いよいよ今日で2008年の初月が終わります。
なので、少し遅めですが今年の抱負のようなものを。
とにかく
「折れない心で頑張る」
これにつきます。
頑張る人は偉いのです。
俺は基本的に怠け者なので、
今年は頑張ったと胸を張って言えるように、
頑張りたいと思います。
私生活も仕事も。
恋愛のほうはどうかわかりません。
まずは恋ができるかどうかにかかってるかも。
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中国に毒入り餃子をしかけられました。
基本的に僕は、狂牛病やら鳥インフルエンザやら、
産地偽装やら赤福のような材料再利用やら、まったく気にしない男です。
というかそんなもん気にしてたら生きられない。
ただ!今回に限ってはこのままで済ませる訳には参りません。
製造過程で混入されたのか、
輸送過程で混入されたのか、
徹底的に調査して一定期間中国からの輸入はやめるべきです。
致死量の毒が混入されていたという事実は、
いくらなんでも偶然だとは考えられないからです。
テロルの可能性もあるし、愉快犯の可能性もある。
とにかく人為的でしかあり得ない事態です。
事件の全容が解明されるまでは、
JTフーズの冷凍食品を食べることはお勧めしません。
混入されていたメタミドホスという農薬は、
日本では農薬として登録されていないそうです。
中国のミスや犯行に見せるために、
日本のどっかの組織が行ったとも考えられなくはないですが、
中国側で混入されたと考えるのが自然でしょう。
一部ではJTフーズの株価の動きがおかしかったりしたことで
チャイニーズマフィアと共謀して、
株式操作が行われた可能性があるのではないか、なんて指摘もある。
もし今回がそうじゃなかったとしても、
今後そういった事を思いついて実行してくる可能性もある。
より一層、チェックを徹底しなければならないと思われる。
餃子食って後遺症の残るような身体にはなりたくないっす。
最近、あまり創作作業が上手くいかない。
もちろん俺程度の努力では上手くいかないだなんだと、
一丁前に言えるような所にはいない事くらい分かる。
それでも、俺自身の創作意欲が、
以前よりも落ちていることは実感している。
認めたくはないことだが、認めることでしか前に進めないので、
認めておくことにする。
もちろん今でも作るということは大好きだし、
俺にとって必要不可欠なことだということは分かっている。
にも関わらず、以前に比べて作りたいという欲求が、
確実に低下しているということも事実なのである。
そしてその理由も恐らくは分かっている。
俺の創作意欲の根源を幾つか説明することができる。
一つは純粋な創作欲。
この世界にはないものが自分という存在を介して生まれるという快楽。
その愉悦を味わいたいという純粋な創作欲。
これが俺を創作に駆り立てる一つの欲求になっている。
しかしこの欲求も「自分の中にあるなんだか分からないもの」
それにに限りなく近いものに触れてしまうことで、
ある種の満足感と先にやられてしまったという劣等感で、
作ることができなくなってしまうことがある。
創作に没頭したいのなら、情報は断つほうがいいのだろうと思う。
少なくとも俺に関しては。
二つ目は表現欲。
自分の作ったものを認めて欲しいという欲求。
この根源は俺の場合、
自分に自信がないというコンプレックスから来ている。
自分が何も持たないものであるから、
虚構という武装をして他人に勝負をかける。
虚構を通して自分を認めて欲しいという欲求が生まれる。
こんな俺でも他人に認めてもらえるかもしれない。
そう思うことで表現したくなる。
創作欲とはまた違った意味合いの欲求だ。
しかし最近になって、この欲求が明らかに低下している。
それは自分に自信が持てるようになったからではなく、
今の世間程度に認められて、本当に認められたと言えるのか?
というマイナス面の方に思考が偏りはじめているからだ。
今の世の中に認められて、
自分が本当に嬉しいと思えるのか、という一点につきる。
それと表現欲求低下にはもう一つ理由がある。
上記のような理由ももちろんあるだろうが、
俺が自分を批判する人たちから遠ざかっているという現実。
悔しくて自分を認めさせたいと思うような、
俺のことを軽視する人の側にいれなくなったことは大きいかもしれない。
今、俺の周囲には、
一応ある程度俺という人間を認めてくれている人しかいない。
それに俺自身、どんな人間関係の中でも、
ある程度の人間関係を築けてしまうようなズル賢さを持ってしまった。
コンプレックスというのは力を生む。
それはいい意味の力だけではないけれど。
それによって精神は磨耗するし、
平和な時間ばかりが続いても心は勝手に沈んだりするのだから、
なるべくならそういう所からは遠ざかって置きたいのは事実だ。
それでも、このまま腐っていくよりはいいのかもしれない。
創らなければ俺は腐ってしまう。
中身もなにもない俺だから、
せめて中身のあるものを創りたいと願うのだ。
ハリボテのようにならないように。
このまま終わりたくはない。
歪んだ創作意欲かもしれないけれど、
とりあえずはこの力を、何かに変えられればいいと思う。
山崎邦正という人について。
あの人を語ろうとするとよく、
「スベリ芸」だとか言われるのを見るのだが、
個人的には非常にピントのズレた意見じゃないかと思うのだ。
なぜなら山ちゃんはスベる時は徹底的にスベるからだ。
そしてそこで笑うのは取る側の自由であって、
スベったという点においては間違いなくスベっている。
わざとスベって笑いを取りに行く、
いわゆる一週まわったスベリ芸ではない。
山ちゃんがスベっても笑える理由というのは、
時折みせる奇跡のフォロー力と、
憎みきれない愛らしいキャラと、
独自のお笑いロジックによって生まれる、
通常の芸人にはない粗い破壊力ではないかと思う。
もちろん、これらは単に論理化しただけで、
他の芸人がマネしようとしてもできるものではなく、
もはや山崎邦正という人ありきで出来上がったスタイルである。
つまり「スベってもいい」という絶対的な立ち位置を確保したことで、
芸人としては不動のポジションを確立したといえる。
山ちゃんは「面白い」と認められても、
笑い的なハードルがあがることのない稀有な芸人なのである。
通常「面白い」と認められてしまうことで、
笑いのハードルが上がってしまったりするものなのだが、
山ちゃんや村上ショージさんのようなタイプの芸人さんは、
そのハードルの概念が通用しない立ち位置にいるのである。
もしハードルが上がっている現場にいたとしても、
「スベる」ということが最終的に許容されるポジションであるからだ。
これはスベリ芸とは言わない。
芸ではないからだ。
スベリ芸というのは、
あえてスベルことで計算的に笑いを取ることを言うと思うが、
山ちゃんや村上ショージやRGは、
基本的に全力で笑いを取りに行くのだ。
そしてその取りに行った笑いでスベっても、
許容されるポジションにいられるというのがすごいのだ。
スベってもいい、などとは思っていない。
ウケたいのにスベる。
これは狙ってできることではない。
なぜなら狙ってしまうと、その時点で寒くなってしまうからだ。
細かな部分が分からずとも、
視聴者にはそれが伝わってしまったりするもの。
ジャリズムの山下さんが飛びぬけないのはそういう理由かとw
ただ日本の笑いのメカニズムの進化は、
そこまで分かると山下さんすらも面白くなってきてしまうという、
かなり複雑な所まで来ているとも言える。
ともあれ、以上のような理由をもって、
山崎邦正さんは「スベリ芸」ではないことを提唱します。
そういえば墓場鬼太郎がなかなか面白い。
作画が凄まじいし、気合の入り方も嫌いじゃない。
そして何より声優陣が、
ゲゲゲの時のオリジナルメンバーなのが嬉しい。
あのオリジナル陣営のままで墓場鬼太郎をやるから、
いつもとは違うっていう違和感が生まれるのよねぇ。
目玉のおやじや鬼太郎の誕生シーンって恐らく、
ゲゲゲではやってないのでテレビ初だと思う。
かく言う俺も初めて見た。
墓場鬼太郎というマンガの存在は知ってたけど、
買ってまで見た事はないし。
案外たのしめそうなアニメでよかった。
久々に風邪的なものを引いて熱が出ました。
ちょっくらしんどい♪
鬱陶しいです?。
とにかくThe Pearlfishersの中毒のようになりながら、
新居昭乃と交互に毎日何度も聴いてます♪
サカナクションの新譜も買ったのですが、
まだ一度しか聴いてない。
コンセプトアルバムなんだけど、
ちょっと難解系に走ってる感じがあるかな。
もう少しポップでもいいと思うけど。ラララ
キーワードをちりばめて、
アルバム内の曲の作品性を向上させようとしてる感じかな。
個人的には1stの方が好きかなぁ。
ちなみに新居昭乃の「金の波 千の波」を
アマゾンで間違って2枚注文してしまったので、
誰か欲しい人いたらプレゼントします。
イェーイ♪
絶ちたいのこの命ロンリネス
繋ぎとめるものは あなた
勃ちたいのこの逸物ロンギヌス
繋ぎとめるものは 中出し
うんこを食べるの?
どうして食べるの?
愛を確かめ合う方法ひとそれぞれ?
金輪際、あなたの顔もみたくないわ
その糞まみれの笑顔
もう見たくもないの!
金閣寺、あなたの糞で塗り替えられたわ
その情熱はいつか
私にも 伝わってたみたいなの!
スキ!
もう一人じゃないの!
ダイスキ!
陽だまりという名のアナルに
光という名のバイブ差し込んだ
差っし込んだ♪ フッフー!
Wow oh!
なんて気持ちがいいんだ
すがすがしく息を吸い込んだら~♪
さあ!たちあがって~♪
君に会いに行こう~
そして目の前で、白い想いをぶちまけよう♪
スクールゲートラブストーリー
さっき真空のエネルギーのことを少し書いたので、
その真空のエネルギーについて、さらに少し書いてみたい。
といっても、科学的見地に基づいた真空のエネルギーの分析など、
この俺にできるはずがないので、
そういった検証はやめておく事とする。
とにかく自分なりに真空のエネルギーについて、
色々と妄想をめぐらせてみたい。
真空のエネルギーが何であるかについても、
俺が説明するよりも見識のある人の説明の方が良いだろう。
ということで、このまま真空のエネルギーについての、
俺的な検証を開始する。
真空のエネルギーが発生するであろうと考えられている、
まったく何の物質も存在しなくなってしまう状態。
これを仮に「無」であるとしよう。
量子論では素粒子はどんな所にでも生まれる確率を持っているらしい。
たとえ「無」の真空状態であっても。
それが物質を構成する最小単位である素粒子の性質らしい。
(あくまでも現時点での仮説ということらしいが。)
素粒子は現在の技術では観測することすら容易にはままならない。
それと同じような性質のものに原子核がある。
素粒子が原子核と似た要素のものであるとするならば、
もしくは素粒子が何らかの干渉をきっかけに、
原子核を生み出すとしたら?
これらの感覚にものすごく近いことを、
まったく違う方面から実践しつづけてきた人たちがいる。
分かり易い言葉で言うならば、
太極拳などに代表される中国拳法に通じる思想であろう。
中国には太極図というものが存在し、
万物の根源には太極があり、そこから両義が生じ、
両義から四象を生じ、四象は八卦を生ずる。
という考え方がある。
見たことがあると思うが陰と陽を表す、
勾玉を二つあわせたような丸の模様。
あれが太極図と言われます。
しかし太極だというのに、
あれは二つのものが相克している。
対極してしまっているのだ。
つまりあれ自体が表すものは「太極」ではなく
「両義」であると考えられる。
ならば「太極」とは記すことができないものではないだろうか。
あちらに「無極にして太極」という言葉がある。
これこそが「太極」の本質を射抜いている言葉であろう。
そして、真空のエネルギーへと繋がる言葉であると考える。
「無」はすでにそれ自体が「両義」を生じているのである。
そう考えると、真空のエネルギーとの整合性がとれる。
「無」へ至ることこそが、
「両義」から「四象」
そして「八卦」に至るまでの道を繋ぐのである。
仮に無極のことを真空だと考える。
真空では素粒子が生まれては消え、生まれては消えを繰り返しており、
それらが何らかの原因で反応しあい、
ある何らかのきっかけで原子核が生まれる。
先に生まれるものが陽だとすれば、
その陽の影響で生まれるものは陰であろう。
素粒子は原子核を生み出すような要素を元々持っており、
原子核は素粒子から生まれたことで素粒子的な要素を持っている。
と、すれば。
この素粒子と原子核の関係が、
両義的なものであるかもしれないと考えられる。
(この辺りは量子論や原子論に詳しくないので、
的外れなことを言っている可能性がある。
つまり両義的なものに当てはめるべきものを間違っている可能性。
素粒子と対になるのは原子核ではないかもしれない。)
太極図の黒い勾玉と白い勾玉の中にはそれぞれ、
相反する色の点が刻まれている。
これらを陰中の陽、陽中の陰と呼ぶ。
これらは互いに相克している訳だが、
もし素粒子と原子核がそれぞれ、
互いに反応しあうようなものだったとすれば、
それらは互いに干渉しあい、
新たなフィールドへと至るだろう。
各々が様々な原子や様々な粒子へと至り、
物質を形成するようになっていく。
物質とはそれらによって形成されている。
両義が四象を生じ、四象が八卦を生じた訳である。
その事を身体的に理解するのが武道であるかもしれず、
その事を頭脳的に理解するのが数学であるかもしれず、
その事を感覚的に理解するのが仏道であるかもしれない。
そしてそれらは全て、
悟りを開くという感覚に繋がるのではないか。
物事の本質は、根源にまで至らないと見えない。
ということだろう。
真空のエネルギーの特質として、
真空のエネルギーは全宇宙に対して、
常に一定の比率を保っている。ということがある。
宇宙が膨張すれば、
真空のエネルギーも膨張し増幅される。
これが宇宙の加速膨張の原因とされている訳だ。
「無い」ことがエネルギーを「生む」
無極にして太極とはまさしくこの事。
どのようにして、こんな言葉が生まれたのか、
なんとも不思議なものだ。
Googleで調べるとおもしろい単語を紹介します。
「回る人影」
まずは手始めにこれです。
Googleの検索ボックスにこれを入れてみましょう。
恐らく一番上に目的のサイトが出るはずです。
そこに行くと回っている人影が見れます。
最初にその人影がどちら回りかに注目してください。
時計回りか、反時計回りか。
覚えておいて下さいね。
では行ってみてください。(帰ってきてね♪)
おかえりなさい。
どっち回りだと思いました?
俺は最初は時計回りにしか見えませんでした。
時計回りに見える人は「右脳型」で、
半時計回りに見える人は「左脳型」だそう。
自分では結構論理的な人間のつもりなんだけど。。。
ちなみに今はどちら回りも自由自在に調節できます。
「142857」
さてお次はこれです。
この時点でピンと来た人もいるかも。
個人的には上から3番目のサイトがおすすめ。
「142857」ってだけの奴ね。
Wikipediaじゃない奴。
Wikipediaでもいいけど目で楽しめるのは3番目のほうかと。
では、楽しんでらしてくださいまし。
見てきた?
すごいよねぇ。
こういうの見ると数学は世界の真理に繋がってる気がする。
142857以外は9ばっかりになるのも気持ちわるい。
ちなみに、
14+28+57=99です。
さらに、
1+4+2+8+5+7=27 → 2+7=9です。
ばびる優。
「真空のエネルギー」
さて、お次はこちら。
基本的にはWikipediaを中心に解説サイトを回ることになります。
SF好きには堪らないキーワードですね。
では見にいってください。
行きましたか?
すごかったでしょう。
宇宙の不思議、
世界の成り立ちの不思議を感じられたことと思います。
そこから世界の成り立ちに作為を感じるのも自由です。
「寿命が10倍に延びる」
題名的に何の寿命が?って感じでしょうが、
まあ思ってらっしゃるとおりの寿命が10倍に伸びるそうな。
行った先にはそれに関する記事があるってことで。
見たら次に行っちゃってください♪
「ヒトラーの予言」
さて、個人的にはこれが一番のおすすめですw
SF好き、オカルト好き、
超常現象好きなどに喜んで貰えるでしょう。
「寿命が10倍に伸びる」の検索をしていると、
より一層この内容をお楽しみいただける事と思います。
少し長くなると思いますが。
ではでは、どうぞ。
はい、おかえりなさい。
ギャグとしても、トンデモ論としても、
充分に及第点だったでしょう?
外れるであろう予言と、あたるかもしれない予言。
当時ではありえなかったようなこと、
夢物語のような出来事を予言しているが、
これが現在では笑い飛ばせない状況かもしれない。
ヒトラーが予言する「超人」とは、
先ほどの「寿命が10倍に延びる」というのを、
実践した人かもしれない。
他にもいくつか、
ハッとするような予言が書いてませんでしたか?
ヒトラーあなおそろしや。
さて、という所でGoogleおもしろ検索あそびはおしまいです。
またネタが溜まるまではお休みです。
以下にちょっとした番外編をつけておいたので、
ググって遊んでみてください。
まあ本当に番外編なので一瞬で終わりますけど。
番外編
「ドルを円で」
「ユーロをドルで」
「一日は何秒?」
だいぶ更新してなかったので、今日くらいは更新。
本日を持ちまして、
我が人生が丁度24年目を迎えたこととなりました。
ロックスターにちなんで、
次の自分の人生のポイントを27歳にしようと思ってます。
自ら死ぬ気はないので、悪しからずw
はてさて、
最近は完全に無気力という奴です。
開眼したいな。
いつだって芯を捉えていない気がする。
その曖昧さが俺を前に進めている気もするんだけど、
だからといって捉えたくないなんて思ったことがない。
タイムリミットは27歳に設定。
何に対するタイムリミットかは分からない。
多分俺の前半の人生を決めるすべてのタイムリミットだ。
こみ上げる熱さが欲しい。
熱量がいる。
生きていくには多分、熱量という奴が必要だ。
最近はZABADAKを良く聴いている。
何がいいってアルバムが多いのがいい♪
いくら聴いてもまだまだ次があるぞ?ってなもんだ。
なにしろオリジナルアルバムだけで20枚近くある。
お前はフランクザッパかってくらいに作ってますなぁw
まあそれは言いすぎか。奴は60枚近くだ…
民俗音楽とプログレとポップを上手く融合させている。
低迷期と言われる時代のアルバムでも、
少し一般的な音楽になるくらいで全然聴けない感じではなくて、
案外と楽しませてくれる。
インスト曲も多いんですがアルバム通して聴いてると、
インストってこと気付かずに自然に聴いてます。
とにかく美しくて、不思議な曲が多い。
新居昭乃よりも少し民族的要素な感じ。
ネットサーフィンをしていましたら、
栞と紙魚子の怪奇事件簿というドラマが放送されていることを知りますた。
おいおいおい!
これは諸星大二郎の「栞と紙魚子シリーズ」ではありませんか!
生首事件やクトルーちゃん一家シリーズなどなど、
斜め上行く諸星ナンセンスワールドのマンガでございます。
これがドラマ化されていたとは…
ばびったぁ?!いま、諸星ブームっすか?
はてさて、どこまで諸星ワールドを再現できていることやら。
次からは見てみることにしましょう。
深夜とはいえ日本テレビは思い切ったことをしますw
ドラマはまだ見てないので、出来はどうかわかりませんが。
もしかすると人気でるかも。
諸星作品の映像化といえば、
最近では「壁男」の映画化でしょうか。
壁男は奇作『夢の木の下で』の中に収録されている、
複数話からなる連作短編マンガです。
紹介サイトを見る限りでは、
モチーフだけを使って内容は別物といった感じのようですが。
奈良では上映されていないので、
DVD化をまつしかないというのが寂しい所ではあります。
少し前には「奇談」がありました。
阿部寛が稗田礼二郎を演じていましたね。
思えば、この頃には
まだ僕は諸星大二郎という作家のマンガには出会っていませんでした。
先に作品に出会い、打ちのめされた。ということです。
この映画は、今見れば確かに諸星エキスがたっぷり詰まった、
見事な諸星ワールドの映像化だったのだと分かります。
映画館で初めて見たときは、
ただただその発想の気持ちよさに打ちのめされました。
妖怪ハンターの傑作中の傑作『生命の木』を、
見事に映画の尺で見せきってしまった。
改めて、もう一度「奇談」が見たくなりました。
さて、諸星作品の映像化といえば、
古くは妖怪ハンター ヒルコというのがあります。
僕は見たことありませんが、
稗田礼二郎を演じるのはなんとあのジュリーこと沢田研二。
映画好きの先輩に聞けばB級映画として超一級品だとかw
モチーフはこれまた妖怪ハンターの『海竜祭の夜』ですが、
映画の方はまったく別物だそうです。
機会があれば見てみたいと思います。
他にも「暗黒神話」のアニメがあったり、
『世にも奇妙な物語』で
「城」「地下鉄をおりて」「復讐クラブ」
の三作が映像化されているようです。
この辺りの映像はレアすぎて恐らく見ることができない気がしますが。
うぅ…もの凄く見たい!
ちなみにもし次に何か映像化するとしたら、
個人的には『僕とフリオと校庭で』を、
1クールくらいのアニメかドラマで全短編を映像化して頂きたい。
さて、なにはともあれ、
「栞と紙魚子の怪奇事件簿」楽しみに見てみたいと思います。
と、思ってたら関西の方では放送はないそうです。
第2日本テレビで動画配信があるそうなので、
そちらで見れる模様。よかったね♪
感想とかも書きたくなったら書くかもしれません。
道の続いていく先。
すべてが曖昧に見えなくなる境界。
思えば、見える距離はいつだって一緒だった。
空の終わりで色が薄れていくように。
背が伸びて、少しだけ視界は広がったけど。
いつだって僕は曖昧な境界を見ていた。
その終点は昔だって、今だって変わらない。
終点はぼやけて見えない。
だからそこに向かって歩ける。
そこに辿りつく頃、
終わりはまた遠くにぼんやりと揺らぐ。
曖昧だったものは知らない間に、
はっきりと輪郭を持つ。
手探りでしか生きられない不自由さと自由さを。
終わりはないから、終わりを目指す。
腰がいたくて何かに許しを請いたいです。
いきなり厄年感が満載で嫌になってきます。
たまらないっす。
すわってるだけでも痛いし…
ぎぃいい、いたっ、いたっ!
てて…もうとにかく初詣に行こうと思います。
死にたくないですから。僕がこの一年無病息災であれる為に。
ぬふふ、神様お願いしますわ。