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そういえば最近、虹を見ていない。
俺は多分一生で両手で数えれるほどしか虹を見ていない。
少なくとも覚えているのはそれだけだ。
でも何故か虹は好きだ。
なぜ虫に工なのかは分からないが、
そんなことは関係なく好きだ。
なんというか虹という奴は、ズルいのだ。
あんなに美しい姿を見せておいて絶対に触れない。
ズルイやつめ!コンチクショウめが!憎みきれないろくでなしだぜ!
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何が違うって、キが違う。

オイラ人呼んで
マスターベーションマスター。
またの名を、
マスターベー師匠。
マスターマスカキング。
ますますマスカキマスター。
昨日マスカキマスタ。
さっきマスカキマスタ。
コカンカラシロイエキタイトビダシー。
シルビタシー。
シルビタシスタローン。
オナニズム宣言。
女にオナニズム宣言したってんマン。
オナゴニズム宣言。
じいっ、自慰の用意だ!
じい「Gショック!」

なんとなくユニコーン。

最近聞き始めたユニコーンにどっぷりの日々。
聞きやすいのでベスト盤をメインで聞いてますが、
オリジナルアルバムの方もちゃんと聞ける時間が欲しい…
いや別に忙しいって訳じゃないんだが、
他にも聴きたい音楽が山ほどある。

それにしてもユニコーンって一番好きな曲決めづらいアーティストだな。
書き始めたとき一番好きな曲の感想を書こうと思ってたけど、
全部好きなんだよなぁ…
まあ言い方をかえると、まだ特別に好きな曲を見つけられてないからかな。

「MaybeBlue」「ペケペケ」「おかしな二人」「大迷惑」「SugarBoy」
「自転車泥棒」「人生は上々だ」「働く男」「スターな男」「与える男」
「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」「Im A Loser」「服部」

が好き。
って俺の持ってるベストに入ってるほとんどの曲だった訳だが…
この中から特別に好きな曲を選べって言われるとムズカシス。
奥田民生なら
「陽」「トロフィー」「ドースル?」「青春」「スタウダマイヤー」と、
特別に好きな曲をあげることができるけど。

まだまだユニコーンを極める道までは遠い。
『地図上は今は北が上だけど 僕には西も東も全部前』(スタウダマイヤー)

本当の歯車

ありふれて、平凡な毎日ほど続いて欲しいと思うものはない。
その祈りは誰もが持っている大切な世界の原動力だ。
世界を廻す力だ。
この平凡な世界を継続させるためには、あなたがいる。
あなたの平凡な世界を望む命がいる。
俺はすごく弱くて、自分の命の終わりをよく考える。
それでもこの平凡な世界が続いてくれる限り、
なるべくなら生きていたい。
この世界が廻っているのは、
小さな祈りがこの世界に満ちているからだ。
あなたが大切な人と一緒にいたいと望む気持ちが、
あなたが暖かい部屋を望む気持ちが、
あなたがカーテンの向こうに雨雲のない世界を望む気持ちが、
あなたが明日を信じる気持ちが、
俺が、そんな世界が続いて欲しいと願う気持ちが、
きっと世界を廻している。
俺はきっと小さな歯車だ。
平凡な毎日を望む。
大切な人たちが、なるべく傷つかないですむような毎日。
大切な人たちが、悲しみを乗り越えて笑える毎日。
大切な人たちが、いつか手を取り合える毎日。
大切な人たちが、許しあえる毎日。
大切な人たちが、少し俺のことを大切だと想ってくれる毎日。
その平凡な祈りが積み重なって、
俺は途方もない祈りを世界に充たした。
それはどの神様にもかなえることのできない祈りだけど、
その祈りこそが世界を廻している。
俺という小さな歯車でも世界は
廻せる。
だってその祈りに応えて今日も世界は
廻っている。

歯車

俺は社会を回す歯車にはなれない。
そう思っている。
それは間違っていない。

俺は世界を廻す歯車のひとつではあるけど、
社会の歯車ではない。
そしていつのまにか世界の多くは社会になっていた。
俺は、死んでも代わりがいるなんてもんじゃない。
俺は、歯車にすらなれない。
社会は無慈悲だ。
社会は俺という歯車を失わない。
俺という歯車など最初から存在しない。

それは少し寂しい。

第2日本テレビ

早速ですが昨日開局したばかりの第2日本テレビの会員になりました。
目的は勿論、松本人志のコント!
お金を払って松本人志のコントを見れる。
これは非常にすばらしいことであります。
まだ松本人志のコントがアップされるであろう、
「松本商店(仮)」はオープンしていませんが、
いずれオープンすることは間違いないようです。
新しいテレビの形。
期待したい。土屋さんが必死になっている。
松本人志を動かすということは本気だ。
コンテンツ料金はものによってマチマチで、
大体9ポイント?99ポイントまで。
レートはわかりやすく1ポイント=1円である。
恐らく松本人志のコントは99ポイント、
もしくはもう少し高くなると予想される。
現在のコンテンツはショートフィルムが見れたり。
過去の電波少年やら雷波少年やらのアーカイブが見れたり。
スタジオジブリセレクションの短編アニメが見れたり。
まあそれくらいしかできないけど、
これからに期待できるサービスだと思う。
個人的に決め手は勿論、松本人志なわけですが、
それ以外にも楽しめるコンテンツが一杯になるとうれしいなぁ。
会員になるだけで1000ポイントくれるってのもいいね。
最初はその1000ポイントで遊んで、
そこにお金でポイントを足していく。
松本人志のコントが定期的に発表されていくんなら、
俺は惜しまずにお金を落とすつもりである。
もっとも良い形ではないだろうか。
スポンサー規制も少なく。
自分の払うお金が自分の好きな作品に対する直接的評価になる。
インターネットというのは良い使い方をすれば、
本当に良い形になっていくんではないだろうか。
非常に楽しみである♪

頭痛

頭上から数センチ。
頭痛のもとはそこにある。
俺の体内じゃない。
痛みとはきっとそういうものだ。

風邪ひくわ。くじ引きか!

もう夜は寒くて、日中は暑いっていうこのパターンには飽きたぜ。
奈良は盆地やからかどうなのか知らんけども、
寒暖の差が激しすぎんねん。
夜は寒いから電気毛布にくるまってヌクヌクで寝てたらオマエ、
昼には暑さでキレ気味に起きたがな!

自分でスイッチを入れた電気毛布にキレるという、
まさに恩を仇で返す俺は間違っているのか?
いや違う!!
本当に間違っているのは世界のほうだ!!

昨日だけで風邪を12回引きました。

マグマ

俺は再誕する。
熱く胎動する根源的なマグマが俺の中にある。
分かる。
今。
確かにある。
心臓よりも真ん中に。
俺の芯が燃える。
ただ燃え滾り暴れ俺を溶かせ。
内側から溶かせ。
俺は再誕する。
ぐつぐつと今。
俺を綯交ぜにしろ。
全てを溶かせ混ぜろ。
胎動するマグマは俺の中心。
芯のない中心が俺の真ん中。
どろどろと今。
俺のすべてを溶かせ。
本当の俺をなくせ。
俺は再誕する。

死と死。

※本心を吐露しすぎており非常に見苦しいです。
※これを読んで気分が悪くなられても俺は一切責任を負えません。

俺は死ぬときは絶対に自殺です。
他の死に方は嫌です。理不尽です。
俺の命は俺の意志で終わらせていいはずだ。
生まれてくることは自分の意志では無理だったんだ。
死ぐらい自分の意志で決めたっていいだろう。
じゃないと俺ってなんだったんだ?ってことになる。

よく人は人間は死んだらそこまでだ。というが、それは本当か?
毎日を生きることが自分の意志ならば、
その命を閉ざすのもまた自分の意志であっていいはずだ。
それは俺にとって紛れもなく、最後の存在の証明手段だ。
とやかく言われる筋合いはない。
だからこそ毎日を真剣に生きている。
部屋でゴロゴロしていたって、
それが俺にとって必要じゃない一日だと誰に言えるんだ。
死と向かい合うんだ。一秒一秒が大切だ。

俺が死んで悲しむ人が身近にいる限りは、
俺が自ら命を閉ざすことはないだろうけど、
宣言する、俺は自殺で死ぬ。
病気も事故も寿命も焼死も戦死も刺殺も出血多量も全部嫌だ。
薬局に売ってる薬だけでも人は簡単に死ねる。

どうでもよくなることがある。
光を浴びて彩りをもった世界。
俺の目が見る光そのものの世界が全部リアルじゃなくなる。
おかしいのがどちらかわからなくなる。
リアルな世界とはなんだった?
皮膚でも切り刻んで確かめてやりたくなることだってある。
痛みはじわじわと湧き上がってくるだろう。
血がこぼれ、光の中では真紅に染まるだろう。
でもそれはリアルじゃない。
その色は光を閉ざせば途端に本当じゃなくなる。
その血は流し尽くせば本当じゃなくなる。
すべてがリアルじゃないのは俺が既に消えているからじゃないかと思う。
だからどうでもよくなることがある。
何かを愛していないと、俺の呼吸は貴くなくなる。

暗い。夜は本当に暗いから。
明かりを灯すけど、それでも夜の暗さは消えてくれない。
本当に暗いのは夜に潜む闇だ。
どれだけ煌々と照らしても世界はリアルじゃない。
心のどこかに夜がいる。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
自分じゃない自分がいる。
侵食される。
どうでもよくなって死ぬことは、
俺にとって存在の証明になりはしない。
自らの意志で自らを絶つことが俺の証明であって、
闇に飲まれて死ぬのは事故や病気で死ぬのと変わらない。

こんな暗い夜に、正気を保っていられる自信がない。
思考を放棄し、生命を放棄し、世界を放棄し、
どうでもよくなってしまったら、
俺は俺でないものに食われて死んでしまう。

そうならない為に、言葉を使う。
そうならない為に、音楽を使う。
そうならない為に、死を使う。
俺に残された最後の存在の証明手段。
俺に子供ができない限り、それを無責任だとは思わない。
遺伝子以外にも俺にはこの世に残せるものがある。
死とは、そういったものの究極だと言える。
怖いものに立ち向かう力。
死に立ち向かう力は生だけではない。
死ですら死に立ち向かうことができるのだ。
俺は俺の死を、俺でない俺の死にぶつける。
いつでも死は俺の側にいる。
だからこそ、その闇に耐えて、生きて、
自分の意志で死んでやるのだ。

洋楽ザ・ロック。

大学の友人が最近音楽に目覚めて貪欲に色々聞こうと思っているらしい。
最近ではDEEP PURPLEのベストを買ったのや、と息巻いておったわ。
そんな彼におすすめの洋楽のアーティストを紹介してから、
俺はバイトに赴くことにしよう。

LED ZEPPELIN
Rock,HRが好きならツェッペリンは聞いておこう。
暗くてヘヴィなサウンドに、
ロバートプラントの突き抜けるようなボーカルは絶妙なバランスだ。
最初に聴くアルバムとしては[IV]をおすすめする。
おっさんが樹の束を背負ってるジャケットの奴だ。
代表曲のStairway to Heavenもあるし、
他にも佳作、名作ぞろいの名盤なので、
ヘタにどこのレコード会社が作ったのかわからんような、
海賊版のベスト掴むよりかは遥かに楽しめる。
それに個人的にはツェッペリンはベストよりも、
アルバム一枚を丸ごと楽しんで欲しい。

AEROSMITH 初期?中期
エアロの醍醐味といえば初期から中期までの、
ドラックと酒と憎悪の渦巻くアメリカンロックな泥臭さだろう。
おすすめのアルバムは1stアルバム[AEROSMITH]。
一曲目のMakeItから度肝を抜かれる曲ばかりだ。
今のスティーブンタイラーの声のイメージとは程遠いが、
味のある声にあることには変わりはない。
ジョーペリーのヘタウマギターは本当にイカしている。

はい、とりあえず今日はここまで。
バイトにいかなくてはならない時間になってしまった。

ムゲン

3年か4年ぶりくらいにMUGENやってます。
キャラ集めやステージ集めは、やっぱちょっとおもしろいなぁ。
画像はギルティギアの闇慈と、ジョジョの影ディオです。
ステージはメルティブラッドのシュライン屋上らしい。
当時ほしかったようなキャラの姿は、影も形もないけど、
それでも新しくキャラが造られつづけているというのはいいことだ。

12月くらいまでの暇つぶしには十分なるんではなかろうか。
ローグギャラクシーまでは大丈夫か♪

夜のせつない話。

2日ほど前、乃亜という女優のAVでオナニーしてたんですが、
射精寸前に何故か

(乃亜…ノア…NOAH…三沢光晴…)

という連想をしてしまい、
半笑いで射精して、その後気が狂うほど落ち込みました。
僕はもう乃亞でイケないかもしれない。
三沢の顔がダブって見えるんだ…
乃亞vs男優の絡みが
三沢vs天龍への期待を滲ませるんだ。

シックスナインがフォールにしか見えないんだ。
「おい!もうゴングだろテメー!コノヤロー!」
とカメラマンにキレてしまいそうな勢いなんだ。

足コキにいたっては、
「つぶしちまえ!」と叫びそうになるんだ…

ああ、汗が美しい。

他人よりも賢くあるべきか?

最近すごくよく思うことは、
他人よりも自分が賢くあるべきかどうかである。
というよりも意識の問題といえる、
本当に賢い者とは自らの無知を知ることから始まると思うのだ。
無知の知という奴だ。
この言葉が実感を持って自分の中に湧き上がってきたとき、
人生の階段を一歩上ったような気がした。

自らを賢者たらしめるには、
世の多くの人々を師と仰ぎ、良いものを得ることが重要になる。
自らの考えにそぐわなくとも、他者の考えを知り、
その上で自らの考えと照らし合わせ、
良いと感じた部分を自らの中に残していく。
そうして自らを高めていくことが、大切なのである。

自らを愚かで馬鹿であると思えねば、
他者を愚かだということはできない。
自らの愚を知らず、他者の愚を嗤うのは愚の骨頂という。

他者よりも馬鹿であれ。
他者よりも愚かであれ。
さすれば賢者への径は開かれん。
といった所だろう。

締め付けることで露呈される大人の無知蒙昧さ。

最近ゲームやら、テレビやら、映画やら、漫画やら、アニメやら、
多くのものが規制される対象となっている。
さて、例えば子供が人を殺しまくるゲームを幼少期にプレイしたとして、
いつかそれが原因で人を殺す、
なんてことを大人は本当にありえると思っているのだろうか?
俺にはまるで責任転嫁にしか思えない。
子供をまともに育てることができなかったのは、
ゲームやテレビや、漫画やアニメを子供に与えたからではない。
最後のところで踏みとどまる為のストッパー、
この世の最低限の摂理、倫理観というものを植え付けなかったからである。

その責任を、まるでエンターテイメントに問題があると、
なんでもかんでも規制を行って世直しをしたつもりになっているのは、
責任転嫁以外の何者でもないのではないだろうか。
もちろん世の中には過激な内容の製品が溢れているかもしれない。
しかし子供はその中から取捨選択していくのだ。

例えば人を殺しまくるゲームを子供がやっていなくても、
親として、いや人として、

「世の中にはそういう過激な内容のものがある。
 やるかやらないかはお前の自由だ。
 けれど俺は親としてお前にはやって欲しくない。
 それでもやりたいのなら、
 人としてやってはいけないことがあることを学んでからやれ。」

とはっきり言ってやらなければならないのである。
子供もバカではない。
こう言われれば、自分が手を出すものの危険性について多少なりとも理解する。
それを知らないまま、抜き身でそれに触れるから危険なのだ。

世の中には良い物も悪い物もある。
例えゲームやテレビや漫画やアニメや、そういったものを全て規制したとしても、
生まれるべくして生まれた歪みはどこからでも噴出する。
そうして噴出した歪みに当てられた子供がいたとして、
その時に本当に力を発揮するのが規制ではないことは、
少し考えればわかるはずである。

子供に対する責任を、造られたものに転嫁するのは最も愚かしい行為である。
自らの責任を知らず、自らの無知を知らず、
他者に転嫁し、他者の無知を嗤う。
そういった者たちこそ、この世界の醜悪の権化である。

リンカーン

ダウンタウンの新番組リンカーンが、
思ってた以上におもしろくて少し嬉しくなる。
別に大して期待もしていなかったが、
なるほどなぁと言った感じだった。

平成ベタベタ教育委員会。
クイック笑点。

この二つは非常に良いコーナー。
ベタベタという、笑いの鉄則を学ぶというのは素晴らしいことである。
ベタを知らずして笑いはない。
スタンダードなことほど、応用の利くものはないからだ。

そしてクイック笑点。
10秒で大喜利のお題に対して、面白い答えを出す。
これは非常に高い能力を要求されるコーナー。
視聴者も同時に10秒で答えを考える。
その予想を裏切り、かつ良い所をつかなければならない。
瞬発力と意外性がものを言うコーナーだ。

この二つのコーナーは、毎週やるとは限らないだろうが、
頻繁に見ていれば確実にお笑い筋肉がつくコーナーである。
ベタを学び、意外性に至る。それに加えて瞬発力までつく。
これ見ている側だけでなく、やっている側の芸人も実力がつく。
しかもダウンタウンがあれだけ多くの若手と絡む番組は以外と少なかったので、
これからどう転ぶかはわからないが、楽しませてもらおうと思います。

でもこの番組、ケンドーコバヤシとバッファロー吾郎の竹若、
プラン9のお?い!久馬、の3名は非常に向いていると思われる。
ベタを知り、意外性に至り、瞬発力を持った芸人は?
と聴かれて思い浮かぶ3人は彼らである。
ぜひ参加させて欲しい3人だ。

千原のjrとかも得意やのになぁ。
ただ、あんまり松本ファミリーばっかりになるのも、違う気がするので、
ローテーションを組んで、他の若手たちにもぜひ陽の目を!

肩こり

首から肩にかけてチャックがついていれば、
あけて火照った部分を冷やせるのに。

肩部とりはずし式になってたら、
取り外して内側から抉るようにマッサージするのに。

ああ、肩こりの精よ、
みつけたら絶対ぶっころしてやる…

やっておくべきこと。

俺たちが人間として生まれてきたからには、
いくつかやっておくべきこと、というのがあると思う。

○次世代のためにできること。

子供達に。
1、考える力を養わせる。
自ら考える力を持たせなければ、
マニュアルを与えられないと何もできない人間になってしまう。
ものごとについて考え、間違っていてもいいから、
答えを出し、そうやって行動することの大切さを学ばせる。

2、道徳を学ばせる。
社会という場所で人間として生きるにあたって、
もっとも大切なことは道徳心である。
「どうして人を殺してはいけないの?」
この問いに1も2もなく「ダメなものはダメだから」
と答えられる世界でなくてはならない。
人として、ダメなものはダメである。

3、当たり前ということが存在することを教える。
物事を学び、知識がつき考える力が養われてくると、
最初に出会う疑問「当たり前ってなに?」
これに対しても、「当たり前とは当たり前以外の何者でもない」
という答えが成立することを教えなければならない。
「普通って何?」「普通であること」これ以外の答えは必要ない。
共通理念というものを学ぶことも、また重要である。

これらを知り、自らで考える力が養われて、
社会に適応できないと自らを知る子供が出てきたとしても、
それは仕方のないことだと思う。
何も知らず、考えもせず、歪みの中で暮らすことよりは絶対にいい。
今の社会のままで良いと思える子供たちばかりであることが、
いったいどれだけ不自然な世界か考えてみたことがあるだろうか。

我々が。
1、少しでもまともな世界を渡す。
子供達にばかり要求するだけでは、最低の大人である。
我々が子供達に少しでもマシな、少しでもまともな世界を渡してあげる。
それが大人になった我々の役目である。
方法は人それぞれだろう。
けれど信じたことを、各々が成していけば世界は良い方向に傾く。
種を蒔く者は、草木だけでなく土壌も育てなければならないはずだ。

2、次世代のための世界を残す者であるという責任を持つ。
我々は残すものとして、残すべき世界に責任を持たなければならない。
のらりくらりと暮らすだけでも構わない。
だけど、そうやってのらりくらりと暮らしてきた世界が、
粗悪でひどいものになっていたとき、
次の世代に対して謝罪するべき立場であるということは忘れてはならない。
必死にやって何も変わらなかったとしても、同じことである。
だから、我々は何を成すべきかを考えることから始めなければならない。

3、前世代への感謝と憎しみを忘れずに。
我々という世代が味わったこの世界。
どうだったであろうか?
良い部分と悪い部分、もちろん両方あったと思う。
良い部分に対しては素直に感謝して、受け止めよう。
悪い部分に対しては憎しみを込めて、これから変えていこう。
「俺たちが何かしたところで何も変わらない。」
そのとおりかもしれない。
でも「何もしなくたって何も変わらない」
100人が何もしなくたって、何も変わらない。
けど100人が何かしたら、何か変わるかもしれないのだ。
数が増えれば、その可能性は無限に膨らむ。
できることは人それぞれだ。
歌を歌うのもいい。
本を書くのもいい。
教壇に立つのもいい。
政治家になるのもいい。
ネジをつくるのもいい。
国を作るのもいい。
宇宙に行くのもいい。
野球選手になるのもいい。
すべて心構え次第だということである。
自分のしたいことがある。
それこそが次世代のためにできることだと信じることができるのなら、
全力でそれに望んで欲しい。
その心構えこそが世界をいい方向に変えていく原動力に違いない。

アニメと俺。

さてさて、今回アニメと俺の関係について、
少々書いてみたいと思う。
俺は非常にアニメが好きである。
好きなジャンルは、
ロボットアニメ、
カルトアニメ
(一般的ではない、製作者が趣味に走ってエンターテイメント性を度外視したアニメ)
くらいが好きなのかなぁと思う。

特にロボットアニメに関しては根が深く、
富野由悠季(機動戦士ガンダムの監督)に出会ってからは、
非常に有意義なロボットアニメライフを満喫している。

ロボットアニメの醍醐味はどこにあるか?
出てくるロボットの造形や能力など、はっきり言って問題ではない。
もちろんそれも作品を楽しむ上での要素にはなるが、
ロボットアニメの醍醐味とは、SFという題材を使って、
いかにして作品を表現するか、という一点に尽きる。
人それぞれ楽しみ方はあれど、
俺にとっては、それこそがロボットアニメを見るにあたっての、
非常に重要な要素であることは間違いない。

そして富野作品はSFという題材の新しい部分を切り裂きながら、
エンターテイメント性を高めて、作品をみせてくれる。

イデオンやダンバインといった作品の凄さは、
見ていただく以外に伝えようがないものである。
テレビアニメ、映画といった映像媒体のなかに、
富野という男が詰め込みたかった、子供に見せたかったもの。

アニメはあくまでも、子供が見るものである。
だが、彼の作品の作品性というものをアニメから読み解こうとすれば、
その深さが、自己満足の私小説や映画などとは隔絶された場所にあると知るだろう。

まずエンターテイメントとして楽しめる作品を作り、
その中に複雑なテーマなりメッセージなりを盛り込んでおく、
そうすれば最初に見たときに分からなくても、
真剣にそのアニメを見た子供の中に種は植えられる。
そしていつか、ひょんなことから芽を出すのだ。
そんな作品を作ることができる。

アニメという媒体の懐の深さは、そういうところにある。
日本の映画は、時に非常にすばらしいものを排出する。
しかし多くの人には理解されにくいのが現状である。
ボーっと見ていたのではまったく理解できない。
エンターテイメントとしての表現が確立されていないからだ。

黒澤明が世界で評価された大きな理由に、
エンターテイメントとしてのレベルが非常に高かったことがあげられる。
そしてその中にテーマやメッセージを盛り込むことによって、
一度だけでなく、何度見返しても楽しめる、
懐の深い作品群が出来上がったわけである。

しかしその黒澤映画ですら、今の日本人にとっては
エンターテイメント性にかけるように見られてしまうだろう。
ハリウッド映画などのエンターテイメント性は凄いものがある。
それと比べて日本の映画はあまりにも、エンターテイメント性に欠ける。
個人的にはハリウッドと同じ方向性にはなって欲しくはないが…

しかしアニメなら違う。
映画では表現できない、新たな表現を数多く確立してきた。
これは日本アニメの本当に素晴らしいところである。
最初からアニメが映画に勝っていた訳ではないのだ。

新たなエンターテイメントを、新たな表現を、
クリエイターが求めつづけて進化してきた。
そしてその中の一つにロボットアニメというものがあったのだ。
鉄人28号やマジンガーZ、コンバトラーV。
リモコン、ロボットプロレス、合体
新たな表現が模索され、その新しさは各々の時代で評価される。

富野がザンボット3を作ったとき、
そのアニメとしての表現枠を越えたリアルな描写は、
あまりにも凄惨過ぎてまっとうな評価を受けることはなかった。

機動戦士ガンダムもしかり。
人気がなさすぎて打ち切りになるほど視聴率は低く、
そのままなら富野は消えていく運命にあったであろう。
それが深夜の再放送で火がつき空前のブームとなる。
これが示唆するのは、
富野アニメは子供に見せるために作られたにもかかわらず、
その本質ゆえに、富野がターゲットにしている子供よりも上の年代、
高校生以上の人間にしか理解と評価を受けることができなかったといえる。

俺自身、富野アニメにどっぷりになったのは、
高校生以降であった。
それ以前にも、富野アニメに触れる機会はあったが、
何が面白いのかさっぱりわからない。
エンターテイメントとして、
モビルスーツがカッコイイなんてのは多少はわかったが、
それなら富野が監督をしていない、
GガンダムやWガンダムの方が遥かにカッコよかった。

作品の作品性を理解できるようになるには、
最低限の知識、それに理解しようとする努力が必要不可欠である。
ということだ。
与えてもらうエンターテイメントばかりに気をとられていては、
絶対に作品の本質など見えてくるはずがない。

富野作品に限らず、アニメだけに限らず、
文学、音楽、漫画、絵画、などなど
すべてのものに通じる理念であろう。

信念

信念、決して折れないもの。
それを俺は持っているのだろうか。

いや、もっていない!!
なぜなら信念とは、折れないもの。

そう
俺ないもの。

今日はスタジオ♪

今書いとかないと、今日は更新できないかもしれないので、
ザ・執筆!もとい、ザ・タイピング!

これからバンドの練習でスタジオに入りまする。
ってか、まあ今日はホームページの画像素材集めのために
バンドメンバーの写真を撮るってのが目的だったりもしますが。

あんまり寝てないので車の運転が心配されます。
車さえ運転しなくてよければ、酒をがぶ飲みしたいはずです。

明け方まで中村とMSNメッセで喋ってたのが敗因でした。
結局その後も色々とゴソゴソしてまして、
布団に入って目を閉じたのが朝の10時くらい。
しかも自然に12時に目が覚めるという、
意味の分からないうつ病患者ばりの早朝覚醒ぶり。
カフェインに蝕まれた僕の体。

はっ、
そういえば夢でオタクっぽい女の子と付き合う夢を見ました。
今日は運命の出会いが待っていそうな予感です。
恋愛運 ★★★★★★★★☆☆(8)
あながち冗談じゃねーーーーー!!!(オタク系ヨロコビツッコミ)

・・・きもいっすね。

祝!

祝第130回でございます。

ここまで続けてこれたのも、
ひとえに



ひとえのおかげです。

・・・
・・・・・・

パーマンパーマン パーマン♪
パーマンパーマン パーマン♪

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

130回って別に祝うようなことじゃないよね。
ひとえのおかげがスベったみたいにされてるのは非常に癪です。

ローグギャラクシー発売までもうすぐ。

いよいよ12月8日に発売されることになった、ローグギャラクシー。
けっこう楽しみですなぁ。

声優はもう仕方がないので我慢しましょう。
久しぶりに良いRPGに出会えるといいなぁ。
まあローグギャラクシーが失敗だったら、
テイルズ オブ ジ・アビスもあるしね。

悪魔

夜の闇に落とすなら
光のしずくがいい
ほんとうの絶望をあたえてやれるから

光が永遠でないと教えるのだ

精キ神チ異ガ常イ者

餃子作りまくって食べまくった。
にんにく男爵と呼ぶことを許されてるよ、君。

それにしまんこても、最近はダルちんぽイ日々が続きますねぇ。
あぁ足コキ、なんか楽しパいイこズとリないかなぁ。
あ、そ自う慰だ、オナニーでもしフェチよう。
ドMな俺は精アナル神的に虐げられるようクリなトリのスが興奮します。

俺ってば、ザ・精キ神チ異ガ常イ者。

テラキモス

明日は一時間だけバンドでスタジオだ?
やっとメンバーの写真なんかも更新できそうですな♪
俺の腹部に宿るもう一つの命も見てもらえそうです。

え?
俺?男ですよ。
ええ。
俺のお腹には一生うまれることを許されない呪いをかけられた
ひとつの命が宿っているのです。
名前は丸ちゃんといいます。

ネットに顔写真公開するようになるなんて…
こりゃ2chでデブヲタテラキモス祭り開催か。

mixi について。

最近俺の周囲でミクシィというものが流行りだしている。
だが俺にはどうもあのシステムが怖い。

ミクシィとは、友人関係のネットワークで広がるサービスである。
別にできることは、それほど多くない。
ブログと大した違いもないのだ。

にも関わらず、最近のミクシィの猛威は恐ろしいものがある。
その原因は口コミと、友人の紹介からしか会員になれない、
という限定的な入会システムにある。

誰もがいつでも簡単に入会できる訳ではない。
というこのシステムが、ミクシィへの興味をひき、
自分が友人に誘われて始めると、他の友人も誘ってみたくなる。
というこのシステム、何かに似ていないだろうか?

そう。
マルチ商法や宗教である。
※ミクシィは無料でできるサービスなので誤解のないように。
しかし、システムは確実にマルチのシステムなのだ。
友人関係から広がっていくネットーク。

マルチのように友人関係を破綻させる訳ではないので、
そのネットワークの広がりには際限がない。
宗教のように、一つの思想に群がるわけでもない。
システムの中に入り込む、という構造があるだけだ。

ただ、俺が怖いのは、
こういうシステムに参加している人間というのは、
実際にマルチ商法などに出会った際、
案外簡単に引っかかってしまうのではないか、ということだ。

例えばミクシィに参加している人の個人情報が、
マルチ商法の会社に流出してしまったとする。
「ミクシィと同じような感じで、友人からの紹介でしか入会できない
登録するだけで小遣い稼ぎになるサイトがあんねんけど、やってみーひん?」
友人、と思っている人間からこれを言われたら、
フラフラと考えなしに登録してしまう人が大勢いるのではなかろうか…

ミクシィをやっている方々。
自分は大丈夫、なんていう考え方はこの時代に非常にナンセンスです。
是非、お気をつけ下さい。

卒業論文!

卒業論文、書いてます。
雨月物語の中の「夢応の鯉魚」っていう短編小説について書いてるんすけど、
やっぱ勉強や研究って面白いわ。
この感情、子供の頃から知ってたかったなぁ…

小学校や中学校じゃ、この感情を伸ばしてあげたほうがいいと思う。
今の教育のやりかたって、
受験っていうシステムに強い人間が圧倒的に有利すぎる。
もともと勉強に有利も不利もあっちゃいけない。

学びたいという心が国を支えてきたのに、
歪んだ資本主義が生んだ現代は、その心をどこかに忘れている。
いや、まだ人々の心の中には残っていたはずなのだ。
けれどその心は誰からも評価を受けることはない。
いい高校や大学に入るための知識や能力の方が評価されるのだ。
学問をバカにしすぎている。

これだけ学力低下が進んでしまったのは、
大人に責任があるに決まっているのに、
まるで子供に責任があるような報道が平気で行われる。
時には大人が悪い、という切り口で報道されることもあるが、
そこには自分が悪い、という責任感はない。
結局、社会を堕落させた責任が自分にあるはずがない、
と思っているのである。
どうしようもないじゃないか。
この社会のシステムが悪いのだ。
と、言ってしまうことは簡単だ。

しかし、我々は新しい世代に対して、
この国に胸を張って担わせることができるだろうか。

社会に不適合なこの俺が、
これからの社会のことを考えなければならないとは…
まったく不幸な時代である。
みんな目先のことで精一杯だ。
目先のことも見えていないくせに。

あれ…?
なんで卒業論文の話題から、こんな話になったんだ?
この調子だと、卒業論文の論旨もズレてしまいかねんぞ…

怖い話と落語の共通点 終章

演出・脚本・構成。
怖い話にせよ落語にせよ、
大前提にフリとオチ、というものがあります。
このフリとオチの関係を、話の中でどれだけ巧く引き出せるか、
ということが落語にせよ怖い話にせよ重用になるわけである。

まず話の骨格として起承転結があり、
その中にいくつかのフリ(いわゆる伏線です)とオチを盛り込む。
怖い話ならフリごとに怖いオチを作っていてはダメなので、
大概怖い話のフリというのは、予測をズラす為に用います。
怖いことを言われるという前提が存在する、
怖い話では大抵こういうところで怖いことが起こる。
という予測を外すことでフリとします。
そして油断したところに思わぬ角度の怖さを見せつける。
そこでゾクッとさせるわけである。
有名な怖い話で一つ良い例がある。(2chから転載)

『トンネル』
その晩は雨が強く降っていた。
現場に着き、トンネルの手前で車を脇に寄せ、一時停車。
その手の感覚は鈍いほうだが、不気味な雰囲気は感じた。
「恐い場所だ」という先行イメージのせいもあるだろうが。

しばらく休憩の後、ゆっくりと車を進めトンネルに進入開始。
こういう体験は 始めてなので、
ワクワクするような妙な高揚感を感じる。
友人達も いい年して遊園地の乗り物を前にした
子供のような表情で目を輝かせていた。

それほど寂れた場所ではないとは思うのだが、後続の車は来なかった。
なので、スピードをかなり落として進んだ。
何かが起こる事を期待しながら。

しかし、特に何もおこらずトンネルの終端まで着いてしまった。
トンネルの壁などを観察していた友人たちも、
別に妙なモノを見たわけではなさそうだ。
もう1度いってみよう、と提案が出て、みんな賛成した。
車をトンネルの端でUターンさせた。

今度も、何も起こらなかった。
不満なので(と言うか、暇なので)
何度が往復してみよう、という事になった。
雨が強くなってきたのか、雨粒が車を叩く音がうるさくなってきた。
3,4往復ほどしただろうか、
友人の1人が、「おい、もう帰ろう」と言い出した。

何も変わった事も起こらず、飽きてきたのだろう、と思った。
だが、何か声の調子がおかしかった。
トンネルの出口が見えるあたりで 一旦車を止め、後ろを振り向いた。
帰ろう、と言い出した友人は肩を縮め、
寒さに震えるような格好をしている。
もう1人は、その様子を見てキョトンとしている。
「え、どうした?何か見えたのか?」と聞いたが、
「いいから、とにかくここを出よう」と言う。
”何か”を見たのか?期待と不安で
動悸が激しくなってきた。
雨は一層酷くなり、ボンネットを叩く音が耳ざわりに感じる。

とにかく、一旦ここを出て、どこか落ち着ける場所を探す事にした。

国道沿いのファミレスに寄り、ようやく一息ついた。
夏も近い季節だというのに凍えるように震えていた友人も、
ようやく 落ち着いてきたようだ。
「なぁ、もう大丈夫だろ?何を見たんだよ」
「聞こえなかったのか?あれが」
友人は怪訝そうな顔で僕達を見た。

妙な怪音の類か?それとも声?しかし、僕には心当たりはなかった。
もう1人の友人も、何が何やら、といった表情をしている。
「別になにも・・・まぁ、運転してたし、雨もうるさかったしなぁ。」

「聞こえてたじゃんか!」
いきなり声を張り上げられて、驚いた。
深夜なのでファミレスにはほとんど人はいなかったが、
バイトの店員が、目を丸くしてこちらを振り向いた。
しかし、彼がなにを言っているのか理解できない。
「何が聞こえてたって?はっきり言ってよ」
気恥ずかしさと苛立ちもあって、少し強い口調で言ってしまった。

しばらく重い沈黙が続いたあと、彼が口を開いた。

「雨だよ、雨の音。俺達はずっとトンネルの中に居ただろ!
なんで雨が車に当たるんだよ!」


というお話である。
この話の肝は、トンネルと雨の関係にある。
最初の「その晩は雨が強く降っていた。」
という部分が大オチの為の第1のフリである。
そしてトンネルという場所。
普通の人ならトンネルの中で想像する怖い出来事は、
・途中に人が立っている。
・変な声が聞こえる。
・何かが追いかけてくる。
・車に乗っている人が増える。
くらいであろうか。
怖いことを期待して訪れる若者たち、がフリで
それを受けるオチは、
単純な予測のどれでもないどころか、
期待にはんしてまったく何も起こらなくて、つまらない。

何か起こるかもしれない、という緊張感から
何も起こらなくてつまらない、という事が開放感を生む。
しかし本当はこれ自体が大オチの第2のフリな訳である。

なにもおこらなくて、つまらなかった。
という緩和を作り出し、油断させる。
そこに再び一人だけ脅えるという登場人物を使い、緊張を作り出す。
そして、
「雨だよ、雨の音。俺達はずっとトンネルの中に居ただろ!
なんで雨が車に当たるんだよ!」
という大オチへと至る。というわけである。
緊張と緩和の使い分けが重要な要素になるのだ。
そしてそれを最も良く見せるためには、
しっかりとしたフリとオチの構成が必要不可欠ということだ。
トンネルと雨という脚本も非常に重要。
文字の上では演出というのは難しいが、つけたすとするのなら、
俺なら雨の音を擬音で表現して強調する。という演出を足す。
これは実際に相手に話して聞かせるときに最適な演出だ。
稲川順二氏がよくやる演出技法ですね。

はい、ここで落語の話にうつる。
落語も言うまでもなく緊張と緩和をつかう。
本当なら例をあげて解説したいところだが、
やたらと長くなりそうなのでやめておく。

ただ怖い話と唯一違うところは、
最後に笑えるか、怖がるか、という一点のみだ。
それ以外は全く同じである。

落語ならば予測をハズすことで笑いを生むが、
怖い話ならば、油断を生む。

落語の場合は緊張の場面としてよく使われるのが、
寺や学校、厳格な父、それに肝試し。といったところだ。
寺の住職というお堅い人の緊張と、
アホなおっさんという緩和。
これが場面設定、いわゆる脚本というやつである。
肝試し、なんていう場面設定は、
もうあからさまに怪談と落語の共通性を利用した手法である。
この世に未練を持った幽霊、という緊張に
図太くてアホなおっさん、という緩和を入れる。
するとまあ、どんどんどんどん面白くなる。

この類似性を利用してコントを量産したのが、
松本人志、その人である。

ごっつええ感じの『しょうた。』
なんかはその代表的なものと言えるだろう。
葬式や墓参りといった厳粛な緊張の場をつくり、
しょうたの幽霊が、板尾に無茶な要求をして、
緩和を生み出す。という構造。
これ、少し演出を弄ってやるだけで完璧なオカルトになる。

いつも板尾がしょうたに無理な要求をされて、
結局どうしようもなくなって、それをやるのだが。
オカルト目線から見るなら、
この板尾、明らかにしょうたにとりつかれているのだ。

怖くしようと思えば、いくらでも怖くできる素材である。

つまり、演出・脚本・構成の違いだけで、
同じ素材を全く違う料理に作り変えることができることの端的な証明だろう。

落語も怖い話も、フリとオチ(脚本・構成)があり、
それを表現すること(演出)によって成り立っているのだ。
そしてそれらを全て巧くできる人間のことを、話術がある。
という訳だ。

すべては話術というものに集約される。

怖い話と落語の共通点 序章

ドラムの岡本っちゃんが、怖い話をブログでしていたので、
この機会に怖い話と落語の共通点を言及してみよう。

頭の良い人は、もう分かっていると思うので、
ここから先は読む必要なし。
怖い話と落語の違いが分からない、という人だけ読んでくださいね?

はい、いらっしゃいませ。
怖い話と落語(落語に限らず、おもしろい話)の
根の深い関係性についてお話いたしましょう。

一見まったく異なる性質のもののようですが、その根底はまったく同じ。
根幹に流れるシステムが同じなのであります

まず最初にどちらも話術、というものに大きく左右されます。
というか、これこそが根幹です。
よく言われる表現で言えば、
どれだけ素材が良くても料理する人が違えば結果は様々。
ということに尽きる。
まったく同じ怖い話でも、話す人が違うだけで、
その怖さのレベルというのは、かなり変わってくる。
もし暇があるなら友人同士で集まった時に、
まったく同じ怖い話を誰が一番怖く話せるか、
やってみると面白いかもしれません。
それをやれば、これを読まなくても一発で関係性が理解できるはず。
つまりこれから挙げる多くの要素は、
すべてこの話術というものに集約されるということです。
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