今年は本当に色々な音楽を聴きました。
その中でも「これは良く聴いたぞ!」
というリピート率の高かったアルバムを5枚ほど紹介いたします♪
まずは第5位から。 Daphne Loves Derby / Goodnight, Witness Light彼らの良い所は、なんと言ってもその若々しさと、
ストレートでエモーショナルな美しいメロディセンス。
新鮮と言ってもいいほど素直な音楽を聴かせてくれます。
コーラスの巧妙さや、
曲を飽きさせずに聴かせる為の様々な工夫がとても好感触。
このアルバムは2007年に発売されており、
Daphne Loves Derbyとしては2枚目の作品である。
最近の人気バンドでは珍しく、
2枚目の方が1枚目のクオリティを遥かに上回っている。
稀な傾向のバンドだと言えるかもしれない。
ただジャケットのデザインが残念な仕上がりです。
この名盤の雰囲気をまったく伝えられてはいないだろう。
かといってユーモアが利いているかというと、
首を捻るしかない感じで、微妙なジャケでした。
続きまして第4位。 The Radio Dept. / Pet Griefスウェーデン出身の4ピースバンドらしいです。
1stアルバムのLesser Mattersも良いアルバムなのだが、
良く聴いたのはこっち。
2006年に発売された2ndアルバムです。
興奮や高揚感で感動させるのではなく、
染み込む様に音楽を聴かせてくれる。
随所に見られる細かなこだわりは、
シューゲイザーやエレクトロニカ系のバンドらしい良さがある。
男性ボーカルのウィスパリングボイスというのも、
結構珍しく感じて新鮮だった。
北欧系のエレクトロニカサウンドは、
とても澄んでいて流麗だ。
北欧の気候や風土がそうさせるのだろうか。
本作では1stで見られた時のような、
シューゲイザー的要素が薄れていると言われているが、
手法や音の混ぜ方は充分にシューゲイザー的である。
このアルバムもジャケットがなんとも言えない仕上がりだ。
ひねるならもう一ひねり欲しい。
シュールでもなくジョークでもない。
この微妙で曖昧な感じが、
The Radio Dept.だというのなら、
そうかもしれないけれど。
そして第3位は。 The Postal Service / Give Upはい出ましたThe Postal Serviceです。
この名義で出ているアルバムは今の所これ1枚のみです。
Death Cab For Cutieのベンがボーカルをやってます。
ベンは本当に色んな所で精力的に活動していますが、
個人的にはこのThe Postal Serviceが好きです。
エレクトロサウンドが好きなんでしょうなぁ。
アップテンポな曲だけでなく、
ミドルテンポの曲もあってバラエティに富んでいる。
ただ何度も聴いていると飽きてくるというのも事実。
ポスタルは生音が限りなく少ないので、
厚みが足りなくて飽き易いのかもしれない。
ジャケットは可も無く不可もなくといった感じ。
さて、いよいよ第2位です。 Styrofoam / Nothing's Lostはじめてラップがカッコイイと思えたアルバム。
といってもラップが入っているのは1曲目だけだが。
ミドルテンポの曲に、
違うリズム感を打ち込んでくるラップは、
新しい楽器のように感じられる。
他の曲もバラエティ豊かで非常に楽しいアルバム。
洗練という言葉が相応しいだろう。
様々なアーティストが参加しており、
上記のベンもボーカルとして参加している。
新しい形の音楽もあるのに、すでに洗練されている。
全体的にとってもおしゃれ。
ジャケットもおしゃれでよろしい。
文句なしで素晴らしかった。
しかし1位の作品には残念ながら及ばずでした。
その堂々の第1位は! The Pearlfishers / Up with the Larksもうこれ!
これ以外にはあり得ない。
このアルバムに出会えたことで、
この時代に生まれてよかったと思った。
名盤中の名盤。
2007年にこんなタイプの名盤が生まれるなど、
誰が想像できただろうか。
これは神のメロディ。
アルバム内の曲の構成も完璧。
最初から最後まで見事というしかない。
聴くのをやめたくない。
何度聴いても心が震える。
身体の隅々までこの音楽を染み込ませたい。
Pearlfishersは他のアルバムもかなり素晴らしいのだが、
このアルバムだけは異常。
なんという感動の嵐を吹き荒れさせるのだろう。
Track7のeco schoolsとかもうね、
感動させ殺す気ですか、と。
口笛の部分でまんまと胸キュン。
とにかく、今年一番どころか、
人生の中でもトップクラスの名盤。
色んな人に聴いて欲しい。
そしてこの感動を共有したい。
ひとつの奇跡がここにあります。
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いよいよ今年が終わる。 そりゃ総合で見れば今年はとんでもなく嫌で辛い年だった。 母が他界し、僕の世界は途端に寂しくなってしまった。 僕は母がいなければ、 こうしてまともに日々を送ってはいられなかっただろう。 僕の家庭は他の家庭とは少し違って、 いくつかの問題を抱えていた。 僕がその家庭環境を他の家庭と比べたりして、 性格が歪んでグレたりせずに来られたのは、 ひとえに母のおかげだと思っている。 母がいなければ僕はきっと親父を殺していただろう。 今はもう親父に対してそんな感情を抱くことはなくなった。 我が家が抱えていた問題は、 僕が大学に入る前頃には一応の解決を見ることとなったから。 その問題の解決から、たった少しの間だけ、 我が家は本当に幸せだった。 手放しで幸せだと言えたのは、 ほんとうにたった少しの間だ。 ある日、母が癌になった。 乳がんだった。 切除の手術をする時にリンパにも転移していることがわかった。 僕は泣いた。 もどかしくて、発狂するほどに泣いた。 癌がリンパに転移するということは、 全身に癌細胞が行き渡るかもしれないということで、 癌の再発率を飛躍的に上げてしまう。 母が最初の手術をした時、 僕は医者から、 母が場合によってはもう長くはないかもしれないと言われた。 運が悪ければ、半年も持たないかもしれない。 残された日々を少しでも幸せに過ごすため、 僕は辛いすべてのことから目を瞑った。 そして信じた。 妄信した。 何度も何度も治ってくれと祈った。 その最初の手術から、母は3年ほど持った。 長く生きた方なのだろうか。 僕には分からない。 母は最期まで諦めなかった。 病院のベッドの上で、 自分の方が遥かに苦しいだろうに、 親父と僕の二人きりの生活のことを心配していた。 僕の身体のことを心配していた。 僕は「大丈夫や」「頑張れ」 と繰り返すことしかできなかった。 母はいつも「おう!」と元気良く答えてくれた。 僕はそれを信じて、心を誤魔化して現実を見ないようにしていた。 悔しくて、でも何をすればいいか分からなかった。 そして母が死んだ。 最期を看取ってやれただけでも良かったのかもしれない。 母が亡くなってから、半年ほど経った。 今日でそんな今年も終わりだ。 今の我が家は、 役立たずの親父と、 力仕事ができない祖母、 そして僕だけだ。 つまり大掃除は僕の役割という訳で、 母が亡くなってからこっち、 散らかりっぱなしだった家の中の掃除を始めた。 案の定というか、 僕はそうなるのが分かっていたので、 あえて掃除を避けていた所もあるのだが。 何をしていても母との思い出が僕の手を止める。 母の良く着ていた服、 母の作った僕の手袋、 家族で一緒に行った旅行の写真。 情けないくらいに涙が溢れて、 嗚咽が漏れた。 そんな思い出たちは、今の僕には残酷だった。 幸せで楽しい思い出であればあるほど、 僕の心を締め付ける。 今まで僕は受けた恩の何一つ母に返すことができなかった。 母にやめてくれと言われるほど恩返しすることが夢だった。 僕はすべて遅すぎたし、 母は少し早すぎた。 母は僕の子供を見たかっただろうか。 僕は母が喜ぶ大人になれただろうか。 今、悲しさは確かにあるし、 喪失感はまだ塞がることなく残っている。 けれど、僕はちゃんと笑っていられる。 多くの悲しさや苦しさを知っていても、 僕はまだちゃんと笑っている。 来年は子年。 ちょうど僕の二回り目の年である。 人生の途中にはじまりも終わりもない。 けれど区切りという奴は、 人には必要なのかもしれない。 母が亡くなってから一度も切っていなかった髪を切った。 特に理由があった訳でもなかったけど、 自分なりの区切りが欲しかった。 母のいなくなった僕の世界。 母からもらった僕の世界。 母が守ってくれた僕の心。 だから笑う。 ちゃんと、この世界の幸せを謳歌したい。 生まれたことを後悔したくない。 それが僕ができなかった母への恩返しになると信じたい。 失くす傷みを知っても、笑える世界を僕は母から貰ったのだ。 それを僕は忘れない。
今年最後のガキの使いレギュラー放送の、 ラストで山ちゃんが見せた新ギャグで、 久々に涙が出るほど笑いましたw もう色々な意味で最強でした。 今年一番心の底からわらったかもしれん。 来年厄年で芸人20周年を迎える天才芸人は素晴らしいです。
この課題は一度で結論づけられるほど簡単な問題ではないので、 思いつくたびに書いていこうと思う。 例えば音楽。 全世界規模でSoulseekなどのツールによって、 多くの音楽は加速度的に世界中に広まり、 その多様化を支えている。 またSoulseekによって世界中で正規の手続きを踏まずに、 自らの音楽が聴かれることを公認しているアーティストも少なくない。 この場合の正規の手続きとは、 CDの購入やNapsterに定額登録したり、 iTunesStoreなどで対価を支払って音楽を聴くことである。 BeckやBjork、 Radiohead、Sigur Ros、Sonic Youth、 Tortoice、U2、Weezerらなど 他にも多くのアーティストが音源の配布を認めているようである。 通常の市場の流通ならば、 絶対にありえないほどの速度でそれらは広まり、 音楽は10年前よりも遥かに身近になった。 その功績により、 新しい音楽は以前よりも遥かに模索されやすくなったし、 進化の速度は増しているように感じられる。 すべてに対価を払っていては一生の間に聴くことなど出来ないほどの 多くの音楽を聴き漁るヘビーリスナーの増殖。 それは恐らく本職であるアーティストにも言えることなのである。 多くを聴き、多くから学び、 互いに影響を与え合える土壌が、 確実に新しいフィールドが出来上がりつつある。 そしてだからこそ、 この土壌を守るためにネット社会にはしなければならないことがある。 対価を支払う気持ちがある人間には 対価を簡単に支払えるシステムを作る必要があるということだ。 Radioheadが最新のアルバムを、 「好きな金額をつけてDLしてくれ」 というシステムでリリースした。 例えばこれも新たな形の一つだろうと思う。 俺がよく提案しているのは、権利者を整理したうえで、 カンパ制にしてしまうというのもので。 それも一つの手だと思う。 インディーズならば、 整理する必要もなく自らのサイトでそうすればいいと思うが。 このカンパ制の攻略すべき問題はいくつもあるが、 まずはネットでの支払いのシステムを、 世界中で協議して、簡略化できるのが理想的だ。 文化が世界の垣根を壊す瞬間だと言えるだろう。 ウルフルズの新譜に収録されるブルース曲が、 全米iTunesブルースチャートにて、 6位を獲得したというニュースも、 音楽がインターネットの力により 国の垣根を越えた象徴のような事態であろう。 つまりネットの功罪とは、 このような素晴らしい側面があるのにも関わらず、 P2P悪しと決めつけて 頭ごなしに弾圧しようとしてきた利権を守ろうとする権利者側と、 P2Pの持つ違法性を知りながら、 何の代替案も提案せずにそれを利用し続けてきたユーザー側、 この双方の問題であることは疑いの余地がないわけである。 多くの国の法律と照らし合わせても、 やはりP2Pの持つ違法性は、 いくら言葉を尽くしても正当化できるものではなく、 それによって生まれる被害も微少とは言えない事態である。 ならば権利者とユーザーと法律、 すべての面で折り合いがとれるような代替案を、 我々はこのネットという場所を通じて議論しなくてはならない。 ということであろう。 権利者側が自らの利権のみを優先させた状態を続けたいと望むのなら、 少なくとも音楽に関して言えば、 インディーズの波にメジャーが食われるのも、 そう遠くない未来だろう。 たった5万円弱のiPod クラシック 160Gを、 mp3フォーマットの音楽だけで埋めようとすれば、 CD一枚1500円/100Mbyteと計算しても、 1600枚のCDを購入しなくてはならず、 必要経費は240万円となる計算である。 日本国内のCD一枚3000円相場ならば、 単純計算でその倍額の必要経費480万円である。 普通に考えて、それは非現実的な金額である。 例えばデータ音楽販売の価格を現在の10分の1に抑えることができれば、 24万円でiPodクラシックの160Gを埋めることができる。 国内盤なら48万円だ。 遥かに現実的な数字だ。 そうなれば音楽業界はもっと流動的になるだろうし、 活発になるだろう。 少なくとも現在の商業音楽の閉塞感からは抜け出せるはずだ。 いくらなんでもCDの値段を10分の1にしろとは言わない。 しかし半額にまで下げることは可能なはずだ。 今は権利会社の取り分がそれをさせないだけだ。 権利者側、ユーザー側、法整備、 すべての怠慢が現在の居心地の悪い理想的な環境を作り上げている。 そして残念ながら、 現時点ではそういった話し合いが仮に行われたとして、 多くの場合、権利者側と法律は結託し、 ユーザーがないがしろにされる結果が出るであろうということである。 そうなった場合にはやはり、 結果はインディーズや、 アンダーグラウンドへと向かうしかなくなるであろう。 音楽のみならずエンターテインメント本来の目的は、 ネットにより達成されているという現状があるだけに悲しい次第である。
やあみなさん、メリークリトリス。 性なる夜の、SEX'masにようこそ。 クリスマスカキ少年たちも、この日の射精はイエスと言える。 白濁液を飛び散らせ、 ホワイトクリスマスとはいとおかし。 そこいくとエスタックイブはいい。 なんたってイブプロフェンが風邪に効く。 効くぅ!きくぅ!きっ、きくっ、きくきくきくきく ぎぎぎっぎぎぎっぐいぎぐぃいいっぐううううううう!! ぬほほほほほ!!!いぎぎぎぎ、ぎぐぎぐぎぐぎぐぅうう!! ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 一方クリスマスイブはというと、 なんたって性交で男女が派手にイク。 イクぅ!いくぅ!いっ、いくっ、いくいくいくいく い"い"い"っい"い"い"っぐい"ぎぐぃい"い"っぐううううう!! ぬほほほほほ!!!いぎぎぎぎ、いぐいぐいぐいぐいぐぅうう!! ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 やあみなさん、メリークリトリス。 性なる夜の、SEX'masにようこそ。 クリスマスカキ少年たちも、この日の射精はイエスと言える。 白濁液を飛び散らせ、 ホワイトクリスマスとはいとおかし。 そこいくとエスタックイブはいい。 なんたってイブプロフェンが風邪に効く。 効くぅ!きくぅ!きっ、きくっ、きくきくきくきく ぎぎぎっぎぎぎっぐいぎぐぃいいっぐううううううう!! ぬほほほほほ!!!いぎぎぎぎ、ぎぐぎぐぎぐぎぐぅうう!! ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 一方クリスマスイブはというと、 なんたって性交で男女が派手にイク。 イクぅ!いくぅ!いっ、いくっ、いくいくいくいく い"い"い"っい"い"い"っぐい"ぎぐぃい"い"っぐううううう!! ぬほほほほほ!!!いぎぎぎぎ、いぐいぐいぐいぐいぐぅうう!! ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 ふぅ… すこし錯乱しちゃいました。 犯罪おこしても起訴されないブログができました!
以下、ネタバレを含みますので、 まだご覧になっていない方は見ないようにしてくださいね。 もうタイトルの通りです。 今年は笑いの総量云々よりも、 情熱とドラマがてんこもりでした。 敗者復活で上がってきたサンドウィッチマン。 名前は知っていましたが、 まさかここまでとは。 もうお見事としか言えません。 細かな感想はまた後ほど。 キングコング。 すいませんでした、本当に舐めてました。 スタ?の風格が確かにあります。 間の取り方、キレ、言葉数、テンポ調整、 何より空気の掴み方が絶品。 プロの仕事を見せてもらった気分。 あの絶妙の間でボケが入ると、 本来のボケ以上の笑いが起こります。 そしてそれこそが漫才師が目指す真骨頂の一つだと思います。 トータルテンボスは残念でしたが、 やはり決勝まで残ってくれました。 ただ、 最後のネタはむちゃくちゃ面白いのに、 後半テンポと言葉が乱れてネタが雑に見えてしまった気がします。 最後のネタ順で運を逃した感じ。 しっかり整理して冷静にネタをやれていれば、 もっと面白くなったネタだったはず。 しかし充分に実力は見せ付けたでしょう。 お見事極まりないコンビです。 もう大好きっす! そして王者サンドウィッチマン。 敗者復活からのドラマ性も見事ながら、 ネタの面白さが何よりトップレベルでした。 彼ら以外に作ることができない、 ボケとツッコミの雰囲気に会場全体がズッポリはまってました。 かなり笑わせてもらいました。ありがとうございます。 今年は完全にやられました。 最終3組に残るコンビ、 順位は間違ってましたが、キングコング以外は当てましたw 敗者復活で上がってくる予想には サンドウィッチマンは入ってませんでしたがw それでも、僕がずっとプッシュし続けた、 トータルテンボスが残ってくれたことが一番嬉しかったです。 最終3組に残れなかった他のコンビたちも凄く良かったと思います。 笑い飯はまだ時間が残されています。 今年もネタ順で運を逃した感が否めません。 まだ笑い飯の年ではないということかもしれない。 POISON GIRL BANDは残念だったが、 松本人志に90点をつけてもらったことは非常に大きいと思う。 残念ながら懸念どおり彼らの漫才はM-1に向かないという、 一番大きな問題を叩きつけられてはしまったが、 逆に言えばM-1のみが全てではないということを、 はっきり明言したということでもある。 これは彼らの今後の躍進にとって重要な言葉となるだろう。 ザブングルは今日のM-1で、 一番最初に会場に大きな笑いを運んだと思う。 確かにネタも新しくないし、顔もそれほど面白くない、 それでも会場を沸かせて空気を作ったということは、 評価されるべき点だと思う。 千鳥は掴みは面白かったのに、 そこからの失速が目に見えて分かったのが残念。 これは笑い飯にも言えることだが、 どうしてもネタの構成的に雑になりがちなのが気になる。 そして二組ともそれを悪く修正してしまうと、 自分らしさを失いかねない危うい形態の漫才師だというのが、 余計に難しくしている気がする。 ハリセンボンは本当に見事でした。 あの若さで、あの舞台で、あれだけ笑いを取る。 今の彼女たちの人気が にわかな実力で勝ち取ったものではないということを、 彼女たち自身が証明したことは大きい。 まだまだこれから進化できる。 そしてダイアン。 ナイスファイトでした。 関西でも、その存在は知られていても、 決して飛びぬけた評価を受けるわけでもなく。 JKワーキャー芸人になる訳でもなく。 自分たちの漫才の力のみで戦ってきたコンビ。 M-1に出場し、あのネタを見せれたというだけでも、 充分な実力の証明になったのではないでしょうか。 僕もびっくりしましたし、 今年のM-1にとって凄く良い効果を及ぼしたコンビだと思います。 今年もM-1よ、ありがとうございました。
いよいよあと数時間後に迫ったM-1グランプリ。 我々視聴者は見ることを楽しみにして待つのみだが、 舞台の上に立つ当人たちの緊張感や不安感を少しでも思えば、 中途半端な態度で見ることはできない。 今朝、目覚めた時から、 決して逃げられない戦いの一日に放り出された人たちがいる。 吐き気を催すほどの緊張感だろう、 手が震えるほどの不安感だろう、 この一日、たった数分のネタに全身全霊をかけて挑む人たちを。 忘れぬようにこの目に刻もう。 怖くて、嫌で嫌で仕方ないだろう。 それでも舞台という名の戦場へと赴く戦士たちに、 ありったけの拍手を送ろう。
いよいよ明日に迫ったM-1グランプリ2007。 俺の周辺の下馬評ですと、 優勝候補は笑い飯という意見が大多数。 俺個人としても心情は笑い飯にとって欲しいというのが本心。 ですが今年は、ネタ順的にも、最近の勢い的にも、 何よりネタの面白さ的にも、 トータルテンボスが優勝するんではないかと思っています。 ある意味で、あまり誰も、 トータルテンボスが優勝すると思っていないという所にも、 優勝への糸口があると考えています。 怖い位置にいるのがダイアン。 全国区的には無名なので、 ネタが決まれば最終3組に残る可能性もある。 ただ何よりも怖いのが敗者復活組。 有力で、残れば最終3組になりそうな若手がわんさかといる。 鎌鼬、とろサーモン、プラン9、プラスマイナス ロシアンモンキー、スマイル、ジャルジャル、麒麟 これだけで来年のM-1が開催できそうな勢いだ。 一応最終3組に残るコンビを予想でもしておきましょうか。 1位:トータルテンボス 2位:笑い飯 3位:敗者復活組 と、こんな感じで。 心情的には 1位:笑い飯 2位:トータルテンボス 3位:千鳥 ですけどね。 はてさて、どうなることやら。 今から楽しみすぎて興奮が収まりません。
「違法ダウンロードサイトと知ってダウンロードした場合は違法とする。」 この法案が通ることで怖いことは、 文言自体が曖昧で解釈の幅が広すぎることである。 違法ダウンロードサイトかどうかの判断は、 合法サイトかそうでないか、という所のみにしぼられる。 合法サイトである、と認定を受けているサイトのみが合法で、 それ以外はすべて違法であるということになる。 ニコニコ動画などでは、 提携を結んでいる所以外の著作物のアップロードは全て違法であり、 それを「知らずに」見たとなれば、違法とはならない。 例えばサイト運営者が、 誤って他人の著作物をアップロードしてしまい、 それを知らずにダウンロードした場合、 これは現在の法案では取り締まれないということになる。 このように曖昧な文言の法案では、 満足な取り締まりは行えないということになる。 しかし言い方をかえれば多少むりやりな方法でも、 取り締まることもできるということだ。 合法ではないということを見落としていた側に責任がある。 だから罰金。 と、ならないとは誰にも言えない訳である。 その言い分はもはやワンクリック詐欺である。 現行のアップロードを取り締まるだけでも、 充分に効果を挙げることができるはずなのに、 なぜダウンロードを違法化してしまうのでしょうか。 この法案は潜在的犯罪者数を増加させてしまい、 インターネットに対する警戒心が強まり、 今後訪れるインターネット社会の時流に逆行することになってしまう。 違法ダウンロードによる権利者への被害が拡大している。 と言われているが、 例えば完全に違法ダウンロードを取り締まることができたとしても、 経済的な効果はそれほど期待できないであろうと思われる。 もちろんプラス分が発生することもあるだろうが、 マイナス面の方が大きいであろうと予想することができる。 音楽にせよ、映像作品にせよ、 多くの人は需要のバランスに対して値段が相応でないと感じている。 コンテンツホルダー側は時代に合わせた変化を拒み、 何の企業努力もせずに怠惰に利権を守ろうとしている。 ユーザー側は時代に合わせ常に変化し続けるもので、 そのユーザーに合わせる努力を企業が怠っているのであれば、 企業の利益が落ち込むのは当然のことであろう。 音楽にしても、 多くのユーザーは現物を手にしたいと思っているが、 値段と相談した上で無料のデータを選んでいるに過ぎない。 例えば単純に、CDの値段が半額になるなら、 売り上げは倍以上に膨れ上がるだろう。 データにしてもそうだ。 着うたの値段は音質の悪さに比べて法外とも言える値段だ。 にも関わらず、100万ダウンロードなんていう数字が飛び出す。 それは手軽で友人同士で好きなものを紹介しあえるという、 単純な楽しみの構造がそこにあるからだろう。 これは値段設定を考えれば、 その数値が10倍に膨れ上がってもおかしくない。 (データを消して何度もDLしたりする場合などの想定) 1曲50円だとしても 1000万ダウンロードならば5億円である。 手軽な値段であればあるほど市場は拡大するはず。 実物のCDの値段も高すぎる。 小さなCDショップのCDすべてを聞こうと思えば、 それだけで一財産きずけるほどの金がかかる。 これは何年も前から 多くのユーザーの間で言われていることである。 とっくにバブルは去ったと言うのに、 権利者側は未だにその頃のままのスタイルを崩していない。 それで儲からない理由を、 やれレンタル業界だ、やれ違法ダウンロードだと、 他所様に押し付けなさる。 虫唾が走ります。 コンテンツホルダーが強欲な為に、 多くの文化の利潤は衰退していると言っても過言ではない。 光ファイバー通信がなぜここまで隆盛したか。 そんなことは聴くまでもないことだろう。 iPodに代表されるmp3プレイヤーなども同じく。 例えば、コンテンツホルダーが、 しっかりとした値段設定で、 オンラインでのコンテンツ配信をしていれば、 ここまで違法ファイルが横行することもなかっただろう。 俺が見る限り、 上手くやっているのはバンダイチャンネルくらいのものだ。 バンダイの商売の上手さは異常だろうと思う。 どうすれば姑息に儲けることができるのかを熟知している。 DVDのリマスター販売やバラ売り、セット売り、限定品売り、 これだけDVDの売り上げが下がっている時代でも、 恐らくバンダイヴィジュアルだけは群を抜いた儲けではないだろうか。 かなり姑息な気はするし、 バンダイの商売の仕方は個人的には大嫌いだが、 それでも他の会社に比べて遥かに企業努力していると言える。 廃盤になった音源、 放映されていない地区のテレビ番組、 いくら要望しても発売されないテレビ番組のアーカイブ、 お金を払いたくても払えないものが確かにある。 時代はこうなってしまったのだから、 多くの企業はそれに合わせた形態の、 ビジネスモデルを模索するべきだと思う。 「どんな形でも構いませんので、 該当作品に触れて感動された方はこちらからカンパをお願いします」 こんな感じでインターネットを利用して、 カンパ制の作品ファンドのような形式になれば、 それで失われた分の利潤は回復できるはずなのである。 むしろ作品に触れやすくなっている分、 本来よりも利潤を生むかもしれない。 音楽もそうなればいいのにと、常々思っている。 それで物質の文化が廃れることなどありえないのだから。 欲しいものはやはり手元に欲しいのだ。
今日、かなり久しぶりにケンタッキーを食べたが、 ケンタッキーってそうそう頻繁に行くような所じゃないと思う。 良く行く人でも月に一度とかくらいじゃないだろうか。 だとしたら、ケンタッキーは何故、 ケンタッキーだけのままなのだろう。 ケンタッキー+なんちゃら。 みたいな感じにして、気軽に足を運べる店と共同でやればいいのに。 なんかマクドナルドとかみたいな感じで、 ハンバーガーとかセットメニューとかもやってるが。 それだと他のハンバーガーショップとあまり変わらない。 独自の特色での訴求力に成り得ないと思うのだ。 もっと気軽に立ち寄れる店に、 ついでにケンタッキーも買えますよって感じになれば、 もう少し頻繁にケンタッキーを食べるかもしれないのに。 別にどうでもいいんだけど、 少し気になったので書いておくことにした。 そんなことより眠たい。
今日もいろいろと音楽を聴いておりました。 Plastic Operator The Apples in Stereo Aerial Gialdini di Miro The Notwist Julian Fane Sam Prekop などなど。 今日聴いた中だと、 Plastic Operator、 The Apples in Stereo、 Gialdini di Miro、 などが個人的には当たりだった。 Julian FaneとSam Prekopは聴きこみたいアルバム。 じっくり聴けば良いかもしれない。 Plastic Operatorはエレクトロポップな感じで、 非常に聴きやすくてかっこよかった。 Postal ServiceやStyrofoamが好きな人にはピッタリと聴いて、 一も二もなく飛びついたが、確かによかった。 もう少し柔らかい声なら尚よかっただろうなとか思ったり。 The Apples in Stereoはバラエティ豊で聴きやすかった。 細かい芸が光る曲が多く非常に興味深かった。 ポップセンスが一級品なので聴いていて飽きないのも特徴か。 女性ボーカルの方の声は天下一品! だが2007年のNew Magnetic Wonderを最後に脱退してしまったらしい。 残念。 Gialdini di Miroはイタリアのバンドのようです。 エレクトロニカ、シューゲイザーなどの匂いも感じる、 独特なポストロック世界を構築している。 ねっとりとした妖艶な雰囲気の曲は渋いの一言。 ちょっと暗いがポップばかり聴いていると、 こういったタイプの音楽も聴きたくなります。
和歌山に仙人風呂と呼ばれる温泉があるらしい。
川がまるごと温泉になってるような感じ。
入れるのは11月から2月の間のみ。
ぬふふ、ぬぅうふふふふ!
これは行かない訳にはいかなくなってきました。
年明けてから機を見て行ってやりますか。
近くには熊野古道もあるので、午前中に熊野古道で遊んで、
夜は仙人風呂で超ほっこり。
そんな夢のような時間が目に見えるようです。
しかも入浴が無料らしいんすよねぇ…
ただ混浴なので水着着用ってのが少し残念ですが、
非常に魅力的な風呂には間違いありません。
その気になれば日帰りでも行けなくはないけどね。
ああ、楽しみ♪
参考URL:
仙人風呂
吉野家の「テラ豚丼」 ケンタッキーの「ゴキブリ揚げ」 ほんでもって、今度はバーミヤンの「ゴキブリラーメン」ですか。 どこもかしこも便乗便乗ですなぁ。 テラ豚丼の件で本気で怒ってる奴って、 一体どれくらいいるんだろうか。 食べ物を粗末にするな!とか、 もう炎上させるための隠れ蓑にしかすぎないでしょう。 食べられることなく廃棄される食べ物が、 この国にどれだけあると思ってるんだか。 つい先日は赤福の再利用問題で怒ってたくせに。 今は正反対のベクトルで怒ってる。 もうむちゃくちゃ。 食べ物で遊ぶな、とか思っているかもしれないが、 豚にしてみれば、食われようがテラ豚丼で遊ばれようが、 殺されたという事実に変わりはない。 それをしなかったことによって、 飢餓に苦しむ人々が救われるというのなら話は別だが。 結局、廃棄されるだけの運命だ。 テラ豚丼の件で問題なのは、 店の利益を損なわせたという点のみで、 店の人間以外がとやかく言う問題ではない。 食べ物を粗末にするな、っていう言葉、嫌いです。 そう思うなら、もっと粗末にしている奴らと真剣に戦え。 見えた部分だけに怒ってるのは愚図の極み。 ゴキブリ揚げやゴキブリラーメンに関しても、 何をいまさら、といった感じ。 普段は想像もしていないから分からないだけで、 飲食店と害虫の関係は根深い。 どれだけ綺麗に清掃したところでゴキブリは颯爽と現れる。 食器や食材、スープの中などを這い回ることだってザラだろう。 気にしないから気にならないで食べられているというだけ。 少し考えれば誰にでもわかることだ。 コンビニのおでんなんて、不衛生極まりないものだって、 誰も気にせずに食べているじゃないか。 ほこりや菌が入り放題で、 小さな虫が飛び込むことだって少なくないだろう。 場合によってはゴキブリが入り込んでしまうことだってあるはずだ。 常に沸騰している訳ではないので、菌は爆発的に増えるし。 それでも、気にならないから食べられるのだ。 少し想像力を働かせれば、 大衆的な食事処でゴキブリと無縁な場所などないことくらい分かる。 故意か故意でないかの違いだ。 ゴキブリ店員は死ねばいいと思うが、 炎上するような話題ではなかろう。 テラ豚丼の方の店員はちょっとかわいそうだ。 飲食店のバイトなんて、 大概食べ物を粗末にした遊びなんてやってるもんだろうに。 まあ調子こいてネットなんかにアップするから悪いんだけどね。 山崎邦正氏はファミレスのバイトが、 飲み物にチンコをつけているという強迫観念に襲われているそうです。 ぜんぜん有り得る話ですね。特に関西では。 「うわ、ヤクザ来おった!」 「チンコつけたスープ出しとけ!バレへんバレへん!」 「ウキャキャキャ!!!」
クラッシュしてた外付けHDDのデータを、 なんとかかんとか退避させることに成功しました。 にんともかんとも。
外付けHDDが認識されなくなったお! こいつはマズイということで今、必死に復旧作業中。 治ればいいのだが… むほぅ
近年、注目をあつめる新エネルギー「メタンハイドレート」 海底資源であるメタンハイドレートは、 採掘にかかるコストが販売による利益を上回ることから、 現時点では商売として成立しないエネルギー源だ。 しかし、石油採掘にかかるコストが増加し、 メタンハイドレートの方へとエネルギーが移行した場合。 日本は、世界最大級の資源国家となる。 なぜなら。 日本近海に眠るメタンハイドレートは、 世界でも最大規模とされており、 メタンハイドレートが新たなエネルギーとして、 世界で活用されることになれば、 日本は危機的な現状を抜け出すことができるだろう。 加えてメタンハイドレートは、 石油や石炭に比べて二酸化炭素の排出量が少なく、 ある種クリーンエネルギーとも言える。 最近、トンデモ情報ではあるが、 ロックフェラー財団が来日した際に、 天皇と面会をしたというとんでもない情報を耳にした。 世界規模での戦争の影が見え隠れしないでもないが、 俺は恐らくは石油一族ロックフェラー財団が、 日本とメタンハイドレートに関して、 何らかの調停を結んだのではないかと考えている。 今後、もし日本がメタンハイドレートによって、 世界経済に甚大な影響力を持つ立場になった場合、 日本とロックフェラー財団は手を結ぶつもりではないだろうか。 見返りは、 それこそ「守護」であろうと思われるが。 近年の原油高は採掘コストの急高騰にあるとも言われており、 メタンハイドレート実用化が現実味を帯びてきているということもある。 よく言われるバイオ燃料などは、 わざわざ広大な穀倉地を確保しても、 得られるエネルギー量はわずかである。 しかも、とうもろこしやサトウキビなどの、 バイオ燃料の原料とされるものの値段が上がり、 それらを原材料とする食品や調味料などの値段も上がることになり、 世界規模で需要と供給のバランスが崩れるとも言われている。 非常に危険性を孕んだ燃料だと言える。 CO2の排出がゼロだというのも持てはやされる理由ではあるが、 実はとうもろこしなどの原料の収穫や栽培、 そしてそこからエタノールを精製する仮定で、 通常よりも多いCO2を排出してしまう為、 完全なクリーンエネルギーとは到底言えない。 バイオ燃料はあくまでも補助的なエネルギー源であることを、 我々は理解しなければならない。 食料としてのとうもろこしやサトウキビ、 燃料としてのそれら。 確保するべき穀倉地。 効率の悪いエネルギー獲得量などから考えても、 エネルギー資源のメインストリームとなるとは考え難い。 もちろん、日本も今以上にバイオ燃料に対しての取り組みは、 強化すべきではあろうが、それよりはメタンハイドレートだ。 そう遠くない将来、 日本が資源国家となる日が来るのかもしれません。
Satanic Panic in the Attic最近どっぷりハマッたOf Montreal。
もうめちゃくちゃカッコイイ。
サイケデリックで変則的なポップセンス。
形容のしようもないほど独特な世界だ。
一枚のアルバムを聴き終わるまでに、
何度びっくりさせられたか。
どれだけ要素を詰め込めば気がすむのか!
贅沢というよりも無軌道すぎてびっくりしまくり。
聴くのが楽しい名盤だ。
最近、ずーっと色んな音楽を聴いたが、
その中でもダントツ一番でハマった。
どの曲が好きかというのも、とても一口では難しい。
全体の流れが非常に流麗で一曲の中でも、
曲が切れているような構造になっているものもあれば、
曲同士が組曲のようになっているようなものもある。
すべての曲同士が繋がって流れているようでもあるし、
すべてが独立した世界を持っているようでもある。
どういえばいいのか分からないが、
闇鍋にみんなむちゃくちゃ入れたのに、
奇跡的に成功してしまったような賑やかさだ。
今日はたまたまこのアルバムを取り上げたが、
他の聴いたアルバムも非常に良かったので、
ぜひ聴いてみて欲しいと思う。
子供の頃には感じなかったことだが、 山の生命力という奴は視覚的に感じることができる。 目に飛び込んでくるすべてが恐るべき生命力だ。 木、草、苔、花、土。 何か荘厳な力を感じずにはいられない。 見るだけでなんだか、引いてしまう凄さを感じる。 俺が海に感じる生命力とは質の違うものだ。 それは何故なのだろう、とずっと考えていた。 そして、恐らくそれは、 こういうことではないだろうか、という考えに至った。 海は生命の源であるのに対し、 山は生命の死によって保たれているということだ。 木や草や花や土は、 すべて生物の死を吸って生命に変えている。 いわばリサイクル場なのだ。 海の中でも多くの生命が死ぬが、 それらの死骸の多くは海にはかえらない。 海の中に住まう他の生命体の力になることはあっても、 海でリサイクルされる訳ではない。 俺が山を畏怖する理由は恐らくそれにある。 山の生命力はそのまま死をイメージさせるのだ。 だからどうという事はないが、 ふと思い至ったので記しておくことにする。
はい、決まりました。 ついに今年もこの時期が来ました。 笑い飯、 POISON GIRL BAND、 ザブングル、 千鳥、 トータルテンボス、 キングコング、 ハリセンボン、 ダイアン では上から順番に、感想などを。笑い飯 M-1の常連イメージがついてしまった悲劇の若手漫才師。 とっくにチャンピオンになっていても、 まったくおかしくないネタを何度も見せても、 いまだ苦汁を舐め続けている。 個人的には一番勝って欲しいコンビ。 恐らく多くの人がそう思っているはずなのに勝てない。 しかも新鮮さがなくなってしまっている為に、 去年までと同じスタイルでは恐らく勝てないだろう。 Wボケのスタイルを崩さず良くのならば、 システムを少し変えるしかないだろう。 しかし、あの加速していくブースト漫才は、 笑い飯のWボケにとっては最高のシステムのはずなのだ。 それ以外のシステムに手を出した所で、 しょせん付け焼刃にしかならない可能性もあるので、 同じままで笑い飯は勝負してくる気がする。 もし最後までそれを貫いて優勝できたなら、 笑い飯は真の意味でのM-1チャンピオンということになるだろう。POISON GIRL BAND ネタ以上に、その後ろに見える才能に期待したいコンビ。 独特の間と世界観を持っているので、 一度その違和感ある世界観に引き込んでしまえば、 勝機はあるようにも思う。 しかし明らかにM-1で優勝できるタイプの、 漫才スタイルではないのが気になる。 これまでのM-1の歴史を見ても、 中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、 ブラックマヨネーズ、チュートリアルと。 テンポの早い漫才をしたコンビが優勝している。 またすべてに共通しているのが、 発想力のあるボケに対して、 キレのいいツッコミが特徴のコンビだということだ。 ツッコミに徹さないPOISONには M-1は少々不利なレースだと言えるだろう。ザブングル 若手のホープ、ザブングル。 ワタナベエンターテインメントから初のM-1決勝進出者。 これまで彼らのネタを何度か見てきたが、 ネタ的にそれほどインパクトがあるものは見たことがない。 どちらかというと、 キャラクター漫才のコンビだと感じていた気がする。 M-1では普段のテレビのネタと、 どれだけ違うものができるかが勝負の分かれ目になるはず。千鳥 さて、久々の千鳥。 好きなコンビなので、 これ以上M-1でガッカリさせて欲しくない。 何も気にすることなく、アホ全開で、 客を置いてけぼりにするぐらいの気持ちでネタをやって欲しい。 中途半端なネタを見るぐらいなら、 全開の千鳥を見たい。 ここで負けてしまうと、 千鳥には負け組のイメージがつきかねない。 頑張って欲しい。トータルテンボス 今回、僕は優勝の最有力候補と見ています。 前回のM-1でもその片鱗は見えはじめていましたが、 今年のMBS新世代漫才アワードでのネタは、 本当に凄まじすぎた。 M-1でも同じネタかもしれないという懸念はありますが、 もしそうだとしても恐らく勝つのではないかと思っています。 それぐらい今のトータルテンボスは怖い。面白い。 たとえ優勝できないとしても、 記憶に残るネタはやってくれるでしょう。キングコング キングコングが決勝に出れるほど、 漫才を頑張っていたということに少しの感動。 僕はキングコングの漫才は好きではないが、 例え人気出場だとしても、 M-1の決勝まで残るネタをやるというのは並大抵のことではない。 過密なスケジュールの中でのネタ作りほど 難しいことはないだろうと思う。 まあ流石に、優勝ってことはありえないと思うが。ハリセンボン 素晴らしい。 こちらも人気出場かと思われるかもしれませんが、 この二人の実力、偽者なんかじゃありません。 漫才はどうかわかりませんが、 発想力、瞬発力、空気を掴む能力、 どれをとっても超一級品です。 あとは漫才としての掛け合いが、 どれだけ自分たちの色にあったものになっているかだと思う。 ヘタに漫才を研究して上手くなりすぎて、 自分たちの色を見失っていないことを祈る。ダイアン 今回、最も驚いたのがダイアン。 確かに有力な若手の一組ですが、 漫才で腹を抱えた記憶はなかったので驚き。 今年の台風の目となるのでしょうか? とにかく全国区で名前を知られるというのは大きい。 これからどうなるのか見物。 さて、これに敗者復活組が加わり、 以上で決勝進出者すべてとなるわけですが。 やはり今年も期待の若手と呼ばれる、 新世代っ子たちは出てきませんでした。 とろサーモン、ジャルジャル、鎌鼬、 プラスマイナス、ロシアンモンキー、スマイル 来年はこの中から二組以上は、 出場するのではないかと思っている。 はてさて一体どうなるのか、 もう今から胸がときめいて仕方ありません。
今年はインパクトにかけると専らの評判の紅白だが、 逆に言えば、浮ついたブームの歌手が少ないってことかなと、 俺はあまり物足りなさは感じない。 というより去年は物足りなくなかったのかとw 正直、話題性や売れたCD枚数なんてものが、 今の時代どれだけナンセンスかなんてことは、 考えるまでもないことだし。 ほとんどの人間が流行に洗脳されてんのに、 しかもその流行自体が作られたものなんだから手に負えない。 しょこたんとかAKB48とかがオタク枠だなんだと、 騒がれていたりするのを見ても、 正直なんとも思わんです。 オタクから一歩引いてる人間が、 オタクに向けてやるイベントなんてそんなもんかなって感じです。 ただ。 一点。 まことに違和感を感じることが。 これに関して、 まだ誰かがどうこう言ってるのを見ていないので。 一応意見をば。 ZARDの故坂井泉水さんが、 生前に録音した音源と未公開映像を合わせたフィルム公演形式で、 生バンドと一緒に紅白に出場する。 というこのイベント。 美談にしようとしているのかもしれないが、 こういうのに俺は物凄く違和感を感じてしまう。 というのも、悪い事ではないような気がするから、 文句を言うのも変な感じだし。 かといって良い事かと聞かれれば、 僕は即答で、良い事ではないと答えてしまう。 これが違和感の正体で、イライラの素だ。 生前、坂井さんは機会があれば紅白に出たいと言っていたそうだ。 それはいい。 もし紅白に出れたなら、さぞ喜んだかもしれない。 しかし。 それは生きていたら、という前提のことだと思うのだ。 彼女がプロであればこそ。 彼女本人がその声で歌わない紅白出場に何の意味があろうか。 彼女の肉声を求める観客の前で歌わない歌に、 何の喜びがあろうか。 それで彼女が喜ぶと思うのは残された者のエゴだ。 「私のお墓の前で泣かないで下さい」ってなもんだ。 生きてる人間が書いた言葉は、 しょせん生きている人間に向けたものでしかない。 死んだ人間とは対話なんてできない。 そんなものは、 残された者の心の痛みを和らげるだけだ。 僕にとって、それはなんだか凄く嫌なことなのだ。 彼女のプロとして納得のいくパフォーマンスとは、 口パクでは絶対になかったはずだ。 確かにZARDはライブバンドではなかった。 だが、だからこそ、 人前に出てパフォーマンスするということには慎重だったと思う。 もっと歌いたかっただろう。 もっと生きていたかっただろう。 そんな風に感じてしまったら、 僕は彼女の歌を普通に聴いてあげることができない。 追悼の意を表したいのならば、 こういった形でなくともできるはずだ。 それでなくても、今回の紅白は目玉不足だなどと言われていて、 話題作りだと誤解されてもおかしくない。 とてもデリケートな問題だと思うし、 僕はこのイベントを生きていた頃の坂井さんを見るようには、 見てあげられない。 それはプロの坂井さんにとっては苦痛じゃないのかなぁと、 僕は思ったりするのだ。 もちろん坂井さんにしたら、 「紅白に出れて嬉しい」と思っているのかもしれないけど。 それは僕には分からないことだ。 ただ僕には虚しさしか残さないイベントになりそうだ。
新居昭乃たんの新作シングルが、来年の一月くらいに発売される。 という情報を新居昭乃たんの日記から入手した私は、 一月に始まる新作アニメをくまなくチェックしました。 アニメの公式サイトからでは分からなかったのですが、 どうやら。 新居昭乃の新作のタイトルは「金の波 千の波」というタイトルで。 なんと。 『ARIA the ORIGINATION』のEDテーマだというじゃありませんか。 ザ・ぴったし。ぷいにゅー! というかチェックしたアニメの中で、 そうだといいなと思ったのがARIAでした。 ARIAも確か3度目のアニメ化。 OVAも入れると4度目になりましょうか。 もともと短編ストーリーなので、アニメ化向きとはいえ、 アニメ版のスタッフの構成力は見事の一言。 単純にマンガ版をアニメ化しているだけではなく、 複数のストーリーを見事に掛け合わせて、 一本のアニメにしていたりして好感が持てます。 作画も美しく、音楽にも気を使っていて、 マンガの持つ優しい世界観を見事にアニメ化している。 そんな優しいアニメのEDテーマだということで。 はやく聴きたくて身もだえしています。 ARIAは1月7日から放送開始で、 CDは1月23日発売だそうです。 でも新居たま。 僕はあなたの新作オリジナルアルバムが聴きたいです。 Charaさんや安藤裕子さんのコーラスをやるのいいです。 手嶌葵さんに楽曲提供するのもいいです。 でもエデン以来ごぶさたなオリジナルアルバムを聴きたいです!
この記事 を読んで、フィンランドの子は賢いと知った。
そして日本がこれをそのままサルマネジャパニーズした所で、
同じ効果が期待できるとは思わなかった。
日本はいまだに受験勉強体制から脱却しておらず、
恐らくはこれからもその姿勢を崩すことはないだろうからだ。
崩す気がないのならば、
教育者はこういった状況下でもなお、
子供たちに勉強の楽しさを教えながら、
教育することが要求される訳だが、
待遇云々の問題で教師自体の意識も低くなっているのも事実。
国は早急に教育問題に着手しなければ、
これからの日本を支えていく力が確実に不足することになる。
なぜならこれまでの日本の教育方法は、
数が多くいるから成立していたごり押し教育である。
海千山千の数の子供たちを受験戦争で競わせ、
切磋琢磨させることによって、多くを切り捨て、
エリートが上に残り、切り捨てられた側は、
単純労働力の方へとまわされる。
これは圧倒的に数がいたから成立していた訳で、
現状のような少子化の時代に、
その方法ではてさてどれだけのエリートが残り、
さらに余った負け組の方々は、
どれだけの労働力に変わるというのだろうか?
少子化問題はこれからすぐに対策に取り掛かった所で、
今すぐ、どうこうできる問題ではない。
数が絶対的に少なくなった今、
求められるのは教育に対する姿勢の底上げである。
受験勉強で競い合い、
人を勝ち組、負け組に振り分けることが、
今の日本にとってどれだけ愚かなことか気付かなければならない。
ほとんどの人間が勝ち組になれるようにするには、
「勝ち組」の固定的なイメージを捨てることだ。
「良い会社に入ること」これのみが勝ち組なのではない、
ということを大人がはっきり言ってあげなければならない。
子供たちの多くは自分たちがそれに気付いた時、
すでに他の道には行けないように、
雁字搦めになってしまっている事も多いだろう。
「良い会社に入ること」も、
他の何かで自分の身を立てるのも、
同じ勝ち組なのだということを教えなければならない。
そして、数多くの道を知るためには、
知識が必要であり、勉強というものの大切さや尊さというのは、
そういった側面からも教えていく必要があるということだ。
ムダな勉強などというものは、
何一つないのだということを大人が子供に言ってあげられるように。
数を増やすか、教育の質をあげるか。
まずは教育の質をあげることが先決だろう。
とにかく今のままでは、
子供は何のために勉強しているんだか分からない。
フィンランドのような教育をしたいのなら、
受験戦争体制をやめて、教師の質を上げなければ成らない。
その為には増税は免れないだろう。
受験勉強体制を存続させるのならば、
教育は分業制にするしかないだろう。
受験勉強用のカリキュラムと、
一般教養のカリキュラムのどちらもが必要になり、
これまでの授業体制ではついていけなくなるだろう。
明らかに時間が足りないからだ。
それに勉強がそれで楽しくなるかどうかは甚だ疑問だ。
教師が勉強を楽しいと思っていなければ、
子供にそれが伝わるはずがない。
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最近、きらきらアフロにどっぷりハマっている。 ここまで面白いトークを見るのは本当に久しぶりである。 伝説的な番組のひとつに『パペポTV』がある。 上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶のトーク番組。 熱狂的なファンが多いことでも有名である。 ボクの中学2年の頃の担任は、 全部ビデオに録画して持っていると自慢していた。 当然、ボクも小学生から高校生ごろまで非常に楽しませてもらった。 いわば思いで深い番組である。 DVD化などもされておらず、 今では人々の記憶の中にだけ残っている貴重な番組と言える。 鶴瓶本人がDVD化を拒否しているというのだが、 どういう理由からかは分からないが、 ある意味では正しいだろうと思う。 時事的なことを取り扱った内容のトークが多かったパペポは、 いわば時代と共に生きた番組だったし。 その過激なトークは現在に引き起こされてしまうと、 当時のような攻撃力にはならず、 懐かしさが先行してしまうことになりかねない。 あんなに面白かった番組が、 現代では当時ほどの面白さになり得ないという側面がある。 それに鶴瓶にとっては上岡とのトークを見返すと、 苦い思い出がよみがえったりするのかもしれない。 その流れを受け継ぐ番組。 それが『きらきらアフロ』なのである。 フリートークで1時間。 鶴瓶のトークキチガイぶりが遺憾なく発揮されている。 それだけでなくオセロの松嶋が非常にいい。 『パペポTV』ではボケが鶴瓶で、ツッコミが上岡といった、 ある程度、いわゆる漫才的なポジションが成立していた。 しかし『きらきらアフロ』では、 そのポジションが見事に入れ替わっている。 この構造が、実は見事なのである。 鶴瓶という人は、もともとツッコミ気質な人でもあり、 ボケもツッコミもやりながらトークを流れさせていくスタイルの人だ。 基本的に一人二役以上が基本の落語家さんであるし。 やはり漫談に向く。 一人でボケにかわる日常のエピソードをしゃべり、 それに対し独自の目線でツッコミを入れる。 ただしこれだと漫談になってしまい、 いわば鶴瓶の漫談以上の点数を叩きだすことはないわけだ。 それだけでも十分に面白いのだが。 ここへオセロの松嶋の存在が放り込まれると、 様々な化学変化が起こって、爆発力が増すのだ。 予測不可能な会話の筋立てになり、 随所にちりばめられる漫談にも統一性がなくなる。 それゆえに全体の筋が予測不可能になり、 とんでもない爆発力が生まれることになる。 隣に細かい笑いも見逃さない鶴瓶という存在がいることによって、 途方もない面白さになってくる。 テレビでのフリートークのすごさは、 まさにこういう所に感じるのだ。 見れば必ず腹がよじれるよ!
前回のワールドツアー中に金銭トラブルや、 メンバーとの確執などで精神がやられて療養中だった、 おいらのスターMichael Schenkerが来年4月にも、 新譜を発売する予定だという。 さらにはプロモーションの為のUKツアーと、 その後にはワールドツアーを考えているそうです。 正直、前回のTales of Rock'nRollは、 あまり良い出来のアルバムでなかったので、 過度な期待は禁物だとは思うのだが、 参加メンバーを知ると、期待は膨らむばかりなのです。 Vocalにはゲイリー・バーデン。 黄金期MSGの歌メロメイカーのゲイリー・バーデンが、 MSGのメインボーカルに正式復帰です。 個人的にシェンカーのギターと最もマッチするボーカルは、 フィル・モグ以外には有り得ないのですが、 その次に座するのは彼以外にはありえないでしょう。 フィルとは違った毛色の声質でありながら、 シェンカーの作る曲にばっちりあった、 キャッチーなメロディをぶちこんでくれる彼は最高です。 そしてBassにはグレン・ヒューズ。 泣く子も黙るディープパープルのベーシスト兼コーラス。 あの「Burn」を世に送り出した名ベーシストです。 ボーカルとしての能力も非常に高いので、 今回のアルバムではもしかしたら歌うかも!? さらにDrumsに、サイモン・フィリップス。 分かる人なら分かるだろう。 一般的にはジェフベックのドラム。 という認識が強かろうが。 実は彼はMSGの1stアルバム 「The Michael Schenker Group」に参加したドラムなのだ。 タイトかつ激しく情熱的な緩急のある、 そのプレイはまさしくシェンカーのプレイスタイルに、 必要不可欠な要因である。 そしてkeyboardにはドン・エイリー。 様々なビッグアーティストのサポートをしており、 挙げだすとキリがないが、 MSGやUFO、ホワイトスネイクやブラック・サバスなどにも、 サポートとして参加している。 さらに、現在はどうやら、なんと、 ジョン・ロードが体調不良で脱退してからは、 彼がDEEP PURPLEのキーボードを勤めているようだ。 さて。 この布陣から導き出される、次のアルバムの色合いは… MSG meets DEEP PURPLEってことだと思うので、 キャッチーなハードロックへの回帰。 ではないかと思うのです。 世間では一層にハードロック離れは進み、 かくいう俺も、ほとんどハードロックを聴かなくなってしまった。 ここで俺の中の唯一のスターと言ってもいい、 シェンカーにハードロックムーブメントを。 また日本に来るなら、 俺はまた必ずいくぜマイゴッド!
最近、減退気味で、 1日に3回ほどのオナニーしかできていなかったが。 にんにくを意識して摂取するようにしてからは、 圧倒的にその回数と快楽度が増しているのが分かる。 それに加えて亜鉛もサプリメントで摂取しておけば、 軽く10回以上はオナニーを楽しむことができるだろう。 それに加えて、性欲が増進されると、 前立腺の疼きも活性化し、 アナルいじめには非常に効果を発揮すること請け合いだ。 もうバッキバキに勃起する。小学生一人くらい軽く持ち上げるようなバッキバキ。 しかし、今回のことで、 にんにくの効用というものがはっきりした訳だが、 これを日常的に摂取し続けると、 性犯罪者が物凄く増えるのではないだろうか。 プラシーボ的な効果ももちろんあろうが、 それだけでは説明がつかないほどバッキバキである。工業機械の部品に使われるくらいバッキバキ。 亜鉛を摂取しておけば、精液は濃くなり、 連発にも比較的容易に挑むことができる。 うなぎや牡蠣なども良いと言われるが、 私に言わせれば、にんにくの方が圧倒的に良い。 なにより、にんにくは廉価で手に入り、 調理法も様々、薬味として使うこともできる為、 活躍の場が広い。 多少、匂いが残るのが難点だが、 半眼になり、よだれを垂らしながら、 乳首を引きちぎらんばかりにつねり、 絶叫できることを思えば、瑣末な問題であろう。 もうこの事実を知ってから、 にんにく好きはど変態という偏見が頭から離れません。 なんと言っても文明が崩壊しそうなほどのバッキバキなのだから。メソポタミアバッキバキ。
僕の好きな映画のひとつに、「雨あがる」がある。 黒澤明の残した脚本を元に映画化された本作は、 タイトルが表すように雨上がりの爽快感を与えてくれる名作である。 黒澤的なカット自体の構成力に気を使っており、 演出が非常に黒澤を踏襲したものであるにも関わらず、 黒澤映画とは違った独特の趣を与えてくれるものになっている。 それの特筆すべきものの一つに、 鮮やかな色合いの美しさというものがあるだろう。 時代劇ものである世界観に、 色合いの美しさと演出を絡み合わせるという技法は、 非常に新しく、且つ素晴らしいものだと感じた。 特に素晴らしいと感じるのは、 鬱屈から爽快へと流れる全体のシナリオにあわせて、 非常に流麗に映像が解放的になっていくのである。 たった数秒の間に挟まれる映像の見事さに舌を巻く。 雨があがった時のような爽快感。 フランス映画的な耽美世界とは違う、 いかにも日本らしさを感じる独特のポップを感じる。 ハリウッド映画とは違う爽快感だ。 エンディングの殿自ら馬を駆り、 寺尾聰夫妻を追いかけるシーンなど、 まるで裸の大将のラストシーンを見ているようなムズ痒さを感じる。 鬱屈から解放へ。 いつかまた鬱屈へと向かうかもしれないが、 それらは非常に尊いものを得ているし。 僕らにだってそれを与えてくれるのだ。 見事なまでの寺尾聰の殺陣にも舌をまくし、 誰しも愚かな部分を抱えているのにも関わらず、 自分以外の誰かがその愚かさを愛おしいものに変えてくれる爽快感。 その愚かさに気付き尚、 前に進んでいける強さと、 弱さを知り愚かさを知り、支えあい笑いあう尊さ。 それらは僕にとってすごく愚かで尊い強さに見える。 人はのべつまくなし愚かなのに、 それでも笑って前を見つめられる強さを知っている。 それは僕たちが未来へ向かうための力のような気がするじゃないか。 切り捨てるべきは、愚かな過去の自分。 手に入れられるのは、未来の自分にとっては愚かな自分。 それでも少しずつ前へ。 その先にはたぶん、何もないのに、残るものがあるんだ。
そういや12月ですな。 冬は嫌いじゃないですよ。 寒いのは嫌いですけどね。 暖かいと感じるのは冬のほうが多いかもしれないからね。 雪は奈良じゃあんまり見ないけど、 俺が生まれた日は大雪だったそうで、 なんだか遠い気がしない。 地面が凍ったり、よく見たら汚かったり、 ジーパンの折り曲げた裾の中に詰まって、 宅をグショグショにしてくれたりするけど。 なんだかそれでも嫌いになれないあいつ。 クリスマスを世間でいう所の、 まともな過ごし方をしたことはないけど、 それはそれ。 ケーキ食ったり鳥もも肉食ったり。 なんかこういう行事ですよ?って感じ、 実はあんまり嫌いじゃない。 正月のおせちも、 節分の太巻きも、 年末の年越しそばも、 あんまり嫌いじゃない。 ずっとやってきた事だからかもしれない。 やらなきゃいかんって感じはないけど、 あると嬉しい。 そんな感じだ。 サンタさん。 待つんじゃなくて、やる年齢になってしまいました。 でも、そんな時間経過を、 嫌じゃないと感じてる自分がいます。 もしかすると、 サンタさんって子供だけじゃなくて、 大人にだって夢を与えてるもんなんじゃないかなぁ。 何かをもらえるかもしれないと、 期待しながら眠りについた子供の頃。 喜んでくれる顔が見れると思ったら、 それとは違ったワクワク感が、 今、自分の中に確かにある。 そのぬくもりが嬉しい。 自慰的だよねぇ、いつだって。
本当に阿呆のように繰り返す、 勝手に背負ってしまった罪悪感と後悔。 目をそらすように自慰と自棄。 そして再び精神は均衡を保つように装い、 しばし笑い声のなかに浸る。 またふとした時、 誰に背負わされた訳でもない罪に、 深く傷つき、その傷に意味を求める。 傷みに対価を求めてはいけないから、 また忘れるように、 何か言葉を探して自分を慰める。 そんな自分が嫌いで嫌いで仕方ないから、 強くあろうとする言葉を並べる。 気高くありたいと願う。 だから笑い飛ばす。 辛いこと、苦しいこと、嫌なこと。 全部ひっくるめて笑い飛ばす。 そして一時、忘れる。 それらと向き合わなければならない。 向き合って、乗り越えなければならない。 そんな風にドラマなら言うだろうか。 けれど誰にその向き合い方がわかるというのだろう。 乗り越え方がわかるというのだろう。 決して消えない痛みが、ジンジンと胸の中にある。 後悔がわだかまって消えそうにない。 自分を許すことが乗り越えることだろうか。 違う。 それは違うだろうと思う。 けれど自分を罰することでもない。 そんなことで苦しみが消えないことくらい、 誰にでもわかる。 だから、今、出せる答えは、 やっぱり「少しの間、忘れる」ということしかない。 笑ったり、音楽を聴いたり、おいしいものを食べたり、 少しでも心が震えているなら、 その間は苦しみという形のないものから解放されている。 自分のどうしようもない愚かさや、 悔恨を少しの間だけ忘れて、 震える心のくれる忘失に身を委ねて。 自分を追い込んでいるだけでしかないのかもしれない。 忘れた分だけ、悔恨は膨らんでいく気だってする。 辛い思い出だけじゃなくて、 良い思い出だってあるのに、 その良い思い出すら、辛いものに変えてしまいたくはないから。 思い出をすべて辛いものにしてしまいたくないから。 忘れて笑って後悔して、 色んなものに慰められながら、自分を嫌いになりながら、 それでも少しずつ好きなものを増やして、 嫌いな自分も少しずつ好きになっていけたらとか。 考えているんだろう。 願わくば素直な世界を。 嫌いな自分を嘘で好きと言ってしまわない自分を。 いつか素直に自分を好きだと言える自分を。