだろうな。
という予感がしたのを覚えている。
でも結局は、これ以降も世間的な評価は変わらず、
セールス的にはさらに下降してしまったようである。
かくいう俺も頭の片隅にはキンモクセイの存在は残ってはいたものの。
追いかけてチェックをするほどではなかった。
それに、もうその頃には俺自身が、オリコン至上主義に嫌気がさし、
自己模倣を繰り返すことでマスコントロールを覚えた業界側扇動の
サイクル型の商業音楽の台頭に飽き飽きしていたので、
流行の音楽というものに急速に疎くなっていったのにも原因はあるが。
しかし、今だからこそあえて改めて言うが、
『車線変更25時』はもっと評価されて良い曲だ。
キンモクセイ自体のことは、他の曲も知らないので何とも言えないが、
少なくとも、この曲は良い曲だと思うので、
今だからこそ色んな世代の人に、
ちゃんとこれを聴いて欲しいなぁと思う次第だ。
昭和歌謡曲の良さも、キンモクセイの良さも、
どちらもが詰まった面白い曲だと思う。