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やみだのひかりだのからのからだからだせ

心の闇のようなもんと向き合わねば
結局は真っ暗で何も見えんようになってしまう
眩しすぎても前は見えなくなるもんで
どうにもバランスというのは難しい。

でも、そのバランスというのは
奥田民生の言葉を借りるならば
おそらくは愛であり、愛とはゆがみの杖なのだろう。

あいとはゆがみのつえ すべてのバランス(なんでもっと)

歪んでいることは真っ直ぐではないことだろうか。
真っ直ぐとは歪まないことだろうか。
愛とは歪まないことではないだろう。
愛とは真っ直ぐなものでもないだろう。

人がバランスをとり真っ直ぐに歩いて行く為には、
愛というゆがみの杖と共にあることでしか不可能なんじゃないかと、
最近は心底おもう。

勝手に自分の頭の中で巻起こってしまう、
愛ゆえの暴走や馬鹿馬鹿しい愚かさを抱えたまま、
人はたぶん独りで真っ直ぐに歩けるほどのバランス感覚を持っていない。

自らの弱さを肯定して相手に寄りかかってしまえば、
バランスは崩壊するし、過剰な愛を注げば時に愛はあふれてしまう。

そんなゆがみの杖と一緒になんとか歩いて行くのが人だ。

ゆがみの杖とは、自分も含めて世界も出来事も感情も何もかも。
そんな気がする今日この頃。

自分の至らぬ部分をなんとかしたいと思う。
過ちを重ね合う極彩色の色とりどりを待つ希望の光へと。

逃げこむ場所が多すぎて、ついつい楽なほうへと転び、
愛を忘れて立ち上がるための杖を見失ってしまうことになってしまったり。
愚かすぎてさ反吐がでるけど、笑っていたいからね。
楽な方へ逃げると笑うことすら難しくなっていく。
楽なことは楽しくないのかもしれない。

だから常に立ち向かうべき相手はまずは自分の中にしかいない気がする。

そんなことを教えてくれるのは
いつも自分以外だってことを忘れないようにしたい。
そして愛によってそれに気づけた自分も信じてあげて、
なんとか自分がもっと良くなっていける日々を
信じてやっていける自分でいよう。
バランスはいつだって重要だ。
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失礼、なにもかもが愛おしいです。狂おしいほどに。

それは、すごく失礼なことなのかもしれないけど。

誰か自分以外の人の心情を慮ろうとして、
例えばその人の今思っていることや、心に思いを馳せて、
自分のこと以上に胸が締め付けられてしまうような瞬間がある。

辛くはないだろうか、悲しくはないだろうか、
今自分には何ができるだろうか。

そう思える心にも感謝をする。
人らしい心をありがとう。
その心に恥じない人でありたい。

心を勝手に自分のものだと思い込んでいることもまた、
心に対してすごく失礼なことのような気がして、


すごく愛おしくなった。

ふみしめていく

愚かなことに俺は自分が恥ずかしい奴だとわかったつもりになって、
ふと本当の自分の恥を見つけ耐え切れず単独非行して迷惑をかける始末。
フライングゲットで手にいれかけたのは失う方面のことでしたが、
俺のことを気にかけてくれている人たちのおかげで、いまここにいます。

なんのこっちゃわからん記事ですがね、
人が向くべき方向は生きて未来へってことだと思います。

悲しみを抱えたままでも人は笑える。
でもだからこそ不要な悲しみは少なくしたい。
今日はそんな記事です。

よし反省。

行き場のない怒り、憤り、もどかしさ、やるせなさ、切なさ。

いわゆる宙ぶらりになって自分の中だけに抑えこんでいられないのに、
吐き出し方のわからないエネルギー。
跳ね返す相手がわからない感情。
感謝だけでは浄化しきれない、マイナスの想念。
そういうものに出会った時はどうすればいいのだろう。

例えば、
自分と何の関係もない人を殺した者が
遺族への謝罪もなく自害したとしよう。

世界に残存する、その余剰分のマイナスのエネルギーはどうなる。
恐らくそうした想念が世界にマイナスの影響を及ばす磁場となるのだろう。

ではもし仮に生きているものが、
行き場をなくした負の想念に干渉できるとしたらどうだ。

うまく謝罪や感謝ができない人のために、
自分が想いを馳せて少しだけ負の想念を肩代わりするような気分。
ごめんなさい、すいません、ありがとう。
心のなかで唱える程度。
ほんのそのていど。

多くの人が少しずつそんなことができるようになったら、
心のどこかで、自分も実践し、他人もそれを心の中で行なっているかもしれない、
そういう風に思えるようになる世界が来たらいいのになと思う。

なんのためのそれだ。

誰かと比較して自分はよりプラスの状態でいたい。
この感情が要因となって等価分のマイナスの因子を引き寄せるとする。

幸せになりたい、と願えば願うほどに幸せから遠ざかるのは、
他者の不幸の上にしかなりたたない幸せを望むからだろう。

おそらく引き寄せの法則が恐ろしいとされる理由はここにある。

感謝が合言葉、すなわち愛の言葉であるのは、
すべてに跳ね返す礼の心だからだ。
プラスマイナスゼロの放射反射感謝の心。

すべてのものに心をのせて跳ね返す。
全身全霊。
それが感謝だ。
 
今自分を包んでいる凄まじい幸せに気づくだけ。
それだけで本当に自分が望んでいたような世界になる。

欲しいもの、なんか誤魔化されてない?
それの価値がゆらいで誰も見向きもしなくなっても、
自分だけは絶対に欲しいと思っていられるような
そういう何かを見つけるために生まれてきたのかもしれないのに。

他の人の宝物が欲しかっただけなら、自分の人生なんていらなかったんじゃないの。
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