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オーケンライブat心斎橋クラブクワトロ!

昨日はオーケンの20周年ライブでした。
むちゃくちゃ楽しかったぁ!
クラブクワトロ自体が小さめの箱だったので、
後ろでもオーケンがはっきり見えて良かったす。

ゲストのおいちゃんこと本城聡章さんも見れて大満足のライブだった。

以下が覚えている演奏曲のラインナップです、
間違えてたらすんません。

アベルカイン
オンリー・ユー
日本の米(おいちゃん参加)
空想ルンバ
テレパシー
文豪ボースカ
パティー・サワディー
企画物AVの女
アウトサイダーズ
あのさぁ
Guru
ジェロニモ
ピアノ・デス・ピアノ(おいちゃん参加)
カーネーション・リインカーネーション(おいちゃん参加)
踊るダメ人間

アンコール:
バーバレラ
ロコ!思うままに
人として軸がぶれている
釈迦(おいちゃん参加)
綿いっぱいの愛を!(※サビ部分のみ)


オーケンはバラードが多めで歌ってて楽しいラインナップだと言ってました。
個人的には聴くのも楽しいラインナップだったので、
またこういった感じのライブをやって欲しいなぁ。

セットリスト的には東京でやったのと同じのようで曲順の変更があった程度のよう。

ただやはりピアノ・デス・ピアノを作曲したおいちゃんが、
ピアノ・デス・ピアノを演奏したのを見れたのはかなり嬉しかった!
おいちゃんがナッキーの変わりに「あ~お前をう~でにだーき~♪」
と歌っている姿は最高でした!
「天使のはーね~、天使のはぁねぇ♪」

MCはお笑いネタが圧倒的に多かったw
20周年なのは俺なんだからお前らが俺を笑わせろとか、
ボースカと一緒にあらびき団に出たいとか、
東京のライブ終わりは「すべらない話」を見たかったから早く帰りたかったとか、
(結局録画してたから飲みに行ったらしいがw)
事務所が3回潰れて貰ってないお金が1000万くらいあるから、
取り返してくれたらNGK貸切にして芸人さんを沢山呼ぼうとか、
ヤナギブソンとおーい久馬を呼びたいとか(どっちもプラン9じゃねーかw)
まあ大阪だってこともあって意識してたのかもしれんけどもw

オーケンは深夜でも開いている本屋さんのような人になりたいそうです。
寂しいとき暇なとき、いつでもふらっと立ち寄れて心のよすがになれるような、
そんな存在になりたい、とまともな発言をしていたのでびっくり。

それにしてもジェロニモ以降のオーディエンスの乗せ方の上手さは凄まじかった。
ダメ人間も踊れて嬉しかったし。

オーケンライブの客はコールアンドレスポンスの見事さが際立つなぁ
オーケン「問うならばー!?」
オーディエンス「問うならばー!!」
ここはやっぱ楽しかったなぁ

個人的にはロコ!思うままにが聴けたのが一番嬉しかったかなぁ
筋肉少女帯の方もレコーディングも順調そうで恐らく年内には新譜も出ることであろう。
9月の筋肉少女帯のライブが楽しみで仕方ない次第♪
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ライブ

さて恐ろしいことに、今年ももう半分が過ぎようとしている。
今年は今後の予定も含めてライブまみれの年である。

1月にYELLOWCARDのライブに特別アクトのJust Surrender目当てで行った。
結局あまり楽しめなくて残念な思いをしたライブであったが。

2月は奥田民生のFantastic Tour'08に行った。
これがとんでもなくカッコ良かった!
初めて見る生の奥田民生は強烈なインパクトがあったなぁ。
厚生年金会館だったのだが席の場所があまり良くなくて、音が悪かったのが悔やまれる。
奥田民生はまた必ず行きたい!

3月は奥井亜紀のハルドロップに行った。
去年のライブでの個人的なサプライズは勝子の就職物語だった。
このライブではLost MelodiesからI'm Freeが演奏された。
ずっと今の奥井亜紀にこそ歌って欲しいと思っていた曲だったので、
これは本当に嬉しかった。
それに去年披露されてずっと気になっていた新曲
「海の底のホテル」をギターとシンセ付きの編成で演奏してくれて感動したものだ。

少し期間を開けて、
6月の14日に再び奥井亜紀のライブ音海スイングツアーに行った。
とっておきのサプライズ月の繭が演奏された時には、
感動のあまり涙がこぼれそうになったものだ。
ライブでは絶対に聴くことができないと思っていた曲だけに、
月の繭をやってくれた事は本当に嬉しかった。
新曲の音海スイングも一回聴かせただけ耳に残す凄さに舌を巻く。
スイング スイング♪ 音海スイングッ♪
もしかしたら年内にもう一度大阪に来てくれるかもしれないという事で楽しみである。

そして明日6月26日は!
待ちに待った大槻ケンヂデビュー20周年記念大祭、人として軸がぶれている!だ!
今年、たまたま筋肉少女帯に興味を持って聴き始めたら、
ずっぽりハマってしまいヘビーリスニングが続く日々。
そこで筋肉少女帯が2年前に再結成していたという事を知り、
さらには今年が丁度デビュー20周年であった訳だから、
これはもう確実に呼ばれているなと思ってライブに行くことを決意した次第。
本当は筋肉少女帯のライブにも行きたかったんだけど、
丁度タイミング的に大阪は無理だったので、大槻ケンヂのソロライブの方へ。
筋肉少女帯だけじゃなくて特撮にもハマったので、
個人的にはこっちのライブでも全く問題ない!
でも筋肉少女帯のライブはライブで楽しそうで行きたいんだよなぁ…

んでさらに、
8月はレジェンドイズバック!マイケルシェンカーグループの来日公演!
今回のMSGは一味も二味も違うぞ!
あのMSG黎明期のメンバー、ゲイリーバーデンをボーカルに迎えての来日である。
はっきり言うが俺のような若者が今後、ゲイリーバーデンを生で見る機会など、
今回のライブを逃せば一生ないであろう。
しかもそのゲイリーを迎えて作られた新譜が非常に出来のいい作品だったのだから、
今回のライブは期待しない訳にはいかない!
ああ楽しみだー!

そしてなんとぉおお!!!
実は行きたいと思っていた筋肉少女帯の20周年ライブが、
大阪でも開催される事が分かりました!
9月は筋肉少女帯のライブだーーー!!!
うぉおおおお!!やっべぇえええ!!
これは完全に呼ばれてるでしょう、もはや俺のボルテージは最高潮ですよ!

これで後は新居昭乃の新譜とライブを待つばかりか。
ふふふ。
これまではあまりライブとかには行く方ではなかったんですが、
行ってみるとこれが本当に楽しいんですよ。

フジロックにMy Bloody Valentineがヘッドライナーで来ると聞いて、
本気でチケットを購入しかけましたが、
流石に金が持たないので諦めました。

マイブラ新譜は出さんのかねぇ。
ライブも今のところイギリスと日本でしか予定してないみたいだし。

まあ何はともあれ、
明日はオーケンライブ。
充分に満喫してやることにしよう♪
うひゃひゃひゃ!

私的録画補償金?

GIGAZINEでも取り上げられていましたが、
日本映像ソフト協会さんとやらが私的録画補償金をよこせと言っているそうです。

まあ簡単に言えばビジネスモデルが崩壊して儲けが減った為に、
「お前ら録画させてやるから金よこせ」と言っている訳ですなぁ。
音楽関係の団体がiPodなどの機器に対して、
私的録音補償金をよこせと言っていることもそうですが。

よくもまあ恥も外聞もなく言えたもんだなぁと思う訳ですよ。

自分達を無能だと宣伝して回ってるようなもん。
ビジネスモデルが崩壊したのは全部自分達以外のせいですか。
時代が変革したなら変革した時代なりに、
消費者へのアプローチの仕方も変えなければならない。

音楽CDやアニメDVDの値段が、
適正価格だと納得して購入している層が本当にどれだけいるのか。

これまで音楽業界がやってきたのは売り上げが下がったのは
レンタルCDや違法ダウンロードのせいだなどと時代のせいにしたり。
安価で購入できる輸入CDを規制して、
自分達の利益を守る保守的な体制を必死に維持しようとする。
さらにオリコン至上主義に便乗してマスコントロールし、
リスナーをバカにしたような体制でずっと同じ事を繰り返す音楽業界。

アニメに関してもそうである。
現在は俗に製作委員会方式と言われる手法が定番となっているが、
これはDVDを売る為のプロモーションとして、
テレビ局の放送枠を買ってアニメを放送するという手法である。
現在アニメDVDは一枚6000円あたりが相場だと思うが、
確かに一本1万円以上のOVAがバカスカ売れていた時代の頃を思えば、
現代はアニメは売れ難くなっている、と思われるかもしれない。

しかし、これは決してそうではない。
当時に比べて現在のアニメの総数が圧倒的に増えているという事。
これを度外視してはいけない。
全体的な売り上げだけで言えば当時と現在では比べるべくもないほどに、
現在のほうが上のはずなのである。

なぜ当時は一本1万円以上でもOVAが売れたのか。
当時はアニメ自体の総数が現在よりも少なかったし、
OVAブームのようなものもあってビジネスモデルが成立していたというだけである。

さて、売り上げ自体は当時に比べて増えているだろうが、
アニメ総数の制作費など比較した純利益は低下している事でしょう。
それは何故でしょう?
簡単です。
アニメの総数が増えても一枚6000円も出してまで、
アニメを見たいなどという層は増えてはいないからです。

しかしアニメの総数が増えているという事実は、
アニメ自体の需要は当時よりもさらに一般層に近づいたということである。
一般層に近づいたということは、
アニメオタク相手に商売していた当時の商法そのままでは、
ビジネスモデルが破綻してくるのではないだろうか?

そもそもDVDだけで制作費を回収しようとする製作委員会方式は、
本当に成立したビジネスモデルなのであろうか?
それはかなりアニメオタクに依存したビジネスモデルなのではないのか?

例えば現在ではまったく利益がでないと言われているテレビ放送の枠。
ここで利益を出せるようにテレビ局側などと足並みを揃える必要があるのではないか。
例えば番組をみた視聴者が手軽に好きな金額を支払うことができるとか。
10万人の視聴者が100円を支払った場合、それだけで1000万円の収益である。
その分、DVDの値段をもっと下げたりしてバランス調整をして、
これまでアニメに対して対価を支払うことがなかった層に対してアプローチすれば、
充分に新しいビジネスモデルは出来上がるはずなのである。

そしてそのシステムが成立すれば、
視聴率以上に視聴者が満足している、
満足度の高い番組が何かという事も明確になってくるだろう。

基本的にテレビは無料で見られるものである。
にも関わらず全体のテレビの視聴者数というのは
全盛期に比べて確実に減っている。

少なくとも俺の周囲では昔ほどテレビを見なくなったという人間も多い。
パソコンができたからだという意見もあるだろうが、
それ以前にテレビ番組自体が明らかに昔より面白くなくなったという事が大きいだろう。

それは視聴率だけを重視するテレビ局の体制にも問題があるのだ。
ほんの一部の視聴者からの苦情を聞きすぎて、
転ばぬ先の杖のような番組が増えたという事も問題のひとつだろうと思う。
苦情の電話をかける人間はいるが、
面白かったから続けて欲しいなどという電話をする人間はいない。

ならば、そういった番組を面白かったと思っている層にアプローチをして、
対価を得る方法を探ろうとした方がいいのではないのか?

恐らくこの程度のことはそれぞれの企業の中にも分かっている人間は沢山いるだろう。
しかし上の人間や一部がバカなせいで、
そうした改革的なことが一切行われないままに、
旧態依然の体制を保持し続けてきたことにも問題はあるだろう。

時代はいつでも変化しているのだ。
その変化に対応しようとしているのは、
いつもコンテンツクリエイターたちばかりで、
システムの方は当然のように変化しようとしなかった。

コンテンツホルダー側の人間が理解しなければならないのは、
潜在的な消費者予備軍は実はまだまだ居るということなのだ。
そこにアプローチできていないのは明らかに怠慢であるということだろう。

リテラシーの向上と情報統制について

最近、秋葉原の無差別殺傷事件を受けてか、
色んな模倣犯やら犯行予告した奴らが逮捕されまくってます。
まあこれは良い傾向だとは思うんですが、
過剰になりすぎて言葉狩りみたいになるのは勘弁して欲しいなぁと思います。

2ちゃんねるなどの不特定大多数が閲覧する場所で、
「殺す」「死ね」などの不穏な発言をして、
脅迫として逮捕されるのは仕方のないことだとは思うが。

例えば今後、誰かが誰かを批判する時などに、
上記のような過激な言葉を使って失言的に批判してしまうこともあるだろう。

いくら本人のアホさや注意力のなさが原因とはいえ、
それで前科がついてしまうというのは少々可愛そうである。

実際、関西圏では今でも「殺したろか」などという言葉は、
日常会話で普通に登場する割合ポピュラーな言葉だったりする。
当然それは特定の意思疎通のできるコミュニティ内のみで成立しているものであって、
いきなり知らないおっさんに「殺したろか」と言うことはあまりないが。
それでも完全にないとは言い切れない。

流石にそんな程度で立件されるなどという問題には発展することはないだろうが、
その文化をインターネットという不特定大多数が閲覧できる場所に、
同じように持ち込んでしまうアホというのは実際いる訳だ。

まあ個人的な意見としては、そんなアホがどうなろうが別に構わないが、
ネットなどの規制強化に繋がるような現状に対して危惧しているという訳だ。

確かにインターネットに弊害がないかと言えば答えはノーだ。
情報の氾濫によって不必要なまでに民衆のリテラシーが向上し、
その知識の使い方を誤っている人々は年々増加している。

この原因は何かという根本的な部分のひとつに焦点を絞るのならば、
知識は武器であるという学力史上主義や情報化社会が生み出した悪癖である。
知識は使い方によって、良い方向にも悪い方向にも作用させる事ができる。

例えば「統計」によって得られるデータというのは、
あくまでも状況を多面的に捉える為の一つの手段でしかなかったはずだ。
しかし今や統計で得られたデータは、それのみを提示し、
自らの論法に説得力を与える為の「武器」として使用されるばかりである。
特にテレビの報道で使用される、
本当に実施されたのかすら怪しい信憑性の薄いアンケートの結果など。

だからといって情報制限やインターネット規制が本当に今後良い結果を生むのか、
といえば甚だ疑問である。
俺は知識とはあくまでも知識でしかなく、
情報は情報以上の力を持つことはないと思っている。

大切なのは情報面でのリテラシーが向上した分、
人間性や自分以外の立場の人間を慮る、
人間的なリテラシーの向上に目を向けることであろう。

俺は上記で、日本は学力至上主義であると書いたが、
にも関わらず、この国の総合的な学力は低下傾向にあり、
学力格差は大変なものである。
かくいう俺も学力は低いものである。

まあそれも昔の方がもっと酷かったのだ、という言い方もできるのだが、
現代では少し状況が違うというのが重要なポイントだ。

問題なのは、どんな人間でも同じように、
簡単に情報を手に入れることができるという事であり。
その情報化社会になった現在に必要な、
充分な教育が施されていないという現状にも問題がある。

リテラシーの向上は、簡単に情報を手に入れる事ができる状況が生んだ弊害だが、
その知識を間違った使い方をしたり、ひけらかしたり。
情報は武器だと言わんばかりに情報だけを集めている馬鹿者の中には、
情報自身が持つ主観的客観性を度外視している者も多くいる。
また情報を集めた者の主観的配列によって、
情報が持っていた客観性を失わせる事があることが分からない者もいる。

清濁併せ持ってこそ世の中。
臭いものにはフタをしろ。
個々人の裁量でもって。

臭いものを無くそうとするから無理や破綻が生じる。
情報化社会に必要な教育というのは、
大人が子供にする教育だけではない。

情報化社会に適応し、且つ人間的なリテラシーの高い、
つまり各々のモラルのような物をしっかりと持っている人間が、
それらを持たない人間に対して理路整然と説明していく事が大切なのではないだろうか。

そこを怠ったが為にインターネットは不穏で
怖いものであるという認識をされるようになった。

何を臭いと思うのかは、個々人によって違う。
大切なのは自分が臭いと思ったものは「悪」だと決め付けてしまわないこと。
その心が歪みを生む。

自分が臭いと思ったものは、せめて自分に匂いが届かないようにだけすればいい。
そこを判断しどう対処すれば良いのか考える力を、
平均的に高めていく努力こそが重要なのではないだろうか。

それが変革した時代に対して行われる教育だと思う。
時代が変われば、当然考え方やモラルも変わる。
民衆のリテラシーの向上が抑えられないものなのであれば、
その向上したリテラシーに対してどのようにアプローチするのかを考えればいい。
規制というのは、考えることを放棄し楽な方へ逃げることに他ならない。

もちろん規制や抑圧から生まれる物がなかった訳ではない。
今後、日本において情報規制や言論統制が徐々に行われていくかもしれない。
それでも文化が絶えることはないだろう。
この国は文化によって支えられてきた国なのだから。
どんな状況下にあって文化、文明だけは絶えることなく続いていく。

しかし、そんなどうしようもない状況にせずとも、
現状の問題点を改善する為の努力というのは、まだまだ可能なレベルだと思う。

書き始めた時はこんなに長文にするつもりもなかったのだが、
やはり規制という言葉には敏感に反応してしまう。
こんな意見もやはりあくまでも自分の欲に素直だから出るのだという事は、
自分自身で忘れてはいけないよなぁと思う次第である。
お粗末様。

Coldplay / Viva la Vida


Coldplay / Viva la Vida


1. Life In Technicolor
2. Cemeteries Of London
3. Lost!
4. 42
5. Lovers In Japan/Reign Of Love
6. Yes
7. Viva La Vida
8. Violet Hill
9. Strawberry Swing
10. Death And All His Friends

iPodかなんかのCMで流れていたのでColdplayが新作を出していたことを知って、
今月発売された「Viva la Vida」を聴いてみました。

個人的には前回のX&Yもそんなに悪いとは思っていなかったんですが、
そのX&Yがニューヨークタイムスに痛烈に批判された事を真摯に受け止めた彼らが、
今回このアルバムを作ったというのだから、ヘタな聴き方はできない。

というか、Coldplayもまた、近年のバンドによく見られる、
1stアルバムを上回る作品を作ることに苦心しているバンドの一つだと認識していて。
実際2ndのA Rush of Blood to the Head、3rdのX&Y共に佳作で、
聴かせる曲はいくつかあるものの1stほどの迫力を感じることはできなかったし、
1st以上に他のアルバムを聴き込むこともなかった。
つまり俺にとってColdplayとは
1st以外では強い印象を与えられることのなかったバンドなのだ。

もちろん上でも書いたように2ndも3rdも佳作であり、
良い曲ならばどちらにも収録されているし、個人的には好きなのだが。
印象の上ではそうなのだ。

そこで今回のこのViva la Vidaである。
本来ならもっと聴き込んでからレビューした方がいいのであろうが、
時間が経つと書くことすら忘れてしまうので、
まだ5回ほどしか聴いていないがこのまま感想を書いてしまおう。

一言で言えば「Coldplayは1stアルバムの束縛から開放された」
ということではないだろうか。
もちろんそれは俺が勝手に感じていた束縛からであるのだが。

つまり俺が何を言いたいのかと言うと、
1stを作っていた頃のColdplayと今のColdplayは明らかに違う存在であるにも関わらず、
彼らは相変わらずColdplayであり続けているということ。

1stから2ndへの変遷も、2ndから3rdへも、そして3rdから今回の4thへも。
どれもすべて劇的な変化とは言えない。
しかし1stと4thを聞き比べると、どうだろう。この違いは。

明らかに音楽としての質が向上している。
長い時間の鑑賞に耐えうる純然な音楽としての質。
1stもまた違う意味で恒常的なアルバムであったが、このViva la Vidaはそれとは違う。

1stのParachutesが原石としての魅力を持ったアルバムだとすれば、
この4thのViva la Vidaは流麗にカットされた宝石のようなアルバムである。

見るたびに輝きが変化し、新しい発見をくれる。

ラストのDeath And All His Friendsから、
最初のLife In Technicolorへと回帰していく構造の美しさ。
徹底的に拘りつくされた音の響きや和音の妙。

かのブライアン・イーノを迎えて製作されたというこのアルバム。

彼の凄い所は完成した音楽によって言葉以上の説得力を持たせる事であろうと思う。
俺のように無骨な人間は、本来なら原石で充分なのだ。
むしろ中途半端な宝石なんかよりも原石の方に魅力を感じてしまうのだ。

しかしそんな無骨なバカにでも宝石の良さ分からせてしまうほどに、
このアルバムは見事なカットがなされているのだ。

分かりづらい例えをしているかもしれないが、
このアルバムを聴いた人になら、俺が何を言っているのかは理解して貰えると思う。

2ndや3rdは原石か宝石かで言えば、恐らくはカットした宝石の方なのだ。
しかし、それらは凡百のカットの仕方で作られており、
原石自体が良いから宝石としてもある程度の領域に至っていただけで、
原石の素晴らしさがなければ、ただの珍しくもない宝石の一つでしかなかった。
考えるに。
俺はそんなことから2ndや3rdを、
1stほどに迫力を感じないアルバムだと認識していたのではないだろうか。

だがこのViva la Vidaを聴けばたちどころに理解できる。
原石を活かし且つ宝石としての価値を上げる為のカットの仕方があること。
それをブライアン・イーノはやっている。

ColdplayはColdplayという原石のまま、
流麗なカットを施した見事な宝石へと変化させてしまった。

彼らは無骨な原石に戻らずに新しいフィールドを手に入れた。

だから俺は感じたのだ。
「Coldplayは1stアルバムの束縛から開放された」と。

総括
お見事!

楽しかったなぁ

先日、岡本と一緒に曲作ったりしてました。
中村に手伝ってもらって作る時とはまた違う感じで楽しかったなぁ。
もともと俺は一人で曲を作っていた人間だったので、
他の人と一緒に作って出来上がっていく過程は凄く面白いものだと感じる。
そういう刺激を受けて、また自分が作るものにフィードバックしていきたい。

リビドー

今日は何故かブサイク気味な女子プロレスラーと
隣の部屋で旦那が寝ている所でセックスする夢を見ました。

起きたらギンギンでした。
僕はどうしてしまったのでしょうか。

もはや僕のリビドーは僕自身のあずかり知らない所へ行ってしまったようです。

自分時報

ピッ ピッ ピ…
ピーッ

人には時報がついている。
それがどういった時に鳴るのかはわからない。

運命的な出会いをした時。
何かを決意した時。
理由もなく衝動が湧き出た時。

けれど、そのどれもが過ぎ去りゆく一瞬。
過ぎ去ってしまったものを、はっきりと今現在確かめる術は誰も持たない。

本当に鳴ったのか。
それは泡沫のよう。

だからこそ、その一瞬を逃さずに捉えたい。
もっと研ぎ澄まされた感覚を。
誰にも先を越されないように。
自分だけの感覚を掴むように。
明日の自分になって、忘れてしまう前に。

今を捉える。

いつかは幸せのおすそ分けを。

はてさて、いかんいかん。
と、はたと気付く。

というよりも今まで気付かないフリをしていたことと向き合う。

ここ最近の俺のブログは愚痴や自己批判や他者批判ばかりであった。
いわば不幸のおすそ分けをしていた訳ですなぁ。

変なものを自分の中に溜め込んでばかりいると、
時折、自分でも訳がわからないくらいにどうでもよくなる。

そんな間の自分のことを振り返ると
赤面してしまうほどに反省や後悔しか残していないのだけれど。
人は反省なくして前に進むことができない気もするなぁ、などと、
それを自分で言ってしまってるあたりに救いのなさを感じる。

でも考えすぎは悪い種だから。
考える前に動ける人になろう。
無理でもなろう。

口にしなければ何も変わりはしないのだ。

遺書

永遠のタイトロープ。
だからこその遺書だ。

遺書だこれは。

忘れていたのだ。
情けない。

大切な人を亡くしただけで俺は忘れる。

人なんてそんなもんだ。
救いなんてないぜ。

永遠のタイトロープ。
答えなんぞあってたまるか。

乖離と倒錯にあって尚消えうることのない衝動。

精神剥離!
剥離!

ただよえ!

宵闇を。

とどこおれ壊れろ。

崩壊しろ。

狂え。
狂ってしまえ。

爆発を。
心臓の崩壊を!
決壊を何もかもを。

ただよえ。
永遠を。
音の泉の中にあるすべての不条理や不理解を。

己の中にある矛盾を。
宵闇を。

浪漫を。

ああ、こんなにも世界は。
こんなにも世界は!!!

あとはもう、あとはもう。あとはもう。
あとはもう。

とどめを。
とどめを。
とどめを。
全身全霊をかけて。
食べつくしてしまいたい言葉の中にある思いを間違いを。
鍋の中の蝋ばった油をぶちまけろ。

すべてを壊しつくせ。

凶行を。
荒廃を。
怖気を。
全身全霊にかえて。
ほとばしる常識からの乖離を。

自分自身の乖離を認めろ。
そうしたなら走れる。
まだまだ遠くまで。

遠くまで
遠くまで!!!!!!

蜘蛛の糸を断ち切れ、雲よ掻き消えてしまえ。

警笛を鳴らせ。
心の弱さと向き合うために。
窓の外には浮遊した死者の魂溜まり。
形を変える雲。
その上から蜘蛛の糸をたらせ。

俺はためらわずにその糸を断ち切る。

救いはそんな所にはない。
腐った心の奥底にほんの少しだけでも残っているものがあれば。

届かない世界に。
決別を。

足が呼ぶ。
見えない道を求めるから。

のたれ死ぬもまた人生だ。
言い訳だらけにまみれてる暇はない。

進むしかない。
腐った自分の中に残された、何かを探せ。

何も無かったのなら、何も無かったのだから。
警笛を鳴らせ。

地上の尊さを。
天上の儚さを。
愚かさの中にほんの少しだけ残る、存在の証明を。

弱い自分の自分だけの弱さを許容したくないと思える心だけを、
道しるべに進め。
先へと進め。
前へと。
その先に崩壊しかなくとも進め。
強く、踏みしめろ。
足が擦り切れなくなろうとも。

空はいつまでも遠く、そして今尚俺の肺の中に満ちている。
心は限りなく飛翔している。

天上のその向こうですら、地上から見渡すことができる。
壊れているから。

自慰

壊れても歌う。
俺は歌う。

長く生きれないかもしれない。
自分の精神状態に自信がもてないからだ。

だけれども歌う。
それは多分、誰のためでもない自分自身の為だ。

誰に認められなくたっていい。

空言葉、語る言葉に重みなし。

多くの事柄において、
人は言葉ではなく行動や結果によって意思を示さなければならない。

「俺はこう思っていた」
「こうするつもりだ」
「こうしたい」

そんな言葉は誰かの心を動かす理由にはなりえないだろう。

だから俺は俺なりの結果を出す。
自分のバカさ加減も。弱さゆえの甘えも。
考え無しに感情が先走って、
矛盾を内包したまま言葉を口にしてしまう迂闊さも。
自分でわかってしまうから腹が立つ。

結果を出していないということに対するコンプレックスがあるから、
俺は結果を出しにいく。

その結果でしか、証明できないことがある。

俺が影響を受けた人物シリーズ Vol.1

俺が影響を受けたと感じる人間を意味もなく挙げていこう。

富野由悠季
とにかく、この人の作品から受けた影響は計り知れない。
言葉が持つ力、例えば作劇上で意味のないセリフであろうとも、
この人の紡ぐ言葉には圧倒的な圧力と残響力がある。
否が応でも頭に残る言葉の力は劇を見せる上において、
一部の人間にとって凄まじい訴求力を持つものなのである。
「お前はヒザで俺を殴ったんだぞ!」(OVAリーンの翼より)
このセリフに何か重大な意味が込められているかといえば、答えは否だ。
しかし、そんな意味性の浅いセリフですら二度と忘れることはない力を持っている。
それだけでなく単純に作品の多さと、それら全ての水準の高さ、
さらに言えば本来なら万人受けするような作風でもないにも関わらず、
名作と呼ばれる作品群を多く生み出したという壮絶さにも敬意を評したい。

新居昭乃
俺はこの人の作る音楽や、声や、歌詞のすべてが奇跡にしか感じられない。
染み入るような音とは対照的に、
一目見て理解することの難しい多様な解釈を与える歌詞世界。
それらを耽美的に紡ぐ透き通った柔らかな声。
幻想的な優しさと現実的な残酷さを併せ持った、不思議な世界。
自分の思想や想いを押し付けようとせず、
ある種、問題提議的に生み出される静かな問いかけや語り。
幻想の中から垣間見る現実。
現実の中にうずもれた幻想。
それらはまるで相克する世界のようでもあり、
重層的な多元世界のようでもある。

諸星大二郎
この人の書くマンガは決して誰にも模倣することのできない、唯一無二の作品だ。
中毒性を生むなんとも言えない絵のライン。
懐かしくもあり、怖くもあり、面白くもあり、不可思議でもあり、
とにかくなんとも言えない味がある。
それが彼の書くマンガの内容と何とも言えない混ざり方をしている。
不条理な世界。
マンガでしか表現することのできない、独自性の極北を示した漫画家の一人であろう。
理解できないものを、理解させたいと思わせるくせに、
最終的には結局は理解できないような不条理さを描いた作品や、
とにかく読む側に解釈をゆだねる余白がある深さ。
作家性があるくせに、あえて余白を残し隙間を読者に埋めさせるような懐の深さもある。
その上、作品群の幅の広さも尋常ではない。
流行作家になることはないかもしれないが、10年後20年後になっても、
現在と同じ感覚で読めるようなマンガを描いている。
それは諸星大二郎という人間が、オンリーワンであるという証である。

と、いう所で今回は終わりにしておきたい。
興味を持った人は是非、それぞれの作品に触れてみてください。
ハマる人は間違いなくドップリとハマることでしょう。

タバコ税だと?そんなこと言ってる場合か!

ツレのブログでタバコ税についての話題が出てたので、こちらでも少し触れておく。

タバコ税をあげるのは税収を増やすためじゃなくて、
根本的にタバコの根絶を目指そうとしてる先進国の流れに乗ってるだけだろう。

将来的な100年単位で見ればタバコの根絶などは不可能だろうが、
現時点では世界諸国でタバコが有害で他人に迷惑をかけるものでしかない、
という固定観念が広まってる。
大体タバコの有害性は医学的に立証されてるなんていうけど、
実際それは「家畜の出す二酸化炭素が温暖化の原因になってる」
なんてのと同じくらいの説得力しかない訳で、
やらないに越したことはないっていう程度。

俺にしてみれば、
くっさい香水を振りまいて歩く女の方がよっぽど有害なんで、
香水税でも作ってほしいもんだ。

鬱陶しいと感じる人間が多ければ
数の論理で何かを「悪」と断ずることができる。
民主主義の悪しき風潮だ。

問題なのはタバコではなく、
他人に迷惑をかけてタバコを吸うような人間のモラルだ。
これは自分の香水の量を気にしないバカ女のモラルと同程度だと俺は思う訳だが、
こういうことを言うと
香水とタバコは違う。タバコは身体に毒じゃないか!
などとバカの一つ覚えのように返す奴がいる。

はっきり言おう。
他人が吸っているタバコの煙程度の毒で身体はどうにもならない。
嫌なら場所を移すか、迷惑をかけている人間に注意すればいい。
それだけで解決できる問題だ。
それ以上は権利侵害、余計なお世話という奴だ。

俺が香水くっさい女に、
臭いからお前の持っている香水を捨てろと言っていたらおかしいだろう?

俺がその女から離れるか、
離れられないような同じ職場の人間ならば、
少し香水の量を減らしてくれと頼めばいい。

結局自分が嫌だから、他人の趣向を否定するという発想でしかない訳だ。
扇動者によって世論がそちらに傾けば、
自分のエゴを隠すことなく一気呵成。

俗物のやることだ。

ひとつ言っておくが、俺はタバコは一切吸わない。
気に食わないものは数を集めて封殺しようという根性が気に入らないのだ。

さて税の話に戻るが、タバコ税などはどうでもいい。
さっさと消費税を上げろ。
んで所得税などを下げろ。

これだけ不景気だと言われていても、
世の中には物が溢れている。消費社会だ。
にも関わらず不景気なのは明らかに国の失策。
もうとっくに手遅れだとは思うけどね。

原油高で物価高騰してる最中に消費税なんか上げてみろ暴動が起きるぞ。
でもって税収と支出をコントロールできてないからどんどんジリ貧。

子供の数も減って、学力も低下、
日本の企業も世界的なマーケットでは昔ほど注目されなくなって来ている。
さらに唯一といってもいい強みだった表現の幅の広さが、
多くの規制によって弾圧され、経済の流れを悪くしていくだろう。
今後、確実に地力が低下して、世界相手に日本は戦えなくなる。

タバコだなんだと言っている場合ではないのだ。

少年達よ、異常者たちよ、自分で考える力を養え!

「青少年ネット規制法案」が成立したそうだが、
いい加減プロパガンダや自分達の天下りの言い訳に
「青少年」なんて言葉を使うのはやめろ。

大人が子供に青少年はこうあるべきだと恥知らずにも唱えるのならば、
その青少年達にこそ「大人」はこうあるべきだと言わせてやるべきだろう。
我々大人が、子供達に恥じることのない真っ当な人間だなどと、
傲慢にも思い込んでいるのならば、そんな大人こそ是正されるべきである。
反省もできないような大人が子供を導いてやることなどできるものか。

大人の責任とは、子供から有害なものを遠ざけることではなく、
子供達が有害なものや理不尽な状況に出合った時に、
怯まずに生きていける強さを与えてあげることである。

世の中は理不尽で、不条理で、何が起こるか分からない。
有害なものは、有害なものとして恒常的に存在し続ける。
そんな理不尽に子供たちが出合った時、
彼らは否が応でも立ち向かわねばならない。

必要に迫られれば、彼らはそれと立ち向かうだろうし、
そこで落ちるものと耐えるものに振り分けられることになるだろう。

そして、こぼれた者の一部は犯罪に手を染めるかもしれない。
その弱さを大人は責めるだろう。
甘えるなと、自らの正当性を疑うこともなく叫ぶだろう。

自分達がそんな社会の構造を作り出している一員であることを忘れ、
当然のように責めることに終始するだろう。
自分は自分の範囲の責任だけを全うしたのだから、
自分には原因があるはずもないと信じて疑わないだろう。

当然、直接的には誰にも非はない。
犯罪を犯す者に非があるに決まっている。
しかし、だからといって本当に誰にも落ち度がなかったと誰が言える?

異常な犯罪を繰り返させない為に、銃刀法を検討しなおす?
ネットが有害、ゲームが有害、マンガが有害。
すべて責任は自分達から程遠い場所に捨て置いて、
それらを非難することで自分の正当性を確認したつもりになっている。

若者よ!
少年達よ!!

世の中は理不尽だ。
多くの者は自らが望んだ未来など手にすることはできやしない。
そんな時、君達をこれまで庇護しているように見せかけていた
大人や社会という奴は結局のところ何もしてはくれない!

自分の力が全てだ。
弱い者は生きていけない!!

というのも実はウソだ。
人は弱くとも生きていける。
社会からはみ出したとしても、
方法次第で諦めなければ生きることはできる。

正攻法ばかりが世の中じゃない。
自分が社会の枠組みにハマらない人間だと自覚したのなら、
違う人間なりに生きていくことはできる。

そして、その生き方は自分で見つけるしかない。
それは誰も教えてあげることができない。
だから正攻法だけを学ぶな。

俺は上で
多くの者は自らが望んだ未来など手にすることはできやしない。
と言ったが、だからといって努力するなと言っている訳じゃない。

望んだ未来へたどり着くための努力は、
結果的に望んだ未来が来なかったとしても無駄にはならない。
それは必ず自分自身を他の未来へと進めるための準備になっている。

自分が異常だと卑屈になる必要はない。
異常者は異常者なりに生きていける。
決して社会から排斥されるような存在ではないのだ。

「青少年」などという言葉に惑わされてはいけない。
世の中には悪意を持った扇動者が山ほどいる。
誰かに自分の価値観をゆだねるな。
社会は多くの人間が思っているほど、整理された場所ではない。
むしろ矛盾や軋みを必死に取り繕いながら、
大人たちだって手探りに生きている。

誰も答えなど知らない。

「こうあるべき世界」などというものは崩壊が約束されている。
イレギュラーは常に訪れる。
だから、どんなことが起こっても揺らぐことの無いように、
世の中を疑え。
常に懐疑しろ。

そうすれば、自分の周りにある何気ないものの大切さにも気付ける。
自分がどう生きるべきかを最初から知っている人間などいない。
誰しも一生迷い続ける。

我々のようなクソみたいな頼りない大人しかいないのだ本当は。
大丈夫な人間なんて、結局のところいない。
全ての人間が歪みや矛盾を抱えて生きている。
それを意識していないから気付かないだけだ。

って、多分こんなことは書かなくても、
本当はみんな分かってることなのかもしれないけどさ。

正しいという意識の歪み。

秋葉原で無差別殺傷事件があった。
それで使用されたダガーナイフを今後銃刀法に抵触させるかどうかについて、
今議論されているそうだ。

アホか。
死ね。

理由が分からん奴も死ね。

殺した奴は当然死ねばいい。
人を殺した人間はどんな理由があれど、死ね。
自殺が一番てっとりばやい。
死刑執行するなら遺族に執行させてやれ。
無関係な人間に執行なんて役割を与えるからややこしくなる。

やられた人間にはやり返す資格がある。
やりかえしたくないなら、自殺させろ。

命1に対して命1だからだ。
殺されたから、殺し返して、憎しみは永遠に続く?

バカか。
最初に殺された人間の遺族はやり返して構わない。

その覚悟なく人を殺すようなバカは当然死んでいいのだ。
人の命を過失であれ奪った人間が、その後まともな人生など歩めるものか。
歩ませるものか。
罪を償う為に生きろという意見も分からないではないが、
それならば一般の人間と同じような生活など歩ませるべきではないし、
更生させる必要など皆無だ。

生まれたことを後悔させてやればいいだけの話だ。
人が殺したいなら、傭兵にでも志願させろ。

「人が殺せます」

こんなうたい文句で人を集める団体でもなんでも作ってしまえ。
気分が悪い。
当たり前のように犯人を歪んでいると報道するマスコミも同罪だろう。
貴様らが間接的に人を殺したことがないと言い切れるのか。
猟奇殺人があれば必ずの様に持ち出される卒業文集や犯人の思想。

それがどれだけ本当に殺人に関係しているのか。
また、そこから本当にもう二度と、
このような犯罪を生み出さない為の努力をしようとしているのか。

俺にはそんな努力を報道から感じることなど出来ない。

貴様らとて同罪だ。
結局は犯罪と自分達は無関係だと思っているから出来る所業なのだ。
我々が社会の一員である以上、異常の一因は我々にもある。
それぞれが自らの歪みと向き合うことができなければ、
今後も同じような事件は起こるし、未然に防ぐことなど不可能だ。

自らを正しいと思い相手を批判する心こそ、歪みそのものであると理解できなければ、
歪みなどこの世界から消えることなどあり得ないことだ。

Rhyme Viking / HI-KING


Rhyme Viking / HI-KING

01.MIC CHECK (prod.AKIO BEATS)
02.HI-KICK (prod.AKIO BEATS)
03.ABC... (prod.KING3LDK)
04.TEAM HK (prod.MASAYA.aka.MB)
05.I can feel (prod.AKIO BEATS)
06.I got a B (prod.K-MOON X)
07.イベント箱 (prod.AKIO BEATS.Scratch by DJ FRESH HUNTER)
08.DR.KICK (prod.AKIO BEATS)
09.WalkingRap (prod.MASAYA.aka.MB)
10.高瀬川 (prod.NOAH)
11.Hi.Sa.Shi.Bu.Ri (prod.MASAYA.aka.MB)
12.It's my soul (prod.AKIO BEATS)
13.クライム (prod.MASAYA.aka.MB)
14.RAIN MAN (prod.K-MOON X)
15.雑草 (prod.EVISBEATS)

友人がCDを出したというので聴いてみたら、これがカッコイイ!
俺は普段はあまりHIPHOPやラップを聴いたりはしないのだが、
このアルバムは普段からHIPHOPに親しみがない人間が聞いても充分に楽しめると思う。
少なくとも、俺は友人だというのを差し引いても、
2500円ちょい払ったことに対して損した感は一切ない。

特に曲のバラエティの豊富さが楽しい。
それぞれの曲の長さも丁度よく、テンポよく一枚丸ごとスパッと聴けてしまう。
その豊富なトラックを自分の色を無くさずに
リリック乗せてこなすMCのポテンシャルは凄いと思うなぁ。

何より聴いていて気分がいいのは、
間違いなく音楽を愛しているということが分かること。
上辺だけで取り繕われたペラペラのものとは一線を画している。

個人的に好きなのは03,04,07,11,13とか。

書きながらツレじゃなかったら、
もっと沢山いろいろ誉めれたなぁとか思ってしまった。
友人だという前置きをしてしまってるので、
あんまり誉めたりするとあざとくなっちゃうし。

以下はHI-KINGのMySpaceへのリンク、
試聴してみてから自分に合いそうだと思ったら買ってあげてくだしい。

URL: MySpace.com- HI-KING

日記、歪められた結末、そして怨嗟。

さて、こんなつまらない我がブログを読んでくれている、
全宇宙9兆人の諸君に悲しいお知らせがある。
その経緯と「なかがわ」という人間への怨嗟を綴っておこうと思う。

僕がここ数日、書き溜めていた日記。

最初に書いたのは2008/06/08(日) 05:09:24の日記である。
ここに記された言葉は「ペニス」
長らくブログを更新していなかった俺の復帰第一作目である。
6月一発目にしては、なかなか衝撃力を持った言葉であると個人的には思っている。

次に2008/06/09(月) 00:56:51の日記。
ここに記された言葉は「もう二度とちんこなんて言わない」
通常ならば、ここで男性器についての記事は終わりだ。
フリとオチが、ここで完結している為だ。
しかし僕はここで終わらせるつもりなど毛頭なかったのだ。
いや亀頭なかったと言うべきだろうか、この場合。

それが2008/06/09(月) 15:34:26の日記だ。
ここに記された言葉は「ちんぽ」
この言葉の役割は当然、予定の裏切りである訳で、
あくまでも下品な言葉で、見る人をくすっとさせたかった。
結果を伴ったかどうかは僕には分からないが。
それでも僕には意思を貫く必要があった。
それはまるで男性器が女性器の純潔の膜に対して持つような、
貫かなくてはならないという強い意思であった。

続いて2008/06/09(月) 15:36:05の日記。
記された言葉は「もう陰茎なんて言わないなんて言わないよ絶対」
ここまで来れば僕が一回目の日記から
男性器に対する呼称を統一していないことくらいは、すぐにわかって貰えることだろうと思う。
とうぜんそれには理由がある、すべて最後のオチの為のフリである訳だ。
さらに個人的にここで最も注目して欲しいのは、全ての記事の日付と時間である。
一つ目が6月8日の午前5時。
二つ目が6月9日の午前0時。
三つ目が6月9日の午後15時。
そして四つ目が三つ目と同時刻に書かれたものであるということ。

これは僕なりの呼吸のテンポである。
すべてを全部いっぺんにやってしまうよりは、
長い時間をかけてやる方が面白いと思ったので、
他に書きたい記事があったのを我慢しながら書いていた。
くだらない事を一生懸命やるというのは大切なことである。
三つ目と四つ目の投稿時間がほぼ同じなのは、有機的な流れとしては当然である。
四つ目の日記が三つ目の日記に対するツッコミの役割をしているからだ。
そこで一瞬、空気を止める必要があった。
最後のオチが待っているからだ。

そして3日目の今日6月10日に僕はこれらのくだらない一連の日記を締めくくる、
クソくだらない日記を考えていたのだが、ここでイレギュラーが起こった。

なにをトチ狂ったのか「なかがわ」とかいう人間が、
四つ目の日記にコメントをつけてきた。

『マッキーだけに末期なのか?』

・・・おい。
なんだこれは。
頭がクラクラする。

せめて男性器とかけて欲しかった。
いや、むしろゲイ的な意味でかけているのか?
わからない、僕にはわからない。

『マッキーだけに末期なのか?』

・・・おい。
なんなんだこれは。
いくら僕が槇原の歌詞を引用したからといって、そんな仕打ちはないだろう。

『マッキーだけに末期なのか?』

・・・おいおい。
一体なんだっていうんだこれは!?
僕はただただ、さめざめと泣いた。

僕が考えていた、この一連のキチガイ日記は、
「これが隠されていたコック長の決意の日記だった、コックだけにね」
というクソくだらない誰も笑わないような記事の為の努力は一体なんだったんだ。
一体なんだったんだ。
・・・一体。

俺は終わった。
もう二度と俺は立ち上がることはできないだろう。
だから僕は怨嗟を残してやる、この世界に呪詛を残してやる。
今後、これは誰が使っても相手を苦しめる為の言霊となるだろう。
それだけで充分なほどに悲痛な言葉である。
心苦しいが、僕にもそれくらいの権利はあるだろう。
さあ聴きたまえ!全宇宙9兆人の諸君!
世界を巻き込む呪詛を!!!











『マッキーだけに末期なのか?』

日記

もう陰茎なんて言わないなんて言わないよ絶対

日記

ちんぽ

日記

もう二度とちんこなんて言わない

日記

ペニス
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