考える
うちのバンドでベースを弾いている上谷くん。
彼が自分のブログで「考えない」宣言をした。
それで「考える」ということを考えてみた。
考えるとは何だろう?
俺は色んなことを考えるが、考えようと思って考えているわけではない。
考えようと思って考えることもあるが、
基本的には、出来事に対して自分が感じたことを、
書いたり、話したりするうちに、考えが自然にまとまっていく。
という感じだ。
出来事に対して、何を思うか、何を感じるか、
これが既に考えるということに直結していると思う。
上谷は自分に身近なことしか考えられない、と言っていた。
それは俺に言わせれば、ただ単に想像力が足りないだけだと思うが、
凄く正直な意見だとも思う。
どこかの国の戦争。
どこかの国の貧困。
この国のどこかで起こった殺人。
この国のどこかで起こる事件。
この国の政治。
そんなことを考えたところで、確かに何も変わらない。
誰かがどこかの国の貧困を嘆いたところで、
その国で死ぬ人の数など変わるはずもなく、
おかずを一品減らしても、その国の人が助かるわけでもない。
なら考えたってしょうがない。
正直な意見だ。
けど、俺はそうは思わないというだけのこと。
俺にとっては、その毎日餓死していく人たちを思うと、
そんな不条理にムカムカしてくるだけのこと。
だからといって、自分が食べないでおこうなんて思わないし、
テレビで芸人が食べ物を粗末にしていても、
面白ければOKとも思う。
だって、それは多分、貧困の国の人々だって、満腹だったら、
笑ってくれたろうから。
それを笑わないのは違うと思う。
そして、そんなことを考えていたら、
こんな風に食べ物を粗末にすることで、生まれる笑いを知ることができない世界に、
不条理に死んでいくしかない人たちがいることに腹が立つのだ。
ようはどれだけ、自分と程遠いと思っているものを、
自分という等身大に近づけることができるか、だと思う。
自分という物差しを広げる。ということが重要なんだろう。
こと考える、ということにおいては。
上谷は自分の友人なんかが、自分のことをどう思っているかが気になる。
と書いていたが、俺は、実はそんなことにはほとんど興味はない。
そりゃ多少は気にならないこともない。
できることなら、気にしていてほしいし、好きでいてほしい。
けれどそれよりも重要なのは、俺が、その人たちのことをどう思っているかだと思う。
それ以外は、どれだけ気にしたところで願望にすぎない。
気にする必要がないのじゃない、それは考えるのではなく願望だと思う。
そして、俺が人間に餓死しないで欲しいと思うこともまた、
それとまったく同じラインにある願望だろう。
「考える」とは、考えようと思ってする行為ではなく、
自分という物差しで見た世界そのものの結果だと思う。
「何も感じない」
そんな人間など俺はこの世界にはいないと思いたい。
何も感じないのではなく、「感じたことを表現できない」だけだ。
そして、それは努力することによって簡単に改善できる。
自分が感じたことを、どうすれば他人に上手く伝えられるだろうと、
試行錯誤すること。
それこそが「考える」ということだろう。
「考えない」ということは、
これから先、多くの出来事に対して何も感じません、ということだ。
人間なら、そんなことは絶対にできない。
しかし「感じたことを他人に説明することをしない」ということなら、
それは凄く簡単なことだ。
それをもって「考えない」と宣言することもできるだろう。
しかし他者に対して、何かを言うということは、
案外自分に対して言っているのと同じである。
頭でどれだけ考えていても、意識せず他人に言いもしなければ、
簡単に風化してしまう。
それを書いたり、話たりすることで、
自分自身で、それを意識することができる。
自分で、自分が、「あ、俺ってこんなこと考えてたんや」と思い至ることはよくある。
無意識と意識、というやつは、そんなにはっきり自分の中では分かれていないのだ。
考えない、という結論に達するには、
上谷は幾らなんでも若すぎる。
それで気が楽だ、と言っているということは、
要するに、彼は多分、他人に自分を説明するのが億劫なのだろうと思う。
だから、多分、自分に対して自分を説明することも得意じゃないだろう。
あえて言わせてもらう。
そんなことしてたら、自分が消えるぞ。
自分が自分にとって何よりも意味のない存在になったら、
あとは他人にしか世界の意味を求めることができなくなる。
でも、その他人を見ている自分が、
自分にすら曖昧な存在だったら、その時点で世界に意味がなくなってしまう。
宗教や他人の価値観にすがるしかなくなってしまう。
それじゃ面白くないと思う。
色んな出来事に対して、自分の感想を持ってるか?
持ってるなら誰でもいい。
他人に対して、その感想を告げることが重要やと思う。
時には否定されたり、時には肯定されたり、色々あるやろう。
でも絶対、その方が面白い!
彼が自分のブログで「考えない」宣言をした。
それで「考える」ということを考えてみた。
考えるとは何だろう?
俺は色んなことを考えるが、考えようと思って考えているわけではない。
考えようと思って考えることもあるが、
基本的には、出来事に対して自分が感じたことを、
書いたり、話したりするうちに、考えが自然にまとまっていく。
という感じだ。
出来事に対して、何を思うか、何を感じるか、
これが既に考えるということに直結していると思う。
上谷は自分に身近なことしか考えられない、と言っていた。
それは俺に言わせれば、ただ単に想像力が足りないだけだと思うが、
凄く正直な意見だとも思う。
どこかの国の戦争。
どこかの国の貧困。
この国のどこかで起こった殺人。
この国のどこかで起こる事件。
この国の政治。
そんなことを考えたところで、確かに何も変わらない。
誰かがどこかの国の貧困を嘆いたところで、
その国で死ぬ人の数など変わるはずもなく、
おかずを一品減らしても、その国の人が助かるわけでもない。
なら考えたってしょうがない。
正直な意見だ。
けど、俺はそうは思わないというだけのこと。
俺にとっては、その毎日餓死していく人たちを思うと、
そんな不条理にムカムカしてくるだけのこと。
だからといって、自分が食べないでおこうなんて思わないし、
テレビで芸人が食べ物を粗末にしていても、
面白ければOKとも思う。
だって、それは多分、貧困の国の人々だって、満腹だったら、
笑ってくれたろうから。
それを笑わないのは違うと思う。
そして、そんなことを考えていたら、
こんな風に食べ物を粗末にすることで、生まれる笑いを知ることができない世界に、
不条理に死んでいくしかない人たちがいることに腹が立つのだ。
ようはどれだけ、自分と程遠いと思っているものを、
自分という等身大に近づけることができるか、だと思う。
自分という物差しを広げる。ということが重要なんだろう。
こと考える、ということにおいては。
上谷は自分の友人なんかが、自分のことをどう思っているかが気になる。
と書いていたが、俺は、実はそんなことにはほとんど興味はない。
そりゃ多少は気にならないこともない。
できることなら、気にしていてほしいし、好きでいてほしい。
けれどそれよりも重要なのは、俺が、その人たちのことをどう思っているかだと思う。
それ以外は、どれだけ気にしたところで願望にすぎない。
気にする必要がないのじゃない、それは考えるのではなく願望だと思う。
そして、俺が人間に餓死しないで欲しいと思うこともまた、
それとまったく同じラインにある願望だろう。
「考える」とは、考えようと思ってする行為ではなく、
自分という物差しで見た世界そのものの結果だと思う。
「何も感じない」
そんな人間など俺はこの世界にはいないと思いたい。
何も感じないのではなく、「感じたことを表現できない」だけだ。
そして、それは努力することによって簡単に改善できる。
自分が感じたことを、どうすれば他人に上手く伝えられるだろうと、
試行錯誤すること。
それこそが「考える」ということだろう。
「考えない」ということは、
これから先、多くの出来事に対して何も感じません、ということだ。
人間なら、そんなことは絶対にできない。
しかし「感じたことを他人に説明することをしない」ということなら、
それは凄く簡単なことだ。
それをもって「考えない」と宣言することもできるだろう。
しかし他者に対して、何かを言うということは、
案外自分に対して言っているのと同じである。
頭でどれだけ考えていても、意識せず他人に言いもしなければ、
簡単に風化してしまう。
それを書いたり、話たりすることで、
自分自身で、それを意識することができる。
自分で、自分が、「あ、俺ってこんなこと考えてたんや」と思い至ることはよくある。
無意識と意識、というやつは、そんなにはっきり自分の中では分かれていないのだ。
考えない、という結論に達するには、
上谷は幾らなんでも若すぎる。
それで気が楽だ、と言っているということは、
要するに、彼は多分、他人に自分を説明するのが億劫なのだろうと思う。
だから、多分、自分に対して自分を説明することも得意じゃないだろう。
あえて言わせてもらう。
そんなことしてたら、自分が消えるぞ。
自分が自分にとって何よりも意味のない存在になったら、
あとは他人にしか世界の意味を求めることができなくなる。
でも、その他人を見ている自分が、
自分にすら曖昧な存在だったら、その時点で世界に意味がなくなってしまう。
宗教や他人の価値観にすがるしかなくなってしまう。
それじゃ面白くないと思う。
色んな出来事に対して、自分の感想を持ってるか?
持ってるなら誰でもいい。
他人に対して、その感想を告げることが重要やと思う。
時には否定されたり、時には肯定されたり、色々あるやろう。
でも絶対、その方が面白い!
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