fc2ブログ

言霊と真理。

言霊とはどういったものなのだろうか。

神話を原典とする例をとれば、
神が知恵の実を禁断の果実としたのは、
人が言葉から世界の真理を見てしまう可能性があったからかもしれない。
なぜなら真理とは真の理(ことわり)なのだから。
そして真理とは、まさしく神へと至る道「神理」であろう。

理とは「ことわり」。
すなわち「言割」である。
言を割ることで、真理の一端が見えるということを、
すでに言葉の方から教えているのである。
それは日本語だけに限ったことではないだろう。

世界中の言葉は、
共通の源泉から言葉というものを汲み上げている。
それをこの大地からだという人もいるだろう。
海からだという人もいるだろう。
宇宙からだと、銀河からだと、遺伝子からだと言う人もいるだろう。
それらはすべて、その混沌とでも呼ぶべき源のことである。

そして考えつづけることができる。
永遠の欲求の対象がそこに存在している。
言葉と共に生きる我々が、言を割り続ければ、
いつか真理という存在、混沌のような、神のような、
そういった存在の理解への糸口になるかもしれないのだ。

科学ではたどり着くことが出来ないかもしれない。
少なくとも科学という見解から、
言霊を解明できるようになるにはあと数千年、
ヘタをすると数億年規模で時間が足りない。
しかし言葉なら、真理の一端にたどり着ける可能性があるということ。

トンボはお盆になると、
人の魂を乗せて帰ってくるという考え方が日本にはある。
そして「とんぼ」は漢字で「蜻蛉」と書く。
虫に?(青の旧字)と、虫に令と書く。
?と令、音読みをすればセイとレイ。
「セイレイ」つまり「精霊」。

俺はこの漢字が、いつごろトンボに当てられたのかは知らない。
けれど言葉にはそういう不思議な偶然というものが存在する。

それは言葉というものが、目には見えない源泉から
掬い上げられるからこそ、生まれる偶然なのではないだろうか。

名前、というものは往々にして、
何らかの真理を内包しているものなのだ。
決して自分でつけたわけでもない、
自分の名字や名前にも、
自分自身を表すような心理が隠れているのだ。
それは間違いなく。
単純に性格をあらわしているだけかもしれない、
その人が辿る未来を挿しているかもしれない、
他人に与える影響を表しているかもしれない、
なにかはわからないが、名前というものが、
この世界に具象してしまった時点で、
それにはもう命とでも言うべき魂が乗っている。

人間とはどういった存在なのだろうか。
最初に浮んだ疑問である。

それらを言葉で考え、言葉を忘れ、
言葉を割って、
言葉の中から、言葉の外から、
理解に至る糸を手繰り寄せれば。

人間とは決して言葉を使役しているのではなく、
言葉と共に、生きることを選んだ存在なのだということ。
それをまず理解しなければならないんだと気付いた。
自己紹介
  • 世界の住人である証として


  • プロフィール
  • 円山寛貴
    Maruyama Kanki
  • コミュアプリ
  • YOSHIOO

  • コンタクト
  • mixi
    gooホーム
    Twitter

  • メッセ系
  • skype名:円山寛貴
    MSNメッセンジャー
    mpe_code@hotmail.com

  • 紹介

  • HI-KING / Rhyme Viking

    ちぐはぐ
    Cheekbone / ちぐはぐ

    boost
    DJ KAZUNARI / Boost

  • Amazonショップ
  • Circle Mountain Cycle

    受けた恩は忘れたくない人たちの為に。
  • タイ洪水への寄付(paypal)

  • タイ旅行交流会

  • トルコ地震の義捐金受付先

  • ぼやきくっくり さん

  • ひとこと
  • YOSHIOOをよろしくお願いします。

Amazonアソシエイト
最近の記事
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
ブロとも一覧
深いふかい森の中
過去ログ倉庫:黄金の金玉を知らないか?
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

つぶやき
写真
カレンダー
Google AdSense
リンク
カテゴリー
月別アーカイブ
RSSフィード
QRコード
QR