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ロリン・マゼール(ウィーン・フィル名演集)を聴く。

Amazonのマーケットプレイスで注文していた
ロリン・マゼール(ウィーン・フィル名演集)が届いていたので、
現在それを聴きながら書いてます。

いやぁ良いですなぁ。
いきなりラヴェルのボレロから始まりますが、
マゼール氏が指揮しているオーケストラは、
曲の流れ、いわゆる緩急や、音のあわいが普通じゃない。
ウィーン・フィル管弦楽団の素晴らしさもあるのでしょうが、
知っているボレロとは違う。

そこからスペイン狂詩曲を経てラ・ヴァルスへ。
ラヴェルはたぶんボレロくらいしか知らなかったけど、
この流れはとっても面白い。
そのままストラヴィンスキー、ドビュッシーへと続く。
Disc1があっという間に終わってしまうよ~。

オーケストラ全体がひとつの生き物のように細やかに動いて、
時に激しく、ときに柔らかな熱を孕み、
研ぎ澄まされた広がりによって心が掌握される。

まるで日本舞踊さながらの優雅さと温度を感じます。
人だけでなく、楽器だけでなく。
その場にある空気。
それ自体がすでに音楽になっている感じ。

クラシックの事は詳しくないのであまりわかりませんが、
俺がこれまでに聴いてきたクラシックとは違うことだけはわかる。
大晦日に「ベートーヴェンは凄い」のUstream生中継を見ていなかったら、
ここまでハマるのにはもう少し時間が必要だったろうと思う。
巡りあわせに感謝します。

あ、もしこのブログをご覧の方でクラシック好きの方がおられましたら、
コメントもしくは、拍手コメント(こちらは非公開になります)の方に、
おすすめの作品や指揮者の方など教えて頂けると嬉しいです♪

※ちなみに初めてマーケットプレイスを自分でも使ってみようと思い、
今回買ったこのCDをマーケットプレイスで出品してみました。
Circle Mountain Cycleという名前で出品しています。

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最近は人間椅子ばっか聴いてます。

更新があまり途切れないように。
最近よく聴いてる人間椅子を軽く紹介しておきたいと思います。
かっこいいよー、たまらんよー。



アルバム無限の住人より「無限の住人」
マンガ無限の住人のコンセプトアルバムということだが、
アルバム自体もそうだがこの曲も無限の住人を知らなくてもまったく問題ない。
ギターの和嶋氏がボーカルをとる前半、
そしてベースの鈴木氏がボーカルをとる後半で曲構成が別れており、
展開の壮絶さには俺が女でなくとも濡れてしまうほどにシビれる。
とくに後半の鈴木氏の浪曲のような歌いあげとロックサウンドの融合は新世界。



アルバム黄金の夜明けより「幸福のねじ」
もう見て聴いていただくより他にない。
スリーピースってこんなにすごいことできんのかと。
歌詞にも演奏にも歌にもバンドにもただただ脱帽です。



天才バカボンのカバー!
3人全員がボーカルとしてマイクをとり天才一家に。
なんか全員が機能してる感じがしてすごい好き。

俺の理想のバンドってやっぱり複数ボーカルなんだろうなぁ。
しかも人間椅子はそれぞれが作曲もするし。
そういうのってバンドの世界に深みが出るからいい。
リスナーとしてはそういう所に楽しみを見出すしね。

蔦からまるQの惑星 レビュー #03 ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)

三. ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)

GURUと同じく大槻ソロプロジェクト、
アンダーグラウンドサーチライの楽曲を筋少verで。
アルバムのテーマにとって筋少にとって必要不可欠の一曲。
過去の曲を今の筋肉少女帯が未来に向けて作ることで道は開ける。
痛みをこえて仲直りした筋少にしか出せない天を貫くようなパワー。
ウッ!ハァーッ!

シザーハンズの頃のウィノナ・ライダーとジョニー・デップのエピソードを元に
歌詞が描かれていることからタイトルはワインライダー・フォーエバー。

名前をそのまま使用することはできないので、
ティム・バートンはティーバートンになっているし、
ウィノナライダーはワインライダーになっている。
つまり名前がティーとワインという飲み物になっているのだね。
実はこんな所にも歌詞のテーマと密接な関係があったりする。
詳しくは後述。

地獄につっこまれても ドロリと心が溶けても
結構なんとかなるから 意外にやりなおせるから
あんたは歩きだすがよい 不思議とトコトコ歩けるさ
たった一つの輝きを あんたがなくしたとしよう でもね
ワインライダー・フォーエバー(よくあることだよね)
ワインライダー・フォーエバー(だからさあんたもね)


まだこの時点ではウィノナとデップの話には触れず、
重要なテーマを先出しにしている。
どんなことになったとしても。
もし。
たった一つの輝きを なくしたとしても、
人って結構やっていける。
だってやっていくしかないから。

やるっきゃないっしょ、どこでも(アウェーインザライフ)

あれから時が過ぎて 二人はどうなったって
結構うまくやってるよ 憎み合ってはいないってよ
会ったら挨拶ぐらいする 不思議とさっぱりしたものさ


ここで歌われているのは一瞬の永遠をともに過ごしたものたちのその後だ。
あるいは筋少のその後のようでもあるかもしれない。

そしてこの曲を筋少でやることで見えた新たな筋少の未来図。
主要メンバー全員がマイクをとり言葉の掛け合いをやる。
エディのピアノもからみつく。
これこそが今の筋少だという宣言のように。
未来へと続く布石だというように。

歌詞の構造的にも、掛け合い部分でようやくこの曲が
ウィノナとデップのエピソードを歌っているのだと分かる構造になっている。
もちろん予備知識がなくても、
永遠を誓いあった二人の映画俳優の男女の恋愛の終わり、
その象徴のような腕のワインフォーエバーのタトゥーのことは分かるので、
テーマを見落とすことはない。

クランクアップ!
その直後 二人はさ 二人はさ 別れちまいやんの結局
あっはっはっは よくある よくある
レーザーメスが消していくタトゥーのように


掘るときも消すときも同じように。
けれど永遠はそんな所にはない。

そして、彼らの恋が終わったその上でなお。
歌いあげるのだ。
ワインライダー・フォーエバーと。

だからこそこの曲は凄まじい。

最後の大槻ケンヂの絶叫の語り。
たった一つの輝きをあんたがなくしたとしよう でもね!
コトコト歩き出すがよい コトコトコトコト良い音だな
なにもなくなりゃしないのさ 形が変わってゆくだけさ!
ワインライダー・フォーエバー


人物の名前が飲み物になっているのは
人の本質が水であるということもあるだろう
ドロリと心がとけても形が変わっても
本質を見失わなければコトコトとスープのように
融け合う永遠を信じられる
蒸発し目に見えなくなってからが勝負。

そう。
なにもなくなりゃしないのさ 形が変わってゆくだけさ

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蔦からまるQの惑星 レビュー #2 レセプター(受容体)

ニ. レセプター(受容体)

アウェーインザライフで愛への準備を済ませたところで、
レセプター(受容体)は愛と罪と罰のはじまりだ。
すべては、すべてを受け入れることでしかはじまらない。

受け入れることでしかすべてがはじまらないのか、
すべてがはじまったから受け入れるしかなかったのか。
それとも受け入れたいからすべてをはじめたのか。
物事の順序は曖昧だ。

昔ポーランドの修道院、戒律厳しい尼僧等がトランスおこして大乱舞
これは17世紀にフランスで起こった史実が元の歌詞。
尼僧ヨアンナという小説やそれを原作とした映画などに詳しい。
情欲と悪魔と恋と愛と磔、そして歴史や宗教などをテーマにしている。
悪魔憑きの尼僧ヨアンナと彼女を愛した神父スーリン。
歌詞の中ではスーリンという名は出てこないがヨアンナを愛した神父は登場する。

先日都会のまんなかで踊る集団アイドルがトランスおこして大逃走
一方こちらは大槻ケンヂの創作の現代。
同じような出来事が時空を超えて同時に起こっている状態を演出したかったと、
大槻ケンヂ本人が言っているが、
それは10曲目のゴミ屋敷の王女のラストの語りにおいて、
より明確に意図して演出されている。

時を超えて同時に。
この感覚観が重要だ。
創作世界であるから別世界。
しかし時間は流れて現代。
だが似たような事象は同時に起こる。

SF的でもあるし運命的でもある。
悪魔憑きとはそういうものかもしれない。

罪の意識に溺れるのは甘やかで時にひどく悪魔的だ。
ヨアンナは戒律厳しい尼僧であり抑圧的な立場にあった。
ゆえに本能では情欲を求めていたのかもしれない、
その本音と建前の中に巣食うものが悪魔だ。
求める心に悪魔は忍び寄る、どちらが先かは重要ではない。
その罪を罰して欲しいと望む心はマゾヒスティックな悦びであるかもしれない。

それは虫喰う花のような欲深い様でもある。
虫喰う花のよう甘い香りで釣って罪受け入れろと囁くよ 愛はレセプター。

悪魔憑きの尼僧ヨアンナは欲望に忠実であっただけかもしれず、
その悪魔を祓う為ヨアンナへの愛に殉じようと死を受け入れようとする神父も、
ただ己の本能の欲望に忠実であっただけかもしれない。

踊る集団アイドルが神様よりも好きな人がいるんだもんと逃げ出したのも、
恋に殉じようとする欲望に忠実な様であり。
その様をマスメディアが悪魔憑きのようだと叩く様もまた悪魔憑きのようだ。

だがすべてを受け入れる 愛はレセプター。

もしすべてを自分が呼び込んでいるのだとして。
悪魔憑きなんてものの原因が自分なのだとしたら。
悪魔に「あい」に「こい」と言っているのは自分自身なのだとしたら。

踊れ踊れよ大乱舞
逃げろ逃げろよ大逃走
受け入れるなら悪魔の恋 神様よりも


さて次の曲へ参りましょうか。

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奥田民生 / OTRL

奥田民生の新譜「OTRL」が信じられないくらい良い。
これをレコーディングツアーで創り上げたというのだから震え上がる。
バンドブーム世代は化物ばかりか。

これまでに奥田民生が積み重ねた来た幅広い曲のパターン。
それがジャンルや曲調との組み合わせによって一気に広がる。
「Room 503」の中での
『オンデマンドつながった千のメロディー』という言葉が印象的。
他の世界と出会うことで世界は相対的になって、
ようやく世界に対する反応という領域に至る。

おそらく。
奥田民生は音楽を使った新しいコミュニケーション手段を模索した。
音楽の底の深さはまだまだあると、
これほどはっきり提示できるなんて。

まさしく「最強のこれから」といった意志を感じるアルバム。

ニューミュージックのような曲「えんえんととんでいく」は、
pupaの「new order」の歌詞世界を共有しているような作品。
似たようなフレーズも入るしおそらく意図的だとは思うが、
こと音楽に関しては自分の意識外の所で作らされることがあるので、
あまり偉そうなことは書けない。

もしそうだったとしたら、という仮定で話をすすめるが。

原田知世の書いた「new order」の世界。
新しい世界の到来、渡り鳥の旅立ち、
しばしのわかれ、すべてのはじまり。
北の星が瞬いて導く鳥の旅路。
鳥たちの旅は淋しげだが、
しかし健気な意志で歌われた。
一筋の光だけを頼りに。

奥田民生はその世界をどう見たか、
どう受け止めて奥田民生として反応するか。
それは視点を一体どこにおくのかだろう。

『あ、ボクならここにおきます』
といった感じの粋さ。
ただひたすら分かれと始まりが繰り返す
暗黒の闇を行く旅路を
なるべく苦しくならないように。
視点をさらに俯瞰にもって行った。
そうすっと輪廻も永遠のながめとなり、永遠のリハビリとなる。
アセンション(昇華・昇天)とはこういうことを言うはずだ。
ものすごく好きな曲の一つ。
(あくまでも返歌としての変化のさせかたが上手いという意味で、
原田知世の歌詞世界に対する批判やアンチテーゼではない。
さらに、もしそうであれば、というエクスキューズがつくことにもご留意を。)

言葉と音と記号性とテーマをつめこんだ珠玉「RL」。
この曲の場合、RightとLeftつまり右と左を表していると思うが、
RLじゃ右が左になって左が右になっちゃっている。
知的なバカっぽさを演出するタイトルだ。
だから右だの左だの選んでも
最初の右と左を間違ってから間違ってたのかもね。
でも案外それくらいのほうがまっすぐ進めたりもすることもあったりね。

先にやられてしまったと歯噛みしたような曲「音のない音」。

トロフィーやトリッパーなどで示した世界観の継承のような「たびゆけばあたる」。

このアルバムをレコーディングする様を見せるショー、ひとりカンタビレ。
既存のアルバムを発表・発売してから
販促ツアーで全国を回るという定石を平気で覆す新時代の幕開けの象徴。
「ひとりカンタビレのテーマ」。
ひとりは気楽だと歌う。マイペースでいいのだと歌う。
でもやっぱ待ってるんだな。

音楽インテリ奥田民生の本領発揮。
あのFantastic OT9で朧げに見え始めていたものの先。
今までの歴史を背負い、これからを見据えていける
奥田民生でしか切り開くことのできない地平を見せて貰った。

個人的に「解体ショー」と「暗黒の闇」。
この二曲は壮絶。

「解体ショー」の臨場感と楽しさったらない。
そして切なさまでも。
奥田民生はどこまで行くのだ!

アルバムラストはいつも壮絶な曲を持ってくるが、
「暗黒の闇」には度肝を抜かれたな。
タイトルにまったく似つかわしくない曲調。
むしろ輝きを感じさせるコード進行。

「暗黒の闇」はアルバム全体を包みこむ哲学性と説得力を持つ。
両義的な音とテーマの絡み合い。
目に見えぬバイブレーション「音」。

自分達のことを『ゆかいな暗黒の闇』と歌いあげる力。
孤独の中に反響を見出したら
世界は闇の中で燦然と輝きだす錯覚。

オーディエンスの拍手が響き渡る。

「闇」の中から「音」を取り出す。
それはないはずのものを取り出そうとする行為。
「音のない音」を見出す力。
空想を、夢を実らせる為の動力源。
暗黒の闇の光。

そんな風にこのアルバムは全体的に、
世界や存在のことを歌っていると思う。
「かたちごっこ」なんてモロに存在を象徴する言葉って気がする。
いつだって存在は世界でごっこ遊びをしている。
またそれを、いたちごっこのように続けていく。

繰り返し。繰り返し。繰り返し。
そんなニュアンスの言葉が、
このアルバムには貫かれている。

それをロールと呼ぶのなら、
タイトルOTRLのRLはRollであろうか?
それともRoleであろうか?

回転する輪廻のなかで
存在は『永遠のリハビリ』(by「えんえんととんでいく」)

意味はRoll(巻く)とRole(役目)の両方にまたがっている気がする。
歴史の繰り返しは巻物。
それを前に進める役目をもって産まれるのが自分だ。
世界全部でなくていい、自分の世界だけでもいいし、
その世界と他の世界を巻きあげてやるのもいいだろう、

しかし自分の世界を前に進めるという作業は孤独極まりない。
自分以外には誰もその世界を前に進める方法を知らないから。

OTRLとは奥田民生の歴史の巻物であり、
音楽の新しい領域に踏み出し提示する奥田民生の役目でもあり、
OTRLというジャンル宣言でもあるのかもしれない。

すぐには評価されないかもしれないが、
このアルバムを日本人が創ったってことは、
とんでもなく誇り高いことのような気がする。

どうせ、するめアルバムなのはわかってるんだから、
これからもっと好きになるでしょうけどね。

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