ついに、インターネットというものの力を借りて、
風子のいる店を全て揃えることができました。
この漫画、次が気になって仕方が無いというタイプの本ではないので、
3巻まで揃えた時、4巻が欲しいとは思っても、
どうしても読みたいとは思わなかった。
それどころか、どこか寂しいような気すらしてしまうのだ。
俺は風子のいる店の雰囲気がとても好きで、
その世界のほうから別れを告げられてしまうと、
それは少し寂しいのだ。
どこか名残惜しいのだ。
だから入手した今も、まだ1ページ目をひらけずにいる。
痛感した。
ああ、俺は風子のいる、
あの小さな喫茶店が好きだったんだなぁと。
そういう、世界観を愛せる作品に出会えたのは幸運である。
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もう~~~~!!
ヒストリエおもしろすぎる!!
今回の3巻は特にエウメネスが奴隷として売られていく場面での、
エウメネスの「よくもだました」という、
哀しさと虚しさと怨念と怒りと辛さと無念さ。
そんな押さえ込んでいた感情の爆発の描写はすさまじく、
相変わらず絵はうまくないのに、演出と構成、コマ割りだけで、
よくもここまで凄い表現ができるものだと感服してしまう。
そしてカロンの中にあるエウメネスに対する罪悪感の描写も凄い。
エウメネスの首にナイフを当て、
エウメネスの実母と思われるスキタイの女性の死を決定的にしたのが、
カロン自身であり、彼はそれをずっと心の中に抱えて過ごしていた。
そしてエウメネスは長いときを経て、カロンと同じ奴隷という立場になり、
船に乗り出航していく。
最後までエウメネスに対して、その事実を伝えられず、
カロンは岸から離れていく船を眺めて泣き崩れる。
この場面のすごさは、出航するエウメネスの心情描写をほとんどせずに、
カロンにスポットを当て、旅立たれ取り残される方の心情描写をした。
という事である。それはエウメネスの友人たちの描写にも通じる。
これからカロンはエウメネスと顔を合わせることはなくなるだろう。
しかし彼の中にはエウメネスに対する罪悪感が一生消える事無く残り、
それを打ち明けることができなかったことで新たな罪悪感がカロンには重なる。
その前にエウメネスをカロンが必死に励ます部分があるが、
あの場面はカロンの少しでも罪悪感を少なくしようとする感情と、
単純にエウメネスが好きだという感情の両方が綯交ぜになった良いシーンである。
もうなんにせよヒストリエは面白い!
非常に面白いのだ!
やっぱり岩明均の漫画は面白い!
本日、奥井亜紀のセルフカヴァーアルバム[COCOROTO]を買った。
もちろん新譜のpp(ピアニシモ)も買った。
だが今回はあえてCOCOROTOについて語らせてもらおうではないか。
こういうアルバムを聴くと、音楽は長く続けるほうが絶対いい。と思う。
そしてセルフカヴァーというものは充分意味があると思うのだ。
オリジナルヴァージョンに思い入れがあったり、
アレンジが最低になったりしていると嫌な気分になったりとか、
気持ちがこもっていないセルフカヴァーではそんなことになったりするけど。
このセルフカヴァーアルバムを聴いて、
音楽のもつ説得力の懐の深さを教えてももらった気がする。
音楽でご飯を食べようと思うと尋常じゃなく難しいかもしれない。
でも他のことでご飯を食べながらでも、音楽は続けるべきだ。
過去の曲を、ただ過去の曲にしてしまわず、
昔の自分と向かいあうことは大切だ。
歌い方ひとつで、歌詞の意味をこえて、
見え方が変わる曲。説得力が増す曲。
まさにアルバムだった。
俺はなぜこんなに奥井亜紀が好きなのだろうと考えた。
曲自体が好きだとか、声が好きだとか、もちろんそういうのもある、
俺が人生で最初に感銘を受けた曲
[Wind Climbing?風にあそばれて?]を作った人だからってのもある。
でも多分、そういうのを通り越して、ひっくるめて、
彼女の音楽には、人の心がこもっているからだと思うのだ。
暖かく。トクントクンと。鼓動する心。
時に彼女自身のようであったり、生まれてこようとする胎児のようであったり、
街を歩く人のようであったり、親のようであったり、
少年のようであったり、少女のようであったり
隣人のようであったり、友人のようであったり。
だからこのアルバムのタイトルが、
なによりも当たり前のように聞こえて、スルスルと説得力を持つ。
心音。
なんとも暖かい、良いアルバムだったです。
さて、年末も近づいてまいりまして、
年に一度の大聖戦M-1グランプリが目前となりました。
年末年始は期待できる番組がたくさんあります。
M-1、オールザッツ、すべらない話4、考えるヒト、などなど。
嬉しい限りです。
さて今年のM-1ですが、出場コンビが誰になるのか見当もつきません。
個人的な希望で言えば笑い飯、千鳥は絶対に来て欲しいところ。
それに今年が最後のハリガネロック。
3回戦での敗戦、しかし見事奇跡の復活合格を遂げ、準決勝へと駒を進めた。
人情的には彼らの最後の大勝負を見てみたい。
とろサーモンあたりも面白い所かな。とは思うが、
いやいやまだまだかな。とも思う。
自分たちの今ある武器だけで戦おうとする姿勢は他の若手にはない凄さだし、
実際彼らは漫才も複数のパターンを所持していて、コントもできる。
しかし、まだまだ伸びる可能性がある。
今年ムリでも来年、再来年も充分期待できるだろう。
さて、りあるキッズは来年までである。
再来年以降は、出場条件にひっかかるので出られない。
彼らの漫才を舐めていただけに、3回目のM-1の時のネタには驚かされた。
充分期待できる実力派芸人だ。
おぎやはぎは今年までだったかな?
見たいなぁ…
POISON GIRL BANDなんかは今年も出て欲しいなぁ。
麒麟も期待したい。
チュートリアルやブラックマヨネーズといった13期組にも頑張ってほしいところ。
次長課長も13期だったはずだが、おそらく結成時期の問題で出れない。
シャンプーハットも同上。(くやしいぜ!)
まあ次長課長はもうテレビの方でも大丈夫だろう。
シャンプーは関西でなら充分いけるか…
13期といえば野性爆弾だが、漫才とはまったく関係ないので除外。
M-1で爆弾コントをぶちかましたら、苦情殺到やろな…
ああ!
楽しみ!!!
とけあいたい
あなたと
とけあいたい
ちきゅうと
とけあいたい
じぶんと
とけあいたい
ことばはこうやって
きもちをふちどってしまうから
なるべくはだかのことばで
はい、今回のゴーストノーツブログのテーマはですね、
「更新しない中村」
これに決定でございます。
まあね俺が所属するバンド、ゴーストノーツ。
未だにオフィシャルサイトに自分たちの曲が1曲も無いのですが、
バンドメンバー各位、せめてブログで盛り立てようと頑張っております。
他のメンバーのブログもちょくちょく覗いてあげて下さい。
そして他のメンバーの所だけ見ている人は、俺のところも見てください。
そしてそんな中、
メンバーの一人、中村くんがですね
アンパンマンという記事以来ストライキを行う、
という暴挙に出ていると予測されます。
あんまり更新しないというどころかですね、
まったく更新をしないという出来事が起こっております。
おそらく彼はひとつき更新をせずに、
「おっとぉ!ひとつきも更新を忘れてたぜぇベイベェ!
オイラ、ロケンローラーだから細けぇの苦手なキッドなんだぜ!」
とふざけ半分、本音半分の伝説的返り咲きブログ投稿を狙っていると予測されます。
それを阻止するべく、ネタにしてやろうと思っているのです。
岡本くんにはブログというシステムは非常にマッチしたようで、
怒涛の更新回数を記録され、若手ライトノベル作家並の執筆量で、
俺のブログ更新回数があっというまに抜き去られる事体に陥りました。
上谷くんは、彼独自のゆったりとした2分音符ばりのペースでの更新を続けており、
これなら大丈夫と安心もできるのです。
まあ俺も気まぐれ更新とはいえ、更新回数はそこそこのものだと思っています。
さて…
中村くんですが、
彼は…
4分音符、4分音符、4分音符、4分音符
全休符 全休符 全休符 全休符…
なんという嵐の前の静けさなのでしょう!
前奏曲の出だしはこうでないといけません。
ここから燃え上がるようなオーケストラサウンドが始まるのでしょうか!?
そう思えば、これからも毎日中村くんのブログからは目が離せませんね!
お笑いでは、こういうことを、
ハードルをあげてあげる、と言います。
ひとつ勉強になったね!
中村ブログ
[マルナカ]岡本ブログ
[名脇役の憂鬱]上谷ブログ
[神の谷を降りたに]
ワタクシ、アダルトショップでアルバイト業を営んでおります者ですがね。
あの店は怖い所ですよぉアナタ。
ワタクシがお世話になっているバイト先はですねぇ、
丁度2本の国道が合流する▲の地点にあるわけですよ。
そんな立地条件が関係しているのかどうなのか、僕にはわかりませんがね。
まあ道が集合した場所。ということを頭に入れておいてください。
そんなワタクシのバイト先は、
基本的には深夜1時には終了します。
でもたま?にですが、1時半とか2時前くらいまで、
チンタラと買い物をするお客がいるとですね、
帰るのは2時を回ってしまうことがあります。
身の毛もよだつような話ですがね、
うちの店、2時を回ると
堰を切ったように万引き防止のゲートが鳴り出すんですよ。
もちろん何もないのに…
携帯の電波で鳴ることもあるんですが、
誰かと電話している訳でもない。
外には車は一台も通っていない。
…にも関わらず。
CDも鳴っていない静かで閑散とした誰もいない店内で、
ピーッピーッピーッピーッピーッピー!
あの…
勘弁してください。
この店、車だけじゃなくて、
霊の通り道も入ってるんじゃないっすかねぇ!?
最近ひどくショッキングな事件が起こった。
それは作曲をしている最中のことだった。
時間でいうと午後2時3時ごろである。
作曲があまりはかどらず、息抜きに奥田民生の曲を歌っていた。
すると隣の家の雨戸が
ガラガラガラガラァアア!!
ひ、ひぃいいい!!すいませんすいませんすいません!!
…うん。うるさい俺が悪いんですから、そこは素直に反省。
でもね。
ショックじゃん…
案外1時間ほど引きずるぐらいのショックでしたw
まあこれからは声とギターの音を抑え目で作曲します。
音楽って難しいね!
空も海もどの国でも青いのだ!
世界の見え方は違っても共通認識は世界中共通なのだ!
どうでもいいことだけど。
それだけで何か全員が手をつなげそうな幸せの広がりを感じるぜ!
世界の国々の人を集めて手を繋いだらどうなるだろう。
一回やってみたい。
というかホンマにやったろかな。
それを全世界で毎年やってたら、
100年後には戦争のない世界ができてそうな予感。
みんなで、みんなの国の言葉で、
空は青い。と。
海は青い。と。
ただ大きな声で叫ぶのだ。
言葉がそれ以上の意味を持つ瞬間だ。
第4弾到来!
石塚早織 / 禁断のパンセ
サイレントメビウスの曲。
コンセプトとしてはエヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼとかぶるが、
聖書を題材にした歌詞は面白い。
曲のテンポや迫力もあって、サビは中々印象的な曲である。
「生まれ変わる」や「禁断」やら「甘い毒」や「罪」など、
いろいろ聖書を彷彿とさせる言葉がちりばめられていて、
なおかつ歌詞の解釈をこちらに任せるだけの隙間を作れているのは凄い。
まさにプロの仕事と言える。
有坂美香 / 月迷風影
十二国記のED曲。
有坂美香の歌唱力も聴きどころといばそうだが、
この曲はやはり全体を聴いて欲しい。
歌詞、歌、曲構成、コーラス、音。
全てがひとつになることで、
それぞれ一つ一つ以上の説得力を生んでいる。
歌だけでも、歌詞だけでも、音だけでも、コーラスだけでも、
この曲本来の説得力を生むことはできない。
聴いて目を閉じる。
歌詞から滲み出る世界を思い浮かべて、
曲にひたることで、思いもよらぬ広がりに出会える。
福山芳樹 / キングゲイナーオーバー
OVERMANキングゲイナーのOP曲。
全てが生音演奏で、大迫力。曲構成にしたって、ちょっと常軌を逸している。
ふざけて創れる曲ではない。
英語の歌詞で、洋楽だと言われて聴かされたら、
センスの塊すぎて驚愕してしまうレベルの曲。
その全力疾走の勢いを、アニメの主題歌としての重要性につぎ込んでいる。
だからふざけているようにも見えるが、
全力疾走で真剣にふざけると、それはすでに至高の作品となる訳である。
ビバアニソン!
何度も言っているが、本当に大切なことだと思うので言っておく。
悲惨な事件が報道される度に思う。
誰も彼もが無責任だ。
頭がおかしい奴があらわれて、
誰かを殺しました。
人々は犯人をせめます。
マスコミはそれを食い物にします。
被害者の無念をなげきます。
遺族を悼みます。
人々は犯人の精神構造の異常さを、
自分たち以外の何か。
例えばゲームやインターネットやオカルトや宗教や
およそ自分たちとは程遠い、
責任が自分に及ばない場所に責任を求めます。
誰も自分に責任があるなんて思っていない。
だからゲームを作った人間も。
インターネットを使っている人間も。
オカルトや宗教に依存している人間も。
誰も彼も自分たちに責任があるはずがないと、
また、それ以外の場所に責任を求めます。
なぜ、社会悪の存在を自分の責任だったかもしれないと、
そう思うことができないのでしょう。
誰かが誰かに責任を求める行為は、悪ではないのでしょうか。
正義なのでしょうか。
自分の存在を棚上げして、他人に異常な事体の責任を求め、
求めるだけ。
自分では何もせず、求めるだけ。
ああすればよかったのだ。こうすればよかったのだ。
これから自分たちがこうしていけば、
2度とこんな事件はおこらないかもしれない。
そう思う人間が極端に少ない。
それは罪深いことだと、俺は思う。
俺はもどかしくて、仕方が無い。
書き出すと止まらなくなることが分かっていたから、
あまり書かないようにしていたけど、
やはりそれは責任放棄かもしれないと思ったから、
今このブログを書いている。
こんな小さなブログで、
たった何人かしか読まないブログで、
何を叫んでも何も変わらないかもしれない。
けれど叫ばないよりはいくらかマシだ。
責任なんて言葉は世界で一番キライな言葉だ。
プレッシャーになる、重荷になる。
それを意識したって何の得にもならない。
けれど、俺は多分、そこから無縁でいられるほど、
子供じゃなくなってしまったのかもしれない。
誰かが誰かを怒りに任せて責めるとき、
そこには自分の責任なんて存在しないと思っている。
それでは本当に物事が好転することなんてあり得ないのに。
一人一人が、意識を高めないといけない。
自分が社会と付き合っていこうと思うのなら、
目をそらしてはいけない。
あなたの子供が、あなたの愛する人が、あなたの友人が、
誰かを殺してしまった時、
そのもどかしさは一生拭い去ることが出来ないだろう。
なぜ自分は何もしてやれなかったのだろう。
あのときああしておいてあげていれば。
あのときこうしておいてあげていれば。
何気ない一言に自分が気付いてあげていれば。
もどかしい。
何故こんなにももどかしいのだろう。
そうなることが分かっているのに、
何故誰もそれを気付こうとしないのだろう。
誰かが少しずつ、自分の責任から逃げている。
子供に教えるべきことを教えず、
友人にかけてあげるべき言葉をかけず、
父と母と、話すべきことを話さず、
恋人に言うべきことを言わず、
求めるだけ、求めるだけ。
好きな人がいる。
あいつが好きだ。あの人が好きだ。
あの子が好きだ。あそこにいる人が好きだ。
あんなことをする人が好きだ。
あなたを好きな人が好きだ。
お前が好きだ。
その好きな人々は、間違っても人を殺しませんか?
頭はおかしくありませんか?
あなたの前だけで普通なのではありませんか?
そうならない為に。
自分にできることは何か考えたことはありますか。
信じることと。
その他に何か考えたことがありますか。
あらゆる殺人事件が、
「いつかそうなると思っていた」
そんな背景で起こっていると思っていますか。
「そんな人には見えなかった。」
「そんなことをする人じゃなかった」
「何か事情があったに違いない」
そうなった時、
あなたは這い上がるもどかしさに耐えることができますか。
きっと誰もできない。
だから、少しでも自分の責任から逃げないで欲しい。
すこし考えるだけでもいい。
人は一人では生きられない。
それはあなただけに適応する言葉じゃなく、
僕も、あの人も、あの子も、あいつだって同じこと。
あなたがいることで、誰かが助かっていることだってある。
あるはずだ。
だから、あなたにも責任があるんだろう。
政治が悪い。
世間が悪い。
親が悪い。
学校が悪い。
マスコミが悪い。
友達が悪い。
テレビが悪い。
ゲームが悪い。
インターネットが悪い。
宗教が悪い。
なら、多分。
あなたも僕も悪い。
人類の系譜。
大きく分けて人類には二つの系譜があると思うのだ。
神話、というか聖書などに例を借りて話すと、
アダムとイブの二人から生まれた人類。
リリスとルシファーから生まれた神に悪魔と呼ばれた存在。
これもまた人間なのではないだろうか。
だって世の中には明らかに自分と決定的に違うと分かる、
水と油のような、そんな人物が存在している。
俺自身、友人なんかと話していても、
まったく溶け込めない感覚に陥ることがある。
どちらが悪魔だとか、そういうことを言うつもりはないが、
人類の始祖は決してアダムとイブだけではないような気がする。
リリスとルシファーの話は聖書のもとになった
ユダヤ教の聖典に書かれていることのようだが、
非常に分かる気がするのだ。
どうしても相容れない存在がいる。
それは拭いきれない事実なのかもしれないと思う。
そして、その感覚は絶対に宗教によりすぎてはいけない。
世界が縁取られてしまうからだ。
どこかに存在していた価値観に自分のいる世界を合わせてしまうと、
その時点で世界は本当の姿を失う。
僕らが見る世界は、
僕らそのものだから、僕は僕の目で、裸の世界を見ていたい。
もしかすると、服を着てしまったアダムとイブは、
裸の世界を失ってしまった人類の象徴であり、
それこそが宗教に依存する人々のことを端的に表しているのかもしれない。

しばらくぶりに日記を書いている。
私が漂流してから既に16年の月日が経った。
いくらなんでも異常だ。
海流にまかせていれば絶対にどこかの島に漂着できるはずだと信じ
数少ない食糧を食いつぶしながら漂っていた頃が懐かしい。
多くの島を目前にしながら何度も違う海流にさらわれ、
結局島には辿りつけず笑う日々。
すれちがう漂流者からも侮蔑の眼差しで見送られる。
これと同じ内容の日記を何度も書いている。
見るたびに思う。
幸せだったと。
今ではイルカから居るか?と聞かれるうみんちゅぶりだ。
北極グマが何度も私のイカダを見て苦笑したのを見た。
最近では目線すらよこさない。
なるほど冷たい奴らだ。
昨日はお茶摘みをした。
着信ありません。
明日はさらわれた姫さまとしたことが…
応援ありがとう。
ちくわ部。

やはりミノはタウロスのものに限るな。
そういうと戦士はタウロスのミノをむさぼり、空腹を満たした。
あのタウロスは無惨にもその姿を横たえ、うらめしそうにそれを見ている。
裏庭では僧侶が次々とタウロスのミノを回復呪文で治していく。
あのタウロスがたまりかねて言った。
「そのミノ…
ミーのもんだ!」
もんたよしのりの語源とされている。

平城宮跡です。
天気の良い日にここに来ると落ち着きます。
今度ギターを持っていって作曲したいです。
この時期あんまり人がいないので案外良いスポットなのです。
第3弾と相成りまして候。
boa / Duvet
超カルトアニメ、serial experiments lainのOP曲。
この曲は尋常じゃないくらい良い。
耳がとろけそうになるほど滑らかな曲。
艶かしい。声だけじゃなく、
楽器それぞれが非常にしっとりしているのだ。
boaの楽曲の中でも突出した傑作である。
真行寺恵里 / IN MY DREAM
ブレンパワードのOPを飾るこの曲。
超ハイトーンボイスのジャパニーズハードロック。
これだけでこの曲の全てを伝えれてる気がする。
曲としてのクオリティーも高い。本当に高い。
というかアレンジが凄い。
ギターソロ後のドラムがかっこいいのです。
子門真人 / 勝利のマシンロボ
マシンロボ クロノスの大逆襲の後期OP曲。
無茶苦茶な曲だが、なんか良い曲なのだ。
カッコイイのか切ないのか分からない微妙なラインだ。
『負けて逃げ去る背中に向かって、落ちる夕日を投げてやれ』
そんなのヒーローのやることじゃないっすよ…
追い討ち追い討ち!
『我等最強、我等最強 最強マシーーン ロボォオオ!』
そら負けて逃げる奴の背中に向かって追い討ちかますような奴、
最強ですよ…
アニソンは幅広くていいやね。
boaの新譜Get Thereを聴き込んだので感想をば。
前作よりは充分良い出来のアルバムだと思う。
boa自体の音楽性の一端を見せることが成功しているといえる。
ブリティッシュサウンドの透明感と、
エスニック的な要素が非常に素晴らしく溶けている。
決して聞きやすいアルバムではないが、
個人的には充分堪能させて頂いた。
前作より、アルバムとしての完成度も高くなっている。
エスニックな曲だけでなく、
比較的スタンダードなナンバーも収録されている。
M8のAmericaなどは大地と空のスケールを感じる音作りである。
それに続くM9のOlderのしっとりとしたサウンドは堪らない。
俺はM2のGet There、M7のDaylight、M9のOlderあたりが好きかな。
それでもDuvetタイプの曲を望んでしまうのは…
本日、
「劇場版Zガンダム 第2部 恋人たち」
を見に行ってまいります。
富野作品の中でも最も混沌とした作品であるZガンダム。
主人公の所属勢力、敵勢力、新敵勢力、個人の思惑。
さまざまなものが錯綜し、希にみる劇作の混沌化。
最後には主人公がキレて精神破綻。
個人的にはテレビ版も嫌いではないが、
やはり辛いものであるのは間違いない。
映画では新解釈を入れ、スッキリと見せてくれるであろう。
今回のタイトルは恋人たち。
おそらく複数の男女の関係を描いた作品になっていることだろう。
カミーユとフォウは言うまでも無く。
サラとカツ、レコアとクワトロ、ヘンケンとエマ、
アムロとベルトーチカなどなど。
ハマーンとシャアっていうのまであるといいんだが…
なんにせよヒロインのファがないがしろにされること請け合いだ。
ラストの第3部は一体どうするつもりなのか気になる所だ。
ネオジオンは登場させない訳にはいかないのだから、
結局戦争としての混沌は描かないといけない。
うーん、カミーユの精神は崩壊しないのだろうか…
非常に気になる。
そうなるとZZではジュドーたちと一緒にカミーユも戦うことになって、
ルーの乗る機体がショボクなっちゃうね。
大学とか、バイト先とか、歩いてるときとか、
電車の待合室とか、ファミレスとか、ラーメン屋とか、
中途半端な知り合いと話すときとか。
たのむから、そんな低レベルな視点で、
笑いをバカにするのだけはやめてくれ。
あとはお前が何を言うてもええ。
アフリカ難民ってキショクネ?やら、
デブヲタって死んだほうがマシジャネ?やら
昨日6面ポケットの筆箱かってん?。まで
なにを喋ってもええから。
その低俗な口から笑いをバカにしたような発言だけは飛び出させないでくれ。
「おい昨日○○見た?」
「おお見た見た、俺あいつ嫌いやねん!全然おもんないわ!」
「俺もあいつ嫌いやわぁ!」
「ぜんっぜんおもんないやろ!?」
はいストーーーーーーーーップ!!!
まず死のう。こっから五軒ほど先にいった所に焼き場あるから。
そっから考えよう。
まず。
その会話をしているお前等が一番おもしろくないから、
俺はまずお前等のことが大嫌いだな。
次に、
おもしろくないから嫌いなのか。
嫌いだからおもしろくないのか。
さぁどっち?
好き嫌いと、面白いか面白くないかは全く違う要素です。
嫌いでも面白いものは面白い。
好きでも面白くないものは面白くない。
明確に自分の中にその理由があればOK。
なければまず、なぜ面白くなかったのか、
なぜ自分はその角度の笑いを楽しめないのかを考えなければならない。
自分以外の人間が楽しめて、自分が楽しめない。
そこには見落としている要素があるはずなのである。
というか…
俺の言いたいことはただひとーーーーっつ!
面白いものを面白いというだけでええやないか!
なんでおもしろくない、ってお前等が言う必要があんねん!
気分わるいわ!
エロスとタナトス。
リビドーとデストルド。
どちらも同じ意味であるが、
生への本能がエロス・リビドーであり、
死への本能がタナトス・デストルドらしい。
フロイトの分類である。
どうやら俺という人間を考察する意味で、
このエロスとタナトスというものは非常に重要な所ではないかと思う。
エロスは一般的な意味でのエロスだけでなく、
食欲であったり睡眠欲であったり、
そういったものもエロスと呼ぶことができる。
俺は満載です。
現在の俺の比重を考えると、
エロスとタナトスは、
今のところ五分五分といった所である。
死への本能。
コンプレックスとも密接な関係があるが、
俺は自分自身のコンプレックスを自覚できない。
例えば、太っていることであろうか。
それは外的コンプレックスになりこそすれ、
本質的なコンプレックスにはなりえない。
俺自身、死への本能を冷静に見つめたことはなかったように思う。
ここでひとつやってみよう。
俺は以前にも書いたように、
自分の死を望む理由として、存在の証明を挙げた。
死が何故、自らの存在の証明となりえるのか。
それはこの世界に生まれてきたモノが、
自分自身であったかどうかを、
自分自身が確めることができる最終手段だからである。
母と父という存在から生まれた俺は、
気が付いた時には、もうすでにこの世界に存在していた。
自らの意思とは関係なく、世界には俺というモノがあった。
多くの出来事が俺を成長させた。
生きていくことが人間の存在の証明だと言う考え方も聞いた。
しかし、それは俺にとってあまり実感が湧く答えではなかった。
いつの頃からか、死が頭の中を支配しはじめる。
人間には自ら死を選ぶ権利がある。絶対権。
自分という存在を、自分自身の絶対のものとする権利。
自らの意思で死ぬことで、
それまで自分が生きてきた全てを、自分で認めて、
誰に咎められることなく、自分で死ねる。
この自らへの破壊衝動は、世界を破滅させていいと願うことと同義である。
ゆえに、俺の死は、俺にとって世界滅亡と同じであり、
俺の破壊衝動は自分だけなく他者へも向かっていることがわかる。
このことから察するに、
俺は自分という存在を絶対のものとするために、
死を望み無になることを望んでいる。と考えられる。
これをコンプレックス的観点から、逆解釈で見てみると、
俺は自分という存在が、自分自身にとって絶対的でないことに、
コンプレックスを感じているのではないかと推測される。
他人との摩擦で生きる世界において、
自分自身が絶対となりえないことは分かっているのにも関わらず、
俺は世界と自分の関係を絶対のものとして繋いでおきたいと望んでいる。
そして、世界に対して自分の存在が希薄になることを
恐れていると考えることができる。
うーむ…
あんまりしっくり来ない答だなぁ。
自分自身を知るというのは難しいこってす…
定期的に自らのタナトスを考察してみようと思う。
鬱から来る死への衝動考察ではなく、
厳然たる死への本能の考察。
それは非常に難しいことですな…
白銀の夕焼け。
群青の大地を叩く肌色の雨。
真っ白な血反吐を吐く真紅の人の群れ。
漆黒の木々が揺れ、貼り付けにされた真緑の御使い。
空を舞う金色の一羽の鳥。
今日も一日分の呼吸。
一瞬一瞬一日分の呼吸。
呼吸一回が貴方の一日。
大きく息を吸い込んで。
吐き出して。
それが貴方に与えられた。
虚無が支配する宇宙の奇跡。
何度も繰り返して。
生きるほど、奇跡は無限大に広がって。
大きく息を吸って。
吐いて。
一日分の奇跡が起こる。
脳を洗う。
じゃぶじゃぶと洗う。
灰汁が出ていく。
あんな汚れたものも僕の一部だったのだ。
ああおぞましい。ああおぞましい。
頭は妙にすっきりしたけど。
あれ、何か足りない。
虚無の中にぽつりと
宇宙の孤独を一身に背負った
小さな蒼い
無限の惑星の中にいる
僕のからだの重さは地球の重さ
そう思うだけで僕は地球になる
音楽と空気感って、すごい重要な関係。
隙間を埋める音はあまりにも安っぽく聞こえてくる。
そしてその空気感ってのは、
もしかしたら日本人こそが最も上手く使いこなせるかもしれないのだ。
日本には落語や漫才や日本画や和室やししおどしや庭園といった文化がある。
これからはそう言ったもの中にある、
空気感の演出を意識してみることにしよう。
もちろんそれだけではダメだ。
そういった空気感や空間を大切にしただけで中身のない、
クズのような派生作品が増えたから、
岡本太郎のような天才が生まれたとも言える。
空間を埋め尽くす色の爆発、才能の爆発。
パンクと言ってもいいほどの全てが埋め尽くされた勢い。
だが決して隙間を埋めているだけではない。
その隙間から溢れんばかりに本物がこぼれてくる。
埋め尽くすことで生まれる、さらなる泉。
だが、日本本来の空気感というのは、
間を、空間を、白紙を、空気を演出することで、
さらに湧き出るものを作ることであった。
落語では間を持たせることによって、
場面が変わったことや、話の展開の説得力を生む。
和室は空間を残すことで、優雅さを演出し、
かつ多目的に利用できる限定性のない作りを可能にした。
日本画は白紙を残すことで、見る人間の想像力を刺激し、
作品にさらなる深みを与える。
日本庭園などに見られる枯山水は、空気の流れが、
水の流れと同化していく日本最大の文化だと言える。
そしてこれを見て分かるように日本の間の文化とは、
それ単体では決して意味をなさない、ということである。
受けて側の解釈に委ねる文化。
決して放り投げなどではない。
枯山水は砂利が並べられただけのものではない。
その前に座り、その中にいるように自らの意識を枯山水の中に投げ込む。
そうすることで、空気の流れはあっという間に水へと変わる。
自らに触れる風が、世界を押し流す水になり。
体はその奔流に呑まれ、時に激しく、時に緩やかに、
そうして自然と溶ける。
ゆっくりと目をあけ、立ち上がる。
そこは紛れも無く大地であり、人の営みの極みである。
と、このように、枯山水ひとつとっても解釈が重要になってくる。
もともとどういう為に作られたかどうかなどは些末な問題である。
日本の文化というのは、相手の意思を汲み取る文化であり、
さらにはその相手の解釈を信じて、余白を残すことができる文化である。
これは信頼関係がないとできないことであるが、
閉鎖的になりかねない危険性を孕んでいることも事実である。
なぜなら空間を読み取ろうとしないものにとっては、
中身のないものも、あるものも同じにしか見えないからだ。
そうして中身のないものが台頭していくことになるわけだ。
だから作る人間は綱渡りになる。
けれど、そうした生まれた文化は俺にとって、やはり究極だ。
日本人でよかったと思えるのだ。
他の国の人間に理解なんかできなくていい。
日本人だからこそ理解できるものだってある。
それは相手の意思を汲み取るという国民性から生まれた信頼に他ならない。
そんな信頼関係の上になりたつ音楽を、
いつか俺もやってみたいと思うわけだ。
今月のヤングアニマルのグラビアはエロス…
今日本屋で何気なくヤングアニマルを手にとると、
グラビア。中川翔子。
おいおい、おいらこんなおぼこちゃんじゃ勃起しねっすよ…
と、速攻でベルセルクを読もうと思っていたのだが…
エロス!エロス!!ギザエロス!!ギザ!!
ふとももエロス!!
コスプレエロス!!
ボッキュス!!しょこたん、おいらボッキュス!!
正直買おうかどうしようか迷うレベルですた。
普段は立ち読みしかしないヤングアニマルをです…
そのくらい魅力的なエロスですた。
それはもうネ申の領域ですた。
スマタキボンヌ!
オナニーなんてしたこともない僕がこんなになるほどの魅力。
そ れ は そ れ は ネ申 々 し い 女 イ本。
ヨンゴーヨンゴー!!
[GhostNotes OfficialSite]バンドのホームページを更新。
ギャラリーなんてのを作っちゃってホームページらしくなっちゃいました。
メンバーに不評だった場合は即削除ですけどねw
お暇だったら覗いてみてね♪
軽く鬱です。
なんともあきまへん。
多分これから数日は自律神経がやられる予感まるだしです。
それを考えるとさらに鬱です。
頭がボーっとして、思考がまとまりません。
こういう時は山ちゃん(山崎邦正)を見て息を吹き返すに限ります。
彼こそ俺にとっての神です。