奢りなき誇り。
俺には悪い癖がある。
いつ頃からついたのかは知らないが、
すぐに「自分程度の人間が」という思考になってしまう。
例えば俺が知っている程度のこと、
ネットで調べれば誰にでもすぐ分かるんだし、
俺がいちいち言うようなことでもないや。
となってしまうことが最近すごくよくある。
しかし、よくよく考えると、
俺くらいの年齢で、俺くらい自由な時間があって、
その時間をたっぷりつかって無駄なことばっか考えてるようなのって、
実はそんなにはいないんじゃないかと思ったりもする。
しかし、だからといって「これは俺が書かねば!」となるほどに、
深刻で重要な情報も持ってないだけに
自己判断は常に自分をマイナス評価に置いてしまいがちな所があると思う。
中学時代あたりから染み付いた感覚って気もするな。
ガキ大将期を経て増長し、
女子や一部男子に嫌われ多数派から責められる側に回ってしまった。
家庭環境もその頃あたりに
思春期らしくちょっと複雑だってことがわかってきて、
なんか抱え込んだフラストレーションの解き放ち方もわからず
当たり散らして敵を増やす。
知らず愛想笑いがどんどんうまくなっていた。
それでも、おかしくならずにすんだのは、
ちゃんと俺を認識して付き合ってくれる人たちが居たからだった。
高校では俺を理解してくれる優しい友人たちにも出会えたし。
というよりも中学時代に俺が不自然だった理由はやはり俺にしかなかった。
大学でも少ないながらも大切な友人ができた。
卒業して、いくつかの仕事場に身をおいて、
そこでも貴重な出会いをさせてもらって、
人の縁の中で自分がつながっているのを実感する。
さて。
「自分程度の人間」とやらに、
果たして、本当にそれだけ素晴らしい友人たちが得られただろうか。
だから俺は俺自身を誇れるようになりたいと思う。
とても素晴らしい友人たちが俺の友人でいてくれている。
自分自身が誇り高い友人たちと同じだけ誇り高い存在である為に。
せめて誇り高くあろうと生きようとする。
それはそれだけでもとても誇らしいことなんじゃないかと思う。
いつ頃からついたのかは知らないが、
すぐに「自分程度の人間が」という思考になってしまう。
例えば俺が知っている程度のこと、
ネットで調べれば誰にでもすぐ分かるんだし、
俺がいちいち言うようなことでもないや。
となってしまうことが最近すごくよくある。
しかし、よくよく考えると、
俺くらいの年齢で、俺くらい自由な時間があって、
その時間をたっぷりつかって無駄なことばっか考えてるようなのって、
実はそんなにはいないんじゃないかと思ったりもする。
しかし、だからといって「これは俺が書かねば!」となるほどに、
深刻で重要な情報も持ってないだけに
自己判断は常に自分をマイナス評価に置いてしまいがちな所があると思う。
中学時代あたりから染み付いた感覚って気もするな。
ガキ大将期を経て増長し、
女子や一部男子に嫌われ多数派から責められる側に回ってしまった。
家庭環境もその頃あたりに
思春期らしくちょっと複雑だってことがわかってきて、
なんか抱え込んだフラストレーションの解き放ち方もわからず
当たり散らして敵を増やす。
知らず愛想笑いがどんどんうまくなっていた。
それでも、おかしくならずにすんだのは、
ちゃんと俺を認識して付き合ってくれる人たちが居たからだった。
高校では俺を理解してくれる優しい友人たちにも出会えたし。
というよりも中学時代に俺が不自然だった理由はやはり俺にしかなかった。
大学でも少ないながらも大切な友人ができた。
卒業して、いくつかの仕事場に身をおいて、
そこでも貴重な出会いをさせてもらって、
人の縁の中で自分がつながっているのを実感する。
さて。
「自分程度の人間」とやらに、
果たして、本当にそれだけ素晴らしい友人たちが得られただろうか。
だから俺は俺自身を誇れるようになりたいと思う。
とても素晴らしい友人たちが俺の友人でいてくれている。
自分自身が誇り高い友人たちと同じだけ誇り高い存在である為に。
せめて誇り高くあろうと生きようとする。
それはそれだけでもとても誇らしいことなんじゃないかと思う。
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