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拾い物バトン2

岡本から憎しみに満ち満ちたバトンを受け取った。


1.去年爆笑した事は?
エンタの神様

2.今財布の中身はいくら?
3問目っ!!

3.レシート入ってる?
うんこ拭いた奴ある。

4.自問一答してください。
俺はいったい何者なんだ?俺はあいつを殺したのか?俺はいったい…
俺にいったい何が起こったというのだ?
俺は本当は何をするために生まれた男なんだ…
俺にいったいどんな秘密が隠されているというのだ…
俺は俺のことが何もわからない?俺は俺のことを俺と呼んでいたのか?
それとも僕とよんでいたのか?うぉおおおおおおおおお!!!
俺はいったい何者なんだぁあああああああああああ!!!
いや・・・そうか、ふふふ俺は新しい俺なんだ・・・
だったら何をしたってかまうまい…!ふふふふふふ!!

--自問自答。

5.鼻かむときティッシュは何枚?
基本的にティッシュは鼻をかむ為には使いません。

6.誕生日は平成6年3月26日ですよね?
それのラテン語でボケるバージョンもあんの?

7.コンビニで欠かせないのは?
地下の実験室。

8.マクドナルドで欠かせないのは?
破壊力のある店長のギャグ
「ミミーーーーーーーズ!!!!」

9.地球には○○が必要だ。
ロボット

10.牛のゲップは地球温暖化の原因の一つでもあるらしいですよ。
そんなことよりゲップっていう言葉のピッタリ具合を世界に広めましょう。

11.まずお名前を
うんこたれ蔵

12.携帯のメモリー何件?


13.知らない人に100万円あげるって言われたらどうします?
値切る。

14.ブリはマグロになりますよね?
にゅうめんがうどんになるのと一緒やね。

15.枝豆乾燥したら大豆になりますよね?
大豆はうめたら木になるよ。

16.人魚姫は今どこに?
カッパの権次郎どんと結婚して、子供を二人産む。
その後、夫婦仲が悪くなりクラゲオナニーに目覚める。
二人の子供にそれを見られ自殺しまくる。

17.今までに会った衝撃的な人ベスト5
5th : ハゲ
4th : ガリ
3rd : デブ
2nd : 7:3
1st : 中村

18.辺りを見渡してください。印象に残った物は何?
地平線をうめつくすほどの電動コケシと、
それを照らす美しいろうそくの灯り。

19.メルヘンの国ってどんなところ?
まずタンポンはない。

20.味噌汁にご飯を入れる?
プライベートなことはごめん。

21.おもしろ回答してくれそうな人?人に回して
岡本から回ってきたから、もういてない。
あとは中川くんに期待するしかないよね!!ふぁいと。


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一週間。

最近忙しくて、ブログが更新できてないことに今更気づく。

とはいえ、とりたてて書くほど何も大きなことは起こっていない。
先週の火曜日から、ここ一週間の動きを追ってみよう。

[火曜]
2兆円もらう。
いらないので、燃やす。
隣のおじさんに煙たいとカミナリを落とされる。
しゃくりあげるように泣く。
ツレが引くぐらい泣く。

[水曜]
宇宙に行く。
耳がキーンとなる。
気分がすぐれないので、うどんくらいで済ませる。
友人は脂っこいものが食べたそうで、
「大丈夫か?」と聞く顔が鬱陶しそう。

[木曜]
天津飯が死ぬ。
天さん…

[金曜]
ドラゴンボールが4個目から集まらない。
どうやら地球外にあるようだ。
天さんの事もどうでもよくなる。
そんなことより新しいスペースシャトルを買う為に、
お金が欲しくなってくる。

[土曜]
自販機のつり銭が残ってないかさがし歩く。
もちろん自販機の下も確認している。
中学時代の知り合いに見られる。
ラーメンをおごってもらう。
無性に悲しくなって号泣。

[日曜]
流した涙が真珠になっていることに気づく。
幽遊白書を思い出し名がら、
小鳥を殺せば泣けることを思い出す。
自分で殺して号泣。
真珠ゲット。

[月曜]
真珠を売って手にした金でスペースシャトルを買う。
ドラゴンボールの残りを見つける。
シェンロンを呼び出す。
天さんを蘇らせて貰う。
うれし泣きで真珠大量にゲット。
お金に執着心がなくなり[火曜]に戻る。

靖国問題2

「ワタシの中のもう一人のヒト。」

この記事は上記のサイトへのトラックバックです。

###
小泉の靖国参拝のせいで、終戦記念日が慌ただしい雰囲気になる。
ワタシには、小泉が支持を集めるためにパフォーマンスしているようにしか見えない。
###

うん、もしかしたらそうかもしれないと思うよ。
小泉はパフォーマンスで参拝しているだけかもしれない。
でもそれは俺たちにはわからない。
もし支持を集める為にパフォーマンスでそんなことをしているだけなら、
それは小泉という人間がそれだけの人間だったということ。
発言くらいは立場によって制限されてもいいとは思うが、
個人の感情まで制限しかねない論調はダメだろう。

やはり制限は設けるべきではないと思う。
政治家にも各々の信じる神はいるだろうし、
そのパーソナリティを押さえ込む必要性はないと思う。
それが森のように極端な発言でないのならば、
発言の自由は守られるべきじゃないかな。

というよりも国民がしっかりしていればいいだけのこと。
首相が靖国に参拝したからといって、
靖国への参拝客が増えたとかいうのは本当にクソみたいな話だ。
誰かがやったからといって「おーれも♪」
なんて気持ちで参拝する人間などどうだっていい。

極端な話、
宗教と政治を分離させなければならない理由はなんだろう?
その法律はなぜできたのだろう?
そう考えたときに、俺にはアメリカの影がちらついて見える。
なぜその法律は守られるべきなのか、
という所に立ち返らなければ話にならない。

既に創価学会は政治に対して強大な権限を持っているし。
政教分離なんて言葉は作り物に成り下がっている。
やるなら徹底して。
できないなら最初から言わない。

もともと宗教というものは民にとっては
国以上に世界を構築する要素になりうるもの。
結局不可能なことを文言を使って不自然に縛っている。

まずは宗教というものを理解することから始めなければ、
この問題は絶対に平行線だと思う。

A級戦犯という言葉の定義自体も曖昧だし、
分祀の話になるといつも政治不介入だからどうたらこうたら。
テレビなんて見てても一向に話がまとまらない。
しかしこうして俺たちが議論していることで、
テレビ番組の狙いとしては完了している。
国民の間に議論を広げて、自らが考え、
その為に歴史や多くのことを学ぶことが浸透することは良いことだ。
日本の国民の多くは自分の国のことを知らないから。

ただ、DICEが前の記事で書いた
何が間違っていて何が正しいのか?
っていう言葉は非常に危ない言葉だと思う。
この世界に、何が正しいかを定めるような価値観は存在しない。
あるとすればそれは個々人の歪な価値観か、
宗教の絶対的価値観に他ならない。

それこそ一番危ない考え方なんじゃないかな?
国や宗教や立場や価値観が違えば、
人それぞれに正しいという言葉は変わってくるんだから。
それを定めようとした時点で破綻が生じているということだと思うけど。
小泉個人を責めたいなら責めればいいと思うけど、
首相だから参拝してはいけないというルールは本当にどうかと思う。

悼む気持ちがあるなら、国立の追悼施設でも作って、
そこにお参りすればいい。
とDICEは言ったけど、
それは本当に宗教を信仰する人間の考え方を
まったく尊重していない言い分だと思う。

自分はその宗教を信仰していないからといって
他人にも自分の価値観が適応すると思い込むことは、
現在のお互いの国民同士の間に溝を生んでいる元凶だと思うけれど。

それに小泉自体が参拝することが、
多く問題があり政治に利用しているというのなら、
それは小泉だけを糾弾すればいい。
首相という立場の人間は靖国に参拝してはいけない。
なんていうことは絶対におかしいと思うと、ただそれだけのこと。
ただ俺個人の意見としては、
小泉を見て靖国に参拝したいとも思わないし、
ましてやそんなことで彼に対する評価も変わりはしない。
そんなことでコロコロ評価を変えてしまう国民の方に問題がある。

どうしても法律というルールにこだわるのなら、
法律を神に据える新たな宗教とすればいい。
法律こそが絶対、ルールは神なり。

言っておくが、俺は靖国参拝を応援している訳じゃない。
行かないなら行かないで構わない。
それは小泉が決めれば良いことだ。
それが原因で国民の命や生活が脅かされるというのなら、
話は別だが。

###
それに憲法に書いてある。
国家の組織や統治の基本原理・原則を定める根本規範である憲法に、
政教分離について書いてあるんだから、従うべきである。
これに従わず、民主主義でなくなれば、
日本じゃなくなってしまう。
###

日本とはなんだろう?
日本とは憲法によって作られた枠組みのことだろうか?
俺は日本とは、民族が民俗をつくり、
歴史を経て、出来上がってきたものだと思う。
これまでだって何度も日本という国の骨組みは崩壊している。
今の骨組みこそが日本だというのはいささか無責任がすぎる。

もし今の日本という骨組みが崩壊したときに、
この国を立て直すのは我々や我々の子孫である。
そうして立て直された新しい日本が、
今の日本の骨組みと異なっていたのなら、
そこはもう我々の国ではないのだろうか?

俺が好きな日本の文化はすべて消えてしまうだろうか?
我々は少し国というものに甘えすぎてはいないか?
国とは内閣ではない。政治ではない。

国とは人である。

靖国問題

「ワタシの中のもう一人のヒト。」

友人のブログで靖国問題が取り上げられていた。
コメントを返そうかと思ったが、
長くなりそうなのでトラックバックで返しておこうと思う。

まず俺は小泉がどういう考えでもって、
靖国を参ってるのかは知らない。
しかし、参拝自体には何も問題ないと思う。
これがその問題に関する結論である。

小泉の靖国参拝は別に、宗教の助長も援助もしてないと思うし。
立場が個人の自由を制限するようになるというのはすごく変。

政教分離という言葉もすごく嫌い。
不可能なことだから。
宗教と言うのは民俗なわけで、
どれだけ理性で頭からそれを追い出した所で、
深層心理の部分では絶対に根付いてしまっている。
宗教などというものは教えを信ずるというものではなく、
知らない間に当たり前に根付くものだと思う。
それを押さえ込める訳などない。
むしろそう言う言葉を作って、
本当にそれが可能だという風に思い込める人たちがいることの方が、
国民にとっては怖いことなんじゃないだろうか。
知らない間に宗教的思想に乗っ取られることに気付かない。

それに靖国に首相が参拝したからといって、
国家が宗教を助長していることには全然ならない。

問題点は絶対そんな所じゃないはず。
本当にそこまで細かいレベルで政教分離なんてことを実現したいのなら、
向こう数百年、
日本での宗教信仰および活動、
その他宗教にまつわる全てのことを制限して、
日本人から宗教と言う概念自体を取り払ってしまわなければならない。
外交なんてもってのほか。
信じるものを与えてはいけない。
絶対的価値観というものも教えてはいけない。

しかしそんなことは不可能だ。
そんな物のことを人間とは呼ばない。
個人とも呼ばないし、国とも呼ばない。

靖国という神社自体に問題があるというのなら、
そちらを正すべきであって、
そこに参拝する人間を制限しても意味がない。
それに俺は法律で決まっているから守らねばならないという理論も嫌いだ。
人間的じゃない。
法律というのは人間が定めたものであって、
人間がその文言に縛られてしまっては本末転倒も甚だしい。

法律が絶対だというのなら、
それこそ宗教がかっている。
この世に絶対の文言などあってたまるか。
ルールというものは個々のモラルの下に存在する。
国や社会というものが、
民俗や風土といった人間的なものからルールによって遠ざかるというのならば、
そんな国を俺は望まない。

DICEは『話を前に進めろ』と言ったが、
こんな話は数百年続いたところでまとまるはずがない。
一生平行線だ。
誰かがどこかでムリをして折れることでしか解決できない問題だろう。
信じる絶対的価値観が異なっているのだから。
それは世界のぶつけあいに他ならない。
ただ、それに対して人々が考え学び議論するということは、
何もしないよりかはいくらか有機的であるということだろう。
何かを変えたいのなら「動く」しかない。
議論なんていうものは、もともと無為なものだ。

100年考えつづけることよりも、
何も考えずに動くことの方が良い結果を及ぼすことがある。
もちろん悪い結果を及ぼすこともある。
しかし、なんらかの結果は伴うのだ。
最も有機的なことは実行であって、思考や議論ではない。
答えの出ないことに答えを出そうとするのなら、
話すのではなく、やる以外に道はない。

俺は何もしないよりも多少は有機的だと思うから議論するし思考する。
けれど何も考えない人間の方が、
俺より優れた結果を出すことが出来る確立は高いだろう。

話が横にそれたが、
俺は参拝したいのに立場のせいで参拝できないということが変だと思う。
アメリカ人が広島の原爆ドームを見て、
にこやかに記念撮影することが許されるのなら、
死者を悼む気持ちがある人間には、それくらい許されてもいいじゃないか。

俺は原爆ドームの前で写真をとるアメリカ人が、
日本に原爆を落としたアメリカ人じゃないと知っているから、
彼らを責めたりはしない。
アメリカ人という立場を持っているからといって、
原爆の落ちたその地に入るなと、それを制限したりはしない。

なぜ首相や天皇という立場だけで、
個人の感情や自由を制限されなければならない。
バカバカしい。

loop conduction

悪い流れや、雰囲気といったものは
案外簡単に人に伝染してしまう。
とくにグチや悪口とか、不幸比べとか、
そういう負のエネルギーを持ったものの流れは凄い。
一気に加速して世界中に波及してしまう。

しかし良い流れを世界中に広げようと思うと、
これは凄く難しい。
世界はネガティブな思考で溢れているからだ。
多くの人は世界と自分という関係が、
すごく遠い関係だと思っている。
だがそれは大きな勘違いだ。

例えば自分が欲しかったものを誰かからプレゼントされたなら、
もうその時点で幸せの連鎖はかなり広がっている。
視点が狭い人なら嬉しいのは自分だけじゃないか、と思う。
しかし、プレゼントをあげて喜んでもらえた方も幸せだ。
それだけじゃない、そのプレゼントを販売している店もそう。
お店で働いている人もそう。
その物を作っている人もそう。
場合によっては、プレゼントを持って嬉しそうにニコニコ歩いている姿だけでも、
幸せというのは人々に伝染していく。
その人たちが、またその喜びを誰かに伝導させていけば、
良い流れというのもあっという間に世界に広がっていることが分かると思う。

何をどう感じ、どう受け止めるかなのだと思う。
もちろん幸せの影には不幸があるということもその通り。
その一部の不幸すらも最終的に幸せに変えれるくらい、
誰もが良い流れを伝導させようとすれば、
世界は間違いなく輝いていく。尊い光を生んでいく。

見つけようとしなければ、それは価値のないものかもしれない。
不幸など探さなくても世界中には溢れている。
だから世界は不幸のカタマリのように思えてくる。
そしてどんどん悪いループを生み出していく。
しかし人はそんな世界の中にあっても幸せを見出せる。
価値観というものは劇的に世界を美しく変えてくれるものだ。

幸せの本質は錯覚かもしれない。
けれどそこに生まれる感情が、
わだかまりのない、晴れたきれいなものであれば、
それは真実と同等の価値を持つ。
たぶん世界には同じだけの数の幸せと不幸がある。
自分の心の置き場所次第で世界は幸せにも見えてくれる。

そしてそれは案外簡単に世界に波及していく。
願わくば幸せに紡がれていく故郷を。

奇跡

悲しみというのは多分風化したりしない。
それはどんなことだってそうだと思う。
涙を流すことだけが悲しいことじゃない。
ただ思い出すだけで悲しくなってしまうような、
そういう悲しみを人間は結構かかえてしまう。

戦争の傷や記憶だってそうだろうし、
今どこかの国で起こっている戦争や飢餓を想うこともそうだろう。
もっと身近に、ペットや家族の死というものもそうだろう。

それは時間が忘れさせてくれるなんていう言い方があるけど、
俺はそうは思わない。
多分、時間は何も忘れさせてはくれないし、
風化させてもくれない。
いつ思い出したって、胸は痛いし、悲しみは根付く。

そういう悲しみと人はどういう付き合い方をしているのだろうか?
俺は「笑う」ということで乗り切る以外に方法を知らない。
例えどんなに辛いことがあっても、
人は本当に面白い出来事に出会えば全てを忘れて笑えるのだ。
何度その「笑い」に救われたことだろう。

死にかけた心を掬い上げてもらっただろう。
俺の周りにいるお笑い好きには、何処かしら変な奴が多い。
それは多分、心に傷を持っているからだと思う。
その心の傷は絶対に癒えない。
多分神様にだって癒すことはできない。

でも、笑いは一瞬だけでも、それを忘れさせてくれる。
多分俺にとって、笑いとはそういうものだ。

旅行中、友人らと一緒に天体観測。
望遠鏡で月を見た。
はじめて月を近くに見た。

月には明らかに人を魅了する力がある。
もともと流星群を見るつもりだったのが、
ほとんど天体望遠鏡で月を見る会になっていた。

命のふるさと。
そんな言葉が降ってきた。
海は肉体のふるさと。
月は魂のふるさとなのかもしれない。
俺にとっては。
俺にとってだけ。
俺以外は違う。
俺だけ。
俺オンリー限定。

旅行

今日から三日間、旅行にいってまいります。
たぶん生きて帰ってきますので心配なさらずに。

みなさま、是非すてきなお時間をおすごしください。

バイト

そうそう、
そう言えば私、今新しいバイト先で
携帯用のアダルトサイトなるものを作っております。
そのアダルトサイト用にもブログを始めまして、
画像の投稿などを交えながら色々書いております。

一応仕事ということもありまして、
結構キレイ目にやっておりますので、
もしよければ見てやって下さいな♪

仕事中にも相当数投稿してるから、
結構更新は頻繁ですお。

ってか、見てパッと楽しいのは向こうかもしれません。
カラフルで、画像も一杯で、
見やすくて楽しいので。
記事書いてるのはもちろん俺ですから、
アホアホなのは丸出しです。

まあブログだけじゃなくて、
俺の作ったサイトも見ていただければ幸いです。
バナーとかはバイト先の先輩に作ってもらったんすよ。
かなり奇麗なんでびっくりすると思います。

行く? 『はい』←ピッ

前へ

曲作りなんていうものをやってると、スランプみたいな時期があります。
それは色んな原因があるんでしょうけど、
ある程度、自分の中の目標の音楽象というのがその時々にはあったりします。
その音楽象を捉えた曲なり歌詞なりが出来上がってしまうと、
それからはマンネリが続いてしまう。

自分の中で思い描いているビジョンとは微妙に違ったりとか。
満足できなかったり、まだやりたい表現がある。
そういう時は、結構頻繁に曲ができる。
そして、自分の中で、ある程度の目標としていた曲が出来上がったとき、
満足してしまって、どういう曲を作っていいのかビジョンを見失う。

スランプの最初の切っ掛けはそんな所だ。
そこからは小手先だけで雰囲気を変えようとしてしまって、
自分から遠ざかった場所で音楽が出来てしまう。
メロディやコード進行が普通の曲とちょっと違うからなんだというのだろう。
そんな音楽は自分のやりたい音楽でなければ意味がない。

俺はプロではない。
だからこそ、自分の音楽には誰よりも素直でなければならないと思っている。
他者の評価など後からついてくるもので、
自分が誰よりも気に入ることができなければ、
そんな音楽は俺にとっては意味を持たない。

まだまだ見えない。
うっすらと影が出来てきた。
輪郭が見えてきた。
朧気ではあるが、
今俺が見ようとしているビジョンに近づいている気配がする。

いつもそうだ。
このスランプを乗り越えなければ、見えないビジョンがある。
新しい価値観で、世界を見つめることができる。
命の続く限り、前に進むと決めたのだ。
例えこの足が既にもげていたとしても、心だけはいつも前へ。

月の家


胸の片すみ
欠けた月がひとつあるだけ
でもどんなに細い道も
照らすように光る

[--新居昭乃/月の家より抜粋]

心に満月を描かなくても、
胸の片隅にでも、
道を照らすように光る月を感じることができたなら。
やさしい柔らかい光を夢想する。

歩く。
歩いてみたい。
そんな優しい光に照らされる道を。
少し悲しくて寂しいのかもしれない。
でも欠けた月が照らす道は、
やさしい光で暖かく次の一歩を待ってくれている。

何故か涙が止まらない。
本当にとまらない。

マゼラアタック

マゼラアタックの魅力がわからない奴とは話をしたくもない。
アッザムの恐ろしさを理解できない奴には劣化ウラン弾。
ザクレロのアナーキーさにおののかない奴はリストカット。
エルメスのコクピットの広さを羨ましがる奴はガチ。
ゴッグに乗りたい奴はゼウス。

ククルス=ドアンが好きな奴はインディアン。
テム=レイを慰めたい奴は40代。
セイラさんの事を金髪さんと呼ぶ奴には兄の鉄拳。
ミハルのそばかすはガチ。
カムラン⇒スレッガー⇒ブライトというミライの流れはカオス。

スレンダーとデニムとジーンは影の主役。

月に見る喪失感

昔から何故か月が好きだった。
理由は単純に奇麗だからとか、理由なく心を打つからとか、そんなものだ。

しかし最近、俺は月に喪失感を投影しているのではないかと思った。

月は夜空にぽっかりと空いた穴のようだ。
時に影で隠れることはあっても、時が来れば再び顔を出す。

自分の中にある喪失感を、俺は夜空に投影してしまっているのかもしれない。
それで何かが埋まる訳じゃない。
ただ、そうなのだということを確認する。
それが何だか落ち着く反面、すごく不安になって、切なくなって、
胸が痛い。

ロマンチストぶるつもりもないし、ニヒリストぶるつもりもない。
ただ何となく、月は届かないくせにいつもそこにあるから。
見上げたら、声を消して、息を殺して、
夜空に自分を広げてみようとしている。

それが何か分からない、そんな喪失感を埋めることなんてできない。
だから寂しいし、つらいし、悲しいし、消えてしまいたい。
ただ夜空には、狂ったように美しく妖しい無機質な暖かさを持った穴があいている。

波及

誰かに認められたり、必要とされたりすることはとても嬉しいことだ。
それが特に、俺のように社会不適合な人間であれば尚の事。

けれど、
誰かに認められたいから、必要とされたいから、
頑張るというのではないと思う。
少なくとも俺は違う。

すごく低俗なのだけれど、
結局、人が何かを頑張るのは自己満足なのだろうと思う。
自分自身に納得させたいだけのことである。
それが結果として、誰かの為になったりする。
そういうことであって欲しいのだ。

だからこそ自分だけでは完結しえない世界が生まれる。
世界の広がりとはそういうものだ。
自分さえ満足すれば、それはもう自分の中では終わっているのだけれど。
どんなことでも、
それが自分というものの外に出てしまった場合、
他人の中にも種を植えるのだ。

それもまた自分の一部であろう。
自分の外に出たものは、自分と密接な関係を持っている。
世界中に自分と関係のないものなど、本当に何一つないのだ。
具体的な例など出すまでもなく、明らかにそれはそうなのだ。
感情や論理だけでは説明できないし、するべきものでもない。
そういうものなんだろう。

自分というものの外で、自分が評価される。
それは何よりも尊い瞬間だろう。
だからこそ、自分と向き合い、自分を満足させることができなければ、
外の評価の本当の価値など手に入れることはできないのだ。
他人がどれだけ自分を評価してくれようが、
自分で自分に納得いっていなければ、
その評価は自分にとって無意味なものでしかない。

逆に、自分で納得していれば、
他人が何を言おうが平然と構えていればいい。
それは絶対に揺るがないものだ。

けれど外に出た自分は光よりも早い速度で、
世界に波及する。
生れ落ちた瞬間、世界と自分は密接に結びついてしまっている。

自分と外との関係というのは、
完全に隔絶されているのにも関わらず、
絶対に離れることのできない密接すぎる関係だ。

もはや矛盾していることの矛盾を証明できない、
という証明を矛盾をもちいて証明せよ。
みたいなことになっている訳で、訳がわからないのだ。
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