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はなむけ

自然にやるのが一番だと思う
とにかく応援している
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箱入り娘との結婚生活の話

結婚して3年になるが嫁が一度も家に帰ってこない。
心配で心配で仕方がない。
嫁は最近では珍しい箱入り娘という奴で、
非常に奥ゆかしい性格の持ち主なのだ。
僕には照れて帰ってこれない嫁を待つ義務がある。

迎えにいってやることではなく。
僕は一家の主として、嫁を家で待ち続けなければならないのだ。

嫁は基本的には雨風にやられてグズグズになった箱の中に入っていた。
箱からは一度も出してもらったことがないようで、
厳格な家庭に育ったのだろうと関心したものだ。

僕と嫁が出会ったのは、ある夏の日の公園だった。
嫁はベンチの近くで箱の中に入って横たわっていた。
僕は初めて箱入り娘を見たのに興奮してつい話しかけてしまった。
嫁は非常に奥ゆかしい性格な為、僕が何を尋ねても恥ずかしそうに顔を背けた。

その現代では珍しい嫁の奥ゆかしいそぶりに一気にハートを射止められた僕は、
出合ったその日に嫁に交際を申し込むことになる。
嫁は何も答えなかったが、僕はそれを了承と受け止め、
これからは毎日この公園でデートをしようと嫁につげて、その日は帰った。

それから僕と嫁の一風変わった交際がスタートした。
僕はすぐにでも結婚したかったのだが、
少しでも彼女に僕を知って欲しいと思ったので、
交際期間を2年とることにした。
初めて会った日から2年間、つまり730日の間、
僕はその公園に通い続けた。

そして嫁はいつも何も言わなかったものの、その公園で待っていてくれた。
2年の月日は流れるのも早く、
僕は遂に嫁に実家に挨拶に行きたいと言った。
嫁は大慌てで僕を殴り始めた。
それは非常に照れた様子で、顔を真っ赤にして僕をポカポカと殴るものだから、
僕はあまりにかわいくなってしまって、その日初めて力強く嫁を抱きしめた。

2年間の交際の間に一度の抱擁もなかった二人だが、
僕はそれで満足だった。
嫁と二人で公園を眺めている時間があれば他には何もいらない。
そう思っていたが、抱きしめた嫁の匂いは甘酸っぱく、
恋の喜びに満ち溢れていた。

僕はもう我慢できなくなってしまい、
彼女を箱入り娘にしている厳格な家から無理矢理にでも奪うと心に決めて、
彼女にこう言ったのだ。




『おい乞食!飯をくれてやるから、俺のちんぽをしゃぶれ』




少し言葉は悪かったが、僕の人生史上最高のセリフだった。
嫁は嬉しさからか号泣して僕の前から走り去った。

それからというもの僕はこの公園の隅で、嫁の帰りを待つ身となったのだ。
この公園の隅が、僕達の家。
ずっと待っているよ、嫁。

いけないねぇ

いけない!!

何がいけないのか分からないが、とにかくいけない!!
そう叫ばなければならないような気がしたから。

池ナウい!

夢をみる夢

閉ざされた可能性
見える地平
さよならといえない世界

夢をみる
やがて夢を見つづける
夢をみる
そのまま甘く溶けて消え去っていく
知らないと誰もがつぶやく

刺激され受け流されよく知らない世界に浮かんで
空は信じられないほどに遠く 手を取り合う
ただ何も知らずに何も知らない人同士が手を取り合う

解き放たれたなら
警笛が響く

この夜明けはあんなにも遠く
足元には世界の中心が広がっている
闇のなか
世界を押し上げる夜明けを待つ
強い情動を
塗り替えてしまう絶対を待つ

東雲を追い越すために
ただ西へ、もっと早く西へと

教科書のページが倍に?

教科書のページを倍にして「ゆとり教育」とやらから脱却しようという動きがあるようだ。
詰め込み教育がよくないという観点から、ゆとり教育というものが始まった。
にもかかわらず、それで学力が落ちたからページを倍にしましょうでは本末転倒だ。

問題はそういう所にはないはずだ。
現在の学校教育そのものを根底から変革させないことには問題の解決にはならない。
受験を念頭に置いた教育をしているうちは、
どんな方向に教育方針が傾いたところで根本的な解決にはならない。

日本における受験勉強が持つ最も重要な意味は、
作業能率や合理的な思考を培うプロセスを知らず知らずの間に行わせることにある。
さらに言えば受験勉強は高い集中力を持った人間と、
そうでない人間を振り分ける役割も果たしていると言える。
良い大学に合格できる人間の多くは、上記のような能力に秀でており、
こうした人間は日本の会社組織において安心して獲得できる人材候補となる。

極端な話をすれば、
日本の教育は資本主義的なシステムの中に完全に組み込まれており、
この現状では本来の意味での教養の向上など望むべくもない。

人はなぜ教養を深めるのか?
この問いに対して現在の教育者たちはどのように答えるのだろうか。
その教育者たちは、教育を通して一体何ができると考えているのだろう。

当然企業にとっては上記のような、最大公約数的に、
能力に秀でた人間をピックアップできるシステムは楽な雇用スタイルである。
このシステムが多すぎる人間を振り分けて、
効率的に能力の高い人間を獲得できるようにしていた訳だが。

人口が年々減少傾向にある現代の日本においては、
この振り分けシステムはさらなる教養の低下しか招かないと考える。
教養の底上げができないのであれば、
受験はただの振り分けシステムにしかならず、
大学や高校に進学する学力がないと分かった人間は、
そこで学ぶことをやめてしまう。
比率的に考えて振り落とされずに、
競争を勝ち抜ける人間はほんの一握りであり、
残りのほとんどは振り落とされた側という認識になってしまう。

しかしそこで学ぶことをやめてはいけないのだ。

良い企業や大学に入るためだけに学ぶ訳ではない。
何か自分にとって金銭的な見返りがなければ学ぶ必要がない、
そう考えさせてしまう思考形態を作ってしまったり、
勝ち組や負け組という考え方が生まれてしまったのは、
歪んだ資本主義社会が生んだ悪癖と言えるかもしれない。

学びたいことは存分に学べる環境を。
なぜ学びたいのか、学ぶことはなぜ楽しいのか。
それを教えられる人がいないのは寂しいことだ。
勉強は苦しいことではなく、楽しいことである。

思い返してみるに。
俺が受験勉強で得たものなど何一つなかった。
そこで何かを得ることができた者は、
やはりこの資本主義社会の枠組みの中に上手く適合できているし結果も出せている。

しかし、だ。
だからといって、俺はそんなことで腐るつもりもない。
現在の資本主義社会の枠の中に入らなくても、
必ず自分のような人間が生きぬく道がある。
それを見つければ良いだけの話だ。

つまり本来の教養とは、そのように自分がいかなる状況に置かれたとしても、
必死に考え、自分なりの答えを導き出すための力のことである。
その為に様々なものを見て、考えなければならないのだ。

教科書のページを倍にした所で、そんな力が養われるとは到底思えない。
学ぶということの最も重要な点は「観」ということではないだろうか。
自分が得た知識から、どのような観点を手に入れるのか。
情報は情報でしかない。
情報を情報として詰め込むだけでは何も面白くはない。

手に入れた情報から人は何を観ることができるのか。
それを教えることができる人間を教師というのだ。
教師というのは学校にいるものだけではない。
世の中には自分の教師となるはずの人が沢山いるはずだ。
それを見つけ出すことを教えるだけでも充分教育と言える。

自学自習の為、などというのなら
まずは子供達に自学自習をしたいと思わせてあげなければならない。
強要などしてしまっては本末転倒だと気付いているのだろうか。

参考URL: 教科書のページを倍に=ゆとり教育脱却へ-再生懇が素案

関節がはずれたからおっぱいを揉みしだこう―サラリーマン高知営業篇―

緩やかな死
おっとりとした生命の活性の波に翻弄される
とおく、とおく、やがて症状に伴いやわらかなマットの上で死ぬ

たまねぎの中にある真実と
共働きの運命にそしらぬ顔をして判決を待つ

ロンドンの中にはどんでん返し
ロビーにあるのはビー玉で出来た丹前
顔をぐちゃぐちゃにしてしまいがちな本命チョコレート
天然記念物にになれるもんならなってみろ
明日は明日のジョーの風が吹く

生まれ変わってもてんどんマンにだけはなりたくないから。
穏やかな死
そして丁寧語と謙譲語の違いを尊敬語で説明したい

インスタント殺人

犯行予告ほど無様なものはない。
「これから誰々を殺します」
本当に殺さなければならないほど憎いならば、
そんな事を書いている余裕などない。
結局は誰かに自分を注目させたいだけだ。

俺は阿呆ではないので、人を殺してはいかんなどと言うつもりはない。
本当に殺したいほど憎い人間がいるなら殺せばいい。
しかし殺したなら、それは自分の命でもって贖え。
残された人間にとっては、そんなもの何の贖罪にもならないが。
人が本当に人を殺したいほど憎まねばならない時、
それは本当にどうしようもない時だ。

我慢できるのなら、人は我慢するのだ。

それをする為に我々は命の尊さを学ぶし、
モラルというものを共通認識として積み上げていく。
故意の殺人というものが起きる時、
それは多くの場合モラルという共通認識の器から
殺人への衝動が溢れてしまったということだ。

やれ~~が悪影響だ、やれ~~は教育上よくない。
そんな風にして過激なものを子供たちから遠ざけて、
本当に犯罪は減ったのだろうか?

臭いものにフタをした所で、
世の中には見たくないもの醜いものが溢れかえっている。

誰からも殴られず、誰も殴らず、そのまま大人になって
「他人の痛みがわかる人間になれ」
と言われて、何の説得力があるというのか。

「人が人を殺したいほど憎む」
それは世間が思っているほど大した感情ではない。
人間生きていれば、そんな衝動に苛まれることが何度もある。
しかし皆それを抑え、我慢し、何とかやりすごしてきたに過ぎない。

それが出来る人間と出来ない人間がいる。

恐らく推測でしかないが、この出来ない人間の潜在的な数は
過去と現在を比較してもそれほどの差はないのではないだろうか。

つまり最終的に人を殺してしまう人間と、
なんとかそれを踏みとどまる人間の潜在的な絶対数は、
実は変わっていないのではないか。

これらはある種の病気のようなものであると考えるからだ。

だが、かつてと現在で変貌して来ている点がある。
それは殺人衝動のハードルが下がって来ていることだ。
最終的に殺人衝動を抑えることができない人間の絶対数は変わらなくとも、
人を殺したいと思う動機のハードルが下がった為に、
単純な動機で殺人を犯す人間が目に付くようになった。

この原因は昔より「傷み」や「人の死」が生活圏から遠ざかったからではないか?
そして命に対し無責任であるからではないか?

人間の死に生々しさがない。
傷みに実感がない。

そして、それらは例えばゲームや漫画やインターネットで過激な映像を見た所で、
簡単になくなってしまうようなものではないはずだ。
もっと根源的な問題だ。

例えそれらが悪影響を及ぼすようなものであったとしても、
大切なのはそれを見た人間が、
それを自分にとって悪影響かそうでないかを判断できる力があるかどうか。
その力は小学4年生ごろには充分に備わっているはずのものだ。
大人の役目は子供たちがその年頃になるまでに、
子供たちに自分なりに判断し取捨選択する力を養わせることだ。

決して大人の都合で、これは良い、これは悪いなどと判断し、
勝手にフタをして良いものではない。

何故人を殺したいと思ったか。
「むしゃくしゃした」「誰でもよかった」「怒られたから」
そんな程度の理由で人を殺せる化け物を作り出したのは一体誰なのか。
もう一度個々人が考える必要はないだろうか。
自分には関係ない、そう思う心から歪みは始まっている。

その無責任さが簡単に人を殺す。
たまたま自分が殺さない側の人間だっただけで、
何かひとつネジが違っていたら自分もそうなってしまっていたかもしれない。

命に対して無責任な殺人者、
それと同質の無責任さを誰しもが抱えている。
そのおぞましさは忘れてはならない。

宮崎勤のようなタイプの人間じゃなくても、
人が殺せる時代が来てしまったのだ。
その原因を我々はもう一度しっかり考え直さなくてはならない。

電脳キッズ

最近の小学生はDSでチャットしながら鬼ごっこをやるそうです。
鬼ごっこに情報戦の要素を取り入れるとは、末恐ろしや電脳キッズ。
こういうのを聞くとやっぱり子供は遊ぶ天才やなぁと思ってしまいます。

世の中には色んな遊びを考える人がいるもんです。
ヤフオクなんかでは宝の地図というものが出品されていて、
それを落札して実際その場所に行って探してみるとポケモンのフィギュアがあったそうな。
売り文句は「親子で楽しむ」だったらしい。なかなか面白いアイデアだ。
ちなみにそれを落札したの電気グルーヴのピエール瀧であるw

世の中捨てたもんじゃありませんね

夏目房之介さんがバイオの黙示録を誉めていた

BSマンガ夜話の夏目房之介氏が自分のブログで、
先日このブログでも紹介した諸星大二郎のバイオの黙示録を誉めていた。
なるほどなぁ、確かにこれは現代の「生物都市」だ。

しかし、やはりバイオの黙示録はここ最近の諸星大二郎の作品の中でも、
ブログに感想を書いたりしたくなるような作品なのだなぁ。
マンガオタク、しかもずっと諸星を読んできたような人や、
俺のように諸星を後から追いかけているような人にとっても、
バイオの黙示録は最近の諸星の作品群とは違うものを感じさせるものであった。

その証拠でもないが、
ここ数日は検索ワード「バイオの黙示録」「未来歳時記」などで訪れている人が結構いる。
みんな他の諸星ファンがこの作品をどう読んだかが気になるのだろうw
俺はネタバレになってはいけないので感想だけにとどめておいたが。

単純な思考回路だがやっぱり自分が面白いと思ったものを、
自分以外の人が誉めていると嬉しいものである。
俺の周囲の同年代の人間には諸星作品を読む奴が全然いないので寂しい次第だ。

薦めてみてもみんなそれほどピンと来てないみたいだし…w

食糞安定期

ああなんか今日はイライラするなぁ
他人の悪い部分ばっかりが目に付く。
いかんいかんニコニコしておこう。

こういう日は自分が嫌いになるよね。

うんこでも食べて心を落ち着かせよう。

情緒不安定

このブログを読んでいるだけでも充分にわかってもらえる気もするが、
最近の俺は完全なる情緒不安定だ。
昨日も、別に理由がないわけではないが声を上げるほど号泣してしまったり、
その数十分後にはケタケタと笑っていたりと思い返すと自分でも不安になるほど変だったw
しかし、それを差し引いても、最近の自分の調子はいい方だと思うが、
これが双極性障害の発症状態だとしたら流石に投薬治療が必要だ。

思い当たる症例がいくつかあるのが不安だ。
分析型の人間なので、自分がどういう状態にあるか調べて分析してしまう。
自分で勝手に自分を病気だと決め付けてしまう妄想もあるので、
過敏になりすぎないように気をつけよう。

寝よう。

洗脳戦士アジテーター

第1話
『脅威の怪人ちょうつがい男の胸囲』

こんな混沌とした時代にとんだニューフェイスのヒーローが大登場!
その名も洗脳戦士アジテーター!
アジテーターの必殺技の一つはネットワークビジネスビームだ。
この必殺技にかかれば途端に金に目が眩むタイプの怪人を篭絡できる!
さて、どうやら今回その必殺技を使われる怪人が現れたようだ。

怪人「げっげっげ!このちょうつがい男様にかかればアジテーターなど
恐るるにたらんパタ!げっげっげ!」

アジ「ふふ、ちょうつがい男さん、そんなことより、いい儲け話があるんだが」

怪人「げげ?儲け話だと、ふん、聞くまでもないパタ!
そんな簡単に儲け話が世の中に転がっているわけないパタ!」

アジ「実はこれは最近始まった話で、まだあまり誰も知らない話なんだ」

―約10分―

アジ「という訳なんだ」

怪人「げ・・・すごいパタ、お前天才パタ!!」

アジ「このビジネスを成功させるには一緒に成功したいと思える友人が大切なんです
誰でも良いって訳じゃない、だからちょうつがい男さんのような人を選んだんですよ
もし、よければ協力して貰えませんか?」

怪人「げげ!もちろん協力させていただくパタ!
じゃあまずはさっきの化粧品を売りに行ってくるパタ!」

――

かくしてアジテーターの最初の戦いは幕を閉じた。
すごいぞアジテーター!つよいぞアジテーター!
次は一体どんな怪人があらわれるのだろうか。
そしてアジテーターは今度はどんな方法で怪人を洗脳するのだろうか!!
これからもアジテーターから目を離せないぞ!!

(テレビ化、マンガ化大歓迎。連絡おまちしています)

おたより

お便りを頂いております。

「ファンです、抱いてください」(海 人魚 48歳)
ええ、是非!・・・海の、どこらへんですか?

「もうめっきり夏の陽気ですね、身体には気をつけてください♪」(沖縄 幼女 12歳)
今度からかみそりは一緒にいれないで下さいね。イテテ

「まだ面白ブログ続けてたんですね、また遊びましょう~」(日本 天皇 75歳)
うい~

天皇陛下のお墨付き!このブログはブックマークしておいて損なし!

いたら嫌な人シリーズ No.100852

工事現場でサボテンの針に肛門をおしつけて絶叫している主婦

おたより

お便りをいただきました。

「どうして人は空を飛べないんですか?」(東京都 とび職 22歳)
ええと、まず君の誤解を解くにはどこから話せばいいかなぁと悩んでいました。
結論から言います『人は飛べます』
飛ばないと決めているから人は飛ばないのです。
とび職の君からそういう下向きな言葉は聞きたくなかったな。
大切なのは空を想う気持ちだよ、あとすんごいエロい心。

「両親のセックスを見てしまいました、私はセックスなんてしたくありません><
大人の階段なんて昇りたくありません」(東京都 H2O 51歳)

ご自由に。

「デュワッ?」(M78星雲 ボランティア 約2万歳)
あ、ベムラーはあっちです。

お便りは本当は頂いていませんでした。
とっくに飽きてた上に、続けても光明が見えないのでやめます。

甘い、甘いよ!チョコレートより!

友人の置いていったチョコレートがあったので、
たまには食べてみるかと口にひとつ運んだら気が狂うほど甘かった。

『甘いセリフも、甘い食べ物も、俺の安っぽい口には合わないようだ』

ハードボイルド語録No.302

諸星大二郎 / 未来歳時記 バイオの黙示録

諸星大二郎

諸星大二郎の新作が出たぞー!
最近の単行本の傾向とは少しかわり、昔の単行本のような雰囲気の作品だった。

個人的には栞と紙魚子シリーズや、グリムのような物語シリーズ、
私家版魚類、鳥類図譜などといった作品も好きなんだけど、
この辺は諸星大二郎という作家の多面性を示す作品群のようなものなんで、
諸星大二郎たる所以のような作品とは言えない。

かといって西遊妖猿伝や諸界志異のような伝記ものでもないし、
妖怪ハンターとも、不安の立像とも、ぼくとフリオと校庭でなどとも種類の違う作品。

「夢の木の下で」や「失楽園」などの雰囲気に似たような単行本だったなぁ。
諸星独特のSF世界で複数のエピソードがコンセプトによってまとめられていく。
んで諸星の線でしか出せない気持ち悪さや嫌悪感のようなものが湧き上がってくる。
色んな雑誌で色んな短編を書いてきた諸星が、
この時代にひとつのコンセプトで新しい問題作を書いた!

とにかく気持ち悪くて嫌悪感を催す、面白い作品だった!!
マイフェイバリット諸星が一冊増えました♪

灼熱のアッザム・リーダー

夏の炎天下、お陽ぃさんが・・・
カーーーーーッ!!
まさしくそんな陽気です。

夏のちしゃは腹にさわるだなんだと、
落語でも一席やりたくなるような、季節はもうまさに夏!

なつなつなつなつココナッツ♪

あいあいあいあいココナッツ♪

すねすねすねすねココナッツ♪



刺せ刺せ刺せ刺せココナッツ♪

死ね死ね死ね死ねココナッツ♪

呪呪呪呪呪呪呪呪ココナッツ♪

いえーーい!

ピャリラリー リャリラ!!!
灼熱のアッザム・リーダー!!

メルヘン

タンポンのない世界をつくろう

ジムで聴きたい音楽

スポーツジムではiPodが必須アイテムだ。
これがないと正直まったくやる気が起こらない。
というか全然集中できない。
聴く音楽もアンビエントやエレクトロニカでは身体は動いてくれないので、
アップテンポなものを聴くことが多い。

最近(というかずっと)ジムで聴いているのは、
筋肉少女帯、特撮、Freak Kitchenあたり。
この辺を爆音で聴きながら運動すると周りの雑音が入ってこないので非常に集中できる。

欠点は自分がゼーハー言ってる音量もまったく聴こえないので、
知らない間に周囲に引かれている可能性があることだが、
その周囲が気にならないのだからまったく問題はないのだ。
無敵である。
無敵超人ザンボット3である。いや無敵鋼人ダイターン3だ。無敵ロボ トライダーG7なのだ!

サラっと読めるブログを心がけようの会は、
俺の中の何か大切なものを蹂躙しているような気がする。

雨がふってきた、結構強い雨脚
これがやんだら本格的に夏到来
そんな気配

掃滅のロマンティ力

のうなしてしまった
いつかのロマンティ力
見過ごしてしもうた
たいせつなロマンティ力

力が欲しい
ロマンティ力が欲しい

のうなしてしもうたさかいに
ロマンティ力を分けてたもれ

はねっかえり

やせてきてたんで調子乗ったらまた太ってきた
これが俺

殺虫スプレーのデザイン

いい加減ワシは怒っとる。
あの殺虫スプレーっちゅう奴は、
気色悪い虫を己の手で殺さずに済む文明の利器じゃ。

言わば虫を手で殺せるような奴は殺虫スプレーを買わない訳じゃ。
あの、殺虫スプレーなどのデザイン。
基本的に全部のメーカーが、絶対に虫の絵などをスプレーのラベルにしておる。

アホかーーーー!!!
喝!!


それが気色悪い言うとるのに、それの絵を手に触れさせてどうするか!!
その絵や写真にすら触れたくないくらい気色悪いんじゃーーー!!

すぐさま改善せえ!
もしくはラベルは外せるようにせんかーーー!
本末転倒じゃ!!

たべられません

カーテンの向こうには切り身鮭の群れ。
部屋の中にはペーパーサンシャイン。
まるでルイスキャロルのような世界ですねん。突然関西弁

旅人は言った「ベンツ欲しい」

山の上の大きな家には、執事と病弱な少女が住んでいると、
本気で信じていた45歳の頃。
今思えばあれは38歳だったかもしれない。
でも今となっては蓄膿になってしまう奴とは知り合いになりたくない。
遣唐使になりたい。
遣唐使になって遣隋使と戦いたい。

カーテンの向こうには今もセックスピストルズの群れ。

なつかしのひさしぶり

最近とんと聴かなくなっていた音楽をひさびさに聴いてみようということで、
B'zのThe 7th Bluesと稲葉浩志のマグマを聴いた。

いやぁ、ここ二つはやっぱり凄い。
今聴いても良いと思えるなぁ。
正直ここ最近のB'zなんて見てられないほど酷いと感じている訳ですが、
The 7th Bluesは素晴らすい。もう三角錐。いや四角錐。いや知らん。

マグマの壮絶さは筆舌に尽くしがたく、
まだ聴いたことがない人には是非おすすめしたい。
アルバム丸ごと雰囲気の塊のような作品で、
トータルバランスがとにかく凄く良い。

ひさしぶりに自分の原点のような音楽を聴くってのも悪くないもんだなぁ。

産地偽装

世の中って本当に下世話なんだなぁと思う。
誰と誰が不倫しただの、誰と誰が付き合っただ別れただの。
よくもまあ自分と関係のない他人のプライベートを気にできるもんだ。

産地偽装問題なんかもどっちもどっちだって気もする。
結局それまで騙されていた人たちは、その産地のものだからおいしいと思っていた訳だ。
満足していたのだ、満足感に対価を支払うのだとしたら、
それで満足していた人たちは騙されていようと、その対価分は損はしていない。

ゴッホの絵がゴッホの物だとわかった瞬間に値段が跳ね上がるような矛盾を感じる。

当然、産地偽装問題で不当な利益を得ていた会社などに問題がない訳じゃない。
騙すほうも当然悪い。
その偽装食品の中に身体に影響を及ぼすような害が含まれている場合などは論外。

世論が傾けば、何も疑うことなく同じように誰かを責め立てる。
それがいかに危険なことか、というのをみんな理解しなくてはならない。
現象や出来事に対しては適度に懐疑的であることは悪いことではない。

不安の海

変わりゆく周囲、変わりゆく自分。
不安をぬぐうことをせず、ただその不安を見つめ、不安と向き合おう。
安心を得ようと逃げ場を探すと、その場所の居心地の良さと引き換えに、
何か本当に大切なものを見失ってしまう。
見失ってしまったなら、それがどんなに大切だったのか忘れてしまう。

忘れてしまったものは、たぶん元の形のままで戻ってきやしない。

一度失ってしまったものを取り戻すために、不安と向き合うんじゃなくて、
新しく何か大切なものを手に入れるために、不安と向き合おう。

変わってゆくことで見つけられること。
変わらなかったら見つけることのできなかったこと。

忘れられていくものの尊さも、新しく手に入れるものの尊さも等価ではない。

けれど、その価値を決めるのは自分自身なのだから。
不安は怖くない。
怖くない不安などない。
だから不安は怖くない。
その恐怖は当たり前のものだ。

誰かと比べて、自分を蔑むことと、
誰かと比べて、自尊心を満たすこと。
一体何が違うというのか。

結局は同じところに落ちていく。

自分にしか見えない世界があると知っているのに、
結局誰かの価値観に依存して生きている。
今までだって、これからだって正しい道なんて何処にもない。

不安の海の中には、どんな未来でも沈んでいる。
海に潜らなければ、結局同じ所から海を見続けるだけで終わってしまう。
変わらない世界などない。

不安のない小さな世界の中で、手に入れることができたものは何だ。
新たな不安だけだ。
人が不安から解放されることなどない。
ならばこちらから飛び込んでやるしかない。
結果とは、どんなに怯えていたって、
どんなに拒んでいたって出てしまうものだから。

RGM-79帰還しました(つまりジム帰り)

ジムに行って速攻で疲れすぎた僕は早くも帰ってまいりました。
サウナにも行こうと思ってたが、今日は思ったよりも疲労が凄いので、
とりあえず家に帰って落ち着こうと考えた次第。

サウナは後で気が向いたら行ってくるよ。

それにしても今日は疲れたなぁ。
日によって疲れやすい日と全然疲れない日があるので、
行ってみるまでは今日の自分がどっちバージョンなのかが全く分からない。

頼むぜマイバディ。



クソおもんないな、このブログ。
サラっと読めるブログを心がけようの会は難しい。

そんな会はないけどね

長文ばっかりなのもあれなので、
サラっと読めるブログを心がけようの会に入会しました。

じゃあ今からジムに行って、その後サウナでさらに体重を落としてきたいと思います。
90キロ台をきったら報告したいと思います。
もうじきやと思います。

当面の目標70キロ。
自己紹介
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