ゲーム漬けの子どもたち 読書や会話のある生活を伊藤紀子という方が書かれたこの記事。
的外れな意見、偏ったものの見方、独善的な言葉遣い。
自分本位で実質本当に子供の事など考えていないように思えます。
しかし実名を出されているだけ、
無責任な記事を書く新聞記者や雑誌のライターよりは遥かにマシです。
しかし「子ども」の事を考えるという考え方。
なんておこがましいのだろうと感じます。
少なくとも。
世の中というのは絶えず変化しつづけますし、
常にクリーンな状態が保たれるような楽園のような場所ではありません。
だからもし本当に「子ども」の事を考えてあげたいのならば、
そうした混沌とした場所でも生きていく為の力をつけさせてあげるのが、
先輩としての大人の役割なんじゃないかと思います。
それが大人のエゴの折り合いの付け所ではないでしょうか。
清濁併せ呑ませるくらいの気概が大人には必要なはずです。
社会や世界というのはとても理不尽な場所です。
そこで生きていくにはどういう力が必要であるのか。
物事の見方や捉え方は千差万別です。
そしてだからこそ子供はそれらを無意識的に観察し成長します。
テレビやビデオ、ゲーム、パソコンゲーム、ケータイで1日4~6時間も費やす子どもたちがいます。画面上で何万人もの殺人と命のよみがえり体験を繰り返し、正しい死生観を獲得することさえ難しくなってきた今日のゲーム社会。そしてなによりゲームで脳の前頭前野が不活発になり、それにより「キレやすい脳」になると、多くの脳科学者が警鐘を鳴らしています。(元記事より引用)
「正しい死生観」とは一体なんでしょうか?
人は「死」についてなど一生かかっても理解することはできません。
そして人は一生をかけて、あらゆる事象から「生」についてを知っていきます。
正しい死生観などという言葉を使い、自分はそれを理解したような立場から話す。
それが子供から見ていかに愚かに見えることか。
子供をバカにしちゃいけません。
ゲームの世界と現実世界の区別なんてついて当然です。
自分の身体はコントローラーで動かすことはできないんです。
コントローラーを動かすのは自分でしかありえず、
その向こうの世界にゲームという概念が存在することを知ります。
この構造的な意味性を理解していないのは、
自らがゲームという体験に対して疎いからでしょう。
知らないのにゲームを否定する。
何故でしょう?
子供のキレる理由がわからないから責任を転嫁してしまう事と同じ原理です。
理解できないものへの恐怖。
それは実は子供の頃から変わることのないものだと思います。
年齢を重ねたからといって大人になった、などと思い上がってはいけません。
大人だろうが子供だろうが、
「知らない」「分からない」ことに対しては常に素人です。
「素人」なればこそ「知ろうと」するのではないでしょうか。
いつだって我々は子供と同じラインに立っています。
少しだけ子供より見てきたことが多いというだけ。
少なくとも俺は幼少期からゲームやパソコンなどに、
一般の人よりも多く時間を割いてきました。
学校を休みほぼ一日中ゲームをやるということもザラでした。
ゲームの中には過激な表現やエグイものなどもあります。
しかしゲームの世界などより現実のほうがよっぽど残酷でエグイです。
これに関しては俺の幼少期の頃の環境が、
多くの一般の方々とは違っていたから得た認識かもしれませんが。
それでも子供というのは敏感です。
思春期になれば現実や社会の広がりを知っていくことに恐怖すら覚えます。
今にして思えば反抗期などはその不安のあらわれだったのかもしれません。
ゲームで脳の前頭前野が不活発になるというのも、
ただの言葉の引用にしかなっておらず。
前頭前野が不活発になることで何故キレやすい脳になるのか。
それを理解しておられないのであれば引用すべきではないでしょう。
また「今日の自分の脳の前頭前野は活発かな?」なんて考える方が、
人間としてよっぽど不健康な思考回路だと思うのですが。
人間の精神性などを全て「脳の動き」で説明しようとする。
多くの脳科学者とは一体どんな人達なのでしょう。
まずはそいつらの人間性をこちらに判断させて頂きたいものです。
メディア漬けの生活は、子どもたちがことばを獲得する大切な時期に家族との会話や、ホルモン分泌の要である睡眠リズムの獲得を奪っています。(元記事より引用)
どれだけゲームをしていようが家族の会話や友人との会話は十分に成立します。
家族の会話がない問題とゲームの問題を同列に語る理由が見えてきません。
俺の小学生時代の睡眠のリズムの乱れは両親の職業柄でした。
しかしそれに対して不服を感じたことはありませんでした。
両親はそのことを俺に申し訳なく思っていたようですが、
俺はその環境でしかできない体験を多くさせて貰ったことを感謝しています。
さらに「子どもたちがことばを獲得する大切な時期に~」の部分ですが、
当時の俺は語彙力のほとんどをゲームやマンガ、テレビなどから手に入れました。
学校教育は暗記させるだけで感情的なベクトルを伴わないお粗末なものでした。
ゲームを作っている大人たちは子供をバカにしません。
「子供だまし」のものを子供は最も嫌います。
もし現在大人が「子供だまし」だと認識しているようなものでも、
子供が熱中しているのだとすれば、それには何か理由があるはずなのです。
まずはそれを理解してあげようとする所から
互いの相互理解が生まれるのではないでしょうか。
しかし子供の世界には入り込みすぎないでください。
難しいことかもしれませんが、
放っておかないと伸びない芽というものがあります。
様々な人と触れ合うというのは非常に大切なことです。
今の子供から遊び場を奪いゲームにばかり傾倒するようにしてしまったのは、
間違いなく大人社会なんですよ。
だからこそゲームはネットワーク化し仮想空間で人々が遊ぶようになった。
時代が呼んだ必然と言ってもいいでしょう。
自分たちが暮らしやすくする為に車社会を作り。
子供たちが安心して外で遊べない環境を作ってしまった問題は棚上げにして、
ゲームばかりするからキレやすくなると、のたまう大人。
そりゃそんな大人を見てればキレたくもなるでしょう。
真の友情をはぐくむべき時期にケータイメールに夢中の中学生。しかし、ケータイの伝達力は13%にすぎず、感情は伝わらないといわれています。そして目と目を合わすことができない子どもや、自分の考えや気持ちを直接相手に言葉で伝えられない子どもたちが増えてきました。(元記事より引用)
もう指摘するのも面倒なほどです。
「真の友情」とはなんですか?それは大人になると分かるのでしょうか。
いつか分かるようになりたいものです。
ケータイの伝達力は13%ですか。何と比べて13%なのでしょう。
これでは伊藤さんの伝達力もあまり大したものではないように思えます。
感情の伝達など、どれだけ言語に長けていても伝わりきるものではありません。
しかし少なくとも、しっかりと作られたゲームなどでは、
物語や演出によって言葉だけでは伝わらないことを伝達してくれます。
伊藤さんはそういったゲーム体験をせずに、
誰かが使った言葉の組み合わせと
自分の思い込みだけでゲームを語っているように見受けられます。
それでは誰にも何も伝わることはありません。
同じような考え方の人のみにだけ共有されていくだけで、
ゲームを楽しめる子供への伝達力は恐らく13%以下でしょうね。
何と比較したパーセンテージかは、伊藤さんしか分からないでしょうが。
さて。
ここまで色々とライターの伊藤さんの意見に反論してきました。
だが伊藤さんの記事の後半は俺の主張と似ている部分もあります。
「自己コントロール力」への言及など。
それに確かに小学生くらいまでの子供には、
まだ触れるのが早いと思われるゲームも多くあります。
ザルとは言え年齢制限によって住み分けはされていますがね。
インターネットも小学生には情報が多すぎて処理しきれない場所かもしれません。
その辺りは大人が暮らしやすい社会をつくり
子供をはじき出してしまった実社会と同じように。
インターネットの構造も子供と大人の住み分けを考え直す時期が来ていると思います。
なにより大切なのは子供が自発的にやろうとしていることや、
能動的な姿勢を見せていることに対してエゴだけで反発しないことでしょうか。
「大人」も「知らない事」に対しては
「子供と同じ」であるということを肝に命じて欲しい。
そして例え親子であろうが個体として違う経験をするのですから、
自らのエゴを子供に押し付けようとするのもやめてあげて欲しいのです。
子供のエゴと親のエゴ。
どちらもぶつけあってようやく人間関係ではないでしょうか。
お粗末さまでした。