遂に発見してやった!!
新居昭乃嬢のCD!
大阪のCDショップを何軒もまわって発見できず、
この世にないとすら俺に思われていた新居昭乃嬢のCDが…
地元のよく行く古本屋にあったのは、もうその…ギャグかと。
それでも奥井亜紀嬢の昔のCDは発見できずなんだよねぇ。
新居さんはあったけど、奥井さんはめったに見かけない。
新譜ですら見かけないのに、絶版になった古いのになると絶望的かな。
ただ、大阪のショップまわってる時に思ったけど、
好きな音楽がどんどんマニアックになっていくと、
入手すら困難になっていくんだねぇ…
洋楽にしたって、マイケルシェンカーでも入手難度でいうと[易]だからねぇ。
もうストーンズとかなんて、いつでも手に入るし、なまじ知ってるだけに、
そんなに曲聴いたこともないのに、全部知ってるような錯覚に陥ってることがある。
最近は貪欲に、どんな音楽でも聴いてます。
みなさんのおすすめとか、あったら是非おしえてくださいね。
邦楽、洋楽なんでも聞きます。
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山崎邦正最高
山崎邦正おもしろい
山崎邦正になりたい
山崎邦正みてるだけで幸せ
みんなが山崎邦正だったらいいのに
世界のどこかで、毎日誰かが死んでいるらしい。
俺には関係のないことだ。
どこで誰がのたれ死のうが、てんで関係ない。
何億もある命の中のひとつやふたつが消えたところで、
俺には関係のないことだ。
家の近くで火事で死んだ人がいるらしい。
でも俺は直接しらなかったから、関係ないや。
俺の知らない人が死んだ所で、俺は全然悲しくない。
路上で犬が死んでた。
誰かが片付けてくれるだろう。犬の死体ってくさいからなぁ。
人間の死体も臭いのかな。
まあ俺には関係のないことだ。
まったく関係のないことだ。
この国でも昔、戦争があったそうだ。
今は戦争なんてないから、勉強なんてかったるくてしてられない。
戦争した国とも仲良くできてるんならそれでいいだろう。
俺には関係のない話だ。
何十年もたってるのに、ネチネチと古い話を持ち出すなんてどうかしてる。
戦争なんて歴史、勉強したところで何の意味があるっていうんだ。
関係ない話に夢中になってるのなんてバカらしい。
好きな子が死んだらしい。
悲しいなぁ。
でも十年後も好きなわけないんだから、俺には関係のない話だ。
結局関係なんてなかったんだから、本当は悲しくなんてないんだ。
ウチで飼ってる犬が死んだ。
こんなに悲しいなんて。
でも、十年もすれば忘れるだろう。
関係ない関係ない、さっさと忘れよう。
いつまでも悲しんでたって仕方ない。俺には関係ないんだから。
自己矛盾と向き合いながら生きることは、
それはもう大変なことで。
誰かに何も考えずに、わかる、わかる、なんて言われたら、
もうそれだけで、ため息がもれそうになる。
例えば、大好きな人といるとき。
この世から浮き上がったように、孤独を知る。
そんな感覚に出会ってしまったら、もう正気じゃいられなくなる。
人が好きだという気持ちがこれほど厄介なものだということに気付く。
いっそ誰もいなかったら。
いっそこの世界がなかったら。
そう思ってみても、
孤独から手を伸ばす場所は、
いつも人が笑っている世界だ。
そこに居たいと、そのぬくもりに触れたいと、
そう思って手を伸ばして、引き上げてくれる手があることも知っているのに。
振り払ってしまう。
そうして罪悪感で己を傷つけて、
また傷を舐めてくれる人を探していることに自己嫌悪する。
再び孤独。
泥沼のように浮き上がれない世界へと沈んでいく。
でも。
だからこそ光を望むのだ。
手に触れたいと思う。
そうすることでしか、僕らは世代を重ねる術をしらない。
そうすることでしか、この世界との因果を保てない。
光を集めたい。
この世界に満ちている、光をこの掌に。
いつか差し伸べてくれた手と、
もういちど、手をつなぐ為の光を。
放射線状に広がっている輝きの中で。
人を呼ぶ。
孤独だから。
つなぐ手は、一瞬でもいい。
また君に会いたいと、そう素直に思える世界があればいいと思う。
いつか。
お互いの手のぬくもりを…
一人だから。
つなぐ手は、一瞬でもいい。
まだ僕がここにいたいと、そう素直に思える世界があればいいと思う。
言葉よりも。
ぬくもりで。
言葉よりも。
想いで。
そうして紡がれていく世界を望む。
僕は、僕たちは、暗い夜を抱えて走る。
小さな祈りを胸に、光を集めていく。
そうしないと、存在が罪であるという事実にすら、
立ち向かえなくなってしまう。
手を。光を。ぬくもりを。
暗い夜のなかで。求めている。
本日AmazonからB'zの衝動と奥井亜紀のトキノマニが届いた。
トキノマニは、いい曲もあったが、
全体的には、なんだか歯車が噛み合ってないようなアルバムだった。
奥井亜紀を活かす為の音楽ではなく、すべての人が思い違いをしながら、
アルバムを作ってしまったかのような、微妙なズレがある。
奥井亜紀自身は、曲で時の流れの中にある自分と世界の相互関係を、
曲の流れや、声で精一杯表現しようとしているのだが、
周囲の人間がそれを分かっていないのか、
アレンジやプログラミングが曲の伝えたいことの半分も表現できていない。
せっかくインディーズで好きなように音楽ができるようになっても、
これでは意味がないと思ってしまうのだが…
菅野よう子と再び一緒に何かできないものなのだろうか…
しかし、あまり期待していなかったB'zの衝動の方は案外良かった。
衝動は、ああなるほどなぁ、という曲だったが、
2nd beatの結晶の方がかなり良かった。
Friendsとかに収録されそうなタイプの曲。
衝動のイメージカラーが深い赤だとしたら、結晶は紫に近い青だ。
稲葉さんの歌詞がかなり心地よく、面白いフレーズを紡いでいる。
「まばゆいほどの言葉が 正しく繋がりつづけ
ま新しい結晶 いつしか花開くでしょう
吐きだす息はまっ白く はっきりとカタチを見せる
思わず僕は口走る また君に会えますように」
言葉が正しく繋がる。誰でも一度はこういう感覚に出会っていると思う。
ただそれをこうして、描写するというのは実は案外難しい。
吐きだす息が、白くはっきりとカタチを見せる。
これは普段見えないはずのものが、寒さによってカタチになることを描写している。
だから、この主人公は、その瞬間に「また君に会えますように」という、
そのありがちな言葉を、カタチになるように、呪文のように、口走ってしまう。
こういった咄嗟の感情をたった数行で表現してしまうのは、
さすがプロ、と思わざるを得ない部分がある。
最近はワープロや携帯が身近になって、
言葉はあたりまえにカタチになると勘違いしがちだけど、
実は案外、実際の会話においては、その脆弱さが浮き彫りになったりする。
だからこそ不安が伴う恋愛において、
多くの人が言葉を求めたり、重んじたりするようになるのだろうけど、
それはどんどん霧散していってしまうから、いつまでも不安だ。
白い息と共に、思いを込めた言葉が、カタチになって相手に届けば、
それは何よりも強い魔法になりうる。
言葉は想いを乗せて人から人へと渡る。
時に自分に。時に他人に。時に世界に。
言葉とは単なる他人とのコミュニケーションツールではない。
もっと根源的な場所から湧き上がってくるものだ。
神の息吹にも等しい、そのカオスとも呼ぶべき根源が、
こうして人間というものから発せられている。
だから言葉こそが、自らを知るために重要な役割を果たすこととなる。
自己対話において、混沌とした自らの一部を抽象化する。
捨象された曖昧の欠片はそれ自体が増幅し再び抽象化される。
そうやって言葉によって自分を自分の中に生まれさせていく。
何度も生まれ。破壊され。生まれ変わり。生まれ。破壊され。生まれ変わる。
そうやって増幅し生まれ続けていくことが、この世界で生きるということだ。
俺の中にはあらゆる表現手段を用いても表現しきれない、
ぐつぐつと滾るものがある。
誰かが聞いた「それは、なくならないの?」
恐らく、俺の中に滾るこのマグマのようなものの正体は、
混沌であり、この世界そのものであり、俺であり、神である。
この曖昧な全てを具象させるということは、
世界の根幹すべてを具象させるという事に等しい。
自分を知ろうと、言葉との対話を続ければ続けるほど、
俺の根幹が世界の根幹と混ざり合っていることに気付く。
世界に潜む可能性が全て俺の衝動と繋がっている。
ならば、それがなくなることなんてあろうはずがない。
与えられることも、与えることも。
知ることも、説くことも。
すべて根幹の衝動に導かれるように。
多くの人間が当たり前に、紡いできた。
苦悩し挫折し、喜び笑い。
そうして衝動に導かれて、俺たちは世代を重ねている。
自らと対話し。
他人と対話し。
世界と対話し。
様々な角度から世界を見れば。
無限という言葉の広さを知る。
じわじわと死へとにじり寄る毎日は空気が澄んでいる。
朝から夜を見下ろすように、名残惜しいような待ち遠しいような。
宇宙の加速に耐え兼ねたように、誕生以前へと回帰していく。
逆周りの宇宙の中で時が過去へと進む、ぐんぐんと進んでいく。
自分という過程が逆転し、存在があらわれる。
大切なことは、今という場所を停滞させないことだ。
そうして、じわじわと死へとにじり寄る毎日の空気は澄んでいく。
だから、そうやって進んでいく。
前へ、前へと進んでいく。
昨日そろそろ上映が終わるということで、
「輪廻」という映画を見に行ってきた。
点数、75点。
個人的には結構おもしろかったと思う。
怪異じゃなく、やはり人間が怖い。
というのは古くから怪異を取り上げた作品にはよく見られるものだが。
見せ方を工夫することで、それを効果的に増幅させている。
優香が案外演技が上手いことにも驚いたし。
一緒にいった友人は「あんまりやったなぁ」
と言っていたが、俺的には案外面白かったというのが本音だ。
単純な表面的な怖さというよりも、
描かれようとしていたのは人間の内面に潜む歪さだったわけで。
まあ確かに、そのたった数人の心の中の歪さを描くために、
その他の登場人物の内面がないがしろにされていたりするのは、
多少うーん、と思ったが。
それは時間の都合なんかもあるし、劇作という面では仕方のないことだ。
まあなかなかに面白かったんではないだろうか。
今度は「博士の愛した数式」を見に行きたいのだ。
最近は頻繁に映画館に足を運ぶようになった。
いいことだ。
今、ワンピースを久しぶりに読み返していたが、
まあこれが本当によく出来てる。
王道的な展開でも、いや、王道的な展開だからこそ、
分かりやすくズドンど面白い。
まずシナリオ構成が基本的に上手い。
伏線やキャラクターたちの特性をこれだけ上手く
本筋のシナリオに絡めるという芸当は生半可な能力で出来ることではない。
いわゆる小分けのシナリオが単発ものにならず、
すべてが運命に導かれるように流動的に流れていく。
主人公やキャラクター達の目的や役割が明確であるから、
読むほうは、そこには何の違和感を抱くこともなく読める。
それは当たり前のようにそのキュラクターが動くからだ。
キャラクターたちの群像劇も。
ワンピース世界で紡がれている歴史も。
ポーネグリフを繋げていくということも。
すべて運命に導かれるように、ひとつなぎに描写されている。
全貌が見え始めれば、それだけ凄さに気付く。
大学の友人に勧めてブログを始めさせた。
これで俺のブログのブックマークも潤うというものだ。
これからに期待だお♪
[Life Material]
命の対極は死ではない。
生の対極は死であっても良いが、命の対極は死ではないだろう。
それは何であるかと考えたのだ。
恐らく、もうひとつの命であるという解答が出せる。
他人の命。
確かにそうとも言えるが、個で完結させようと思うのならば、その答えでは不満だ。
命の対極。
もうひとつの命。
物質的な命と精神的な命。
これがしっくりと来る答ではないだろうか。
どちらも両者が存在しないと成立し得ないという意味では、
一つに還るものではあるのだが、
それでも確実に異なるものであるというのは実感で分かっていただけると思う。
決して外れる事のない重なり合ったリングだ。
人とは、その二つのリングの重なった間に生まれる空白のことだろう。
完全に一つにはなりえない。空白が広がることはあっても。
それを一つにするというのは神になるに等しいことだと思う。
物質的な命=生命の実。
精神的な命=知恵の実。
だとすれば、この答えもあながち的外れではないだろう。
地球人すべてが知恵の実を食べた、なんていう考えより、
人それぞれに、どちらかに偏りがあるという方が説得力があるではないか。
そして知恵の実に偏りすぎた民は、
服を纏い、裸の世界を失っていく。
人間本来の姿からかけ離れた場所に世界を求めるのだ。
失楽園である。
さて問おう。
あなたのもう一つの命とは…
どちらだ?
突き刺すやうで穏やかな朝の光の中で
生ぬるい外の景色に 苛立つて
全てを捨てようと 窓の外に出た 窓の外に出た
月が夜を黒く染め抜ひてゐる
辺りを闇に染め 太陽よりも淡い輝きで
こんなにも こんなにも 狂おしく心を揺らすのだ
芝生に寝転んで 息を吸い込んでみる
じんわりと 青ひ空が染み渡つてくる
ああ ただ広い ただ広い ただいとおしい
本日、AMAZONにて奥井亜紀嬢のトキノマニを予約。
ついでにB'zの衝動も予約。
B'zは買いに行けばすぐ手に入るんだが、めんどくさい。
もう最近のB'zのCDは惰性で買ってる気がする。
衝動は愛のバクダンと同じようなニュアンスの曲だしね。
まあ別に悪い曲じゃないんだよ…ほんと。
2番の結晶はなかなか心地よい曲なので楽しみではあるが。
それよりも俺は今、トキノマニが楽しみだ。
DENIMUM以降、精力的な活動を続けてる奥井亜紀嬢。
もう少しゆっくり活動してもいいんでは?
とも思うが、出してくれる分には楽しみなので問題ない。
インディーズに移ってからの曲は本当にいいんだが、
個人的にはLost Melodiesの頃の奥井亜紀も凄く好きなので、
いつかはまた管野よう子嬢とかと組んでやって欲しいなぁ。
あと、
給料が出たら中古で新居昭乃を探しまくる。
リンカーンおもしろす。
さまぁ?ずとダウンタウンの絡みがいいなぁ。
キャイーンもいい味出してるし。
ただ見てて不安なのは宮迫さんの立ち回り。
ほとちゃんはいいポジションを確保してるけど、宮迫さんはやり難そう。
ぐっさんはもう少し時間がほしいなぁって所かな。
大勢の芸人とダウンタウン。
どんどん違和感のある若手を出していってほしい所。
バナナマンとかは凄い良いチョイスだと思うなぁ。
企画的にももう少し後ろの若手が活きるような企画がいくつか欲しい所かな。
そういう所は作家さんが今、必死に考えてくれてそうな予感。
楽しみな番組。
短命に終わるか、長続きするか。
もう少しで、その分岐点にたどり着きそうな気がする。
次々とこぼれてくる未来の雫にまみれて、生きている。
僕らが向かおうとしなくても未来はやってくる。
僕らが向かうべき場所は、いつも未来じゃなく「前」だ。
ただひたすらに、足を前へと突き出して、
知らない場所に自らを放り込んで。そうして前に進んできた。
これからもそうする。
そうしなければならない。
全てを一本でつなぐため。一本の光でつなぐため。
前へ。ただ前へ。まだ歩ける。
―小型のゾウさんと中型のゾウさんがありますが?
ホフマン(以下ホフ):そうだね、今回はその2つで決定だねってメンバーとも話してた
―では何故、中肉中背なのですか?
ジェイソン(以下ジャクソン):それに関してはボクが答えるよ。
―はあ…
田代(以下マーシー):アダルトビデオの監督をしています。
―今回のアルバムのコンセプトをお聞かせください。
フランシス(以下コザビエル):宣教師です。
―サッポロ一番?
小泉(以下総理):し、しおらーめ…
―みそラーメンや!
「やあ 久しぶりぶり、会えると思ってたよ」
「き、きみは玉袋筋太郎!!」
Fin...
先日、久しぶりに部屋の大掃除というものした。
模様替えもして、気分がよかったよ。
あれやこれやと掃除していて、古い写真なんかが出てきたりした。
「懐かしいなぁ♪」
大掃除というのはそういうものと出あったりしながらやるのが楽しいのだ。
「お、これは昔あつめてたトレーディングカードやな。」
「あ、こんなもんも残ってたんか。捨てたと思ってたわぁ」
「…ん?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
「こ、これは…」
そこには数年前無くなったと思っていたオナホールの残骸…
粘着質の素材に張り付いてとれない埃と汚れ。
そう、一言で言うなら悪夢だ。
もう戻れない、あの日の自分に手を振って。
俺はオナホールを家族にバレないように、こっそりと捨てた…
わかりますか!?
だいたいねぇ、∀がターンXに勝てるはずないんですよっ!
それなのに∀がターンXに勝っちゃったのは、
ギンガナムの操縦能力の低さが原因なんです!
いくらロランにニュータイプとしての素質があったかもしれないとはいえ、
それでもターンXが負けるなんてあり得ないんですよ!
「このターンXすごいよ!さすが∀のお兄さん!」
ギンガナム自身が作中で言っているでしょう。
ターンXは外宇宙から地球へ飛来した、ターンタイプの祖となる、
人類の科学力の埒外のものなのです。
地球人は外宇宙に、人類以外の武力をもった知的生命体がいることを知り、
宇宙人と戦う為に∀を作ったんです。
だからといって、∀がターンXに及ぶほどの能力を手に入れるはずもない。
ターンX自体、地球人やムーンレイスが乗ることで、
かなり能力が制限されていると言ってもいいでしょう。
∀の月光蝶が100%の能力で出せていれば、
地球から木星までの宇宙をすべて灰にすることができるほどの、
凶悪な兵器だとしても、ターンXには遠く及ばない。
そういうものなのですよターンXは!
いええぃ!メリクリー♪
元気ぃ!?
こっちは元気でやっとるよー。
未来はええぞぉ(#'∀~#)b
がんばれよぉー☆
僕の名前はギター。
生まれながらに不幸な運命を背負った存在さ。
みんなは僕を道具としてしか使わない。
僕のアナルに勝手にプラグを突っ込んで6本ある前立腺を刺激しまくるんだ。
爪でひっかいたりするんだ。ひどいだろう。
おかげで僕は射精しまくりさ。
とはいえ、物質は生み出せないからね。
僕らの射精は音を排出することで表現されるんだ。
毎日のようにプラグを出し入れされて…
僕の名前はギター。
生まれながらに不幸な運命を背負った存在さ。
今日はコッペパンがヒーローになります。
じゃあお前は、サイキンウーマンね。
コッペパンに致死量の細菌を植え付ける為にのみ生きてる奴。
でもコッペパンさんは強いから細菌には感染されても死なへんことな。
サイキンウーマンの相方のドキュンくんはホモで、
コッペパンさんの友達のチェリーパイボーイを狙ってんねん。
でもチェリーパイボーイは性的なことへの興味が凄いから、
正直男でもええかなぁとか思ってる奴で、ドキュンくんでもアリかなぁと思ってる。
カルピスおじさんは、パンに謎の白い液体を入れてるのを近所の、
バター犬を飼ってるチーズ臭いおまんこの持ち主の、メラニン嬢に見られて、
毎日メラニンさんの股間に、パンをこねる棒をつっこまされてんねん。
それが原因でコッペパンさんはグレて、地元じゃ札付きの悪やねん。
でもヒーローやから許されることな。
カレーパン殿はあんまりでてこーへん。
一休とかいう坊主に無理難題を押し付ける系のキャラにするわ。
ブログというサービスが拡張されて、過去にも記事を転送できるようになった。
一番おどろいているのは俺自身だと思うけど…
ただし、歴史を変えるような記事は絶対に送信できないし。
未来と直接的なやり取りができるようになる、
つまりタイムマシン的なものができるようになるのはもっと先の話だ。
それにこれは俺が過去のブログに記事を転送できるようになるっていうだけで、
そっちからこちらに記事の返信を書くことはできないんだよね。
それに分かってるとは思うが、
俺が辿ったブログ人生の中で未来からコメントが来たことはない。
つまり、この記事を受け取った過去の俺がいるとしたら、
それはもう俺じゃない俺、ということになる。ややこしい話だ。
未来の話も、多少なら書いても良いそうなので書いておく。
未来といっても今の俺にしてみれば、昔とそんなに大きな差はない。
もちろん昔が懐かしいと思うことはあるけどね。
2025年現在では、バヤリースが復刻されてかなりヒットしてる。
流行ってる音楽は相変わらず当り障りのない面白くないものばっかり…
チャートも多様化してきて、全然チェックしてない。
ちなみに俺が好きなのは田元有紗(8歳)って子。
2006年頃の俺がどういう音楽好きだったか忘れたけど、
田元ちゃんは凄く可愛くて、萌え?(死語)って感じだぞ。
大きい事件で言うと、ああそういえば、
遂に宇宙で生活できる基盤が整ってきた。
月に土地を買おうと思ったら、30億くらい。
家を建てようとおもったら込み込みで100億ちょいってところかな。
物価的には2006年の頃とそんなに変わってないと思うから、
結構な値段ってことにはなるな。
大体2025年でジュースが一本200円だな。
映画館の入場料が1800円。
タバコと大麻がセットで250円。推進委員会ができてから大流行中。
PTAはカンカンだそうだが、イライラすると大麻を吸って気分を落ち着けるそうだ。
南極の氷を溶けないようにするために、地球冷却化計画が進められた。
んで、南極はどえらい気温が下がってしまって、
宇宙服や特殊防寒スーツがないと人間が立ち入れない場所になってしまった。
あとかめはめ波が2発うてるようになりました。
この前、シャレでネコ型ロボットつくりました。息子にはウケた。
いよいよプレイステーション6が発売になりそうです。
映像の進化と、欲望の進化はとどまるところを知らず、
ヘッドギア型のモニターをつけて、仮想ネットワーク世界に接続すると、
そこにいる人たちと会話したり、データ交換したり自由奔放な世界が広がるそうです。
今度オナニーしながら、仮想世界に遊びにいくつもり。興奮度合いが違うね。
まあ自慢はこれくらいにして、
そろそろお金を溜めておいたほうがいいと思うぞ。
未来は色々とお金がいるからな。
これから毎日親から借りてでも3000円ずつ貯金しなさい。
貯金した金には絶対手をつけるな。
2千万くらいの貯金にはなるだろう。
楽勝だと思ったら金額を増やせばいい。
プレステ6の値段が120万と少々高目なのだ。
貯金しておけばよかったと思ってな。記事を送った次第だ。
頑張れよ俺。
そういえば先日、友人にブログで電波飛ばしすぎ。と言われた。
電波というのはいわゆる、サイコさんが発信するような、
妖しい発言を指しているのだが。
俺は別に自分がサイコさんだとは思っていない。
そりゃ多少は普通の人とは変わっていることは自覚しているつもりだし、
反社会的な存在であることは疑う余地もない。
それでも俺は大切なことを書いているつもりなのだ。
クソマジメに読まれたって恥ずかしいが、
読んでもらって、考えて欲しいから書いている。
おそらくその友人は、俺のそういう文章を読んでも、
「ああまた電波とばしてる」といった程度でしか捉えてくれないだろう。
それは実は少し、いや、本音をいうと凄く寂しいのだ。
理解しろ、と言っている訳じゃなく、考えて、欲しいのだ。
文字を表面でしか受け止められなくなったらダメだ。
自分が一歩踏み込んで、色んなものを受け止めなくては意味がないということ。
神話を学ぶなら、自分は神と同じ場所に立たなければならない。
英語を学ぶなら、自分が日本人であるということを忘れなければならない。
踏み込む、踏み込んで違う大地に立つ。ということが重要で。
そしてその大地で、その時の自分がどんなことを感じ、
どんな感情を抱くのかが重要なのだ。
自分という物差しを広げるということが重要。
これまであった自分のものさしだけで世界を図ろうとしていたのでは、
もう世界は広がらない。
ものさしを広げる。そこから広い世界を実感して欲しい。
まあ分からない人には永遠に分からない感覚かもしれないけど…
正直浮気とかいう感覚があまりわからない。
まあ今まで人とお付き合いということをしたことがないというのが原因かな…
でも人を好きになったり愛したりすることはある。
そういう意味では俺は超浮気者だろう。
けれど話を聞くとどうもそうではないらしい。
付き合っている女の子のほかに、好きな人ができたり、
その人とセックスしたりするのがいけないそうだ。
でも人は好きじゃなくてもセックスできるし、
違う人を同じくらい好きになることだってあるだろう。
男に限ったことじゃない、女だってそういう動物のはずだ。
男だって裏切られれば辛いし、
好きな女の子に他に同じくらい好きな人がいる。と言われればキツイ。
けど、男が普段から女の人ほどそういうことを叫ばないのは、
人間というものを知っているからなのではないかと思う。
浮気なんて最低!
そんな言葉になんの意味があるのだろう?
もともと彼氏と彼女なんていう関係は、形骸化されたもので、
言うならば他よりも特別に好きだと感じあっている男女である。
そこにはパラメーターなんて存在しないし、
俺の彼女、私の彼氏、なんてものはこの世界にいない。
好きという感情はもともと一人にしか抱いてはいけない感情、だというのなら、
浮気なんて最低、という言葉は重みを増すだろう。
ドラマやマンガのような恋愛の形式に捕らわれすぎていて、
俺にはなんだか気持ち悪いものに映る。
言葉の浅い世界で生きている。
形骸化された関係しか作れないのなら、それはその時点で作り物だ。
借り物の感情で、自分を振り回している。
一度「人間」対「人間」というものに回帰して、関係を見て欲しい。
そうなった時、浮気という言葉の意味を疑うだろう。
誰だって、自分が好きな人に、他に好きな人がいる、と言われれば傷つく。
けれど何故傷つくのだろうか?
そこには自分が一番じゃなきゃ嫌だ、というエゴしか残らない。
そのエゴを正当化する言葉をならべるのは卑怯なのだ。
もし浮気が最低だというのなら、自らのどろどろとしたエゴと向き合って、
その上で真摯な言葉を紡がなければならない。
相手の誰かを好きだ、という感情をエゴで抑えさせるのなら、
誰だって真摯に言葉を紡がなければならないはずだ。
俺は浮気とかいう感覚があまりわからない。
好きという感情は、もうそれだけで特別な感情だと思う。
胸がドキドキしたりキュンキュンしたりモヤモヤするのが
好きという感情なのだとしたら、
そういう感情を抱くのが世の中に一人だけじゃないことくらい、
誰にだってわかるはずだ。
感情は数値化できないんだから、順番なんて決められない。
いよいよ就職というものが目前にまで迫ってきた。
働く。ということは傍楽(はたらく)ということだろう。傍を楽にする為に働く。
国だったり家族だったり、彼女だったり愛人だったり。
結局それが自分の為になったりもするのだろう。
傍を楽にするってのも楽じゃない。
精神状態によって孤独に対する捉え方が違う。
完璧に鬱に入ってしまった時は、自分が孤独だとか、
そんなことを考える余裕すらなく、ただひたすらこの世界から消える瞬間を夢想する。
鬱になりそうだなぁっていう時は、自分の孤独感が凄く怖くなる。
世界に一人だという「事実」が何よりも怖くなって、人が恋しくなったり、
突き放したくなったりと精神が不安定になりはじめる。
そして孤独な上に、孤立していく。
楽しい日に孤独だなぁ、と感じたら、すごく寂しくなる。
なんでもない日に、ふと孤独だなぁと感じた時は少し寂しい。
でも、孤独だと感じれるのは、世界に人がいるという反語なのだ、と考えて、
少し嬉しくなる。繋がれる可能性に満ちあふれている。
自分が一人だという事実は変わらないんだけど。
それでも、ここにある世界がひとつじゃないと思えるから。
感情の数だけ、人間の数だけ、それこそ無限に、
世界の可能性が広がっているんだから。
たとえ人は永遠に孤独だとしても、
世代を重ねる意味というのは、
そういう所にだってあるのかもしれないと思うのだ。
あいもかわらず、新居昭乃を聴きまくっている。
そして何度も心の鐘が鳴らされた。この人、本当に凄い。
数日間で好きな曲が10曲ほどできた。
「星の雨」「凍る砂」「スプートニク」「ガレキの楽園」「きれいな感情」
「さかさまの虹」「New World」「神様の午後」「懐かしい宇宙」「花のかたち」
パっと思い浮かぶだけで、これだけ。
タイトル覚えてない曲も一杯あるけど、本当に良い曲ばっかり。
こりゃ凄い、名作だらけだ。とアルバムを聴いて笑った。
このタイトル群を見てもらえばわかると思うが、
言葉を選ぶセンスがもう凄い。
それが曲と溶け合って、精神を曲の中へと誘うのだ。
彼女関係のホームページなんかを見ていたら、
彼女の音楽のコンセプトは「どこかへ行ける音楽」なのだそうだ。
本当に凄いと思った。
確かに俺の精神は彼女の曲によって、どこかへと誘われたのだから。
全てのアルバムが、クオリティが高いというのには驚いた。
個人的に、今はまっている曲は「星の雨」。
生まれる前の胎動のような、不思議な高揚感。
静かな熱が滾る、曲と鼓動がシンクロしていく。
本当に良い人に出会えたようだ。