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夢は天才をつくる原動力

なんか企業の社長ブログにありそうなタイトルで始めますがw

さっきの記事を書いていて、
妄想って色んな未来のビジョンが見えるなぁとか思っていると。
手塚治虫先生のことを思い出した。

この人の最もすごい偉業は何だ?
ということを考えていくと、
もちろん描かれたマンガもそうなのだが。
俺は、手塚先生は世界でも類を見ないほどに、
天才を沢山うみだした天才だと思うのだ。

後に続く漫画家、
アニメクリエーターは言うに及ばず、
映画監督、小説家、劇作家など様々な人に影響を与え、
各業界で天才と呼ばれる才能を生み出す原動力になった。

そして、もっと違うジャンルの天才をも生み出した。
誤解を恐れず、はっきりと言うならば、
「当時から見た未来」の『現在』を作り出した、
多くの天才のほとんど、と言ってもいいだろう。

それは何故か、というと。
手塚先生は人に夢を与えると同時に、
様々なビジョンをある程度はっきり見せた人だと思うのだ。
鉄腕アトムなどでも、
未来の世界にも過去から見て
「良い事」と「悪い事」の両面を描くことで、
作品世界にリアリティを与える。

「もしかすると成立するかもしれない」

この「もしかすると」、
というのが人が未来に進む原動力なのだ。
ビジョンというのは「夢」と「現実」の混在したものだ。
そのビジョンを与えられた人は、
実現に向けて努力する。
そこに天才的な能力を持った人間がはまれば、
ビジョンは現実となる訳だ。

天才が生み出した天才に触発されて、
また天才が生まれるかもしれない。
天才スパイラル。
アインシュタインやダビンチ、
手塚治虫のような超ド級の天才が現れるのは本当に稀だけどね。

「もしかすると成立するかもしれない」ものを、
夢と一緒に作品に込めてくれる。
夢が天才をつくるのかもしれないなぁ。と。
だから俺が考えたトンデモ未来論が、
そんな未来をつくる天才を生み出す原動力なんだぞと。
「天才クリエイター」クリエイター宣言をしてみた訳です。

多少、突拍子もなくても魅力的な未来のビジョンを、
もっと多くの人が考えられるようになればいいのにと、
そんなことを考える11月末日。
みんなすぐ手に入る近未来にくびったけだ。
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少し変なこと考えてみました。神クラス?

久々にトンデモ理論なSFチックな妄想をしてました。

時間旅行がもし可能になったら?
という仮定に基づいて考えていくと。
時間旅行が可能になった時間を基点にして。
すべての技術は未来に存在する最高水準のものに、
統一されると思うンですよ。

過去と未来の交流によって。

宇宙が滅んでも、知的生命体は滅ばない。
という構造も成立しうる。
宇宙が滅ぶ時間軸より前に存在していれば、
絶対にその存在は死ぬことはないわけで、
あらゆる時間軸に移動を繰り返せばいい。
場所はほぼ全ての時間軸に無限にあるわけで、
その頃にはどんな場所にでも、
人間が快適に過ごすことができる場所を作ることくらいは可能だろう。

当然、寿命もなくなるだろう。
生きることに飽きた人が眠る感覚で『死』を選ぶ。
そんな感覚かもしれない。

時間を超越することができるようになった文明を、
仮に到未来文明と呼ぶとする。
おそらくそうなって過去と未来が交流を持った際に、
起こるであろう矛盾のことを、
タイムパラドックスといい。
それが時間旅行の技術が生まるはずのない最大の理由だなどと言われるが、
それは過去目線というものだ。

到未来文明が宇宙の誕生から終末までのすべてを観測していれば、
すべての情報は蓄積されていると考えていい。

ならば何かの間違いで未来人が過去の人間を殺すなりして、
パラドックスが起こったとしても、
蘇生技術と環境再構築技術のようなものによって、
パラドックスは起こらなかったこととして、
認識させることができるはずだ。

パラドックスに対抗する、
パラドックス技術の研究が行われていないはずがない。

いくつかの最低限のルールを決めておけばいい、
到未来文明同士が相互関係を持つのは、
時間旅行が可能になった文明のその時間以降という風に。

ルールを守らないものが現れたとしても、
パラドックスは先ほどの技術によって回避可能である。

未来と過去の人同士が交流を持つようになれば、
遠い血縁同士が関係を持つこともあるだろうが、
それがきっかけで新種の知的生命体が誕生することもあるだろう。

異星人や妖怪やモンスターというようなイメージの発祥も、
そうした未来における人類同士の変則配合や、
他の種族同士の亜種と考えることもできるかもしれない。

卵が先か鶏が先か、という言葉は言い得て妙だ。

始点と終点が決まっていても、
その中を動き回る概念が消えなければ、
始点にも終点にも意味はない。

始まりと終わりの間には、想像を絶する
『消えないもの』があるかもしれないのだ。
それが「知恵」によるものだとしたら、
「知恵の実」の話を残したのは、
到未来人だったのかもしれないと思えなくもないのだ。

うーん、さすがにトンデモ理論♪
思考がブーストしちゃうぜ!!
こんな設定をかすかに盛り込んだショートストーリーを書いて、
ケータイ小説業界に殴り込んじゃうぜ!!

ケータイ小説

なにやら『恋空』なる映画が大ヒット中らしく、
書籍化されたものも上下あわせて195万部の売れ行きだそうだ。
元々はケータイ小説で大人気だったようです。

さて、ここでそのケータイ小説の方に、
話を持って行きたいと思います。

まず俺個人の意見として、
ケータイで小説を読む意味があまりわからない。
というのも、「手軽に文学を」
という、その考え方を体現したのもが文庫小説だからだ。
パケット代もかからないしね。

もちろん、そういった文化を否定する訳ではない。
若いクリエーターが育ちやすい土壌になるだろうし。

しかしケータイ小説では、
重要視されるのが、文章そのものよりも、
「設定」になってきている節がある。

上記の恋空では、
平凡な女子高生がレイプや自殺未遂、妊娠、別れなどの、
数々の経験をしていく。という設定のようだ。

以下:Wikipedia、「ケータイ小説」項より抜粋

「文学賞メッタ斬り!」などの著作を発表している
豊崎由美は、yoshiを
「ケータイ小説における設定の元祖」と位置づけた上で
ケータイ小説全般における
『1年間ほどにおける一人称語りの少女(主人公)の
恋愛、失恋、性交、妊娠、レイプ、DV、
中絶、自殺未遂、不知の病、動物、死』
という詰め込み展開のパターンを
「コンデンスライフ(濃縮された人生)」と名付け
「出版社の安易な書籍化」や
「設定における無知さ」などを批判している

以上:Wikipedia、「ケータイ小説」項より抜粋

さて、そのyoshiさんという方の事は俺は知らないので、
スルーするとして。
恐らくケータイ小説には、
「設定」を重視する傾向が見られるのではないか、
ということがここからも窺い知ることができる。

以前にも「メビウスの輪」という何らかの賞を貰った、
ケータイ小説が「CROSS†CHANNEL」という
アダルトゲームの設定を盗用した疑いがあるとかで話題になった。

俺はCROSS†CHANNELに関してはプレイしたことはあるが、
メビウスの輪の方は見ていないのでここでは言及しない。

それはおいておくとして、
ここでもやはり「設定」が重要視されていることが分かる。
つまりケータイ小説で勝つためには、
設定を考えることが重要となってくる訳だ。

いくつかケータイ小説なるものを、
見たことはあるが、
その文章はまるでお粗末なものが多かった。

少なくとも、文章でテクニックを見せたり、
演出をしたりなどというようなタイプのものではなかった。

もしケータイ小説を書くなら、
盛りだくさんの設定で、
複雑な構成を省き一本道でシナリオを追えて、
手軽な文章が強いということだろう。

俺とて、わざと難解な言葉を使い、
作品の本質を煙に巻いてしまうようなタイプの、
にわか純文学した小説は大嫌いだ。

しかし小説における言葉選びというのは、
語感によるテンポや読書中の快楽の為の、
重要な要素であると考えている。
何より難解で知らないような言葉であっても、
叙述方法次第でニュアンスは充分に伝わる。
上手い作家は特にそうだ。

その為ケータイ小説の登場により、
そういった文化が一層衰退しかねないことを危惧している。

基本的にルビがないケータイ小説では、
難解な言葉はより一層敬遠されるようになるだろう。

言葉は自然に消滅していくものだからこそ、
普段使わない言葉を気持ちよく使うという刺激も、
知っておきたい感覚のひとつだと思うのだ。

何でもかんでもケータイの世代だからねぇ。
ネットも音楽も小説もマンガもテレビもゲームもエロも。
そりゃ俺も全部ひとつで出来た方がいいと思うが、
どれも品質が本物よりも数段劣るって所に、
逆に不便さを感じる。

というかそれがパソコンじゃないのかw

ケータイでまともにマンガや小説が楽しめる時代が来るのは、
あと5年は先だろう。

折りたたみ式、
もしくは収納式の液晶が登場して、
文庫サイズにまで液晶が引き伸ばせるようになれば、
多少は満足できるレベルにはなるとは思う。

マンガに関しては見開きが無理だとか、
まだまだ色々と弊害があるが。
お気に入りのマンガや小説が、
全部ひとつのケータイで持ち運びできるようになれば、
それはかなりいいかもしれないと思うけどね。

だがやはり紙媒体に勝るものはない。
これは断言してもいい。

唯一の弊害は場所をとる、ということだ。
俺の部屋の本が増えすぎて来ているのは深刻な問題だ。

収納の箱とかいれると、
ヘタすると1トンくらいあるんではなかろうか…

どっかの天才、
ホイポイカプセル、カモン。

あちらこちらのセーシンコーゾー

オイラ、軽い双極性障害じゃなかろうか。
さっきまでは比較的愉快に過ごしていたのに、
もう今はダウナーが止まらない。

まだ頑張って無理やりテンションを上げようと思えば、
あげられるレベルのところにいるんだけど、
いつもの通りなら、もう少し時間が経つと、
意志の力ではどうにもならない負の力が発揮されはじめる。
負と腐って同じ音なんだ…

閉塞感。

自律神経がやられるのが先なのか、
鬱が先なのか知らんが、
とにかく光や音に敏感になる。
神経過敏という奴だ。
無性に半身浴とかしたくなる。
恐らくは副交感神経のスイッチを入れたいのだろう。

うの?ん。
うの??ん。

書いてる間に少しマシになりました。
これが激しくなると双極性障害ってやつなのか?
さすがにそこまで深刻化することはないだろうとは思うが。

にんにく食べて、
亜鉛、ビタミン・ミネラルのサプリ。
食事もして、半身浴もしてるし、
最近は睡眠障害もないし、
お笑い見て笑いまくって健康きわまりないはずなのに、
自律神経がおかしいのは何故だろうか。

予想。
太陽の光をほとんど浴びない。
運動をほとんどしない。

たぶんこれね。
ほんでこれ多分いちばん大事なやつね。

ちょっと、今日から少し朝か昼にでも、
散歩って奴をしてみようかな。
目的もなく歩くのもあれなので、
近場の本屋かホームセンターかコンビニあたりに的を絞って、
歩いてみることにしよう。

iPodでも聞きながら。
もう精神が病むのは勘弁じゃ。
ヘルシー兄やんと呼ばれよう。そうしよう。

LIVEに行ってきますた。

本日はYELLOWCARDというバンドのライブに行ってきました。
しかし真の目的は、そのライブのオープニングアクトである、
Just surrenderというバンドだったのでした。

僕はそれほどファンという訳ではなかったのですが
会社の先輩が好きだというので、
仕事の息抜きもかねて行ってまいりました。

Just surrenderがオープニングアクトだというのも、
開催の1ヶ月か2ヶ月ほど前に急遽決まったことだったらしく、
Just surrenderのファンはほぼ数えるほどしかいませんでした。
オーディエンスのノリもあまり良くはありませんでしたが、
なかなか面白かったと思います。

メンバーも非常に友好的で、
ファンである会社の先輩は全員にサインを貰い、
写真も撮ってもらっていました。
僕もボーカルとギターの人に握手して貰いました♪

僕はYELLOWCARDも聞いたことがあったのですが、
ファンというほどでもなかったので。
普通に聴こうとしていたら、
本物のファンのノリは凄まじく、
Just surrenderとのノリの違いに思いっきり引いてしまいましたw

僕にはああいうノリはムリでひゅ。
来年の頭に行くMELEEのライブでは、
もう少しゆったり音楽を楽しめることを祈ります。

一月のKula ShakerとMumのライブの存在をもう少し前に知っていたら、
迷わずそっちに行ってたのになぁ。
残念、無念、忍々。

我輩はオタクぞなもし

さて、何を憚ることもなく申し上げると、
我輩はオタクぞなもし。

ただ、オタクに対するイメージ、
フレンチ風にイマージュと言い換えてもいいが。
それが以前よりも多様化してきているように感じる。
というよりも、一部のオタクのイメージのみが、
突出して取り上げられるようになった。
ということであろうが。

よくマスコミが取り上げたがるオタク像というのは、
『メイド喫茶』に通い『独特のファッションセンス』を持ち、
『アイドル』もしくは『2次元少女』に傾倒されている方々。
これもいわゆるオタクであり、オタク像としては今や一線級の方々だ。

さらに言うと、そういった方々の場合、
たいてい自分が他人にどう見られているか、
という部分において非常に鈍感である場合が多い。
これは彼らにとって『自分が他をどう思っているか』
という事こそが重要であるからだと推測される。
彼らの自と他の関係性の価値はそこにあると考えられる。

次に私も分類されるであろうオタクの系統。
サブカル系の無節操なオタク。
一昔前までのオタクという呼称はこちらに対して使われていた。
というよりも、
むしろ上記のような突出したオタクたちも、
以前はこちらのオタクの中のひとつとして認識されていた。

上記のオタク達に比べこちらは括りが大きすぎるために、
細かく再分化され、
それぞれが独自のオタク世界を築きあげていることが多い。

『みうらじゅん』『岡田斗司夫』『山田五郎』などが、
サブカルに代表される業界人であると言えるだろう。
それぞれ得意とするジャンルは違えど見事なオタクぶりである。

こちら側に属する芸能人は存外に豊富で、
『伊集院光』『大槻ケンヂ』『ケンドーコバヤシ』なども、
それらを象徴するようなオタク系の業界人と言える。

このサブカル系のオタクの人々は、
一つの種類のものに満足することが少なく、
興味が多方面に向きやすい傾向にあり、
それゆえに結果的に知識量が豊富になったりする。

結果、自分が好きなものを相手に伝える際に、
非常に饒舌になり「上手く伝えよう」と努力しがちになる。
かくいう私もその傾向が非常に強く、
これがいわゆる「アキバ系のオタク」と少し違う所である。

もっとシンプルに性質の違いを提示するとすれば
与えられたものに対する吸収率の差であろうか。

サブカル系のオタクは、
良いものを知ったとき、
その感動を誰かと共有したいと強く感じるからこそ、
相手にそれを上手く伝える能力が必要となり、
必然、その吸収率が増すのではないかと推測している。

アキバ系のオタクという隠れ蓑のようなイメージが出来たせいで、
サブカル系のオタクのイメージは以前よりも、
さらに深い所にもぐってしまった感がある。

けれどこちらはといえば、
そんなことはまったく気にならず、
『自分が面白ければいい』という感覚は、
アキバ系のオタクたちと何も変わらず。

根っこは間違いなく同じところにあるのだなぁと再確認してみたり。

所詮はオタク、
オタクライフ イズ ビュリフォーでおまんがな。

よゐこライブ 蔵出しSUPER竹


よゐこライヴ 蔵出しSUPER ~竹~


よゐこのライブDVDも買ったので感想をば。
竹と松の二つを買ったのだが、まずは竹のほうから。

正直見事すぎる。
ホラーと紙一重じゃないかってくらいのネタもあった。
テレビではシュールを脱ぎ捨て、
ベタキャラのイメージが定着してきたよゐこだが、
作りこんだネタはやはり一味違う。

テレビ芸と本芸は性質が違って構わないのだ。

むしろ、テレビで本芸と同じことしかできないようでは、
タレントには向いていないということなのだろう。
それならばラーメンズのように舞台に専念する方法でいいはずだ。

しかしよゐこは独特の立ち位置でその両方で生き残った。

これは思っているよりも難しいことで、
多くの芸人がテレビと本芸の狭間で苦悩してきたはずだ。

「新米美容部員」と「スーパーマンタクシー」の狂気具合はすごいし、
「そう難」のようなよゐこ独特のネタもお見事。
「マリオブラザーズ」のような
自分たちの特色を上手く利用したネタも上手い。
「忍者ラブレター」は暗転とスポットライトと音楽を上手くつかった、
まさしく舞台芸という見事な演出が見られる。

このライブDVDの満足度は、
ふんだんに盛り込まれたクリエイター魂にあるだろう。

他の芸人たちとは
少し違う次元に彼らはいる。
「よゐこ」でしかありえない笑いが確実に確立されている。

とろサーモンのネタDVD


ご指名・ご購入ありがとうございま?す! ?感謝してます編?


とろサーモンのネタDVDを購入。
本編には漫才6本、コント6本が収録されており、
改めて彼らの豊富なセンスと貪欲な姿勢を感じることができた。
ただ、安定した面白さとバラエティ豊富なネタ群は素晴らしいのだが、
一発の攻撃力にかけるかもしれないと感じた。

しかし、それは裏を返せばまだまだ伸び代があるという事だ。

さらにとろサーモンの強みは、
どちらもが芸達者であるということだ。

久保田のボケや細かい芸は言うまでもなく、
村田はネタによって非常に的確なキャラ作りでツッコミを模索しており、
かつ久保田とは違った種類の細かい芸も持っている。
彼らが普段どういう形でネタを作っているかは分からないが、
フレキシブルさという点において、
古今類を見ないほどのコンビかもしれない。

関西弁、標準語などの使い分けも不自然さを感じさせない。
達者すぎて本当に嬉しくなってくる。
漫才ひとつとっても、同じ特色のものがひとつもない。
貪欲に新しいスタイルを模索しようとしているのに感動を覚える。

特典映像が本編の70分を上回る、
80分という訳のわからない豪華さもサービス精神を感じる。

特に特典映像の中の
コント不動産とリアルコント不動産には笑わせてもらった。
アホ丸出しである。

これからのお笑い界を支えてくれる、
柱のコンビになってくれるはずだ。

DVD自体の満足度よりも、
はっきりとこれからに期待できる可能性を秘めまくった、
素晴らしい一枚だったと思う。

なやみごと ?ドラクエの主人公の名前?

どうでもいいなやみごとに出くわす。

ドラクエの主人公の名前が決められなくなっちゃった。
昔はためらわずに自分の名前だったんだけど、
もうなんか究極的にもっさいので却下。

かと言ってカッコイイ名前とかさぁ、思い浮かばないよねぇ。

富野ばりのネーミングセンスが欲しいところだけど、
あれは超ド級の才能なので欲しいと思っても手に入りません。

だからといってネタっぽい名前にしたところで、
すぐ飽きて寒くなってくるのは目に見えている。
なんといっても世界観に入り込めなくなるしね。

ネットとかで調べると、
「トンヌラ」「エニクス」なんていう名前が多いらしい。
なんか違う気がする。

やはり響きというのは大切だ。
耳障りの良さというのがキャラクターには大切な訳だ。
そしてドラクエには四文字という制限が設けられている。

響きという観点に基づいて考えるなら、
撥音の「ン」
さらに「ラ行」か「サ行」あたりの音が入っている方が
聞こえがいいような気がする。

ではこれに基づいて考えていこう。

そうすると「スラリン」は理想的な響きのようにも聞こえる。
しかし主人公らしい強さを感じないわけだ。

強さを印象付ける響きは恐らく濁音であろう。

「ゴブリン」

雑魚にしか感じないじゃないか。
それに、ドラクエの主人公というのは意志薄弱な感じがするので、
あまり個性の強い名前はよくないのかもしれない。
半濁音ならばどうだろうか。

「プリン」

かわいいね。
ファンタジーを楽しむ気がなくなる。
促音を使ってみるとどうなるだろうか。
しかし促音は促音のみでは成立しないので、
何かとの組み合わせが必要になる。
ここでは少し特殊な組み合わせを考えてみよう
長音の「ー」と促音の「っ」
それと拗音の「きゃ、しゃ、ちゃ、にゃ」などを
組み合わせてみようと思う。

「キャーッ」
基本的に痴漢扱いの主人公になってしまう。

「しゃーっ」
古き時代の勝俣を思い出してしまう。

「チャーッ」
たむけんになってしまう。

「にゃーっ」
めだか師匠、もしくは10$の白川になってしまう。

本当になんと名前とは難しいことでありましょうか。
RPGを楽しめて、
なおかつ気取ってなく自然な名前。
素直にいい名前だと思える名前とはなんなのだろう。
かつドラクエの主人公らしい。
そんな名前。

シンプルにドラクエのアナグラムで行ってみるとしよう。

「エクドラ」
「エクラド」
「エドクラ」
「エドラク」
「エラクド」
「ドクラエ」
「ドエクラ」
「ラクドエ」
「ラエドク」

めんどい。
正直名前に時間かけるのが面倒くさい。
デフォルトで名前くらいは決めておいて欲しいものだ。

富野的なネーミングセンスの感覚の一部を借りてみた場合。
主人公の見本のような主人公には
「シーブック」(見る本で見本)
そういう由来かと思うと少し安直に感じるのだが、
口に出して言ってみると妙に新鮮な感覚の名前である。

ではドラクエの主人公は基本的に無口なので、
「無」を「ゼロ」もしくは「レイ」と変換することで、
文字数を節約してみる。
「口」はマウスだがゼロマウス、レイマウスでは文字数オーバーだ。
マウスを「マス」としてもいいのだが、
そうすると「ゼロマス」や「レイマス」という、
いかにもファイナルファンタジー色漂う名前になってしまう。

やはりドラクエとファイナルファンタジーの特色の違いは、
独特のニュアンスにあると思われる。
ファイナルファンタジーはセンス的に尖ったイメージであるのに対し、
ドラクエはあくまでも少しのユーモアを持っている。
つまり少々ユニークである必要があるはずだ。

(ここから少し発想が飛躍します。)

今のユニークトレンドといえば世界のナベアツだろう。
シュールからのいい意味での脱却具合が、
ポップさを演出してやまない。

ということは。
あえて主人公のフルネームを考えて、
それをナベアツ風に縮めて愛称風に読んでみるというのはどうだろうか。

また文字数節約の為に拗音は使わない方が得策だろう。
そして富野風のネーミング術の流用は継続させることとする。
さらに世界観は剣と魔法の世界であることから、
なるべく東洋的な響きは使用しないようにしてみる。

剣と魔法ということで、
ソードアンドマジックに変換。
ソードアン=ドマジック。
案外自然に聞こえるから怖い。
これに決定。
フルネームはソードアン=ドマジックだ。

愛称は渡辺あつむ⇒ナベアツにならい
「アンドマ」
おお、案外いいじゃないか。
もう面倒なのでこれで決定。
これから俺のドラクエの主人公の名前は全部「アンドマ」だ。

バックボーンを自分が知っているから、
あまり寒いことにならずにすむのも良いかもしれない。

あーあ、どうでも良かった。

『剣道7千段』

ドクン ドクン ドクン

田中=ホグドバチャイ=仙太郎は戸惑っていた。
握り締めた竹刀を振り下ろせば、試合は決まる。

<<しかし、振りぬくスピードが時空を超えてしまうっ!>>

因果律を切り裂いて相手をしとめるホグドバチャイの技は、
もはや剣技の域を超えている。

そんなことよりも、
もしくは、
それにつけても、

ホグドバチャイはおばあちゃんの事が大好きだ。
明日はおばあちゃんの作った何らかの煮っ転がしが食べたい。
そんな思いに耽りながら、時空間の危機を考えていた。

風が吹けば桶屋が儲かる。

ということで、一方そのころ。
1兆年後では・・・

「いまに見ていろ!ブイビエンダ星人め!!」

「ブゥィイイイイイ!!」

「なんだって!?コモドオオトカゲの姫君をさらっただとぅ!?」

「ブィ。」

「あんた、そら奥の手やがなー!」

『どうもありがとうございましたーーー!』
『ブィブィブブブィーーー』

という時空をゆるがす寒さの新ネタを発表したコンビがいた。

ホグドバチャイが放つはずだった、
超高エネルギーの剣技は、
起こりうるかもしれないという可能性だけで、
一兆年後に世にも恐ろしいコンビ芸人を生み出すことになってしまった。

しかし、幸か不幸か、
彼らの寒さはホグドバチャイのフルパワーの剣技すらをもしのぎ、
時空間のゆがみを抑制する運びとなった訳である。

そして時代は戻って一兆年前。

ホグドバチャイの試合を観覧していた、
おばあちゃんが叫ぶ。

「今だ!!!技を出すのじゃユキヒロ!」

「おばあちゃん、あれは仙太郎ですよ。」

すかさずホグドバチャイは技を繰り出す。
ためらいなく。
ホグドバチャイはおばあちゃんに絶大な信頼を寄せている。

なぜならおばあちゃんは知恵袋2兆段だからだ。
おばあちゃんの言うことは基本的に間違っていない。

「おばあちゃん!またそんなもの食べて!!
それはマジックマッシュルームだってこの前おしえたでしょう!?」

「行けー!!ユキヒロお前は剣道7千段じゃーーー!
1兆年後のコンビがお前を力一杯たたかわせてくれるけんのーーー!」


・・・
・・



『そんなことを話しながら、ムーミンは死んでいったそうだ。
これでムーミン谷で起こったすべての不思議な出来事はおしまいさ』


<<自叙伝:できたら砂に布巾をかけてくれ。>>


視覚的なchatに集まれ??!!

視覚的なchat

本日、11/17土曜日!!
友人が作った視覚的なチャットシステムで、
オンラインのオフ会のようなものを企画しています。
オンラインなのにオフ会というのも変な話ですが、
会話に特化したオンラインゲームのようなものと考えて下さい。
自分のキャラクター画像を選んで、
他の人と会話をするといった感じです。

開催時間は
21:00?22:00、
22:00?23:00、
を予定しています。

定員は30名。
今回は特にトークテーマなどは決めずに、
この記事を見た人すべてに参加して頂けるようにしました。

まだまだ改良の余地があるこのシステム。
要望・不満など様々な意見を求めていますので、
ぜひどしどし意見を交わしあいましょう。
今後はトークテーマなどを設けて、
月に何度かイベントなどを開催していく予定です。

例:
ガンダムフリークの集い[1st]
お笑いフリークの集い
旅行フリークの集い
現在の政治経済について
薬物乱用問題について

などなどトークテーマは人の数だけあるはずです。
掲示板ではなく、
チャットだからこそできる会話もあります。
日常会話のように気軽に、
他人と話せる場所をつくりましょう。

背景にコメントが貼り付けられたり、
画像が貼り付けられたりと、
通常のチャットにはない機能も沢山ありますので。
遊び方次第で、
もっと楽しみが広がる可能性を秘めていると思います。

遊び上手な方の参加を切望しています♪
俺の知り合いの参加も大歓迎!
もちろん知り合いじゃなくても一切問題なし!

ふるってご参加ください。

開催サイト:
視覚的なchat

The Pearlfishers / Up With The Larks


The Pearlfishers / Up With The Larks


The Pearlfishersの新作がヤバイ。
琴線が摩擦で擦り切れそうだったよ。
美しいメロディの前に言葉は無力なの。

それでも少しでも伝えたくさせられちゃうんだから、
音楽の力はすごいってことなんでしょうか。

聴けば言葉なんて必要ない。
ではなんで伝えようとするの?
知らない人に伝えたいからということもあるだろうけど。

たぶん俺もこんな音楽が好きなんだと、
同じ好きな奴に伝えたいんじゃないかな。
この感動を共有したい。

すごいよな!
おおすごい!!

こんなやりとりの為だけに言葉を連ねたくなる。
それが音楽の力だ。
それが全てでいいじゃないか。

世界なんて救わなくていいよ。
このアルバムの中に息づいているものは、
確かに生きている音楽だ。

音が求められた場所へと向かっている。
心が揺れている。
俺の音楽が始まった理由がここにはある。
そして俺が忘れていた音楽だ。
未来に必要な音楽だ。

流れる涙に理由を求めてるうちはまだまだ子供ってことさ。

想像感覚シリーズ #01 『肛門が2m』

なんという爽快感、
筒状の糞が青々とした太陽に向かい飛び出す!
光り輝く脱糞衝動!

気張りはじめてから約3分、
ホース状の肛門の中をたまりにたまった糞が走り抜ける!
ちょっとだけ出して、ひきずって遊んでみる。

砂利とかが糞にひっつくと、なんか汚れた気がする。

下痢の時は虹が出るほど飛び散る糞。
みんな笑ってる。
みんな糞して幸せだね。

みんなお尻振ってヘリコプター気分。
飛び散る糞が地獄絵図。
それでもみんな笑ってる。

笑わずになんていられない。

肛門同士をねじりんぼうで帰宅する小学生カップル。
肛門をお互いの肩に巻いて友情を語り合う親友たち。

ガンマンの決闘の合図は、
『しばりあった肛門が伸びきった時だぜ』
でも伸びきってるから振り返れなくてお互い転倒。

誰も殺されずに笑い転げるね。
ころころ、ころころ笑い転げるね。

アナル用バイブはちょっとした槍。

虚無感

大切なものが見えなくなってくる。
価値観を求めてしまいそうになる。
しかし、それは許されない。

何かに縋って手に入れたものなど、
俺は恐らく誇ることができない。

けれど、頑張り方がわからない。
どこにも正解なんてない。
俺のことは俺しか知らない。
もがいて、あがいて、のたうちまわって、
心が壊れそうになっても耐えて。
そうし続けることで初めて、
俺は少しずつ昔の自分を誇れるようになっていく。

誰かの価値観に縋って、
誰かの真似をして得たものの価値は、
泡沫のように消えていくんだ。

人間一人が短い一生でできることなんて、
本当にたかが知れてる。

いつ失ってもいい命だった。
自分で命を絶とうとしたことだってあった。
けど、
本当に大切な人を一人うしなっただけで、
俺の命は軽くなくなってしまったんだ。

亡くしてしまった人が宿る自分の心を、
俺が殺してしまったら、
俺はもう一度その人を失ってしまうことになる。
それは何よりも耐え難い。

何かに依存すれば、
楽になれるかもしれない。
けれど、それは忘れてしまう事と同義だ。
そして俺にとって、
それは死んでしまう事と同義だ。

生きながらにして死んでしまって、
それでも全てを忘れて生き続けてしまうなら。
その命に一切の価値はない。
少なくとも今の俺にとっては。

苦しまずに生きられるなら、それが一番いい。
けれど決して消えない苦しさを、
背負って生きなければならなくなったなら。

苦しみ続けることこそが、
俺が最も苦しまずに生きられることなのだろうと思う。
その先には何の足しにもならない小さなプライドが残るのみだ。

コトダマスター

心の罪という記事を書いていて、
途中で軸がぶれるのでやめたが、
いくつか言葉の持つ面白い真理性を見つけたので、
ここに書いておこうと思う。

上記の記事でも書いたが、
まずは死という字と外という字の類似性についてだ。

死とは命が外へと向かうことを言う。
何から外へと向かうのか。
当然「内」からだ。

この内という字も興味深い。
器の中に人が入っているように見える。
しかし完全には入っていない。
頭が少し出ている。
人は外に出ることを約束されているからだろう。
死なない人はいない。


「外」という文字が持つ不思議はまだある。
死んだ人間が現世に思いを残すことを「怨念」という。
この怨という字、外に心と読める。
外の心が内側に影響を及ぼす。
それを怨念というのだろう。

亡くなってしまった人の事を、
心から消せば「忘れる」ことになり、
心に刻めば「忘れない」ことになる。
だから人は誰かに心を伝えたいと願うのかもしれない。
誰だって忘れて欲しくはないから。

次に「息」という文字について。
自らの心と書いて息。
空気を吸い込み、心を乗せて吐き出す。
これが息であり、声だ。
あらゆる事柄において呼吸が大切にされる意味も、
恐らくはここにある。

呼吸とは自らと地球との対話なのだ。
地球と我々は否応なしに繋がっている。

「息」という言葉が「生き」にも通じる言葉であることも理解できる。
人は呼吸によって生きている。

親は子を呼ぶとき、
息という字を使う。

むすことむすめという言葉は、
現在では息子、娘という風に記すが、
ご息女という言葉が残っているように、
恐らくは昔は男は「息男」女は「息女」と書いて、
むすことむすめと読んでいたのではないだろうか。

人が地球と対話して、生み出した祈り。
精一杯に生きて欲しい子供ら。
「息子」らなのではないだろうか。

これらのような言葉から何かを読み取っていると、
何故言葉にはこんなにも真理の一片が隠されているのだろうと、
不思議な気持ちになる。

言の葉というくらいに、
それは生々しいものだからではないだろうか。
人は言葉を自らが生み出したと勘違いしているが、
それは多分まちがっている。

葉とは樹が育むものだ。
樹とは大地が育むものだ。
大地とは生きとし生けるもの全ての温床であり、
それらの死が育んだものだ。

恐らく言葉とは、そういった循環の中から、
人が世界から借りているものなのだろう。

そして人が言葉を割り、
何かを考える時にこそ「理」は見えてくるのだろうと思う。

心の罪

同胞のブログにて。

我々が地球のためにできることは死ぬことだ。

という言葉を見つけ、
深く思考に潜り始める。
真理といえるような結論で、
反論をしようにも自らの愚かさを省みれば、
それができない自分にもどかしくなってしまう。

傲慢にも数を増やし、
大地を、大気を、海を汚し、
他を蹂躙し。

その行為が及ぼす異変に気付きながら。

怠慢にもすべてをやめず、
エコロジーなどという言葉に隠し、
同じ過ちを繰り返し続ける。

この愚かさのどこにも救いはない。

そうだ、分かっている。
恐らくは誰もが分かっている。

死というものは、地球という例外を除けば、
ほぼ全宇宙に共通する普遍的な概念である。
今の我々にとっては地球という箱庭においてのみ、
生きるという概念が存在している。

それ以外の場所には死が満ちている。
当たり前に。

人は死ぬと星になるというが、
それは哲学的に非常に腑に落ちる感覚だと思う。
地球の外は死の世界。
死という字と外という字は、
そっくりに作られていることにも何かを感じる。

ここからはじき出されたものは、
すべて外へと帰るはずだ。

死という概念が当然に存在する場所へ。

だが、我々は不幸にも生まれてしまったのだ。
世界の忌み子として。
愛されえぬ世界の子として。

そして我々は自らを慰めるために、
生まれた意味を求めるのだろう。
意味などないと知っていても。

何のために生まれてきた?
その意味は?

世界から呪われ続けることなのかもしれない。
それこそが「忌み」なのだろうと思う。

生まれた瞬間に死を約束されたソレは、
心というものに悩み続ける。
自我が目覚めると共に、苦しみ続ける一生を歩き始める。

己の心と書いて忌むと読む。
この言葉こそが自我というものを否定している。
心そのものが「生命」ということなのだろう。
そしてそれは世界にとって必要のないもののようだ。
「死」こそが世界にとっては当たり前なのだから。

愚かな心こそが、すべての元凶なのだろう。

けれど。
だからこそ、考え続けなければならないのではないのか?
世代を重ねる意味を。
子を愛する意味を。
全てに呪われているこの世界で、
人はなぜ我が子を愛すのか。

すこしでもマシな世界を子供らに渡してあげたいと、
強く「死」を切り裂いてゆく途方もない力の源を。
その先に何も残らないとしても。
たった一人、
我が子しか生き残らない世界が来てしまったとしても、
親は子を死なせたくないと願うだろう。
精一杯のエゴで。

子が親を亡くしたくないと思う心よりも、
遥かに想像もできないくらい強い思いで。

そしてまた愚かに僕は息を吸い続けるのだ。
けれど僕はそれを愚かだと知っていても、
それでも生を尊いものだと感じられている。

「忌み」たる心の罪を抱えて生きることに忌憚はない。
己の心を憚ることは息を吸わなくなる事と同義だ。

我が同胞に対する反論になってはいないが、
これでひとつの答えにはなっただろうか。

視覚的にしゃべろう! 第1回テストイベント開催

視覚的なchat

きたる11/17土曜日。
友人が作った視覚的なチャットシステムで、
オンラインのオフ会のようなものを企画しています。
オンラインなのにオフ会というのも変な話ですが、
会話に特化したオンラインゲームのようなものと考えて下さい。
自分のキャラクター画像を選んで、
他の人と会話をするといった感じです。

開催時間は
18:00?19:00、
21:00?22:00、
22:00?23:00、
を予定しています。
時間変更等あれば、
随時このブログで告知しますので、よろしくお願いします。

定員は30名。
今回は特にトークテーマなどは決めずに、
この記事を見た人すべてに参加して頂けるようにしました。

まだまだ改良の余地があるこのシステム。
要望・不満など様々な意見を求めていますので、
ぜひどしどし意見を交わしあいましょう。
今後はトークテーマなどを設けて、
月に何度かイベントなどを開催していく予定です。

例:
ガンダムフリークの集い[1st]
お笑いフリークの集い
旅行フリークの集い
現在の政治経済について
薬物乱用問題について

などなどトークテーマは人の数だけあるはずです。
掲示板ではなく、
チャットだからこそできる会話もあります。
日常会話のように気軽に、
他人と話せる場所をつくりましょう。

背景にコメントが貼り付けられたり、
画像が貼り付けられたりと、
通常のチャットにはない機能も沢山ありますので。
遊び方次第で、
もっと楽しみが広がる可能性を秘めていると思います。

遊び上手な方の参加を切望しています♪
俺の知り合いの参加も大歓迎!
もちろん知り合いじゃなくても一切問題なし!

ふるってご参加ください。

開催サイト:
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