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多謝

本日、バンドメンバーの岡本から曲のデモを貰った。

中村作曲の曲と俺作曲の曲。

俺は自分の曲が自分の手を離れた瞬間にこそ
意味が生まれると思っている。

自分の中でちっさくまとまっていた、
俺の中のその曲の像というのが、
自分以外の人間の広さに出会って、
より深く、より新しく、より良く変わっていく。

昔。
頭の中で流れている音楽を、
他人にそのまま聞かせることが出来たら、
それが一番いいに決まっていると、
素直にそう思っていた。

しかし、そんなものはただの自己満足である。
自分の中で100点がとれたところで、
俺の100点以上をとる人間は山ほどいる。

中村と岡本は俺の曲を、
俺の頭の中でなっている小さな音楽を広げてくれる。

そりゃあこんな俺だってですね、
自分の曲には愛着を持ってたりします。
それを誰彼かまわず、ほいほい渡して、
いじくりまわして欲しいなんて絶対に思わない。
でも彼らは音楽に対して真摯なので信頼しています。
安心して自分の曲を任せることができます。

色んな要素が詰まって、音楽というのは生まれます。

今回のレコーディングに多大な尽力を頂きました方々に。
この場を借りて感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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プロペラを止めた、僕の声を聞くために。を買った、僕が笑い声を出すために。

という長ったらしいタイトルで始めてみました。
「プロペラをとめた、僕の声を聞くために。」
というDVDを買いました。
これは千原兄弟と元ジャリズム(現ジャリズム)
兼、放送作家の渡辺さんのライブDVDですが。

いや、びっくりしたっす。
普通に焦った。
ここまでとは。

僕はね、千原兄弟をはじめとする若手芸人が活躍した、
2丁目劇場ブーム世代なんです。
だから千原兄弟に対する評価っていうのは、
他の世代の人たちよりも多分高い。
ずっと見てきたし、好きだし、実際面白いと思っているから。
でも、それでも焦った。

舐めてたかもしんない、と思っちゃった。
いや、分かってたんですよ。
千原浩二のアナーキーさくらい。
明日地球が崩壊するとしたら、っていう仮定の話なのに、
冗談じゃなく本気でお笑いライブしたいと思う人なんですよ。

そして絶対ウケる自信がある人なんです。
「明日何する?」
ドッカーーーーン!

こういう精神構造を知っていてもなお、
ああ、ヤバイねこいつぁ
って思うっす。

悲しおもろい。
この骨格は松本人志にも通じる所がある。
ただ彼の場合は、その悲しさの骨格にひねくれた愛がある。
愛はあるのだが、
松本人志のそれよりも、恐らくはいびつである。

それを笑いに変換できる、というのは才能以外の何者でもない。
万人受けしない。
むしろ万人受けしてはいけない笑いだろう。
これを皆が笑えるようになってしまっては、
たぶん世界が病んでいるということだ。

でも、笑ってほしいなぁ、これで!
と思ってしまうのだ。
こんなジレンマを作り出してくれるとは…
新しい感情でありました。
非常に堪能しました。

千原兄弟はこんな所で終わる芸人ではない。
それだけは確かだと確信させてくれる一枚でありましたです。

笑い舐めんな。

あと、もうひとつ
ムカついたことがあるので言っておく。

松本人志が映画を作ったのだが、
その会見の映像をワイドショーで流していた。
まあ内容は色んな番組でやっていたので、
知っている人も多いとは思うのが。
松本さんは「ビートたけし」⇔「北野武」とは、
違うスタンスで挑んでいる。
と明言している。

テレビの自分の延長線上であると言っている。
これは「芸人として言い訳できない作品である」
と言っているのと一緒。

別に松本さんを立てるために言う訳ではないが、
芸人としては松本さんのスタンスの方が
たけしさんより過酷であると言っていい。
映画の自分はテレビの自分とは別、と言ってしまえれば、
たとえ映画がコケたとしても芸人としての自分の評価は落ちない。
でも、たけしさんだって、
最初からそんなつもりで映画には挑んでいない。
たけしさんは映画が撮りたかったから映画を撮った。
それで結果として彼には、自分の撮りたいものを作る才能があった。
だから世間から認められた。

僕としてみれば、松本さんのように、
そのプレッシャーに自ら飛び込む人間がいるのが不思議なくらい。
そんなことしなくても世間的評価も、
金も十分なくらい得られているのに。
本当は世間的な評価は能力に対して全然とどいてないが。

松本さんはたけしさんを意識している。
しかし、それは周りが意識するだろうな、
という背景があるから意識しているということであって、
同じスタンスでライバル心を燃やしている訳ではないということ。
それは会見を見れば明らかなのに。

コメンテーターのおっさん。
したり顔で何か言ってますよ…

「まあねぇ、松本さんもたけしさんは意識してると思いますよ」
「芸人としても限界を感じてると思いますし」
「映画の世界のほうに行きたがってるんじゃないですかねぇ」

おい。
おいおい。
それって芸人のみならず、映画まで冒涜してやがる、
ダブル冒涜の発言じゃないか。
映画舐めんなよ!
笑い舐めんなよぉおおおお!!

芸人としての限界?
何を見てそう思う。

あそこまで売れた芸人が、
未だに前衛的な取り組みで笑いを作っているのに、
何をもってそう思う。

笑いのなんたるかを知りもせず。
素人のボケが、芸人の限界を語るか。

コメンテーターさん。
名前も知らないクソの役にも立たないコメンテーターさん。
あなたの過去に何があろうがね、
あなたがどれほど高尚なことを仰ろうがね、
そんなもんはどうでもよろしいわ。

頼むからせめて、誰も怒らせないようにだけ心がけて。
胸糞が悪くてしかたないよ。

関西の番組は、
「歯に衣を着せず」
という言葉を履き違えた番組が多すぎる。

個人的な意見を言う分には構わないし、
それがエンターテイメントとして成立しているなら良し。

しかし、それが攻撃にしか過ぎなくなったり、
悪口やただの勘違いでしかなかったら、
その発言に責任を持たなければならないということは覚えておけ。

大抵のことは笑って目をつぶれる。
それを楽しみにしていたり、面白いと思う人がいる分には。
だが、踏み越えてはいけないラインというのも確実にある。
特に、俺は畑違いの人間が、違う分野の人間のことを、
したり顔で批評することが大嫌いだ。

見ていて気分が悪くなる。
「人の悪口を言うだけで笑いになると思ってる」
関西がそう思われる可能性だってあるということだ。
ふざけるな!そんなもん笑いちゃうわ!クズ!カス!
アホか!ボケ!インポ!ED!勃起不全!能無し!チンカスたまり放題!
ふぅ、ふぅ、ふぅ。

やっぱ最後は悪口じゃないと収まりがつかんぜ。
関西人だから!

続・どうでもよろしいがな。

ふぅ、一応まあこれも言っておこうかと思います。

「あるある大辞典」ね。

捏造。
褒められたことじゃありません。
ええ褒められませんとも。

ですが。
これを批判している人たちは、
一体自分たちが普段からどれほどの正確なデータというものを、
手に入れられていると思っているのでしょうか?
マスコミというのは、
そういう危険性を孕んでいるものだと最初から分かっているはずで、
むしろそういうことを知らずに生きていることのほうが、
よっぽど危険だと言っておく。

データや情報というのは、
見せ方次第でいくらでも武器として使える。
そういうことを理解していない方が問題なのである。

さて。
こういう言い方をしますと、
「騙すほうが悪いに決まっている」
というアホ丸出しのお決まり文句が帰ってきそうなので、
先に書いておく。

そんなことわかっとるでありますわ。
でも騙す奴は実際にいるし、
騙される人間の方が現実には多いという事実がある。
これと向き合おうともせずに、
騙す奴が悪いんだから、騙す奴がいなくなればいいんだお。

と、いうのならば、言い続ければいい。
一生何も解決しないけど。
何事も予測し、推測し、邪推し、妄想し、曲解せよ。
真実がそこになくともよい。
何事もあるがままに受け入れるだけのスポンジ頭で、
世の中を見てくれるなファッキンディスガスティング!

データというものは見せ方次第では、
捏造などしなくとも、いくらでもねじまげて理解させることができる。
たとえばテレビが一台しかない山村で村人全員から、
どのテレビ番組が好きかと聞けば、その村人たちは、
一緒にテレビを見させてくれる竹松さんの見る番組を答えるだろう。
これもまた統計学ということになるのだ。
偏ったデータというのは確実に存在する。

それを偏らずにより正確なものとするには、
自分自身の基準点を揺るがさずに捉えることができるかどうかが問題となる。

「納豆を食べれば痩せる」

これをテレビ的な統計学に基づいて変換します。

「ダイエット系の企画はデブおよびバカに受ける」

はい、わかったかな?
踊らされていたことに腹を立てても仕方ないですね。
そんなことに腹を立てる暇があったら、
何回か膝立て腹筋してみましょう。
確実に効果がありますから。
まあデブの僕に言われてもねぇ、信憑性ゼロ?

捏造データを信用するか、
デブのたわごとを信用するか、
それとも何かを実行に移してみた自分の結果を信用するか。
どれでもいいから好きにしたら?
結局、どっかに責任をぶつけるくらいだったら最初から何もするなよクズが。

よくあるはなし。

まあ、なんと言いますか、
よくある話です。

ひねくれた根性のガキがですね、
いろんな人間と出会ってですね、経験を積み重ねるのですよ。
人間なんてのは都合いいようにできてるもんで、
色んな経験の中から自分に都合のいい部分を抽出して、
人間というものを形成していくのですよ。

それで出来上がってきた自分を、自分と呼ぶようになるんですよ。
でもそれは間違ってるとか、正しいとか、
そういう次元の話でもなくて、
それが自分なんだからしょうがないといいますか。
まあそういうもんです。

世界は淡々としてるくせに混沌としてるもんで、
そういう支離滅裂さ加減に嫌気がさして、
自分という基準点でもって平衡を保ったりさせるんです。

そうやって支離滅裂な世界で生きてきたから、
世界は支離滅裂なんですけど、
言葉にするとどうにも支離滅裂になりやがらない。
だからひねくれた性格のガキは余計にひねくれる。
でも無い物ねだりな性格には折り合いがつかなくて、
気が狂いそうになったりしてね。

ほんとガキっぽい次第です。
生きるだの、死ぬだの、そういう次元に留まってしまった訳です。
僕らは別にそういう概念に支配されていた筈ではないのに。
厳然たる事実が常に突きつけられているから、
そういう世界に納得しなければならないだけのこと。

その骨格になんの疑いも持たない。
ひねくれたから、どんどんひねくれた道に行って、
そのひねくれた道は、ひねくれ者の王道だって後になって気づいて、
焦って道を引き返そうとするんですけどね、
もう支離滅裂な道のりなもんだから、お手上げ状態。

理解するということのバカバカしさに気づいた頃には、
それを理解してしまったバカバカしさに自己嫌悪。
連鎖はとまらないから、どんどん雁字搦め。
また焦って今度は忘れて、フタして、目を瞑る。
改ざん改ざん、自分に都合がいいように世界に道をつくる。

それを歩くうちにまた自分を勘違い。
そんな嘘に満ちている世界の底を歩いているのに、
感情に支配されちゃって、
気持ち悪いことこの上ないやね。
でも、折り合いのつけかたなんて分からないし、
こういうこと書き始めて、
どういう風にまとめればいいのかなんて考えないよね。

支離滅裂で混沌としてて淡々としてる。
それだけは間違いなく世界の本質だと思うけど。
じゃあどうして、そういうことが成立したんだろうね。

この世界の原則は、有か無か、その二つだけ。
でも多分、僕たちはその間を歩いている気がする。
だから悩むことが当たり前になってしまっている。

まあだから結局何が言いたかったのか分からないけど、
言い訳が上手い奴は、多分この世界で生きる力が強い奴だと思う。
取り繕いさえすれば何事もない。
僕は自分がどっちか分からないけど、
どちらでもいいような気もする。

まあよくある話ですよ。
自分をつかめなくなって、不安になって、
よりしろの様に言葉を並べてみて、そこに心を当てはめていくんです。
少しは隙間が埋まってくれるかなぁ、みたいな。
多分誰もがやってることなんですよ。

どうでもよろしいがな。

もうそろそろ、皆もどうでもよくなった頃だと思うから、
一番そのことをどうでもいいと思っている僕が、
皆の気持ちを代弁しておくね♪

DJ OZMAの話題なんかどーーーーーっでもえええわ!!!!

ええ、僕ね、ガキの使いを見てたんでね、
あんなジャパニーズ商業音楽の集いみたいな番組みてないんですけどね。
後になって一応、見ておいたんですよ。
これだけ言われるような、エロさならば。と。

ふぅ…。(嘲りと無念と脱力とが複雑に絡み合った溜息)

まずは、あんな映像で子供は何も思わない。
勃起したとしても、親の前でオナニーは開始しない。
問題があるとしたら、あれを問題と思う人間の脳みそ。

まずあの曲の内容にはまったく触れていない奴ら。
おい。
お前らがあの映像がイカンというのなら、
曲の内容の低俗さも十分同じレベルだと。
こう言っておく。
話題性をとって出演させておいて、
演出が少し低俗だったからって、何を言っておるのかと…
チャンチャラオカシス。

そりゃね、
あまりにエロすぎてですよ、
お父さんが娘に勃起したチンポを舐めさせるような、
映像なら問題もあろうが、
何をいまさらあんな程度のことで騒ぎ立てておるのかと…

あの程度の刺激なら、
コンビニの立ち並ぶエロ雑誌の表紙で十分凌駕している。
というか、お前ら自分のガキを作った方法を忘れたのか?
気持ちの悪いチンポを気持ちの悪いマンコにぶちこんで、
気持ちの悪い精子が気持ちの悪い卵子に届いて、
えもいわれぬ気持ちの悪いガキが出来てですよ、
気持ちの悪い愛をささやいて、気持ち悪く育てたら、
もう自分達の気持ちの悪さは子供には内緒ですか?

見てはいけないものを子供にはどんどん見せろ。
見たくない子は見なくなる。
見たいと思う子は見れば良い。
その中で、モラルというものを築き上げていけばいい。
大人がその責任から逃げて、
他人に責任を転嫁してどうするか。
バカものが。

汚いもの全てにフタをできるのならそうすればいい。
しかし最後まできちっとやりとおすことのできないことなら、
最初からするな。
中途半端なエセ正義感で、気持ち良くなっている人間。
お前が一番気持ち悪く、子供に対して悪影響だということに気づけよ。

あーあ、どうでもよかった。

読む力を養う [Zガンダムから観る]

劇場版Zガンダムという作品がある。
富野監督が近年になってリメイクした自分の作品である。

この作品、多くのユーザーから「イマイチ」という烙印を押されている。
その理由はいくつか推測できるが、
テレビ版Zが好きだった人の多くは
「主人公が精神を崩壊させる」
という衝撃的なラストに魅入られていた。

私も含めて。

カミーユという少年が最後に精神崩壊を起こすのは、
第1話から丁寧に張られた伏線があってのことである。
何も突拍子もなく精神が崩壊するわけではない。

キレやすい少年。
彼は理不尽な状況で両親を失い、戦場で常に生死の狭間で戦い、
愛する女性フォウや、自らを頼ってきたロザミィを失い、
頼るべき女性レコアに去られ、弱音を誰にも吐くこともできず、
傍らにいるファという少女にすら弱音を吐けなかった。

彼はその自分自身が感じる全てに対する閉塞感から、
宇宙でヘルメットのバイザーを開けるという狂気を得てしまう。

多くの人間を殺し、それでも自らが戦場で戦うために、
敵の生存理由すら否定しまうほど強い激情をもって、
少年は戦場を駆け抜けたのである。
自分の名前をバカにされたくらいで軍人に殴りかかってしまうような、
不安定な情緒をもったナイーブな少年がである。

そして彼を支配していた狂気が、
彼が自分の限界を超えて戦った時に一気に開放されたのだから、
彼の崩壊は必然だっただろう。

巧みな劇作や、キャラクターの内面描写をしない富野作品において、
そういったことを想像しながら見ることができなければ、
本当の意味での作中劇を理解することなど不可能である。

では、なぜ劇場版Zガンダムにおいて、
カミーユは精神破綻をしなかったのであろう。

重要なことは、彼は劇場版においてでも、
宇宙空間でバイザーを開けてしまうほどに狂い始めていたのである。

多くの人は劇場版をテレビ版の粗悪な総集編程度にしか思っていない。
あの長い劇作をたった3本の劇場作品にまとめるという作業が、
どれほど恐ろしいことかということは、このさい置いておこう。

大切なのは、劇場版Zガンダムという作品で、
描かれた主題は、テレビ版Zガンダムに対する
単なるアンチテーゼなどではないということだ。

カミーユという少年が、基本的な性格変更をせずに、
あの世界においてでも精神を崩壊させないで済ませれる、
という劇作を作り出しえたのは尋常ではないことである。

一人の人間が途方もない労力をかけて、
1作品を使い切って示したテーマ、
この場合、富野監督なりの「警鐘」と言ってもいいだろう。
その警鐘を、彼は同じ作品の世界観で、
「救い」に挿げ替えて見せたのだ。

これが如何に異常なことであるか分かるだろうか?
これまでの歴史の中でも、
同じ作家が、自分の作品をもってして、
過去の自分の作品のテーマを、少しの劇作の違いで、
違う性質のものに変化させるということなど、
例の少ないことなのである。

セリフひとつひとつの大切さ、
世界がもつ雰囲気の違い、キャラクター同士の少しのエゴの支えあい、
そういったものが「ほんの少し」あるだけで、
人というものは「救われる」のだ。
多くの人は日常からそれを感じているはずなのに、
作品としてそれを見せられた時に、腑に落ちない。

それは作品というものを単なるエンターテイメントとしてしか、
とらえていないからであろう。
人間が作っているのである。
作品には人間が映る、その人間を読もうとする作業すら放棄しておいて、
いや、できないのだろうが、
それで作品を評価しようというのだから甚だ愚かしい。

事実として、テレビ版と大筋の流れが一緒なのに、
カミーユの精神は破綻しなかったのである。
それが単純にカミーユというキャラクターに悲劇を与えたくなかった、
などというセンチメンタリズムから生まれた結果でないことなど、
富野監督という人間を少し知ればわかることである。

ただし。
この作品について一言だけ言わせていただくなら、
この作品が、富野監督がよく言う、
一般大衆に評価される為に作ったというのなら、
それは失敗であるとしか言えない。

なぜなら、このZガンダムという作品は、
やはり3本の映画に詰め込めるほど簡略化できる話ではないのだ。

しかし作家として、
新たなフィールドへと進むために作ったのなら、
彼はとんでもない領域に足を踏み入れていると言ってもいい。

いつか彼がガンダムというブランド以外で、
完全新作の劇場作品を作るときが来るなら、
私はそれを「待ち望んでいた」と言うことにしよう。
自己紹介
  • 世界の住人である証として


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